はてなキーワード: q.e.dとは
おならは気体で勝手に飛んでいくのでとりあえず全部出しておくという道もある。
本当に問題ないのか?
おならを出したのにそれを空気に含ませてまた吸い込んだら無限におならが出るじゃない。
ちゃんと捨てなきゃ!
だがどうすればいいんだ?
だが待ってくれそれを全人類がしたら誰かのおならを誰かが吸い込んでプープー無限ループだ。
まあ実際にはそのうちその辺の植物や微生物が吸い取っていい感じに処分するわけだが。
そもそも上の垂れ流しスタイルが出来るのは自分の部屋だからだ。
他人がいる所で豪快に屁をこくのは難しい。
職場で突然ペットボトルを股間に突っ込んでおしっこをする奴がいたらその日のうちに警察が呼ばれるだろう。
だが……透かしっ屁ならどうだ?
臭いさえしなければバレない……バレなきゃ犯罪じゃない……犯罪じゃないから警察はこない……Q.E.D
いやーブクマの探偵さんあんたの出る幕はありませんでしたなーはっはっは
ところがどっこいまだ続きがあるんだな。
そして冒頭に話は戻る。
無理だ。
20分おきにトイレに行っていいのは本当にお腹を壊したときだけだ。
毎日は出来ない。
人間の体におならデーとおならないデーがあるなら出来るかもしれないが人間工学的にエブリデイおならデイだ。
じゃあどうする?
[+74話]トマトイプーのリコピン - 大石浩二 | 少年ジャンプ+
この資料によると
以下引用開始
引用終わり
とある。
つまり、肛門括約筋を活躍させればおならを一時的に留めることが出来るのである。
だが、2時間に一度なら?
そうだ。
だがこれには問題がある。
トイレという閉鎖空間で盛大におならをぶっこくとおならの密度が通常空間より高まることで臭いハラスメントとしてはより威力が高まるのだ。
だが誰がしたのかバレなければセーフ……そう思うかもしれないがおしっこをしながらおならをしようとするとすかすのが難しくなる。
試しにやってみて欲しい。
これは人間がおしっこをコントロールするのに使う筋肉と透かしっ屁に使う筋肉がかぶっていることによって発生する。
無理におしっこ中に屁をすかすのを意識するとキレが悪くなりズボンの中にお釣りが盛大にジャラジャラすることになる。
そうだ。
まだ道は残されている。
これで答えが出たと思うだろ?
出てないのだ。
12時間肛門括約筋をフルパワーで使うだけの筋力を多くの人間は備えていないのである。
おならは我慢すれば勝手に血液に溶けていくという話が前テレビであったが(ソース不明)、それを期待しておならを我慢し続けたものに待っているのは暴発だ。
実際に12時間ぐらいずっとおならを我慢するのを一ヶ月続けて欲しい。
きっと幾度とない暴発を経験するだろう。
高まりきったオナラの圧を防ぎ続けるのに必要な肛門括約筋の力は通常の生活では得られない。
ケツで割り箸を割るトレーニングを毎日続けるようなプロの肛門トレーナーでなければ不可能に近い。
じゃあ肛門を鍛えればいいだけじゃんで答えを出すのか?
俺は、そんな悲しい世界にした覚えはないぞ。
さあ人間ども、君たちの番だ。
答えを選び給え。
Q.E.D全巻無料告知不足の件が話題になっているな(増田は金田一読み終わったあとトップページに戻ったらバナーに流れているのを見つけたので「コーラの人が出てくるまで読むぞ!」と読んでいたら半分を過ぎた所まで進んだのでそのまま惰性で読みました。一番好きな事件は「質問してるんじゃない。欲しい答えを待っているだけだ」の人が何から何までしょうもなかった回です)。
増田は全巻無料のことを「サイトの宣伝のためにお抱えの作品を犠牲にする行為」だと誤解していたことにこの顛末を聞いて今更ながらに気づいた。
無料で読まれても多少の印税は広告掲載費を経由して入るのだろうけど、作者的にはやはり漫画を買ってほしいんじゃないかと考えていたからだ。
ぶっちゃけ無料になったからって興味のない人はすぐに読むのをやめるだろうし、逆に興味のある人はその機会に一気に読んで買わなくなってしまうものだと考えていた。
それは結果的に潜在的な購買層を捨て去って長期スパンで見た売上を減らす行為であり、作者からするとノーサンキューなのではと。
だが実際には告知をちゃんとしなかった編集者(WEB担当者?)に作者が怒りちらしている。
これを見るに全巻無料イベントは作者にとってもメリットが大きいということらしい。
そうなると増田の考え方がそもそも間違っていたということになるのだろう。
予想としては
・全巻無料で読んでも単行本(電子書籍データ)を購入する読者が結構多い
・全巻無料企画中に読みきれなくて続きを買う読者もある程度いる(どうせまた2年もしたら全巻無料になるだろうからそのときに続きから読もうとは考えない)
・無料掲載による広告収入の取り分は出版社だけが得をするような割合ではなく作者にとっても十分な旨味がある
・とにかく名前を知ってもらうことや実際に手にとってもらうことのメリットが大きい
・無料でなければ読まない層は最初から潜在購買層には入らないことを作者も理解している
辺りだろうか?
