はてなキーワード: i love youとは
日本人は家に帰ったときに「ただいま」と言うが、それを英語に訳すと何になるか?
直訳すると"Now, I'm home."とかになるわけだが、それは正確では無い
なぜなら米国人だろうが英国人だろうが家に帰ったときに挨拶する習慣は無いし、するとしても決まり文句は存在しない
同じように電話での「もしもし」を英語に訳したときに"Hello."になるか?と言われるとそうではない
そうした文化的な違いの一つが"I love you"であって、日本人は「我、汝を愛す」などと言うことはない
恐らく漱石が言いたかったのは「日本人はそんなことを言わないのだから、原作を日本人に置き換えるならそれを加味して訳さなければならない」と言うことだろう
ロミオとジュリエットを日本を舞台にして作り直すなら"I love you"なんて言わず、もっと背景を踏まえて翻訳しろ、ということなんだと思う
単にそのたとえの一つが「月が綺麗ですね」であって、昼間であれば「風が気持ちいいですね」でもいいわけだ
とにかく好意を持っているというのはそれ以前の背景情報でお互いに理解できているので敢えて何かを言う必要は無く、何か台詞を当てるなら適当に雑談してればいい、というのが本来の意味だと思う
そのあたりの文化的な相違を理解せずに「I love youは月が綺麗」などと言ってるあたりが本当に発想が貧困であるのだけれど
皮ジャンのPocketにこっそり金を押し込め
似合わない服を着て おまえはネオンへ消える夢よ Come Back
馬鹿だね女って
I Love you, SAYONARA | チェッカーズ |
🗼
😎「I’m here in Tokyo. Let’s google “How to fuck Japanese girl”. Hmm…Okay!」
🛣
😎「コニチワ!!」
👩「あ、こんにちわ…」
🏩
Love spanking!!!
👩「すごーい❤️イク❤️イク❤️」
😎「I love you!!」(Japanese girls are free hookers haha)
👩「やっぱり外国人の男性は紳士で女心もわかってて優しくてかっこよくて素敵❤️それに比べて日本のジャップオス共は…」
🌃🏨
😎「Baby. I bought nice present for you!」
👱♀️「Can’t wait!! Come back my darling!!」
🛩
😎「Good bye」※
🏫
👧「いいなー!羨ましい!」
👩「もう日本の男とは付き合えないよ笑」
※恋人や家族など、これからも会う相手にgoodbyeはあまり使いません。振る側が振られる側によく使います。
これでも外国人観光客に戻ってきて欲しいですか?あなたの元カノも未来の奥さんもお姉さんも妹も幼馴染も、みんなみんな「White Loser」の中古になりますよ?無料の「Hookers」になりますよ?いいんですか?
そもそも漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」なんて翻訳をしていないし
完全なるガセネタであるという説が濃厚というのはひとまず置いておいて
ガセネタであったとしても元々は
「日本人はI love youなんて言わない。月が綺麗ですねとでも書いておけば良い」
という感じなので、そもそも「I love you」の翻訳が「月が綺麗ですね」では無い
「日本人はI love youなんて言わない」って言ってるように、この言葉は欧米の文化であって日本の文化では無いっていうのを説いてる
翻訳するときに何も書かないわけにはいかないから、シチュエーション的に「月が綺麗ですね」とでも書いておけばいい、というのが元々の話
なので「月が綺麗ですね」が「I love you」っていうのは全然違う
逆にしてみると分かりやすくて、例えば家に帰ってきたときに「ただいま」というのは日本の文化であって欧米では言わない
無理矢理翻訳したら「I'm home」とかだけど、そもそも言わない
そこで欧米向けに翻訳するときは「明日は誕生日パーティーだね!」とでも書いておけ、というのを誰かが言ったとして
これ読んだら藤井フミヤも「バカだね女って~OH~」って歌っちゃうよ
(チェッカーズ「I love you,sayonara」)
涌井佳奈さんは高校生の時、2年半にわたり、教師から繰り返し性的暴行を受けたといいます。
涌井さん:
「性的暴行は血も何も出ないから、抵抗するとかじゃないんですよね。洗脳に近いよね。洗脳されたお前が悪いみたいになってきちゃうんですけど。やりやすい立場の人がいるんですよ。
教師とか治療者とか親とか。性犯罪というよりも虐待に近いよね」
涌井さんは、性犯罪被害者の苦しい立場を司法がもっと汲み取るべきだと訴えます。
涌井さん:
「地位関係とか支配関係での構造の中での抵抗っていうのは争うところではないんじゃないかなって。背景をちゃんと汲み取ってほしいですね。
年齢とか経験値とか。心理的に騙されるとか混乱させられるとか、抵抗までいかない心理状態の中で犯されてしまうことがほとんどだと思うので、
