って、たまに言われるんだけど。あ、いや、ごくまれに、いや、生まれてから何回か、かな。まあそれはともかく。
女の子の言う「やさしい」って、その人を形容する表現が思い浮かばなかったときの最終手段なんじゃないかと思った。
プログラムっぽく書くとこう。
if ( $masuda =~ /なんか本読んでる/ ) { $description = "知的"; } elsif ( $masuda =~ /なんか運動してる/ ) { $description = "アクティブ"; } elsif ( $masuda =~ /なんか音楽詳しい/ ) { $description = "センスいい"; } elsif ( $masuda =~ /さりげなく手伝う/ ) { $description = "やさしい"; } else { $description = "やさしい"; } print "増田くんって" . $description . "よね\n";
http://anond.hatelabo.jp/20070414115725 人を「やさしい」と褒める人は、深層で「ほんとうの自分はやさしい人間だ」と思っている人だ。 やさしいか、やさしくないか、というものさしで人を測ろ...
http://anond.hatelabo.jp/20070414130856 ああ、これはなんとなくわかります。自分だったら、ひねないですね、こういうあたり。しっぺ返しを恐れなくても済みます。
「人をやさしいって褒めることのできるあなたのほうがもっとやさしいよね」 なんだこの歯の浮くようなセリフ。 信用したくねぇ、こんな奴。
http://anond.hatelabo.jp/20070414132238 つまりこういうことですよ。
やさしいとか言ったことも言われたこともないくせに強がっちゃって。
「やさしい」じゃなくて、 普通に仕事とかそういう事の成果で不意に誉められた時に 返す言葉を失ってしまうのは、 自分の中に誉められて当然という感情があるからだろうか。
この程度で褒められても嬉しくない、ということだろうから、向上心と自己評価すればいいかと。 まだまだですと返事すれば対外的にも精神衛生的にもよいのではないかと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070414132727