2021-08-08

広汎性発達障害児の心理療法 岡田 珠江

いい話風ふれあいエピソードとしてちょ~どいい~ちょ~どいいわ~

家庭環境や筆者との交流を子供が熱中している鉄道にいい感じに絡めてるのがよくできている風でよろしい!

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_1/_article/-char/ja

母親の面接が主訴の改善を確認してEくんよりも先に終了することになった。その際にEくんと通じ合えるようになったこと、Eくんが友達ともかかわるようになったこと等も述べられた。

このときEくんは母親面接の終了を母親から知らされておらず、面接の場で動揺した様子を見せたが、それを契機にEくんとの面接終了の目途について話をすることができた。

Eくんは面接終了について「終わるんじゃない。休止だ。休止路線には線路がない。でも妻線はおもしろい。休止路線なんだけどアスファルトに線路が残っている。」と言った。

筆者は休止に際し、バウムテストを施行した(図 3;#63)。描かれた木は砂漠に生えた南天の若い木で、風が吹いていると説明し、E くんは「大きく育つよ!」と感想を述べた。筆者は砂漠は一見荒涼とした風景であるが、実は栄養分を多く含むので水さえ与えれば植物が育つ土壌であること、今後現実の対人関係の中で水を吸収していくことがEくんの未来に向けての課題ではないか考えた。そして何よりもEくんの感想を心強く思い、面接を終了することにした。

「終わるんじゃない。休止だ。休止路線には線路がない。でも妻線はおもしろい。休止路線なんだけどアスファルトに線路が残っている。」

中盤、交流が深まってきたと感じられる一方、怖い面も覗かせてちょっとゾクっとさせるのも引き込まれるポイント!

第3期(#17~#24):鉄道で内的世界を表現し始める

ポケット時刻表を毎回持参し、鉄道を色々なかたちで表現し始めた。具体的にはノートに書いたF鉄道の主要駅の構造を説明したり、廃線の本を持参してさりげなく見せたり、難しい漢字の駅名クイズを出したりした。筆者はEくんが大事な宝物をそっと見せてくれたように感じ、このEくんの内的世界の表現を一緒にじっくり味わうことを心がけた。Eくんは旧字体を好んだが、筆者はこれも廃線や廃寺に共通したEくんの内的世界の表現として受けとめた。

#20 にはEくんは初めて血縁が複雑さや自信がないことを言葉で表現した。

トランプでは、カードを住宅に見立てて金持ちの屋敷、貧乏人の荒屋、地価の変動等の話を作ってごっこ遊びをした。

学期の終了にまつわる話から「学校の破滅も近い。爆弾を仕掛ける!」と言ったり、トランプでの見立て遊びで「賄賂を受け取って見つかった!」「脱サラして事業が倒産!」「人殺しだ!皆殺しだ!」等と言ったりして、徐々にEくんの破壊衝動も現れるようになった。

ただ、論文ってこんなエッセイみたいなワンエピソードの読みやすいものだったのかなって。心理療法の効果も読み取りにくいし。

コメント、というか査読が3本あるけれどどれらからも評価はあまりよくない。

「心理療法の有効性をいう前に」 麻生 武

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_14/_article/-char/ja/

本論文は13歳の広汎性発達障害の男子に対する1年9ヶ月間のプレイセラピーの報告である。論

文としての弱点は、3点ある。1つ目は、広汎性発達障害の子どもたちへの援助がトータルにいかに

あるべきかを論じずに、「心理療法が必要か必要ではないか」といったきわめて狭い視点から論文が

執筆されていることである。対人関係・コミュニケーションの援助および心理的な援助が重要なこと

は言うまでもない。しかし、それらは果たして「療法」なのだろうか。広汎性発達障害の人たちのか

かえる困難の大きさを考えるときに、その生活へのトータルな理解と援助の重要性を考えるならば、

「心理療法」云々はあまりにも視野が狭いように思われる。2つ目は、アスペルガーや広汎性発達障

害の人たちについての従来の取り組みや諸研究が踏まえられていないことである。3つ目は、本論文

のオリジナリティである。「心理療法の有効性を示した」というのがオリジナリティであるとは考え

られないことは、1に述べた理由による。残念ながら、本論文は、論文としてのオリジナリティに欠

ける事例報告と判断せざるを得ない。

岡田珠江「広汎性発達障害児への心理療法」へのコメント 久慈 要

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_18/_article/-char/ja/

この論文は、その組み立ての構成、主張の提示、根拠付けに不満を感じさせるものがある。この再整理

が必要である。また、他の研究者の主張の理解に誤解があるようにも思われる。さらに、根本的な疑問と

して、広範性発達障害に対し、心理療法のみを適用しているように見える筆者のやり方は、一般的に行な

われている治療の考え方からも、筆者自身がこの論文で書いていることからも外れている。

岡田珠江論文「広汎性発達障害児の心理療法」へのコメント 小島 摩文

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_16/_pdf/-char/ja

岡田珠江著「広汎性発達障害児の心理療法」では、「はじめに」において、論文の目的を「事例を通して

広汎性発達障害児の二次的な心理的情緒的な問題に対して療法が適用できることを検討」することだと述べてい

る。しかし、本論で扱われている事例は1例だけであり、このことをもって当該療法が適当か不適かを問うこと

はできないと考えらる。療法の妥当性をとうのであれば事例の量は当然相当数無ければならない。当該論文は単

なる事例報告であり、論文の評価としては-1とする。


さらに余談だが査読がランダムに、門外漢にも依頼されているようでみな苦言らしきものを呈しているとろこも面白い。

 査読ということで命を受けましたが、「『査読』というものは、ある基準を示すことであり、執筆者にその基準をクリアーするのに際してのアドバイスをすることだ」(麻生武,2004)と私も思いますので、門外漢の私の文章は単なる感想文にしかならないと思います。

 しかし、会の趣旨からいってこのようなことも本来無意味ではないと思います。ただ、私の力不足から無意味な議論になりはしないか不安にも思っております。

学会にまったく明るくないが掲載された

「心の諸問題論叢」

http://www.eonet.ne.jp/~aaa-zzz/

が電子ジャーナルであることや論文の投稿を一般(全世界)から公募していることなどから通常とは毛色が違うものが集まったのかもしれない。

 まず『心の諸問題論叢』には、これまでの学会誌には発表できなかった独創性のある論文が公表されるでしょう。なぜなら、査読者からの一方的な指摘で却下されることが、もはやないからです。反対に、薄弱な根拠や議論の甘い進め方は、容赦なく批判されるはずです。これまで学会誌に投稿して採択されなかった意欲的な著者には、査読所見に対する反論の機会を与えるので、論文の審査基準をめぐる議論を喚起することにもなるでしょう。

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