2007年07月11日の日記

2007-07-11

日本人の多くは宗教を胡散臭く感じてる。聖書から読み取れるだけでも恐らく悪魔の数百倍は人を殺してるキリスト教の神なんて多くの人は信じていないし、そんな神を信じるという行為そのものに一種の愚かしさを見て取って、影に嘲笑する。

でも、そんな人間が、幽霊を信じる。超能力を信じる。宗教というラベルを剥がされた、ただそれだけのことで、その人の考える宗教馬鹿馬鹿しさの、まさにその核心となるところを信じ込む。或いは、信じ込むところまでは行かなくても、ある一つの可能性として重きを置く。神なんて存在しないと明言したまさにその人間が、しかし霊の存在は信じ込んでいる。彼は、宗教というラベルに対し反応しているだけであって、宗教の持つ難点そのものについて反応しているわけではない。

でも、確かに彼は無宗教家だ。だから、彼は自己の信仰に気付かないし、気付こうともしない。彼は、それによって自己を見つめ、学ぶべき一冊の書物を開いたとしても、それを他者のものとして全然考慮せず、一笑し、そして退屈して静かに頁を閉じる。宗教というものが切実な問題として捉えられていない日本においては、彼は、その書物を場違い一品と見做し、日本においてはごく僅かしか存在しない宗教家を指さして嘲笑うといった程度の価値をしか見出さない。本来、その書が非難している対象が、まさに自分自身であるということにさえ気付けない。

だから、日本人は、これほどまで宗教を信じない民族でありながらも、長く長く信心深い民族であり続けるだろう。鏡の中の自分を愚者と見做し続けるだろう。

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