名前を隠して楽しく日記。
せやな、ほんまそれや👍
元増田見てなかったスマソスマソ
20代で結婚してるだけでこうまでおおきく偉そうに書けるの本当すごいな。
同じく20代で結婚したけど、そんなデカくでて叩きに行く神経にはなれないかな。
家族の皆様もそんな感じなん?
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 […とも呼ばれる]あんず
・03 ドナルドダック
・05 8月1日
・10 [近似値]329
・13 [すべて]ジョージ・ワシントン ジェファーソン リンカーン セオドア・ルーズベルト
・17 70(歳
・18 ME:I ミーアイ
・21 [国]チリ
・23 南
・25 『僕が)ラオウ(になる日まで』
・29 [3択]十(万キロメートル
・31 糸(へん
・33e 鈍(角 どん(かく
失敗した排泄の処理をするイメージ?
それとも外に出かける時に支えながらついていくイメージ?
それらは全て間違いではない。
ただ介護に、そして家族の役割として求められるものは昔と全く変わってきていることについて、ぜひ知っていただきたい。
遡ること西暦2000年、介護保険法が改正され「措置から契約へ」高齢者に対する介護サービスのあり方は一変した。
これは行政が「こうします」として提供していたものが、本人や家族が契約に基づいて選び、契約し、受けるものに変わったものである。
変わってからそれなりの時間が経過していることもあり、今の制度の理解が進んでいる方も多いが、未だに介護サービスといえば「姥捨山に捨てるが如く楽しみがない施設へぶちこむこと」だと思っている人もいる。
「措置から契約へ」の変化の背景には高齢者の意思の尊重がある。専門的な知識をもったものの判断が全てであったり、健常者が優位なのではなく、全ての人が自由意志を持ち、それを尊重することが大事だという考え方だ。
これは今の福祉の基本的な考え方であって、恐らく当面変わることはない。
これは素晴らしい考え方であり、人に人権がある以上、当然のものだと思う。かつての福祉であった、健常者以外を隠すだけに留まるような、権利を制限することが当たり前であるような社会に戻ることはあり得ないと思う。
ただ、これはいわゆる「自由と責任」という奴で、この自由には大いなる責任が伴うのだ。
そもそもの前提として、普通の人は介護のことなど何も知らない。どうやったら介護サービスを受けられるのか、そもそも介護サービスとは何か、どんな介護サービスが必要なのか...
本当に多岐に渡る知識を蓄え、そして精査し、判断をしなくてはいけない。
一体誰が?
そう、家族だ。
対象者の身体状況、認知状況、そして性格や生活歴などを把握して、行政、地域包括、医療、ケアマネ、各介護事業所と適切にややり取りをして適宜判断をする。
実に大変なことだが、現行の制度ではこれらが全て家族の役割だ。
もう少し噛み砕いて説明しよう。
1 病院受診の際に医師または相談員から介護保険の利用をするように言われる。
これが一番多い。多くの場合、骨折や手術などで身体機能が落ちて、歩くことが難しくなったり転倒リスクがあるなどで利用に至る。
医療のリハビリへ繋がるケースもあるが、介護のリハビリを利用したり、住宅改修で手すりをつけたりとごく軽度な形で繋がることが多い。
ただもちろん病状によっては在宅に戻れないようなこともある。
2 家族または友人などが本人の変化に気付いたり困り感が出てきて行政や地域包括へ相談する。
このパターンは1よりも重いことが多い。多くの場合は認知機能の低下を伴い、体が年齢の割に元気だったり大きな病気をしてこなかったことが原因で家族も課題に気付いていないことが多い。多くは訪問介護や訪問看護、デイサービスの導入などで家族負担を軽減して安定する。
3 身寄りがなく、支援する親族がいないが、地域住民が気付いて行政や地域包括に相談する。
このパターンは積極的に地域へ関わっている方か福祉の方以外知らないかもしれないが結構いる。状況によっては成年後見制度などを利用したり、生活保護と被ってくることもある。
または一見して親族が見つからなくとも遠縁で連絡はとれる人がいたりして2のケースに近くなることもある。
このように様々なケースがあるわけだが、介護とは何かというと「課題があり、それに気付き、解消に向けて本人及びキーパーソンが努力する一連の流れ」と言い換えられる。
キーパーソンとはサービスや連絡の核となる人のことで多くは家族だ。
ということで家族が最低限するべきことは以下のとおり。
これが一番大切だ。病院受診にある程度関わっていれば知る機会もあるが、遠方であったり同居していても関わりが薄いケースでは気づくのが遅れるケースが多い。
また、認知機能は同居しているからこそ気付かないケースもある。第三者がみると明らかに話が噛み合わず取り繕いが見られるにも関わらず、家族は単に性格として処理しているこも多い。
本人が受診できるならそれでいい。そうでなければ支援が必要だ。多くの場合、病院受診とは死ぬまで家族の役割であることが多い。入院や手術でも病院は親族同意を非常に大事にしている。訴訟を起こされたくないから。
3 病院受診を踏まえて介護保険の申請を行政に行う、または行政及び地域包括へ相談する。
介護サービスというのは使いたいと思って使えるものではない。まずは本人がどの程度の状態にあるかを判断する「要介護認定」を取るために行政へ申請が必要だ。
当然何も分からないだろうからとりあえず窓口か地域包括へ行く、または電話して聞けばいい。
介護サービスというのは本人が各事業所と繋がる形式ではない。もちろん契約は本人と事業所なのだが、費用は1-3割負担であり、残りは介護保険から出る。つまりその給付管理が必要なわけだが、それを担うのがケアマネだ。
