2024-02-15

『ヒトナー』における世界の作り込み度合いに関する話。

『ヒトナー』がバズっている

https://shonenjumpplus.com/episode/8603475606570879923


人外好きやケモナーあるいはSF・ファンタジー好きからも好意的に読まれている一方で、その一部から「しかしこういった点が不満である」という声が出ている。

細かい指摘はあげればキリがないのだが、ざっくり大別するとこんな感じ。


(1)全体的に人間中心主義/動物蔑視的である。

(2)科学的/文化的に作り込まれていない。


  

個人的にはこれらの批判は理解できるし、同意できる。実際、初読時(ジャンプラが更新された直後の反応の出揃わないタイミング)にはヒューマニスティックなヤダ味や世界設定の甘さが気にはなった。しかしまあ、トネリコがかわいいのだし良いのでは、と思った。

バズりそうだとも予感した。

ネットのマジョリティはケモ自体をそこまで好まないかもしれないが、ケモナーのことは好きである。好きであるというか、議論の対象にしたがる。つまりはネットのおもちゃだ。戯画化されたケモナー像というネットである程度まで広まっている前提を踏み台にして、わかりやすい相互理解/種差別の話を展開する。間口が広い上に、だれもがいっちょかみしたがる物語だ。

フックもある。絵も綺麗でキャラもかわいく、なによりドン引きされない程度のフェティシズム要素がある。こういう安全なはしゃぎかたのできる作品はシェアされやすい。

一部のケモファンたちのバズったあとの反応も容易に想像できた。

「”これ”は”本物”ではない」だ。


しかし、作者や編集の側がこれらの批判を予測できなかったといえば、そうではなかったと思う。いや、個別の批判を完全に予想しきっていたという意味ではない。「この作品の設定はなんとなく甘くできているな」と自覚していたのではないか、という話だ。

寄せられた批判の要点をまるごと乱暴にくくれば、「作品世界が真剣に練られていない」になるだろう。獣人たちの疑問だらけの進化過程にしろ、作品の人間中心的なマインドにしろ、作中の言葉遣い(なぜ彼らは自分たちを「”獣”人」と呼ぶのだろうか?)にしろ、まったくの白紙から世界を作り上げていたならどこかで作者側にも疑問が浮かび、対処が行われていたはずだ。

進化の過程が違えば衣食住娯楽宗教といったあらゆる文化も我々とは違ってくる。描かれる社会が現代の我々に近ければ近いほど、そのズレも感じやすくなるはずだ。それらのディティールを細々と構築していけば、かなり興味深い異世界が誕生していたことだろう。

だが、同時に、それは読者に伝わりにくい世界になるはずだ。

不幸なことにジャンルとしてのケモでは、他のいくつかのジャンルとは異なり、「読者が一発でわかってくれるようなアイコニックなビジュアルイメージ」を持たない。スペースオペラだったら『スター・ウォーズ』、サイバーパンクだったら『ブレードランナー』みたいにだ。そうしたタダ乗りできるイメージはケモ界隈にはない。エピックな世界を打ち出してきた作品はCC2のリトルブロンクスシリーズや映画『ズートピア』などいくつかあるだろうが、それらとて『ヒトナー』に寄せられたような批判を克服できているかといえば、疑わしい。

一から作品を作り上げるのは時間的にも知的にも多大なコストがかかる。いまやゲームや映画などでも世界観の構築や考証のためだけに何十人ものチームがいるのが普通だし、一人でやるとなるとハイファンタジー作家がやっているように何十年もつきっきりで重厚長大な大長編を描かなければならなくなる。

そうした労力を連載でもない数十ページの読切に費やせるだろうか?

無理だろう。

本作は短編のサイズで伝えるための技法が随所に凝らされている。話の枠組みは「ファーストコンタクトもの」というSFのなかでも陳腐なほど知られたサブジャンルの反転である。また、悪役として強面のライオンが出てくるのだが、これも”安易”な動物のパブリックイメージに便乗している一方、「顔や雰囲気でその役柄のイメージを受け手に伝える」というヒッチコック式の古典的な作劇術に則ってもいる。こうしたやりかたはいずれも先述のようなコストを削減するためだ。

人間中心主義的で考証不足の世界は、そうした「短編のコスト」に収めるための必要悪であった部分もある。それらの価値基準は古臭いがゆえに読者にはわかりやすく、古臭いがゆえにツッコミどころが多い。本気で人間と動物の権力関係だったり、獣人世界の科学考証を考えるなら、それは一から読者に問いかけるような仕組みにする必要がある。だが、本作の主眼はそこにはない。

ジャンルについてハードコアな問いかけを行う作品は問題意識を共有しない読者に伝わりにくいため、バズりにくい。バズりにくいがゆえに問題意識の共有は促進されず、同じ問題が保存されつづける。


『ヒトナー』についての議論を眺めていて、いちばん感じたのは既視感と徒労感だ。


正直な話、ここらへんの話はケモ好きであれば百年前からやっているところなのだ

もちろん個別の事例について議論を尽くすのは大事であるし、界隈単位で見ても車輪の存在を知らないひとたちが多数であれば何度でも再発明すべきだとは思う

SNSのタイムライン上で『ヒトナー』やそれに付随する価値観について批判している人たちが、真摯で知的で信頼すべき友人であるであることに疑いはない、理論面でもふだんの感情面でも彼らに同意する

だが、今この瞬間は、「疲れるな」という謎の疲弊しか感じない。『ヒトナー』という作品に対して、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、なにがしかのアクションを起こす元気もわかない。せいぜいできるのは、こうして増田を書くぐらいだ

物語、設定、キャラクター、そしてポルノ的なフェティシズム。これらすべてを詰め込むには短編マンガの尺はあまりに短く、人間は弱い

  • ケモノが出る漫画がバズっていると聞き、期待して読んだが肩を落とすことになった。 anond:20240215225121は『ヒトナー』の世界観の甘さの理由を「読み切りに大してコストをかけられない...

    • 自分が気に入らなかったってだけで長々ぐちぐちと…ケモナーこわ ちかよらんとこ

    • これみてはえーそうなんかと思ってヒトナー読んでみたけど面白かったわ

    • 漫画として不要な要素ばっか挙げへつらってて草も生えない

記事への反応(ブックマークコメント)

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