2007-06-07

誰かのために使う時間

プレゼントってぶっちゃけ、「何かを得る」という点からすると要領が悪い。

自分で欲しいものを選んで、自分で買った方が結局は思い通りのものが手に入る。

しかし、思うようなものがもらえなかったときにプレゼントが嬉しくないかというと、そんなことはない。

それがどんなに安いものでも、一般的には金銭価値がまったくないものだったとしても、嬉しいと思うことはある。

私は、この嬉しさは「私のために使ってくれた時間」の嬉しさだと思う。

贈り物をくれた人が、私のことを思い出してくれたその時間。プレゼントを選ぶために使ってくれた時間。

好きな人が私に「今どうしてるー?」とかってメールをくれた時の嬉しさも、これと同じだ。

こちらから連絡をして思い出したように返事をくれるのと、向こうから連絡をしてくれるのでは天と地ほどの差があると思う。

それが、どんなに他愛のない内容だったとしても。

時間はすべての人にとって「等価値」に近いと思うから。その何秒かでも、私のために使ってくれたということ自体が、私にとってはすでに幸せなことなのである。

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