笑い話である。
彼女にとって目下問題なのは、僕が彼女をマイミクから外したことらしい。僕はマイミクから彼女を外したのではなくて、ミクシィを退会したのだが、そんなことはどうでもいい。余りに程度の低い話で、僕は唖然としてしまった。
そして、そのことに気付いたのが、たまたま機嫌が悪いときであったことも余計に彼女の癪に障ったらしい。まぁ、それはいい。生理か何かなんだろう。仕方がない。ただ、それを口に漏らすことが、余りに程度の低い話だ。
そんな彼女の程度の低さを見るにつけ、僕自身の程度の低さにも辟易したのだった。何故こんな女からのメールを待つなどという、滑稽な事態に陥っていたのだろう。
僕は、彼女とのコミュニケーションではいつも、彼女が理解できるように優しく表現することに努めているつもりだった。が、そんな傲慢な理屈は通らない。僕は、僕でも大した努力も必要とせずにコミュニケーション可能な彼女を、選別していただけに過ぎないのだ。そして、そのコミュニケーションは拙いゆえに、容易に崩壊するリスクを背負っている。
なんと滑稽だろう。彼女が彼女のルールの下で彼女の機嫌に従ってくれる人間だけを周囲にはべらそうとするのと同じように、僕もまた、僕自身と同程度に幼稚な人間に、まるで鏡像の自分を探し当てるかのように、惹かれていたのだ。
三島由紀夫は「新恋愛講座」の中で同情が愛に変わるところを面白く描いていたけれども、僕の彼女への愛は同情に変わりつつある。ただ、彼女そっくりの僕へは、同情も向けられる余地はないし、僕が誰かに同情を向けるなど、そんな傲慢が赦されてはならないのだろう。