知識を優越感ゲームに使っているかどうかの見分け方 - ARTIFACT@ハテナ系
これってさ、「知識を優越感ゲームに使っているかどうか」の見分け方じゃなくて「知識を収集すること自体が目的化しているかどうか」(知識それ自体を集めたいと思うのは文化的である、とかっていうならそれを否定する気はない)の見分け方じゃないの?
例えば、その必要があって、ある知識を持っている人なら、まだ覚えなくちゃいけないことがあったら、うんざりするだけだと思うのだけど。
そういう人にとって、知識は単に道具…だから、「このサイズのドライバーは持ってないの?」と聞かれたときに「持ってない、仕事で使わないからね」というやりとり同様に「…ってこと、知ってる?」「知らない。仕事で使わないからね」というやりとりも別に変ではないはず。でも、「仕事で使わないからね」も言い訳の一種だと言うならその通りかも知れないわけで…。
それから、「ニヤニヤして見守りたい」ってのも…どうだろ、そもそも「言い訳」が正しいかどうか理解することすらできない人間の負け惜しみとしても使われる態度だと思うのだけれど。「自分が理解出来ないことは何でも屁理屈呼ばわり」と同様に。
見分けられたらなんかいいことあるのかな?と思ったが 「こいつ知識あるなしで優越感に浸ってやがる。プッ、カッコ悪」って優越感に浸れるんだな。
http://anond.hatelabo.jp/20080203221143 引用先が言ってるのは「知を知として愛する人間であるか否か」なんじゃないのかな。だから「知を道具として見てる人」は引用先からみれば「知を優越感...