ケアマネは1の課題を踏まえてサービスのプランを策定し、それを元に各事業所とサービスを調整する。その過程で家族の意向も確認するので、家族はケアマネとコミュニケーションを適切に図ることが必要だ。
5 介護サービスを導入し、ケアマネ及び介護事業所と適切なコミュニケーションをとる。
本人の変化報告や契約関連、同意など家族の出番は意外に多い。こういったことに対応することも家族の重要な役割だ。
病院受診の同行や移送、入院対応やその後の転院など対応が必要になることもある。場合によっては在宅へ戻れなくなり、施設入所をその段階から検討することもあるだろう。様々な段階で支援と判断が必要になる。
まだまだ沢山あるのだが大まかにはこの通りだ。
介護と言われると身体機能低下に対する直接介護をイメージすることが多い。
ただ実際には介護保険によってサービスの選択肢が十分に確保されており、医療または介護へ適切に繋げることこそが本質となっている。
そのためには現状把握と制度理解が必要であり、これまでとはまた違った大変さが待っていることとなる。
さて、ここまで役割の概要について書いてきたが、違和感を覚える方もいるだろう。
何なら今まさに家族の直接介護を担っている方もいるかもしれない。
実際に、サービスを適切に使うだけでは解決しない課題も多い。それらを見ていこう。
介護が必要であると気付いても、介護保険の申請から認定、契約から実際のサービス開始までは時間がかかる。病院受診の関係などで更に時間がかかれば2-3ヶ月などあっという間だ。
その間は誰かに助けて欲しいのに家族が一手に担うことも珍しくはない。
ただ重要なのは、多くの場合、介護保険の新規申請でいきなり重い状態に至っていることはない。重い状態になるのは病院から介護保険に繋がるケースであり、在宅で家族が介護をするケースは多くない。
つまり、慣れたらそこまで大変ではないけど、いきなりのことで過剰に負荷がかかってしまうといった状態になりやすいのがこのケースだ。
2 既にサービスに入っている状態から身体または認知機能が悪化する、もしくは転倒や病気などで入院して悪化する
既にサービスが入っていたとしても課題が変化すれば対応する必要がある。そのタイムラグはそのまま家族負担としてのしかかる。
ただ、これは本人の状態をよく把握していたりケアマネとコミュニケーションがとれていれば解決が容易であることも多い。特に入院後は基本的に様々なことが低下するため、予め想定しておく必要がある。
このような場合には区分変更といって介護保険の認定を再度やり直し、現状の要介護度に修正することも多い。それらも家族が担う役割が一定程度ある。
3 本人または家族が課題を課題だと認識していない、または過小評価している
これが現代の介護において最大の難点であり、全てのトラブルの元凶とも言える。
多くの場合、認知機能が低下している。認知症はみなさん知っているだろうか。記憶が欠落する病気だが、単なる老化の物忘れと違って丸ごと記憶が消える。
例えばみなさんは昨日の夕食のメニューは言えるだろうか。大抵の人は言えるだろうが、細かい部分までは覚えていないかもしれない。
若い人であっても上手く思い出せないことはあるし、それは正常だ。老化によるもの忘れは食事の内容をほとんど思い出せなかったりする。
エピソード記憶という言葉はあるが、単なる物忘れと違って大きな範囲で出来事自体が記憶から消えるため、影響が大きい。
この例を発展させるとこうなる。
単なる物忘れでは、夕食のメニューを覚えている家族と忘れた物忘れの人で食い違うことがある。
認知症では食べたことを覚えていないので、「まだ食べていない」と食い違う。
「おじいちゃん、もう食べたでしょ」という定番のセリフがあるが、噛み砕くとこういうことだ。
周りから見れば薬も飲めていない、食事も取れていない、何なら身の回りのこともできていないが、認知機能の低下によって「できている」または「できるけどちょっと今日は調子が悪いだけ」といった認識になっていることがある。
そうすると周りが必要なサービスだと思っても利用できないことがある。
上記で挙げた認知機能の低下について家族が理解できない場合、「本人が嫌って言ってるんだからいいでしょ」となる。
今回は認知症を例として挙げたが、単に性格の問題の場合もあるし、介護サービスへの偏見の場合もある。
ただ、適切なサービスを使えないことはままあるものだ。こういった状態は行きすぎると高齢者虐待防止法を背景として行政介入があることもあるので知っておいて欲しい。
このパターンが恐らく一番多い。以前に比べたら圧倒的に減ったがそれでも多いのがこのパターン。
サービスを使う選択肢も理解しているが、本人は家がいいと言う。だから在宅で頑張る、何なら仕事を変えた、辞めた...。様々な努力がある。
家族愛なのか責任感なのか素晴らしいと感じることは多い。ただ、無理はしてほしくない。
ここまで書いてきた流れの通り、現代の介護は選択肢が多い。その選択肢を取るには適切な知識が必要で、偏見や前提条件の誤りがあると上手くいかないことも多い。
在宅で最後までみる選択肢は今もあると思う。ただ、常に入所の選択肢は持っておくべきで、それを持った上で選択するべきだと思う。
以上のように、現代の介護における家族の役割とは多岐にわたる。
どこまで知っていただろうか。別に知らなくてもいい。ただ、いずれ誰もが関わることであり、その際は適切に情報収集をして、適切にコミュニケーションをとって欲しい。無理せずに。
自分語りをするが、私は行政側で高齢福祉に関わる人間だ。具体的には虐待や困難ケースへの関わりがある。