2008-08-15

移動手段の発達がもたらした人の無感動さ

最近、自転車で100kmとか移動するようになった。

でさ、思ったんだけど、車とか電車とか飛行機とかって世の中すげー便利にしたけど、その分、人を無感動に、そして傲慢にしたんだな。

なんていうか、チャリで長距離移動するのって思ってたより大変でさ。

こう、ちょっとした坂とかでもキツイし、天候とかにもすげー左右されるしさ。

100kmの移動なんて1日がかりなわけだ。

それに比べて、車とか電車とかだった100kmなんて下手したら1時間でいけるべ。

おれがヘロヘロになりながら、肌を真っ黒にしながら、汗をダラダラしながら移動したあの100kmを、

クーラーの効いた鉄の箱の中で汗ひとつかかず移動するわけですよ。

っていうか、楽すぎだろ、それ。

京都とか行って寺とかいっても、まぁ、感動するけどそうでもないべ?

行くのが簡単すぎんだよ、新幹線かなんかでプーンって3時間くらい。

そりゃ、感動もクソもなくなるわ。

富士山の山頂から見る日の出がなんであんな感動的かわかるか?

そこまで行くのが大変だったからだよ!

夏休みでこれから旅行とか行くやつ。

近くでいいから、歩きかチャリで行け。

マジ着いたとき感動すっから。

  • 半分同意。 大変な運動を行うことで、身体の状態が良くなっているのが感動の正体だと思うのだ。 要するに無駄な力が抜ける。 それによって、周囲を素直に見れるようになるんだ。

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