好きな人がいる。
私は好きだと思った。
だから自分のきもちを伝えた。
彼は「いいよ」といってくれた。
とてもうれしかった。
私が彼を思うように、彼もまた私を思ってくれてるんだ!と思った。
これだけたくさんの人間がいる中で同じ思いを重ねられる、ということは、奇跡に近いと私は思うし、これ以上のしあわせってないとも思う。
だけど、私は思い違いをしていた。
私が彼を思うように、彼は私を思ってはいない。
彼は「いいよ」といったけれど、ほんとうに私のことがすきかといったら、それは違う。
ことばのはしばしに、それを感じる。
要するに、私は「都合のいい人」。
私は、彼にとっては笑っちゃうほど軽い存在なのだ。
会いたいと思うのも、さみしいと思うのも、いつも私だった。
不安で仕方なくて、会えない時間がほんとうに長く感じられた。
少しでも「好き」の比重がどちらかに傾いたなら、傾いた方は負けだ。
恋愛に勝ち負けなんてないよといいたいところだけど、あるんだよ。
さみしいきもちや、自分ではどうにもならない相手のこころ。
自分にも、相手にも負ける。
きらわれたくない。
ほんとうは好きになってほしいのに。
どうにかして、私の方を向いてはくれないだろうか。
私だけに、そのことばをくれないだろうか。
人のこころは変わりやすいのに、動かないときはまったく動かない。
どんなにこちらが好意を伝えても、届かないときはまったく届かないのだ。
はいそーですかと、人を好きになれるはずがない。
無理に決まってる。
わかってる、そんなこと。
でも。
かわされることばは虚しくきこえて、会った日の、あのうれしかった思い出は悲しいきもちに上書きされる。
アンドゥができないデータのように、かんたんに。
どうしてあのときのきもちを思い出せないんだろう。
いつも忘れないように、と思っているのに。
映画や小説の中では、あの日のことを思い出せば、これから先もきっとやっていける!とかいってるけど、あんなのうそだ。
きらわれたくないから、余計なことはいえない。
ときどき垣間見える彼のやさしさに、必死に追いすがろうとする。
うとましく思われたら終わりだ。
かといって、私は「都合のいい人」役を演じきれるほどの人間ではない。
そんなことができるなら、とっくにやってる。
ちっせぇちっせぇ器しか持ち合わせていないのだ。
お願いだから、なかったことにしないで。
かんたんに消してしまわないで。
超みじめ。バカみたい。
でもきらわれたくない。ほんとバカ。