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2022-01-03

THE WORLD WAS MINE.

"THE WORLD IS MINE." 誇張なしにそう思っている。

自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。

高校大学会社 どこにいっても自分より優れた人間には常に触れてきた。

能力の優劣だけではない、共感性、倫理観義務を全うする精神など社会的に求められる要素が一部自分に欠けているということも理解している。

しか能力が劣っていようとも、社会的必要な要素が欠けていても、それらは何ら問題ではない。自分認識する世界を最終的に律するのは自分認識だ。

自分認識する世界において自分特別となるのはなんの能力裏付け必要でない、と少しひねくれたデカルトのように考えていたわけだ。

このような自分性格自覚的になったのはここ数年のことだ。

社会人になり金銭的・社会的にも余裕が出来た状態でふと思索をめぐらす機会に恵まれ一般的人間より思考する際に自分認識に重い比重をかける傾向に気づいた。

例えば自分基本的社会的・暗黙的ルールを守ることが多い。

しかしこれは "ルールがあるから守る" と考えているわけではなく "俺様ルールを守ると決めたから守る" と心の中では思っているわけだ。

そのルールの成り立ちや必要性を理解共感しているわけではなく、"自分が守ろうと思ったかルールを守る" と考えているわけだ。

価値判断が極めて自己中心的なのであるしか結論として下される判断標準的判断と大きく外れていなければ端から見たらわからないだろう。

そしてこのような傾向は大なり小なり人間にはあるものなので程度の問題だとこれまでは流してきたわけだ。


さてここで終わればいつも通りの年がまた始まったのだが、年も開けたことだしと "2021年 匿名ダイアリーTOP200" を読んでいた所 "自己愛パーソナリティ障害" という言葉を目にした。

端的に言えば自己を極端に賛美、特別視するような人格を指す言葉のようだ。

これはまさしく自分の症状そのものであると思う。大なり小なり人間に備わった傾向だと思っていたが、それも極まると病気と判定されるようだ。

最初に "自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。" と表現した。

これは一見自己愛パーソナリティ障害とは矛盾するようであるがそうではない。

自分が何か優れた人間でないというのは、蓄積された経験から導きだされた経験的推論だ。(そして残念なことに事実でもある。)

この事実理解は出来ている。しか共感あるいは自分で受け入れることは出来ていないのだ。

論理的にはその事実を導き出したものの、その事実を認めることは出来ていないのだ。

からこうしている間にも心の奥底では "自分には何かとてつもない才能が眠っているはずだ。" と思い込んでいる。

これが回り巡って、何を考える際にも "自分はどう認識しているか?" というステップを挟み込むことになり、自己愛パーソナリティ障害となるわけだ。


病気であることはわかった。病気であること自体別によいのだが(← ここでも既に自己中心的価値判断が発動している)、この性格により自分が損害を被ることはないかと改めて考えてみた。

ひとつに、自己中心的価値判断が標準を大きく外れた際に、標準的判断修正する速度が極めて遅くなるというのが考えられる。

損害を回避するには下記のどちらかが必要になる。

病気を治す

自己中心的価値判断標準的判断と同一にする

気取った言い方だろうか?端的に言えばこうだ。

・ 腐った性根を治す

・ 間違えない

整理したうえで思い返してみれば、これに該当するような指摘・注意は人生で 2 度受けたことがある。大学生、社会人でそれぞれ 1 度だ。

指摘をまとめると、 "最初自分で出した結論固執する傾向があり、アウトプットの質に問題がでていることがあるのではないか" ということだった。

その時は確かこう答えた "自分最初の出した結論固執するのは性格なので治りません。なので最初に出る結論が間違えないようにします。" と。

結局時間を惜しまずひたすら知識経験を詰め込むことで当時の問題は解消して、指摘を賜った人にも "大きく成長した" という風な言葉を頂いた。

しかし腐った性根はそのままだ。


圧倒的なインプット経験により、標準的な(適切な)価値判断自分エミュレートし続けられれば理論上は問題は発生しない。

しかしそれが死ぬまで続けられるほど才には恵まれていないこともわかっている。

そろそろ腐った性根を治す時期が来たのかもしれない。

2016-06-12

人類最後の日、の夢を見た。

隕石が落ちて、人類最後の日になる夢を見た。

  

札幌かどっかに家族旅行中で、もうすぐ隕石が落ちますアナウンスがあった。

どうしようもない。いきなりすぎる。

状況設定としては、リゾート用のコテージで、客が300人くらいは泊まれ施設だろうか。

外はまだ夏なので雪もないがやや涼しい

  

その旅行メンバーは。

母(60近い)、父(50近い)、俺(アラサー)、弟(1個下)。

おばあちゃん(母方)

