2008-02-22

好きな人がいる。

私は好きだと思った。

だから自分のきもちを伝えた。

彼は「いいよ」といってくれた。

とてもうれしかった。

私が彼を思うように、彼もまた私を思ってくれてるんだ!と思った。

これだけたくさんの人間がいる中で同じ思いを重ねられる、ということは、奇跡に近いと私は思うし、これ以上のしあわせってないとも思う。

だけど、私は思い違いをしていた。

私が彼を思うように、彼は私を思ってはいない。

彼は「いいよ」といったけれど、ほんとうに私のことがすきかといったら、それは違う。

ことばのはしばしに、それを感じる。

要するに、私は「都合のいい人」。

私は、彼にとっては笑っちゃうほど軽い存在なのだ。

会いたいと思うのも、さみしいと思うのも、いつも私だった。

不安で仕方なくて、会えない時間がほんとうに長く感じられた。

少しでも「好き」の比重がどちらかに傾いたなら、傾いた方は負けだ。

恋愛に勝ち負けなんてないよといいたいところだけど、あるんだよ。

さみしいきもちや、自分ではどうにもならない相手のこころ。

自分にも、相手にも負ける。

きらわれたくない。

ほんとうは好きになってほしいのに。

どうにかして、私の方を向いてはくれないだろうか。

私だけに、そのことばをくれないだろうか。

人のこころは変わりやすいのに、動かないときはまったく動かない。

どんなにこちらが好意を伝えても、届かないときはまったく届かないのだ。

はいそーですかと、人を好きになれるはずがない。

無理に決まってる。

わかってる、そんなこと。

でも。


かわされることばは虚しくきこえて、会った日の、あのうれしかった思い出は悲しいきもちに上書きされる。

アンドゥができないデータのように、かんたんに。

どうしてあのときのきもちを思い出せないんだろう。

いつも忘れないように、と思っているのに。

映画や小説の中では、あの日のことを思い出せば、これから先もきっとやっていける!とかいってるけど、あんなのうそだ。

きらわれたくないから、余計なことはいえない。

ときどき垣間見える彼のやさしさに、必死に追いすがろうとする。

うとましく思われたら終わりだ。

かといって、私は「都合のいい人」役を演じきれるほどの人間ではない。

そんなことができるなら、とっくにやってる。

ちっせぇちっせぇ器しか持ち合わせていないのだ。

お願いだから、なかったことにしないで。

かんたんに消してしまわないで。

超みじめ。バカみたい。

でもきらわれたくない。ほんとバカ。

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