例えば信頼している人との関係性の中だったり」
忘れないうちにライブの記録を書く。
さすがに誰もいないので、ハービスエントをうろうろする。
計7年ほど大阪に住み、ハービスの中にちゃんと初めて入ったのですが、
なんだあのハイソ感!!さすがヒルトン!!港区女子みたいな人と有閑マダムしかいない…
お店も名前の知らないセレクトショップみたいなのしかない…とても着こなす自信のないような服しかおいてない…
とたんに自分がみすぼらしく感じられる…笑
ぞろぞろと人が開場前に集まってきたので、それに乗じてぼっちで待つ。
初めてビルボ行ったので仕組みがわからなかったんですが、全員受付行かなあかんのね…
入場番号もう取ってるし大丈夫と思ってしばらく受付行かずに待ってました。
そんなこんなで15:30。満を持して入る。
お客さんはお友達同士の人、カップル、一人の人、老若男女いろんな世代の人がいそうな感じ。
みんな今日のために、仕事や家事を頑張って終わらせたり、美容院とかに行っておしゃれ楽しんだり、
あるいは奥さんに誘われてぶらっと来てみたりしてるんだろうな、、、といろんな思いを巡らせているとなんだか胸がいっぱいになってくる(早い)
結構先に入れたので上手側の割といい席をゲットできた。(この選択は、当時の自分GJと言いたい)
ツイッターにもあげましたがもちろんオリジナルノンアルカクテルを頼む。
ツイッタでどなたかが仰ってたがウクライナを意識したカラーなんでしょうか。。。すごい美味しかった!!
甘い酒しか飲めない勢としては大変うれしい。
開演まで1時間以上あるんので持て余すかなと思ったけど、
飲んだり食べたりスマホいじったりしていたらすぐ時間が過ぎた。舞台に流れているビルボの予告も面白かったしね。
と当たり前のことに非常に感動する。
・BUOYANCYより後のアルバム、未聴なんです…( ;∀;)
それでキリンジファンを名乗るなと言われるかもしれませんが…追っかけきれてない…
ということで、演奏してくれたかつての曲はほとんど初めての拝聴でした。
でも会場の雰囲気とすごくあっていて。これからじっくり聞いていきます。
・ローズマリー、ティートゥリーが最高。不思議な世界観の似合うお方…
・MCで16時半始まりのことを心配されていた(「お客さん来るのか?と思った」)けど
早めに帰れて明日の準備できるので、個人的にはありがたかったです。
・曖昧meはCDバージョンよりジャジーで好きでした。I love you!!!にやられた。
反省は体に毒だね ほどほどに。 なんだか染み渡った。。。
・MCで、いつもは6~7人体制なのに今回は4人で少ない。ステージが広く感じる。
(高樹さん向かって右側が空いたスペースだったので)お客さん呼ぶ?となるも、
いや呼ばないですけどね、まわしきれないし…と言ってたのが面白かった。
・旧ヤム鐡道行ったのかーーー!!!これは行かねばならぬ。
・ツイッターでもありましたが、高樹さんの歌っているとき、足でリズム取るパタパタ音まで聞こえて興奮。
・MC,途中楠さんとちがちゃんと高樹さんでわちゃわちゃしゃべってみんな何言ってるかわかんない状態になるのが
ちょっと面白かった。というか仲の良さが垣間見えてほほえましかった。
・ピアノの林さん。あの方はすごい・・・ 一見ちがちゃんとちょっと似てはる。
・前回のなんばハッチみたいな、若いエネルギー爆発!みたいなのも楽しいけど、
ビルボードではちょっといぶし銀な感じの方が合ってるのかもなあ。
・first call はライブにぴったりだね。乗ってるお客さん見てるのも楽しい。
はー。徒然なるままに書いた。また思い出したら書く。
「I LOVE YOU、SAYONARA」のイントロはじめ、ホーンが印象的な曲が多いよね。
日本人が英語を話すときはそうだと思うけど、アメリカ人とかが I love you って言うときにそこまで気合込めてるようには思えないんだよな。わからんけど。
しかし男が女に I love you と言うのは相当に意を決した発話だぞ。それこそ結婚も念頭に置いているんじゃなかろうか位のね。
現代日本であっても「愛してる」と英語の I love you が同じ意味かって言ったら結構違うんじゃないかという気がするなあ。love はかなりカジュアルに使うし( I love to hike. みたいな)、恋愛的な意味では初期のフェニルエチルアミンとかがモリモリ出てるときの高揚感のニュアンスが強そうな感じがなんとなくする。日本人の言う「愛」はもうちょっとオキシトシン的というか、恋愛後期以降の落ち着いたときとか関係性の重みみたいなニュアンスがある気がする。まあ英語圏の人間も親とか家族間で I love you と言うわけで、love の方が単に幅が広いということかもしれないけど。
夏目漱石が「日本人は直接愛を伝えることは出来ない。どこか回り回った言い方をしてしまう」という例でその作品を上げたの。
その戯曲の前半にこんな場面がある。
窓辺に立つ二人、場面は夜。
女が何かを決意した顔で言葉を発するが風が声をかき消す。
男「今、なにか」
女「いえ、月が綺麗ですね」
どこかぎこちなく二人が空を見上げる。