おば(母の妹)

というメンバー

  

父は、自己中なので、すぐにどこかに行った。

車はそのままなので、体一つで、どっか行ったんだろう。

俺と母に厳しい顔で、ウンウンってうなづいて、どっか行った。

一人で死ぬ気なのかなーって思った。

あるいは、家族仲が微妙なので、父はここにいるべきじゃないと父自身判断して、そういうやさしさで消えたのかもなって思った。

たぶん、父は散歩中に死ぬ感じだろうなー。

  

弟が、家族挨拶する。湖に行きたいとのことだ。

どうやら、周りの家族でも、最後子供と遊ぼうと湖に行くらしいのがちらほら居る。

湖には、小さい子供向けにサッカーボールフリスビーなどがおいてあり、そこそこ遊べる。

弟が何しに行くのかわからない。

おとなしくて優しい奴だし、絵をかくのも好きだから、湖を見たり絵を描くんだろうか?

  

弟を見送ったあと。どうするか。

母と、おばあちゃんと、おばちゃんは、たぶんコテージの部屋に帰るだろう。

そう思ったが、俺はどうするか。

俺は、弟を追いかけることにした。

家族挨拶して、駐車場へ。

弟が自転車で湖に向かうのが見えた。

車で行こうかと思ったけど。俺も自転車にした。

  

湖では、子供たちがボール遊びをしており、それを眺める家族が何組かいた。

なんと、弟は子供たちに交じってボール遊びをしていた。

俺は、それを見て安心した。弟は死に場所を見つけたみたいだ。

俺は実は、弟と仲がよくない。あったらすぐけんかする。それは俺の性格が悪いし俺が人生鬱屈してるのをぶつけてるわけだけど。

はっきりいって、弟も俺が嫌いなはずである

うんうん、最後くらい弟の邪魔をするのはやめるか。と思った。

  

俺は、湖からコテージに帰り、母とすごすことに決めた。

ふと、叔母の子供2人の状況が気になる。叔母とその2人の子供は仲がよくない。

叔母が完全にADHDで家をごみ屋敷にしてしまうからなんだけど。

でも、叔母は子供たちに会いたかっただろうなあと思う。

母はどうだろう。母も、俺と弟が大好きだから、俺が行ったら喜ぶかなと思う。

  

俺は、コテージに帰る。

意外なことに、母、叔母、おばあちゃんはそれぞれ別の部屋に居た。チャイムを押したら、1部屋ずつ、一人ずつでてくる。

部屋で、4人でお茶を飲むことになる。

ここで、俺の中にもう数分で死ぬだっていう感覚が湧く。

the world is mine』というマンガでも世界の終末が書かれるんだが、そこでのキャラの1人が、家族5人で抱き合って死ぬ場面がかかれる。

その風景を思い出す。

俺は、その場で土下座して、泣きながら、「今までお世話になりました。とても幸せ人生でした。皆さまの深い愛情のおかげです」と言った。

叔母 「増田君は小さいこから勉強が好きでねえ」

俺 「はい、たくさん勉強できて幸せでした」

っと、おばあちゃんが、全員に1万円札を渡した。

おばあちゃん 「少ないけど、地獄の沙汰も金次第っていうし、ね。」

そうなんだ。

俺たち一家金持ちなんだけど、基地外ばっかりで、家族としてはぎくしゃくしていた。

最後、金でつながるってのもあるなあと思った。

隕石衝突まであと1分くらいか

気持ちとしては、老後にもなか食いながらお茶してる気分で、家族のつながりを感じていた。

  

このへんで夢から覚めた。

ほー人類滅亡とは、夢の自分が消えて、本当の自分が始まることでしたかー。

って感じ。

今書きながら泣いてる。

2007-02-09

Seventh Tarz Armstrongの『The World Is Mine

[asin:B000MZGN6I]

こんなに楽しくてロックしているアルバムを届けてくれたことに感謝

今まで知ることや、興味の幅を広げることに費やしてきて、

失ってしまった感情を久しぶりに思い出させてくれた。


ああ、ロックってこんなに楽しいものだったんだよな。

ロックってこんなに真直ぐで、かっこいいものだったんだよな。


斜に構えて聴く態度が身についていた、自分の身を恥じる。


自分が、18のとき夢みて、感じた熱い熱。

青く、真直ぐで、熱い熱が心の底から湧き上がって溢れでる。


ブライアン・アダムスに『死ぬまで18』という僕の大好きな曲があるけれど

それは単なる言葉ではなく、死ぬまで18という生き様スタイルなのだということを

このロックが大好きな18の少女の、ロックンローラーとしてのデビュー作が、再度教えてくれた。


 
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