プログラマは各々が使う言語やツールによって思考や行動、コミュニティを制限されている。
某巨大掲示板を見るかぎり、言語ごとにテーマが区切られることが多い。
何かプログラムを作る際に、最初に「どの言語を使うか」を論じられることも多い。
ABI(Application Binary Interface)か、外部ライブラリ呼び出しの手段を別途構えることによって、言語横断的なプログラムを作ることはできる。それにも関わらず、プログラマは言語を同じくする者同士でしかつながりあえていないような印象を受ける。それはプログラミング言語がツールである以上に、思考パターンをも制限してしまっているのではないかということだ。
これらの状態を引き起こす引き金は、言語そのものの特性というよりは、あらゆる言語をまとめて一つのバイナリを吐く(あるいは逐次実行する)ツールの不在が上げられる。それぞれの言語のコミュニティは自分の言語のコンパイラやツール、方法論にしか興味がない。
おれは雑食だから何でも使うんだけど、そういうところはあるよね。 でも、普通の人間が言語によって断絶され、思考の型を決定されていることと比べたら大した壁ではないさ。
おう、ここにもバベルの塔がそそり立つ!? 機械言語なんて勉強したことないからわかんないんだけど、「思考パターンを制限」ってのは本当なの? 自然言語だったらそういうことはもは...
とりあえず関数型言語の世界の人と、逐次実行型の世界の人はそれぞれ思考パターンが全然違う気がする。 私には普通に末尾再帰とか使ってる人の頭の中が理解できません。