はてなキーワード: UDとは
慈善事業には必ず詐欺師がいるとの事ですが、偏見ではありませんか。
もちろんそういった人間がいないというわけではありませんが、
PCの余力を使う事すら非難する程の事でしょうか。
僕の個人的な異見としてはそれは考えすぎです。
嫌儲思想を否定するわけではありませんが、これは募金ではありません。
月数百円の電気代に不満があるようでしたら参加しない方が良いかと思われます。
ボランティアですので、参加する側の優越感もひとつの材料です。
それを崩すような行き過ぎた見解は 誰のプラスにもなりません。
研究の結果やデータなどはWCGやBOINCで参加可能のプロジェクトのサイトで御覧ください。
中には英語のものもありますが、解析が終了したプロジェクト等について閲覧することもできます。
非常に時間のかかるボランティアですので、以前あったUDという白血病研究も大きな成果にはつながりませんでしたが
解析は無駄ではありません。
いずれナニかの役に立つ、その程度の事ですが有益な結果が出れば治療薬の発見、治療方法の発見につながります。
それがいつになるかわかりません。
WCGの中にある小児がん解析は8000年かかるであろう計算をWCGを通して計算を分散することで2年での解析を目標にしています。
研究にすぎませんので、この計算が終わった所で100%の成果が出るかどうかはわかりません。
わからない事はやらない という主義ならばそれも正しい選択かと思います。
これはボランティアですので、納得できないようでしたら参加しないが吉でしょう。
電気代も少しは上がりますし、微々たるものですがPCもその分は消耗します。
それを踏まえて 研究結果も見て 参加してみようと思うのであればご協力をお願いします。
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僕個人としては
ただPCの余力を使って解析しただけで治る なんてうまい話があるんだろうかと思っていました。
今も 僕が参加したところで本当に微々たる変化しか無いと自覚しています。
それでもそういった僕のような考えを持ちながらも参加する人間が何人かいれば
偽善ではありますが、 「もしかしたら治せるようになるかもしれない」という気持ちを持ってやっています。
僕は祖父を癌でなくしてから、世の中から病気が無くなればいいのに と本気で思うようになりました。
臭い言葉ですし、そんな事僕が生きてるウチにはありえない事だろうと思います
それでも もしそんな日が来るなら と淡い希望を持っています。
世の中がから病気が無くなって寿命一杯元気に生きられる世界がくればいいという目標があるから
参加を決意しました。
もしこの団体が偽物で計算結果を持ち逃げしてどこかで売りさばくような団体だったとしても
それは僕の理想にナニも問題はありません。
病気がなくなればいい
それだけですので。
誰かが儲けようがどうなろうがそれは僕には関係無いのです。
そんな時に治せる薬があれば。
ただそれだけの話しです。
それがもし叶うなら それは喜ばしい事じゃないでしょうか。
医療に携わる事はできません。
こういった形で少しでも手を貸す事で
可能性にかけてみたいという考えを理解してくれる人もいるでしょう。
参加の有無は個人で決めてください。
http://anond.hatelabo.jp/20070822014328
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E7%A7%B0
ドイツ語では、一般的な"Sie"(敬称)と、特に親しい時(親称)の"du"の区別があり、スペイン語にも一般的な"Ud.(Vd.)"(敬称)と、特に親しい時(親称)の"tu"がある。フランス語その他のヨーロッパ系の言語でも同じような使い分けがある。
おそらく、各々の言葉の背景に隠れている『人間関係のあり方』といったものが劇的に変わらない限り、僕たちは「相手を呼ぶのに最もふさわしい呼び方」を、いちいち考え続ける羽目になるのだろう。
つまり、日本語で思考するということは、「相手と自分との相対的な関係を、つねに考慮に入れる」という思考形態に囚われ続ける、ということでもある。
そしてそれは、いわゆる「お役所言葉」の大半が、『「主語・主体」が何なのかが曖昧』な文章だらけになるのはなぜか、という事にもつながってくる。
http://anond.hatelabo.jp/20070317011508
困った。色盲の理解が広まるのは賛成だけど、UD商品の製作にだってこの資本主義社会も相まって限界がある。
そもそも、人が作ったものはすべて自然が基にあり。
色、形、すべては自然を基にしている。
目の前に毒キノコと普通のキノコがあるとする。形は同じだけど、色が違っていて、その色で判断がつくんだけど、色盲の人にはそれがわからない。でも、おなかはペコペコだ。どうする?
色が分からなかったらどっちも食べてしまうかなぁ……。
とまぁ、色が見えないというのは自然においては致命的。人が作ったものは信号にしてもまだ優しいもので。と、こんな極論をすると色盲の人は生きることが限りなく難しいわけでー。
でも、さ。人なんて結局のところ一人で生きられない生き物。
頼りにするべきなのは、周りのモノの発展じゃなくて、周りの支えてくれる人たち。
そんな頼りになる人たちがいれば、毒キノコなんて怖くないわけで。
それに、赤いランプがみえなくったて、ちょこっと自分で目印をつければ解決できる。はじめは失敗するけど。
というか、何も色盲とかじゃない私だけど、視覚だけを頼りに人生を生きてるわけじゃない。五勘も頭も体も駆使して生きてる。
こんなこと言わなくても、トラックバック先の人はすでに頼りになり支えてくれる人も、自分で行う創意工夫もしてるけれど。
で、結局のところ何が言いたいかといえば。モノに生かされる人生は送りたくない、ってことかなぁ……。