これらの仮説を証明する素晴らしい手段を思いついたのだが、部屋の電球が切れそうなのでここまでで証明を終わる。
Q.E.D(照明終了)
あれよ。大河見てないけどネタバレしま~~す。信長は裏切られまーす。源氏も平家も滅びまーす。日本は戦争に負けまーす。みたいな?
俺レベルになるとキャラクターの配置を見ただけでオチまで見えちゃうんだよね。
ゴジラだって「今回はゴジラ死ぬんじゃね?」「今回は睡眠薬で眠らせて海にポイーでしょ」「敵の怪獣倒したら満足して帰るよ」の3択ぐらいしかオチないから適当に言っても当たるじゃん?
アレと同じよね。
まあ俺の読みはマジで完全に当たっちゃうからネタバレ怖い人は聞かないほうがいいね。
これは間違いないね。
大怪獣倒しましたハッピーですよで終わらないなら最大のポイントはここだよ。
もしも普通に放置して終われるんだったモニュメントにしてハッピーエンドだけどそうならないから後始末なんでしょ?
でも色々理由があっても国民感情が「え?せっかくの観光名所を?」ってならないだけの理由が必要。
すっげー臭くてもう近くに住めません!
これは絶対あるね。
間違いなく怪獣は生きてると思う。
だってそれだったら「大怪獣 シンダフリゴン」ってタイトルになるからね。
不意打ち成功してもそれで終わったら単に合う合わないのクソ映画扱いじゃすまないでしょ。
監督の家の前に犬のウンチがばら撒かれるぐらいの騒ぎが起きてたはずだよとっくに。
初歩だよ。
生きてたけど死んでなかったけど映画としてそれで終わったらクソすぎるよね?
じゃあ何が来るって「メスだったのか!」だよ。
王道だね。
でもこの雰囲気で単に「子供のほうが強い!超サイヤ人だ!うわー!日本は死にました!チーン」は流石にないね。
そういうニュースがない中で、怪獣映画を馬鹿にするような感じで子供を出すならこれだね。
「怪獣の子供が可愛すぎて世論で殺すなコールが起きる」って展開。
もうね。
見え見えなんだよ。
じゃあ何が来るってやっぱ怪獣の子供は怪獣の子供だからクソでしたってオチよ。
ヤバすぎるので国民感情も殺せに傾いて一斉に殺してエンド。
んでもって最後にこっそり隠し持っていた子供が増殖して……っていう終わり方かなあ。
「へー怪獣なんて結局はミサイルで死ぬんですね」とか「怪獣マジくっせ」とかの態度がなあ。
なにより怪獣って生物の生態について掘り下げようって気がないのに「生き物だから子供出来るんじゃね?よく知らないけど。」みたいな態度取ってたのが駄目だったね。
じゃあ不思議の勝ちをしたやつの相手って不思議の負けをしたんじゃないの?
理屈が滅茶苦茶じゃん。
それって単にお前が減点法なだけだろ?
勝ち「最後のスリーポイントシュートが決まって勝ちました不思議の勝ちです」→負け「それまでに4点差つけていればよかった」 が論理的に見えるほどの馬鹿だったんだろ?
それって逆から見れば「最後にスリーポイントシュートを入れる所までは実力だったんですからこれは納得の勝ちです」だから。
まじばか~~。
たとえばこの馬鹿が「勝てば偶然の勝ちを疑うべし、負けたからと偶然の負けと言い張るなかれ」と言ってれば俺も納得だよ。
まあぶっちゃけ「勝ったやつ素直に褒めるの悔しくてマジ無理wwww逆に負けたやつに負けて当然って笑うのはマジ簡単だわwwww」なんでしょ?
