2009-08-29

旨いもんくって、幸せだと思えるうちは大丈夫

なんだかんだ言って、人間の欲求なんて限られてる。

たまの休みの日に、旨いもん食って、しっかりオナニーして、思う存分寝る。

それ以上の幸せを望むのは自由だけど別に無くても構わない。

才能ある人や努力してる人だけが幸せになれるわけではない。

毎日辛くて失敗ばかりで、だけど仕事帰りに食うあそこのラーメンはうまい。それだけで生きる価値はあるよ、きっと。

生きる意味なんて見つからなくたって良い。どうしても意味が欲しいなら自分の幸せのために生きれば良い。

幸せになるために働いてるのに、幸せになることを放棄するなんて馬鹿げてる。

旨いものを旨いと思えなくなったら少し注意。味覚障害は栄養失調が原因、栄養を取ろう。

素直にまわりを楽しめなくなったら、これも心の栄養が必要。

心の栄養補給は人それぞれやりかたがある。

アニメやゲームで養分取れる人はそれでも良いだろう、だけど対人補給がより望ましい。

家族でも昔の級友でもなんでも良いけど、自分を拒絶しない人を探そう。

とにかくそうした人とコンタクトを取ろう。久しぶりだろうと構うものか。なにを話しても良いし、なにも話さなくても良い。

誰も心を割って話せる人が居ないと言うのなら、ディスプレイの向こうで俺が相手になろう。

俺じゃなくとも似た境遇の誰かを探せばよい。WEBの世界は広い。

こうしたコミュニケーションは完全な匿名ではなくて、出来れば固有のHNを持つ誰か、として行うことが望ましい。

傷の舐め合いになっても構わないと思う。それで癒されるならしめたものだし、他人を救えるなんてすばらしいことだ。

あなたの目に映る世界は無意味で乾燥したものかもしれないけど、誰にだってバラ色の未来が見えてる訳じゃない。

たまに美味しいものたべて、うめえな、って思えるならそれで十分なんだと思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん