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名前を隠して楽しく日記。

2024-06-03

anond:20240603003541

死んでから、「やはり死ぬしかなかった」というエントリを立てなさい

さもないと、いつもの死ぬ死ぬ詐欺」だと思われておしまいです

「おちんちんではない」作詞:chat gpt 作曲:ワイ

ちんちんではない、そんなことより

心の温かさを分かち合おう

笑顔花咲くこの世界

やはり、死ぬしかない

鬱病は恐ろしい病だ。

から見るととても有能な人なのに、鬱病悪化させ将来に絶望し、今までの功績や人間関係を全てふっ飛ばしているのを見て改めてそう感じた。

鬱病思い込みの病だ。

例えば。有名人やら金持ちやらも鬱病絶望死ぬことがある。そこまで極端ではなくとも、大企業に入って絶望し、退職すりゃいいのに死んでしまうという事例はありふれている、と言ってもいい。


それらを鑑みて、今の自分はどうだろうかと考えると、やはり自分死ぬしかないという結論に至った。自らの可能性は完全に閉じているし、よしんば可能性があったとしても極僅かなのでさっさと死んでしまった方がよい。

鬱病という病がいかに我々の自己認識に嘘をつくのか、という事を理解していてもこれだ。理性ではどうにもならないのだろうか、鬱病というものは。

俺は、生きたいのだ。この世は素晴らしい物で満ちている、生きる価値がある。でも、未来強迫的に恐ろしく、焦燥感に駆られ生きる生は苦痛しかない。もしかしたら、ただ俺は逃げたいのかもしれない。

大学生のうちからこれならば、仕事についたらどれほど苦しいのだろうと思うと怖くなる。俺と同じような人間は苦しんでいる人ばかりだから

逃げたい。死にたい。苦しい。やはり、死ぬしかない。

女性から男性への恋愛アドバイスがだいたい的外れでどうしようもない理由

「育てられたことがあるから私は子育てプロ」って言ってる奴、どう思う?「なーに言ってんだこいつ」だろ?

そういうことです。

anond:20240603003234

高齢独身は狂うみたいなエントリに狂ってないですと狂った感じでブコメしてる奴らとか見てるとやべえやんって思ってまう。

anond:20240603002657

私は引きこもったこともあるし海外を何か月も放浪したこともある。

引きこもるメンタルと外に飛び出すメンタルは遠いようで近い。

ラオス南端メコン川に飛び込んだりしても、海外サイト日常的に見たりしない。

趣味人間観察

今日、知り合いの開催する異種職業交流会、まぁつまりただの飲み会に行ってきた。

日曜日ってのもあって、見知ったメンバーほとんど。だけど、ご新規さんもちらほらいるので一応自己紹介をする。

その中で、もう絵に描いたようなこどおじがいた。

平凡な中学生が、そのまま歳だけとったらこなるみたいな、スポーツ刈りの童顔おじさん。

そして、名前と年齢を言って、ついでに何か一言みたいな感じで進んでいたのだが、彼が選んだ一言趣味

こどおじ   「趣味人間観察 (絶妙空気が凍る) 人間観察っていうか、色んな人の仕草とかを見たりして…」

陽キャおじさん「そういうのが楽しいんだね!」

こどおじ   「すぉ… そうです」

的なもうすごく印象深い瞬間に立ち会った。

そんな絶妙に場を凍らせて、その後に吃るってお手本かよお前は。

そしてどこに住んでるんですか?から実家暮らし判明。まあ、じゃなきゃこどおじって言わんが。

とにかく、その地獄のような瞬間はさておき、なぜキモヲタには趣味人間観察って言うやつがいるんだろうか?

彼は32歳だと言っていたが、なんかそれぐらいの世代共通する、人間観察ブームでもあったんだろうか?

自分の周囲にも子供の頃ドヤ顔人間観察と言うやつはいたが、一体何をきっかけにそれを公言するんだろうか?

そもそも本当に趣味って言えるほど打ち込んでるのか?

