文化にはプロトコルとしての側面がある。 ある集団に属するために必要ということがあるということ。
個々の文化それ自体の良し悪しとは別にその文化を担う集団の色がついてしまう。
具体例を出すなら入れ墨はそれ自体が文化の程度が低いということはないけれど、ヤクザのプロトコルとして確立してる。
逆に集団から遠ざかるためには文化に対してアンチの態度を取るしかない。
入れ墨を入れてたらどうしたってヤクザ文化の人間が寄ってくるから普通の人の文化の中に「入れ墨は悪」という価値観が形成される。
大衆文化についてもそうで「大衆ではいたくない」人たちがいるんだ。
ハイソサエティであるために大衆文化を否定しなければならない (少なくとも大衆文化とは異なる文化の中に生きなければならない) という価値観が生じうる。
しかしその一方ではただ「違う」に過ぎずハイもロウもないとも言える。
まあどうあがいたって全ての人間が同じ文化の中に生きることは出来ないのだし、現実には上流階級の文化と下層民の文化の洗練度合いが違うのはしょうがない話ではあると思うがね。
さすがにそんなわけねえだろ。バッハも泣いてるぜ。
俺はクラシック音楽そこそこ好きだけど、ハイカルチャーって概念は嫌いなんだよな。 文化は大衆のものであってほしい。
文化にはプロトコルとしての側面がある。 ある集団に属するために必要ということがあるということ。 個々の文化それ自体の良し悪しとは別にその文化を担う集団の色がついてしまう。...
じゃあ増田さんは親父の鼻歌を聞いてください 私はSpotifyでArctic monkeysを聴きますので
それはおれもそう。 だし、ハイカルチャーを嗜んでるから自分のことを偉いと思ってる奴はもっと嫌。