2007-08-29

結局

経済的困窮への恐怖と肉体的な痛みへの恐怖、あとそれらから派生する恐怖は何人たりとも逃れられないんだよな。

みんな自分なりの対処法を行ったり思想を作ったりして、それぞれ何とかその恐怖を押さえ込もうとするけど、やっぱり完全に押さえ込むのは不可能な訳で。

で、他人のそれらの恐怖に対する対処法や思想を批判したり、自分の対処法や思想にそぐわないケースを批判したりするのも、やっぱりその人自身の恐怖に対する一種の対処法なんじゃないかなぁ(自分の対処法や思想が間違ってなかったと確認するための)。

それらの克服不可能な恐怖に対しても、何らかの楽しさみたいなものを見出して、主体的に向き合えたらいいのにね。

まぁでも、愛する家族を抱えた人の「身の引き締まる思い」的な感情みたいに、恐怖であると同時に、自分の存在を実感できるような前向きな(?)恐怖ってのもあるような・・・。自意識や、他人や社会から一方的に浴びせかけられる、メタな恐怖感みたいなのに閉じ込められるのが一番いけないのかもしれない・・・。ごめん後半グダグダだわ。

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