2008-03-10

薬物と本当の私

悲しい。とても悲しい。私は今、抗精神薬が合わないためにむやみに猛烈な悲しい気持ちに襲われている。

さて、この悲しい私はどのぐらい私自身なのだろう。

よく酒でも飲んで腹を割って話す機会を持つなんて言われる。アルコールを飲んで理性を開放し自分を晒し気味に調整して馴れ合いましょうということだ。

この機会の社会的効能自体は経験的に認めざるを得ない。しかしまことしやかに言われる酒を飲むと現われる「本当の自分」は本当に自分の人格だろうか。

例えば背伸びするだけで勃起するような、バイアグラの10倍も強力な強壮剤があるとしよう。これは意識にも作用して強く発情するとする。ではこの強制的な発情状態は自分の人格といえるだろうか。

ドラッグが人を魅了してきたことは何かと聞き及んでいたことである。

しかし思うのだが、ドラッグによって本当の自分が見えてくるというのはジャンキーの中毒者としての戯言であって本来はドラッグによって変性した意識を批判的に解釈することで本来の人格が見えてくるということではなかったのだろうか。

つまり日常とは違う精神状態によって、薬を飲む前の私が何であったのかについて思いを馳せるということである。

しかし、そして自然と、自分の意識の根拠を失ってしまうことも事実だ。私をドライブするものは日常という薬物的状態なのだから。

  • ひょっとするともう読んでるかもしれないし、そんなの読むなんて真っ平ごめん!と言われるかもしれないけれど、 グレッグ・イーガンの『しあわせの理由』をお勧めしておくよ。

  • この記事を読んで http://anond.hatelabo.jp/20080310200613 「でもエロゲでも媚薬の効き方が人によって違う所に萌えるのになあ…」と考えたりした僕は本当に筋金入りのダメ人間だと思うので思う...

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