マジで人としての程度が終わってるわ。
ちなみにもう1つ嫌いな言葉があってさ。
これマジクソ。
まあこれってもうちょい長い話の一節なんだけど、全体で言ってるのは「ショボイやつは見てない所で悪いことする。立派なやつは見てない所でも立派なことをする」になるのよな意訳で。
でもそれっておかしくね?
「見てない所で立派なやつこそが立派なやつ。見てない所でクズな奴がガチのクズ」が正しい話の流れじゃん。
お前が言うべきは「閑居して不善をなせば小人なり」だろ?
クソ、バカの相手を脳内でしすぎて語尾がプリコネみたいになったわ。
あのさあ、「AならばB」と「BならばA」って違うんだよね。
これ論理学の超基礎、小学生でも知ってるし、中学受験してるような小学生なら正解率9割のボーナス問題な。
でさ、お前がいいたいのってぶっちゃけ「BならばA」なのに「AならばB」とか抜かしてんのよ。
だって何も考えずに全部「空白」で出すやつが沢山いるんだろ?
それならひとまず全部「X」で出しておけばバランスが取れるじゃん。
超大雑把なイメージで言えば
何も考えず全部「空白」 国民の60%
考えて選んでる 国民の30%
何も考えず全部「X」 国民の10%
って状態だったらとんでもない超極悪裁判官だって罷免になることは永遠にないわけじゃん?
この状況を解決するにはひとまず何も考えずに全部「X」に入れてる人数が増えないと始まらないだろ?
かといって「空白」にして出したら制度自体が無意味になるって聞いたらさ、もう全部「X」以外ありえなくね?
これがQ.E.Dってやつだよね?
悪いね。
良いね!その質問は、実に好ましい。なぜなら、統計学が意味をなさないことが多いのに、なんで勉強するか疑問だろ?そりゃ、統計学が『ノイズ』を除去するからだよ。統計学は N/A とかあるのに、P値だ言って誤魔化しているのに、いざ自分たちの理論が破綻したら「シックス・シグマ的にありえない!」とか言って逃げるだろ。バブルも、リーマンショックも、自分たちが都合の良い数値を適当に取り繕って、レバレッジをかけて破綻していった。そうだよ、大きく社会学といったら会計学も経済学も「左辺と右辺が一致する」という数学の理論を無理やり当てはめて、一致すると安堵するということを繰り返しすぎなんだよ。違うね。社会学においては「左辺と右辺が一致しない」ということに意味がある。例えば、昔の人間と DNA的には同じだろうが、社会は常に変化していくのだ。まさかだけど、資本主義があるから共産主義があるとか思ってないか?違うぞ。共産主義がおこって、資本主義というレッテルが作られたのだよ。マクロ経済学があるから、ミクロ経済学があるのか?違うよ。最初は、ミクロ経済学なんてなかったんだよ。なぜに、人は「反対のもの」を探そうとするのかね。おかげで、ミクロを積分するとマクロになるという研究に一生を注げてしまう人が出てきた。可哀想にね。今では、合成の誤謬とか言うがね。世の中は、シンプルじゃないんだ。今では、複雑系という領域が勃興したおかげで、(古典な)物理学や(過去のデータを扱う)統計学、そして数学のテクニックを社会学に応用して「未来を想定する」という学問は死に絶えつつあるのさ。間違っているのは、私立文系の教授たちであって、自分達の地位が規模に依存していて、学生を無意味なテキストを買わせるだけの私立文系と芸術学部(市井の画家とかは除く)がイキっているアホしかいないのに、拝めているのだよ。特に、日本銀行券にのっている「日本のボルテール(大爆笑)」さんの大学とかさ、みのもんたや石原慎太郎の子弟とか、統計学を使うと「慶應義塾大学の受験なんてしないと、有能になる」ということを「信頼区間的には、棄却される」としか出せないだろ。ウケるw。文系は無理して数学を使役しようなんてするのではなくて、本や資料、そして『リアル』に触れる機会を徹底的に増やしていくべきなんだよ。