名前を隠して楽しく日記。
I object to the statement that a trans woman is a woman.
This is a distortion of language and science.
今でもいるのかわかんないんだけど
「声をかけまくってる脳ミソ軽そうな男を観察して真似する」
見様見真似で声をかけまくる
身近な人を手当たり次第は絶対すすめないけど
結局は数打ちゃ当たるとこあんだよね
断られても笑顔で「ごめんねありがとー」で次行く
何か死にそうだから
死ぬならもう死んだと思って犯罪しない範囲で馬鹿やってもいいじゃん?
障害の種類がなんなのかわかんないけど
刀最高だよな。
最近、5000円ぐらいの刀身が木製の刀を振る機会を得たんだが、それでもめっちゃ楽しい。
アルミ製のもちょこっと持ったが、これはちょっと重みが増して刀身がキラキラ光を反射させてるだけで木製とは段違いにテンション上がる。
子供なんてぶん殴って黙らせるのが親の努めよ
このわけわからん理屈で、性犯罪者を女子刑務所に入れてさらに強姦させるとか、女子スポーツや女子ボクシングに男性参戦がまかり通ってんだから、世界が狂った感がすごい。
うちにも模造刀あるよ!
型必要になるけど
日本刀みたいなサイズの枠型がなかなかつくれなくて小さいのんで妥協したらしい。
木の部分はわりとがんばってきれいなのを作っていた
ここで散々議論されている「東京の文化資本は田舎より優れているか問題」ですが、問の立て方から既に分断が起きています。
その分断とは「文化資本」を単なる「文化」の意味で使っている人と、ピエール・ブルデューのいう「文化資本」の意味で使っている人たちの分断です。
前者はいわゆる一般的に浸透した意味での「ロリコン」や「蛙化現象」と同じように、言葉の本来の意味を調べずに、なんとなく雰囲気で喋っているタイプの人たちです。
ブルデューのいう文化資本は、①家庭における②学歴や社会的地位や経済資本の再生産に結びつきやすいものを指すので、東京田舎うんぬんの話は文化資本とは関係ありません。
前者のような人たちに正しい言葉の意味を教えるのはほぼ不可能なので、後者のみなさんは諦めましょう。彼らは文化資本に恵まれなかったのです。
粗野な状態に置かれた捕獲されたものは主に女性である。これにはもっともな理由がある。
男性の奴隷階級が存在するところ以外では、女性は原始的集団の中で、より役に立つばかりかより簡単に管理できるものである。
その労働は集団にとってその扶養をおぎなう以上の価値があるし、武器を持っていないので男の捕虜より脅威が少ない。
女性は非常に効果的な勝利記念品という役目も果たすし、またそれゆえ、捕獲者には、証拠として、捕獲者であるという彼女らとの関係を跡づけ保つことは価値がある。
この目的のために、彼は捕獲した女性たちにたいして支配と強制という態度をとり続けるのである。
そして、武勇の印であるから、彼女たちが競争相手の戦士のいいなりになることを許さない。
彼女たちを支配することは、彼の名誉と虚栄心のどちらも満たしてくれるのであり、この点での彼女たちの有用性は非常に大きい。
この捕獲の慣習が共同体の習慣になった後、服従させられ証拠とされた女性は一般に、
その捕獲者と慣例として認められた婚姻関係にはいるようになる。
その結果生じるのは婚姻の新しい形式であり、そこでは男は主人となる。
この所有権――婚姻は私的財産および家父長制家族の両方の起源であるように思われる。
したがって、この偉大な制度はどちらも競争的起源をもっているのだ。
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