しかし僕はいつも負けて悔しい思いをしていた。父はというと楽勝に勝てる相手ということで楽しんでいるみたいだった。
序盤中盤の駒の進め方ややぐらの組み方や詰め将棋を教えてもらって少しずつだが上達した。
だんだん上達した小学生の僕は父と対等に勝負できるくらいになっていたがいつも負けていた。
ある日の終盤戦。父がミスをしてあと1手打たせてもらえれば僕が父を詰めるところまできた。初めてのことだった。
父が次の1手をどこに打つのか、あと1手で詰みだということに父に気がつかれないようにとドキドキしていた。
次に僕が打つ予定の手持ちの桂馬をできるだけ父に見えないようにしていた。
「早く、早く」と父を慌てさせた。僕のほうが守りに必死で負けそうという素振りをした。
そして、よくよく考えたすえ父はミスをした。
僕は父に勝ったのだ。初めての勝利で快感だった。ついに父に追いついたと思った。
それから僕は父と将棋をやらなくなった。
あのころの父に勝ちたいという一生懸命な欲求が無くなってしまった。
父は囲碁をするようになっていったが僕は囲碁もしなくなりそれっきりだ。
いま大人になって当時を思い出してみると、あの状況で父がミスをするはずがないよなと思う。
当時の僕の行動なんて挙動不振でバレバレであっただろうし、あと1手で詰まれるなんて大人なんだから気がつかないはずもない。
きっと父は僕を喜ばそうとしたのだろう。いつも負けて悔しい素振りをする僕を見て勝たせてやりたかったのだろう。
だが僕は父に勝ってしまったことで何かが変わってしまったのだ。