名前を隠して楽しく日記。
定額減税が実施されると市場に流通するカネの量が増えることになる。ということはカネの価値が下がってインフレがより進むのではないか?という雑な考え。
女の1%を叩いたっていうのが増田の主観であって、どこの1%を指してるのか自体が曖昧で分からんのだが
仮に日本のネットの流行り廃りを指しているなら1%ではない、という指摘をそこまで重箱の角をつつかなきゃ理解しない姑的な性格なのか?
鬱陶しいから死んでくれよ
俺はそんな話を奥さんにしたら「しょうがないよ、そんなところで色々言ったってさ!揉めごとじゃ楽しくないから、おっぱい揉む?」と言ってくれた。
おかげで、なんとかこのおかしくなりそうな情報過多のインターネットを乗り切れたよ。奥さん、ありがとう……。
いや、実際には、妻はいない。
みんなも気づいていただろう?
ひとり、雨戸も閉めず、青白い画面をみてる。
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
なんで休日ない設定なん?
魔法少女アニメでは主人公である魔法少女たちが危機に立ち向かい多くの人々を守り助けるが、現実の少女や女性たちはアニメの主人公たちの力強さや心の強さ、友情などには注目するが、人々を守るという使命にはあまり注目しないように思える
魔法少女アニメ以外でも、主に女性主人公が世のため死力を尽くすような作品に対して同様の傾向があるように見受けられる
当の女性たちはどう思っているのだろうか
言われてみたらそうだわ
軍靴の足音っていう表現が出てきたら枕詞みたいに「あなたたちの大切な子供が、孫が戦場に向かうことになるのです」っていうもんだからセットで考えてしまってた
この論は片手落ち
なぜなら「法がおかしいこともある」という可能性を指摘していないから
つまり「なぜその法はその法なのか」という法の本質に踏み込んでいない
本来、法にはそれぞれその法が施行された「法の精神」というものがあるので、その法の精神に逸脱したものが罰せられる
これが抽象的な法の本質だけど、実務では曖昧な文言は機能しないので、具体的な"要素"に換言される
基本的に、ここでは「全てを想定することができない」という"法の寛容さ"がある
よって現実では法の"要素"に該当したかどうかで基本的には違法かどうかが決定される
しかし時代が進むと、当初の"要素"だけでは捉えきれなかった行為をされることがある
このような"明らかに裁くべきだが"文言上"要素"には該当していないというとき、それは"法の精神"によることになる
"法の精神"に照らし、文言が拡張され抽象的な拡張がされ、裁くことができるようになる(ひとくちに暴力と言ってもその定義は一般に様々)
しかし、これらの事情を加味したうえで"潜脱的に"脱法してやろう、つまり解釈スレスレで脱法してやろうという輩が出始める
彼らは脱法だが合法、という自覚の上でやるので、こういう心の動きを潜脱的と言う
これが元増田の言う"脱法行為"だが、このような「法の精神」に反した行動は基本的には法の拡張で対応される
当初の「法の精神」では脱法と判断されるが文言上では"捉え切れていない"ので規制を強化するという判断基準である
"潜脱的"な脱法行為をすることは、"法の精神"に反する行いなのである。
このようなことをされると、””法の精神"は"寛容さ"を失って規制強化をする流れになることは、その"精神"の由来から当然なのである
つまり法の"脱法行為"はある種"やったもん勝ち"だが、そのようなことをしていると「法の精神に照らして裁かれる」か、「規制が強化される」のである
ここにおいて"脱法行為者"を責めるのはお門違いで、不利益を受けているなら訴えるか、立法という政治的手段の怠慢を責めるべきなのである
なぜなら司法は訴え無くしては司法判断ができないし、もう一つの手段である立法が可能であるのもまた我々国民でありその代表たる政治家だからである