人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと僕は思っている。「好きを貫いて生涯を送ること」は素晴らしいことだ。人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。本当の幸福とは、そういう心の在り様にこそあると、僕はそう信じているから、若い人達に、そんなに簡単に「好きを貫く」ことを諦めてほしくない。でも「簡単だから、やってごらん」なんて言ってるわけじゃない。
自分が本能的に好きなことがあるって羨ましいです。
私は、人からどう見えるとか人がする評価の中で、どうやっていい評価が得られるかということにこだわってきました。
いい高校に行くべき・良い大学に行くべきといったことから始まり、服装も人が好感を持ちやすいものにしたり、将来の進路も社会的に良いとされているものを選択したつもりです。しかも戦略的にしてきたと思います。決して人様から、評価を上げようとしていることがばれないよう細心の注意を払ってきました(バレたら評価はさがりますから)。
そして、これまでそういった選択が誤りだったと思ったことはありません。
ですが、たまに何かが好きで熱中し努力している人を見ると羨ましいなと思うことはありました。
何で羨ましいと思ったのに、今までの選択が誤りだとは思わないのでしょう。
いい大学に行けば親は喜んでくれますし、そこでの暮らしも文句がありません。服装や見た目も小奇麗にしており、対人関係も、人からなるべく良い評価を得られるようにそつなくしていれば、友達も増えますし、彼女もできます。
それなりに評価されることを積み重ねたため、将来の進路についても希望通りになりました。
こんな生活をしていて、不満というのはなかなか出てきません。
何かに熱中している人を見ても、羨ましいけど、自分は自分でうまくいっているよねって思ってしまいます。
また、人から良い評価をされること自体が好きなんだと思います。
私はまだ、社会にでていなく、受験等自分の努力でどうにかできる問題にしか直面したことがありません。そういった問題は頑張ってしまえば最善の結果が得られます。すると接する人は褒めてくれます(表面的なことは多々あるとは思いますが)。これが嬉しいんだと思います。
いつか、自分での努力ではどうしようもない問題に直面するんだと思います。そして褒められなくなるかもしれません。
でも、その時にはまた、どうやったら世間的に良いとされるかを、戦略的に考え実行する気がします。
こういったことをしている私は、世間では幸せとは言わないんのかもしれません。
でも、変な話ですが結構幸せなんじゃないかと思っちゃいます。
ただ、決して梅田さんみたいになれないだと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070402025644 人生設計の仕方なんて人それぞれだと思うよ。それを楽しいと思ったり豊かだと感じるのも。 他人の感性に影響されて「ああ、自分って違うのかもなあ」と...
それで自らを社会に適応させてるんだからいいじゃん。他人を喜ばせることが嬉しい。で、そこから得られる利益で世の中を渡っている。芸人みたいなものですよ。 http://anond.hatelabo.jp/2007...