一橋大学に文学部を作って、早稲田と慶応は文系人員を減らして、国立の理工学のリベラルアーツ教育の復興を目指すべきなのだ。根拠は、私立文系は「既卒は採用されない」という現実に向き合うべきだろ。まだ、四十路で看護学部にいった方が就職があるって変じゃないか?あれだけ数学を否定して入学させて、あまつさえ本人たちも得意でない統計学やデータサイエンスを教えるなんて、教育者として失格だろ。ちゃっちゃと、似非・数学者はくたばってください、としか思わねーよ。閑話休題。最初の「社会学や心理学」で統計学が使えないのは何故かという疑問に答えるぞ。わかりやすい例だと、かの有名な「校長」という事例があるじゃん。世の中には「一騎当千の強者」がいて、そういう統計的には「ノイズ」として棄却されるような、通常は起きないけど「未知の未知」という人知を超えた「何か」がいるの。ほら、新型コロナウイルスは「1つの『①新型コロナウイルス』が『②武漢』に生じた」というだけじゃん。これを「①イエス・キリスト、②エルサレム」「①ポル・ポト、②カンボジア」「①スマホ、②シリコンバレー」「①自動車、②ドイツ」というのとどう違うのさ。①から②は成り立つが、②から①は成立しねーよ。そんなのは、「オッカムの剃刀」とかで徹底的に洗い出されているのであって、帰納法と演繹法では「世の中を描けないのだ」よ。つまり、人文系と人工知能のように社会学的な方向に、ベンサムを始祖として常に繰り返されてきた、物理学や数学のメソッドの応用は事故の元です。なぜなら、ヒトは「変わらない」が、社会は「変わる」のです。光の速さは(俺が生きている間は)不変ですが、社会は(テレビ・新聞・インターネットとか出てきたせいで)変わるのです。つまり、統計学のような「観測できなかったことを誤魔化す」「そもそもサンプルが全て出揃うのが不可能」「過去に起きなかったから、未来にも起きないと思い込む」ような、雑な『算数』で「数学を理解していると信じる私立文系ども」はオウム真理教で「サリンをばら撒いた高学歴」と何ら変わらないよー、って言いたいのですよ。天才の麻原がいなかったら、地下鉄サリン事件なんて高学歴の秀才どもが起こすわけないじゃん?(q.e.d)
無いよ。q.e.d(^ν^)
ニュートンみたいに、巨人の肩に乗れば良くね?例えばオラクルは大学中退ニートの社長が論文から起こした会社だぞ。それに、アップルやアマゾン、マイクロソフト、フェイスブック、グーグルのどこに「科学の積み重ね」があるんだよ。中国のテンセントやアリババに「中国4千年の歴史」を感じるか?受けるんすけどーw
その長い積み重ねの段階が枯渇するがゆえに新自由主義のもとでは衰退する。たまに詐欺師覚悟で大言壮語してがんばろうとするやつもいるが詐欺師扱いされ、ますます新しいものについて忌諱される。
詐欺師もパフォーマンスを達成したら詐欺じゃないです。q.e.d
それはいけないことだ。そんな甘言を信じるアホは地獄に落ちたほうが、その人のためだ。
ケインズも株でダイソンしたそうじゃん。んで、言い訳で「私達は長期的には死んでいる」ということなんで、テメーみたいなバカはちゃっちゃとくたばってしまった方が、世のため人のためです。
「そもそも哲平はタイムパラドクスゴーストライターとは言えない。この漫画のタイトルは間違っている」
「タイムパラドクスゴーストライターとは未来のアイノイツキである。そして佐々木哲平はタイムパラドクスゴーストライターのタイムパラドクスゴーストライターとなる」
タイムパラドクスゴーストライターという言葉を読み解くには、この漫画には2つのホワイトナイトが存在するという事に目を向ける必要がある。
10年後の未来で藍野伊月が描いた「初代ホワイトナイト」、そしてそれを哲平がコピーした「2代目ホワイトナイト」である。
初代ホワイトナイトは藍野伊月がアイノイツキ名義で作った作品であり、これは純粋に藍野伊月一人の手による作品だ。
では、2代目ホワイトナイトはどうだろうか?