男と女が窓際で話し込んでいる、場面は昼。
男「あの時、僕には勇気がなかった」
男「月が、綺麗ですね」
女が空を見上げてからハっとした顔をして男の方を向き直る。
男の顔には決意がみなぎりそっと女を引き寄せて口付けをする
こういう構成なわけ。
そのシーンをさして夏目漱石は「日本人がなんとか「I LOVE YOU」を表現しようとしたら、「月が綺麗ですね」みたいになるんだろうかねえ」と口にしたわけよ。
「日本語ではI love youが言えない」という感覚はもうとっくに失われているので、「訳せない」なんて書かれてても何寝言言ってんやろとしかならんのよな
その辺の昔の日本人の感覚がわからないで、「日本語は豊か」みたいな解釈してるやつばかりでほんと滑稽。単純に日本には(男性から女性に)愛を伝えるという行動そのものがなかった、それゆえその行動を表現する言葉がなかったという話だよ。なんなら「愛」自体なかったと言ってもいい
しかしこれ読んで思ったが、『"当時"の愛という単語』は love に直訳できなかったが、
現代の日本語においては愛にloveの意味がおおむね正確に取り込まれているので、
"I love you"=私はあなたを愛しています、で問題なさそうだ。
「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
この『日本人の知恵』という本は、
ということらしいので、つまり1961年に朝日新聞に掲載されたのだろう。
それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。
もうひとつ、さらに遡って戦前の1935年刊行、笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。
さらに「I love youは日本語にうまく訳せない」という話に限っては、
「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、
"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.
此 I love you ハ日本ニナキformulaナリ
と記した一節がある
これは漱石の英国留学時代のメモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。
同様の主張が1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』に書かれている。
日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。
この厨川白村は夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石の受け売りだった可能性が高い。
というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。
夏目漱石が「I love youは日本語に訳せない」と言う
→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる
→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?
→日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!
→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる
→なんかいろいろ混線して「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる
みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。
追記。
国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、
上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石か上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love youは日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
英文学者の夏目漱石が言ったにしては違和感あるなと思ってたけど、
"I will excuse myself to you another time," said Vittoria. "I love you, Signora Laura."―Vittoria p.113. 此 I love you ハ 日本ニナキ formula ナリ.
なるほどなぁと思った。
都市伝説では「日本人はそんなこと言わないので、このように訳すべき」という逸話になってるけど、夏目漱石自身が考えていたのは「日本人はそんなこと言わないので、原文のニュアンスをそのまま伝えるというのは非常に難しい」ということのようだ。