はてなキーワード: shameとは
きっかけはアースリングという、動物虐待の映像をオーストリア人の友だちに見せられたことだった。
その映画では、イルカ猟についても触れていて、それをきっかけにイルカ猟について考えるようになった。
さらにそのあと、ウィーンを訪れたとき、"SHAME ON JAPAN"(日本を恥じろ)というポスターと共に反イルカ猟の団体に出くわした。
そんんなこんなで一度、オーストリア人と熱く議論したのと、その後ほかのEUの友だちとも話したので、彼らの意見をまとめてみる。
共通する基本スタンスはこんな感じ。
それに対する私の意見としては
その後こんなやり取りをした。
友人「じゃあサル(※人間に近い知能を持つという意味でだと思う)を食べてるのはいいのか?」
私「私個人では食べないけど、もしそういう文化を持つ地域があるとすれば、それはそれで構わない。中国が犬を食べるのを知ってるけど、私はその文化に入りはしないけど、反対もしない」
友人「じゃあカニバリズムに対しては?人間が人間を食べることもいいのか?」
この問いかけをされた時、私はまだそれに対する答えを自分のなかで見つけてなくて、黙ってしまったけど今はこう言うかもしれない。
「人間を殺すことは世界的に法律で禁止されているから、食べるために殺すべきではないと思う。でも、前にどこかのバーで人の指をいれたお酒があったように、誰かが好んで自分の体を提供する分には構わないと思う」
友だちと議論をしていくなかで本当に疑問に思うのは、どうして知能が高いという理由だけで「殺さない」という判断ができ、人間より明らかに知能が低い動物は「食料」という認識が持てるのかということだ。
どの動物だって苦痛を感じるに決まっているのに、イルカ猟に反対する人は、イルカがいかに優れているか・苦痛を感じるかを訴えてくる。
それにこの知能の優劣で判別する方法、私は教育を学んでいるものだから、つい「たとえば災害時に、教室内で優れた子が優先的に生き残れる」みたいに置き換えて考えてしまう。
もし人間よりもはるかに知能の高い動物がいて、もしその動物が人間を食べるとしたら、「この子は人より劣っているのでどうぞ。でもこっちの子はとても優れているから殺さないで」という風になるのだろうかと思ってしまう。
オーストリア人の友だちはこの意見に対して、「人間は人間に生まれたというだけで、他の動物よりはるかに高い一定の知能を持っている。だからそんな風にはならない」と反論してきたけど、私はあまり納得がいってない。
友だちとの議論はいつも中途半端な感じに終わってしまうけど、でも話し合えるだけ有益だと思う。日本でもこんな風に活発的に話し合えるといいんだけどな。
まわりにベジタリアンやビーガン、豚を禁ずるユダヤ教の友だちがいるおかげで食肉産業の実態について知ることができた。
実態を知ってからは、自然と「肉」から離れていった。まぁ友だち・家族と生きていく上で、一緒にごはんを食べるわけだから限度もある。
限度を踏まえつつ、私のなかでの肉に対する意識はこのようなものになった。
もともと肉大好き!っていうタイプじゃないし、むしろ油っぽいものは好きじゃないっていうことも、肉を絶つことに抵抗がない大きな理由の一つだと思うけど。
多くの人にとっては難しいことかもしれない。
それはきっと多くの日本人が、食肉が生産される過程を意識しないで生きているからだと思う。
動物はみんな友だちですなんて言いたくない。一部の動物に対し差別的に思えるから。
食べるなとも思わない。個人の自由だし、文化の形であるから。弱肉強食の世界が成り立たなくなるし。
大事なのは生産過程を知ること。そんな教育をどこかで導入し、一般的に広く知れ渡らせることが必要なのかもしれない。
食料になるために生まれる動物たちがどのように生きて死んでいくのか、それを知るだけでも「肉を選ぶときの参考」になると思う。
(ただ黒毛和牛という上質な肉すら、虐待まがいな経緯を経て生まれるようだから、高くて上質=上質な生育環境というわけではないみたい)
対磐田リーグ通算対戦成績16勝5分22敗で迎えた第30節ジュビロ磐田vs清水エスパルス
ジュビロ磐田はヴァンフォーレ甲府と静岡ダービーの試合結果によっては今節で降格が決まる。
清水エスパルスサポーターにとっては今までの屈辱を晴らす一戦でもあった。
実際には試合開始前にはヴァンフォーレの引き分けは確定しており今節で降格は免れていたが…
磐田サポーターの間では、Jリーグ設立時に磐田の前身であったヤマハ発動機がJSL一部(当時)屈指の強豪であったにもかかわらず、「市民球団」を標榜する清水に参加権をさらわれた、という意識が未だに根強く、清水戦を特別視する人も多い。一方、清水サポーターはサッカー王国・清水としてサッカー文化が根付き各年代に代表選手を送り込み“サッカー王国”といわれる静岡を牽引してきたのは清水という自負がありJリーグ参加チームで唯一“サッカー王国静岡・清水”という名前のみで参戦できたことを誇りに思っている多くのサポーターがいる。
Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指すとしてこれを拒否。
またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年にジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立→柏レイソル、フジタ→湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。
この時点においては清水エスパルスサポーター側にはジュビロ磐田に対する対抗意識はなかった。
しかしジュビロ磐田側にとってはJリーグ加盟を奪われたと思われていた。
経営面や施設面で不備があったにもかかわらず…。
1994年4月6日初めての静岡ダービーが行われる。この試合は清水エスパルスが勝利した。
しかし、5月18日から1996年4月27日まで8連敗を喫する。
さらに、1997年にはジュビロ磐田が清水エスパルスよりも先にリーグ優勝をした。
このあたりから清水エスパルスサポーターに対抗意識が芽生えてきたようだ。
ちなみに初めて「蛍の光」を清水エスパルスに歌ったのが1994年5月18日。以後ことあることに歌うようになる。
年間チャンピョンを決めるチャンピオンシップにて清水エスパルスがジュビロ磐田に負け初の年間優勝を逃す。
「俺達は清水が滅ぶまで戦い続ける磐田を見て死ね」の横断幕を掲出する。
「A name of kingdom IWATA と 今までの獲得タイトル」を記した大型フラッグを掲出する。
「A shame of kingdom SHIMIZU と Empty?」を記した大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田と清水エスパルスのエンブレムを天秤に載せた」大型フラッグを掲出する。
ゲーフラでは「J2 死水」や「ROAD TO J2」などと掲出
この事件により清水エスパルスとジュビロ磐田のコアサポ間で行われていた交流がなくなる。
「降格?嘘だよね?バーカアホメガネとジュビロくんの絵」の大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田のフラッグに穴をあけJ2」と記したフラッグを掲出する。
「J2 チャレンジ 一年生」「格下」「A Shame of Kingdom?(笑)」「片道切符の島流し」などとゲーフラを掲出する。
「勝利は続くよどこまでも」を合唱する。
Yahooニュースのコメント欄にいろいろ書かれていたので増田してみました。
今回の出来事について当然賛否があることでしょう。