2007-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20071229005243

確かに意味はあまりないかもなあ。以下、個人的な話ね。

「死にたくない」というのと「どうせ死ぬんだから」は同居している。

どちらかだけが自分の意思であるというわけではない。

人生において落ちるところまで落ちたとき、例えば、何かの拍子に飯を食うことすら面倒くさくなって

布団の中でぐだぐだしていると、早くも2日目くらいで「やべ本当に死ぬんじゃないか」って危険を感じて、

仕方なく死にそうな顔でコンビニに行ったりする、

思春期を迎えたばかりの頃、覚えたてのオナニーに「これが生きてるってことなのか!」というくらいの

感動を得て、1日に6回、7回射精をするうちに、脳の方はまだ行ける、行くぜって指令を出しているのに、

脳内をめぐるべく血流の方が減ってきてしまって、意識が朦朧としてきて身の危険を感じてしまう、

そんな繰り返しに人生が似ているんだと思うな。

「死にたくない」と「どうせ死ぬんだから」という2つの意思が、

意外と、本人のあずかり知らないところでバランスしながら回転して、

その結果として、何となく生き得ているんじゃないかなと思う。

つまり「死にたくない」と「どうせ死ぬんだから」の両方がないと、回っていかないのではないかな。

そうやって回ることが、「生きる」ということ?違うかな。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん