感情の起伏をなるべくださないように生きてきた。
例えば悲しいという感情が感じたのであれば、その悲しいという感情を、吟味し本当なのか?本当に悲しいのか??
その感情は自分でコントロールできないのか???
と考えた。
他人に対して感じる怒りや苛立ちをどうしたら抑えることができるのかと考えた。
物事を客観的、多角的に見れば、表と思ってたものが裏であったり、明と思っていたものが暗であるのであれば、自分の怒り、苛立ちも違った観点から見れば抑えることができるのではないかと考えた。
単純にいえば、他人に振り回されるのが嫌いだったし面倒だった。
振り回されないためには、他人が自分の予想とは違う動きをし、その想定外の動きに対して自分が臆してしまわないためにどうしたらいいのか考えた。
集団の中では、個人(具体)を、全体(抽象)で捕らえるようにした。
特定の人間に嫌われてもどうでもいいことを知って、10人の集団で2人には嫌われても、8人に好かれれば集団では生きていけるということを学んだ。
自分の小さなプライドなんか捨てて、失敗した時に素直に謝る、他人を認めたほうが、結果的にうまくいくいった。
こうやって生きてきて高校、大学の自意識過剰な時代は、偽善だと自分のことを蔑むこともあった。
でも社会人になって、何も感じなくなってきている。
まぁ人間関係はうまくやっているほうだとは思う。
ただなんか虚しいんだよ。なんかわからない喪失感。
でもどうせ後少ししたらこの感覚も、これが人生だし、この感覚はこれから生きていく上でなくなることないって、妥協ってか適用していくんだろうなと。
今さっき家で独りでボウモア飲みながら他人と自分を考えた時、こんな感じのことを僕は考えてました。
妥協というか適用というか 年を経るとどうでもよくなるんだよね、そこらへんの感覚って。