それを口にした人達はとても他人積極的に関わるタイプには思えなかったのだが、人間観察という趣味趣味たり得るとして、遠巻きに見ているだけで観察していると言えるのだろうか?

謎は尽きない。増田の知恵を貸しておくれ。

恋愛工学ってミソ夫くんの逆ギレなんだよね

キモオタが一念発起して迷惑ナンパ野郎になるのは女を見下したいから。

別に法に触れない範囲で頑張ればいいけど、確実に不幸にはなる。

「しょせん女なんか俺にでもどうにでもできる程度のものだったんだ」と

勝手自分の中で神格化していたもの自分で踏みにじってざまあみろと快哉を叫んだところで何が得られるのか。なにもないよ。

自分にどうこうできた程度の女が女の全てじゃない以上フラストレーションが募るだけ。

ソープに行け」も構造としては同じこと

「なーんだセックスなんてたいしたことないな」って思うために行くわけだが

そのへんで売ってるセックスがたいしたことないのはわかりきってることでね

anond:20240602144137

下駄を履いてる癖に失敗した性別文句いってら😄🫵ハハッ

趣味は弱男観察です

やめられないとまらない

高齢独身のまずさと弱者男性のまずさが

本格的に知られてきていて嬉しい

anond:20240603002443

この言及は誰か分からないけど、元の日記はある程度絞れるもん。

ふふふ。

anond:20240603002812

彼女いるからね☺️

あいうのは愛されないカスが行くところ

性病もらっても誰も困らせない奴がいくところ

anond:20240602145516

ぶっちゃけそのへんは英雄でもなんでもない

奴隷層でしかない

奴隷向けSNS普通の女はもはやいない

anond:20240602180335

んー、新宿出身なのに、親が家買って都下、大学地方大とか典型的負け組

駄目、ダサすぎ。

anond:20240602144137

男でも「普通」ならイージーモードだよ

普通がそんなにいないのは男も女も同じ

父親が「腹上死」を検索してた

80歳の父親

ヒステリックな妻と、未婚ニートの息子(俺)みたいなのが家族から、せめて気持ちよくて幸せな死に方したいんだろうなぁ…

哀れだなぁ…

日本人海外旅行しないのは治安が悪いからとか円安からとか色々言ってるけど

日本人って海外サイト全然行かないんだよ

海外掲示板チャットだと韓国人中国人は割とちらほらいるけど日本人は本当に見かけない

旅行以前にネットですら引きこもりなわけで、治安とか景気の問題じゃないんだよね

単に日本人引きこもり気質なだけだと思う

結婚式でこんな風に話したかったのかもしれない

先日友人の結婚式に参加した。

それが初めての地方結婚式であった。

移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。

ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。

旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。

パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。

かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。

それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたとき気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。

今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。

今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。

そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。

少なから自分世界主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。

その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。

また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける

しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足押し付けが過ぎ、幸せ絶頂花嫁に水を指すのもいかがなものか。

上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的感情をここに書くに至った。

さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である

彼女とかかわり合いになったのは、大学サークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。

私自高校生から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。

そこからサークルという否応なしに共通目的やら問題やらに向かえる集団所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。

そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。

ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件きっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。

以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。

何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。

こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日ご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。

思えば色々と感化されやす性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。

そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。

そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。

そうして、間違ったことも、壊してしまたことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。

見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である

から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。

私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。

私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたこ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。

ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。

自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。

服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。

洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチン排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。

朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。

人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、

一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。

それは意識されないまでも、どこか自分根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。

パートナーがいるというのは、そういう安心感を強く感じる。

あなたはどうであるか、そもそも私自あなた相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである

帰ってくるところさえあれば、人生無限に楽しめると私は思う。

anond:20240603002240

基本的には寄ってくる女を食うって段階までいければそんなしょうもない性別基準序列とやらなんかは気にならなくなるぞ

性別わず寄っていく方が下で固定や

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