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はてなキーワード: 家忠日記とは

2024-05-16

anond:20240516130016

家忠日記』の天正104月19日15825月11日)付けの記述には「上様[注釈 4]御ふち候、大うす(デウス)進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云(信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ)」とその容貌記述されている[13]。これは弥助も従軍していた甲州征伐からの帰還途上に、信長徳川領を通った時に家康の家臣である松平家忠が目撃したものであるが、日記記述に弥助は下人や年季奉公人のような隷民ではなく扶持もちの士分であったとはっきり書かれている。

2022-06-15

anond:20220615134604

庶民はアッナが何をしたかちゃんと見とるんやで

家康と共に畿内を脱しようとするが、宇治田原で郷民一揆の襲撃を受けて亡くなった[4]。

家忠日記』では自害[21]、『信長公記』では、一揆により生害されたと伝え殺害自害の両方の意味がある[注釈 5]。

 
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