2009-08-29

代表なくして課税なし

考えてみれば、投票は、多数派の形成のためのものではなく、すでに形成されている多数派に権力を与えるためにあるわけだ。

で、ある以上、個人の投票にちからがない、というのは、少し違うのではないか。

逆に、それへのストレートな反論も、すこしずれている。

我々が、我々の個人的政治意見を、国政に反映させたい、と願うならば、それは、投票の手前に重点がある。

投票そのものは、自分の投票しか左右できないのだから、たしかに無力だ。

問題は、

1 存在する多数派の意向がきちんと選挙に反映されるか。

2 そもそもその主張が多数派であるのが適切か。

ということが問題で、「若者は選挙に行け」というひとは、「選挙が輿論の実体を反映しないのはよろしくない」ということなのだろう。

問題はその誤差がどれくらいか、ってことだが。

で、そうではなくて、そもそもげんざい多数派の意向がきにいらない、自分の意見が通るように選挙にいけ、というのは、奇妙な論理だ。

なぜなら、どのみち、その意見が多数派と異なるのであれば、選挙が公正である限り、通らない意見表明でしかない。

だから、「投票のみによって政治を変えよう」というのは、本末転倒だし、基本的に無理な話だろう。

だから、実に、めんどくさく、馬鹿げた話であるが、多数派の意見と異なる主張があって、それが選挙で多数派になって欲しいのであれば、

その手段として投票を勧めるのは、倒錯だ。じゃあ、どういう手段がより適切か、というのは運動論になるので、さっぱり一般論としてはわからないが。

逆に、選挙制度がうまくいってない、ちゃんと輿論としては多数派なのに、選挙の機能不全によって、投票結果に反映されていない、という話なら、

たしかに、投票を勧める意味はある。

で、だ。そういう理屈なら、ひとりの票では何も変わらない、というのは反論として余り有効ではない。

そういう前提であるなら、自分と同じ意見の人がたくさんいるはずだから、「1票は1票でも孤立した1票ではない」。

  • 逆に、選挙制度がうまくいってない、ちゃんと輿論としては多数派なのに、選挙の機能不全によって、投票結果に反映されていない、という話なら、 たしかに、投票を勧める意味はあ...

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