哲平が多少の改良を加えはしているものの、基本的には「初代ホワイトナイトを再現しようとした作品」である。
成分分析をするのならば、アイノイツキが60%哲平が10%哲平なりに再現しようとしたアイノイツキ30%で、ほぼほぼアイノイツキ分で作らえた作品である。
言うなれば、アイノイツキが10年後の未来から哲平に干渉することで、哲平の名義で描かせたアイノイツキの作品と言える。
ゴーストライターを、作品の名義人ではないがその作品(の全部もしくは大部分)を本当に書いた人物と定義するのならば、2代目ホワイトナイトのゴーストライターはアイノイツキとなるだろう。
言うまでもないことだが、10年後の作品である初代ホワイトナイトの影響によって10年早く2代目ホワイトナイトが産まれているのは紛れもないタイムパラドックスである。
タイムパラドクスゴーストライターとはアイノイツキに他ならないのだ。
後半、フューチャーくんの力で世界の時間を止めた状態でm哲平は2代目ホワイトナイトを完成させている。
初代ホワイトナイトは未来におけるアイノイツキの過労死によって途中までしか描かれていないが、哲平は2代目ホワイトナイトを精神と時の部屋の無限の時間を利用して完成させている。
さてここで一つ疑問が生まれる。
果たして、2代目ホワイトナイトはどこまで佐々木哲平の作品なのだろうか?
2代目ホワイトナイトは、言ってしまえば初代ホワイトナイトの模造品である。
終盤の展開も、アイノイツキが倒れたことで回収されなかった伏線や布石を随所に活かして展開されることになるだろう。
見方によってはこれは二次創作とも言えるが、他人の手を借りて初代の続きが描かれたものとも言える。
たとえば、ゼロの使い魔などはまさにその「作者が死んでしまったあとに代筆者の手を借りて完成された作品」である。
2代目ホワイトナイトの完結は、初代ホワイトナイトを知らないものから見ればオリジナル作品の完結だが、初代ホワイトナイトの模造品であることを知るものからすれば、代筆者の手を借りた初代ホワイトナイトの完走とも言えるのだ。
実際、哲平が目指したホワイトナイトは「もしもアイノイツキが最後まで書き上げられたならば世に生まれていた作品」がベースにある。
つまり、イツキが初代ホワイトナイトを通して2代目ホワイトをゴーストライターした後、その続きを引き継いだ哲平は2代目ホワイトナイトのゴーストライターとなっていたアイノイツキのゴーストライターをすることでホワイトナイトという作品を完結させているのだ。
まず、ゴーストライターが実は主人公ではない所から始まり、その後終盤で主人公が本当にゴーストライターになる。
しかもゴーストライターのゴーストライターであるし、タイムパラドックスも二重に起きている。
これでもまだ「タイムパラドクスゴーストライターというタイトルは間違っている」という主張をすることは、出来る。
することが出来るのがタイパクの懐の深さだ。
この漫画を題材にして「哲平のやったことは盗作と言えるのか」「ジャンプ爺さんがやったことは正しかったのか」「この漫画はメタフィクションだったのか」と多くの議論ができる。
タイパク、なんて奥が深いんだ。
久しぶりにタイパクが盛り上がってるようで何よりだ。
ホッテントリや増田に踊るタイパクの文字を見て、私の心もウッキウキである。
さて、今回増田を取らせてもらったのは他でもない。
「みんながタイパクをちゃんと読めているのか心配になった」からにほかならない。
タイパクは、作者ですら後日談を通して設定が斬新すぎて誰もついていけなかったとフォローを入れなければいけないほどの作品だ。
ファン~アンチまで幅広い層に、ちゃんとタイパクを読めていない読者がいるという悲しい作品である。
今回はこの場を借りて、タイパクの「基本」をおさらいさせてもらった。
しかも14話という短い話数ながらページの多くは哲平が良心の呵責や無茶振りに振り回されてはその度に屁理屈をこねて乗り越える描写に使い込まれてしまい設定は投げっぱなし気味である。
だが、ジャンプの紙面で未来のジャンプを盗作するという斬新過ぎる物語、その過程を補強するために繰り返される設定の増改築は、まさに打ち切り漫画界の九龍城砦。
珍味中の珍味と言えるこの漫画を、ただ駄作だから流し読みして、盗作してるしてないの論争だけで終わらせてしまうのは勿体ない。
この増田で「基本」を抑えた皆には、是非もっと高い次元でタイパクを語り合ってもらいたい。
読者の集合無意識、連載レースの具現化、作者の命さえ軽んじる市場原理、様々なものに結びつけていくらでも考察ごっこが出来る。