一応最初に釘をさしておくけど、言葉は万能じゃないからね?
言葉で全てを表現できるわけじゃない。いや、つきつめれば「青色」「赤色」という事場でさえ、色を表現しきれないんだよ、全然。じゃあ、表現しきれないから「青色」「赤色」という事場はいらない?
いえいえ、いらなくはありません。表現しきれなくとも、相手に伝えるヒントになるから、有益なのです。
つまり、相手に物事を伝えるヒントとどうにしかして伝える・・・それが言葉なわけですね。行って見れば、そういったヒントをお互いに出し合い、理解しあうことが表現であり、そういったヒントによって理解できるという信頼から言葉はなりたっているわけです。
ここまで言葉そのものの説明、いいかな。
そんでさらにいいたい事は、つぎのステップにありまして、その「甘いまずさ」と「甘いうまさ」は、どこがどううまく感じて、まずく感じるのか、オノマトペでもいいから表現する方法はあるんだよ。輪郭をね。
伝わりきらなくても、ヒントとして「この甘さはまったりとしてて甘さが広がるからうまい」のか「この甘さは、少し苦味があって口の中がイガイガするからまずい」のか、ね?表現できるでしょう?
この表現で「伝えきることができるかどうか」という事は問題じゃない。なぜなら、それは上記したように言葉全てに通じる命題であり、言葉というのはヒントの連続でしかないから。
だから、何を語るにしてもヒントでしかない、そのヒントを表現しようとしたり理解しようともせsず、会話を一方的に閉じようとすることが思考停止でしかないんだよ。
だからその主張を「おさけ」に適用してみろよ。この頭でっかちが。 http://anond.hatelabo.jp/20090502150533