2022-02-28

慶應義塾に私の何がわかる

慶應に落ちた。経済も商も文も法も全部落ちてた。古文がどうしても苦手で小論文が超得意な私には慶應しかなかった。英作文や小論文を予備校の先生に添削してもらうたび、自分の慶應合格・明るい未来を確信してやまなかった。今まで習った先生みんな「君は絶対慶應受かるよ」しか私に言ってこなかった。なのに落ちた。今は私の人生が灰色一色である。私ってこんなにバカだったのか。

慶應ぜんぶ不合格を前にして、GMARCH以下全勝という称号は何の価値ももたない。とりあえず、受かった中で一番雰囲気が好きでずっと行きたかった学科が一番充実してる学校に行くことにした。それなりに楽しみだ。でも、私の行く学校は慶應じゃない。一年間の努力は何の意味ももたなかった。友達と遊んでいても一人で夜食を食べていてもこの事実がどっしりと私にのしかかって、とてつもなく悲しく、虚無感に襲われることがある。こんな状態で春から大学生になれるのか不安で仕方がない。春から大学生として生活することよりも、MARCHの合格5個で慶應合格1個と交換してくれるシステムがあったりしたらいいのになんてどうしようもなくアホなことを考えている。

慶應義塾は私をいらないって言った。いったい何を以て私のことをいらないって言ったのか考えてしまう。アタワルパを知らなかったからいらないって言ったのか、英語の選択肢がAのところをアって書いたかもしれないからいらないって言ったのか、下手したら私の人間性とかがすっごく嫌いでいらないって言ったのか、もはやわからない。自己採点した限り落ちた理由は見つからなかった。でも結局のところ、私は慶應に入るために何かが足りなかったわけで、現に私は落ちている。その足りないなにかは3枚の解答用紙の中にあって、その3枚を見ただけで私をいらないって言ったんだろうけど、なんか人格が否定されたようでむなしい。勝手に傷心している私はやっぱりバカだなと思う。

たった3枚の紙きれは私の何もわかるはずないのに。私はこれから大学に入って哲学を勉強するし、勉強の他にも人間として成長していきたい。気持ち悪いくらい細かい世界史の用語を覚えるのはもうやめて、もっと外に目を向けたい。そんな私の意志とか慶應は知らない。小論文にしても600字や1000文字で私の何がわかるんだ。これ以上果てしなく落ち込むのはやめて、今日買ってみたドイツ語の語学本を進めてみる。

もう落ち込むのはやめよう、もう二月も終わる。

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