増田よ、SEXとはただの言葉ぢゃ。言葉にこだわるでない。
とか言っても、どーてーは分かんねーだろうから分かりやすく説明してしんぜよう。
コミュニケーションとは意思を伝え合うこと、その目的は理想的にはお互いが満足すること、少なくともお互いが納得すること。コミュニケーションとしてのSEXが成功するということは、お互いが満足いくようなSEXが出来たということ。
コミュニケーションはなにも言葉だけで交わすものではない。犬は普段から匂いでコミュニケーションするし、人だってSEXのときは言葉だけじゃなく、言葉にならない触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚、すべてを使ってコミュニケーションする。
だからといって、SEXは言葉による通常のコミュニケーションの代わりにはならない。棒を穴に突っ込めば日常会話が要らないわけじゃない。
あとこんなこと言う人もいる。
さて、出会いのはじまりだが、ぼくは、はじめて接吻するときの態度がとても大事だと思う。その女性の実体があらわになる。それは精神と肉体が微妙にからんでくる瞬間である。その受け方、拒み方で、その人本来の自然のセンスと、オーバーにいえば人生観がおのずと浮かび上がってくるものである。
いかにも重大なものを許したという大袈裟な態度をとる女性は愚かしい。かといってあまり何でもないという調子では、有難くもないし、興ものらない。
ためらい、投げ出し、そして自分の行為に対して悪びれない。そういう女性こそ、いじらしく、可愛らしく、頼もしい。
あわてて、男が気にするより先にこちらにつけてしまった口紅を拭とろうとされたりするのもかなわないが、いつまでたっても無頓着でいられるのも困る。
これはスライドして考えれば、そのまま肉体関係の種々のケースに当てはまっていく。
いわゆる教育やしつけで教えたり教わったりできないものだけに、その人のセンスがひとりでに行わしめるコケットリーが問題なのだ。
肉体関係の場は、自然であるだけに全く正直であり、強力な、男女間の一番の危機の瞬間を含んでいる。これを乗り越えるには、細心の注意となまめかしいデリカシーが必要である。
(岡本太郎 自分の中に毒を持て)
どんなキスが望ましいかはさておき、おれはこの意見に賛成。コミュニケーションとしてのSEXって、たとえばこういうことだ。
元増田です。 SEXというのは言葉であるからあまり気にするなということと、SEXという行為そのものは無防備だから人本来持ってる質感?がでるから気をつけな!ってことでよろしいので...