自殺も老衰も比喩の域を出ないから、実際はアポトーシスはアポトーシスであって自殺でも老衰でもないとしか言えない。
結局、意思を確認できる存在が人間しかいないから、目的や判断も人間からしか出ない。意義とか真意とかも一緒。
人間が物理的な存在であり、幾ら見聞きして行動してもその枠を超えることは出来ず、その枠では人間しか思考できないのだから、どのような判断もその理由も目的も結果も、その解釈も意義も意味もすべてが人間から発せられるものだから、人間のものでしかない。
感知も影響も出来ない事象は存在しないに同義で、このように思考すること自体が無意味かもしれないが、その思考すら人間の思考の結果に過ぎないので、無意味か否かも、その判断の正誤も意味もすべてが人間由来でしかなく、人間が判断するしかない。
という判断をしました。
階層を構成することに意義を感じるか否かが、まず大前提にはなってくるわな。 まずここに共感がなければ、そっから先の議論をする価値はないね。たしかに。