「UCLA」を含む日記 RSS

はてなキーワード: UCLAとは

2024-02-16

anond:20240216131026

"例えばUCLAもCal State Los Angeles日本語に訳してしまえばカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校になってしまます

もっと紛らわしいところではCornell UniversityとCornell Collegeという、同じような名前だけれど全く別の大学、という例もあります。"

そいつは聞いたらカリフォルニア大学って答えてたけどこういう事か

2023-05-08

横浜小学生トレバーバウアーのYouTube英語を学んでいるんだろう

いいなあ

UCLA出身なんて聖光学院とか湘南高校卒業生でもあまりいないだろうに

2022-01-13

UCLAロースクール卒業した海外サイトZelda Dungeonのアレクシス・S・アンダーソン記者が、「『ゼルダの伝説』のゼルダ姫を黒人にすべき」と力説している。

https://www.zeldadungeon.net/diversity-in-zelda-what-if-zelda-was-black/

https://i.imgur.com/KikdaYM.png

・35年の歴史の中でゼルダ姫は変わらず白人でした。これでは黒人女性伝説になれることを示せず、残念なことです

アメリカ黒人女性は、劣っていて尊敬に値しないと絶えず言われ攻撃されています。そこでゼルダ姫を黒人化すれば、黒人女性が単なるマイナーキャラ敵対者ではなく、重要英雄人物であるというメッセージを送ることができるでしょう

ゼルダ姫とリンク白人として描かれる『ゼルダの伝説』は、白人けが世界を正しく管理し守っていく存在であるということを示唆しているのです

・『ゼルダの伝説シリーズは主要キャラ人種ほとんど説明なしでも変えることができます

メディアではこれまで何度も、有色人種やLGBTQ+の人々が腹黒く不道徳侵略者として描かれてきました。黒人キャラが前向きな役割を習慣的に与えられるようになれば、社会にある固定観念払拭し、人々が自己像を高めるのにとても良い影響を与えるはずです

ゼルダ姫の黒人化は、黒人が華麗で大胆な英雄であることの確固たる証拠になります任天堂社会から抑圧されてきた人々やゲーム業界なおざりにされてきたコミュニティへの支援を表明する一手になるでしょう

2021-07-30

自己紹介

http://twpf.jp/FredPrevost2 音楽芸術ジェンダー表現一般研究者 🇺🇸住*UCLA’16*アンチテーゼの表現は使命*BL好き-アイコンバナ−3D自作ジャズとか年に四回ぐらいはライブ出る*雅な文系

Pixiv薄桜鬼二次作中心ですが限りなくオリジナルに近いです。現パロ、男x男エロ 18禁とかなりヘビーなプロット多いです。自分のために書いてるのでエロインテリ内容が同時に混在していることが多いです。

ジェンダー学専攻なのでエロス、セックスセクシュアリティ表現に関しては理性的現代社会学踏まえて表現をしています

モノ書く目的が既成概念への挑戦だったり、抵抗であったり、疑問や課題提示であることが多いので、エロ小説でもそれぞれ目的があって書いていることが多いです。

https://twpf.jp/FredPrevost2

2021-07-17

anond:20210717141103

それはその通り、もちろん何をやってたか重要

ただ、"どこで"も同じくらい重要

何処の馬の骨かわからない奴に出資はしないし、そもそもGAFA出身じゃなかったら出資者とのコネが作れない

アイビーリーグUCLA出身GAFAエンジニア、これでようやく起業の門が開く

まぁ、昔はもっと自由だったかもしれないけど今はもうこんな感じ

2021-06-03

anond:20210603115529

そんで選り好みしまくった末に178cmで慶應卒で大手IT企業勤務の星野源似の男と結婚するんだ。

ここだけ変に現実的

普通よりちょっといい程度だよな。

女なら200cmでUCLA卒でGAFAM勤務のエドワード・ファーロング似の男を射止めたい。

2021-02-16

海外記者が「『ゼルダの伝説』のゼルダ姫を黒人にすべき」と力説している

https://www.zeldadungeon.net/diversity-in-zelda-what-if-zelda-was-black/

UCLAロースクール卒業した海外サイトZelda Dungeonのアレクシス・S・アンダーソン記者が、「『ゼルダの伝説』のゼルダ姫を黒人にすべき」と力説している。

・35年の歴史の中でゼルダ姫は変わらず白人でした。これでは黒人女性伝説になれることを示せず、残念なことです

アメリカ黒人女性は、劣っていて尊敬に値しないと絶えず言われ攻撃されています。そこでゼルダ姫を黒人化すれば、黒人女性が単なるマイナーキャラ敵対者ではなく、重要英雄人物であるというメッセージを送ることができるでしょう

ゼルダ姫とリンク白人として描かれる『ゼルダの伝説』は、白人けが世界を正しく管理し守っていく存在であるということを示唆しているのです

・『ゼルダの伝説シリーズは主要キャラ人種ほとんど説明なしでも変えることができます

メディアではこれまで何度も、有色人種やLGBTQ+の人々が腹黒く不道徳侵略者として描かれてきました。黒人キャラが前向きな役割を習慣的に与えられるようになれば、社会にある固定観念払拭し、人々が自己像を高めるのにとても良い影響を与えるはずです

ゼルダ姫の黒人化は、黒人が華麗で大胆な英雄であることの確固たる証拠になります任天堂社会から抑圧されてきた人々やゲーム業界なおざりにされてきたコミュニティへの支援を表明する一手になるでしょう

2020-06-23

アジア系黒人より下じゃないです。

何やら「アメリカ人種ヒエラルキーではアジア系黒人より下で、黒人白人の両方から差別されてる」などという与太が出回っているようで。

これは嘘っぱちですのでご注意ください(個々人の経験は別として、全体から言えば)。

しろアジア系アメリカ人が他の人種マイノリティ特に黒人に対しての差別であるとの認識すら、決して珍しいものではないのです。

※注意:この増田では基本的アフリカ系アメリカ人のことを黒人呼称します。

アメリカにおけるアジア系アメリカ人はその高い学歴経済的成功から、他の人種マイノリティより高い階層にいるとみなされています

これは"中間層マイノリティ/Middleman minority" (Bonacich 1973)や"人種ブルジョワジー/Racial bourgeoisie" (Matsuda 1993)といった呼び方や、"アメリカ人種ヒエラルキーにおいて白人黒人の間のどこかを占める、第三の存在" (Kim and Lee 2001)という評価など、古くから認識です。

Bonacich, Edna. (1973) A Theory of Middleman Minorities” American Sociological Review 5: 583–594.

Matsuda, Mari. (1993) We Will Not Be Used. UCLA Asian American Pacific Islands Law Journal 1: 79–84.

Kim, Claire Jean, and Taeku Lee. (2001) Interracial Politics: Asian Americans and Other Communities of Color. PS: Political Science and Politics 34 (3): 631–637.

モデルマイノリティ(ここで言う"モデル"とは"見本"のようなニュアンスです)という言葉もありますポジティブステレオタイプを持つマイノリティのことで、アメリカではアジア系を指すことがほとんどです。

勤勉で、まじめで、よく働き、自立していて、etc., etc...ポジティブステレオタイプゆえに支援の手が伸びにくかったり、ステレオタイプ押し付けが起きやすかったり(褒めてるんだからいいじゃん!的な)、ネガティブステレオタイピングとはまた別の問題があります

これは他のマイノリティディスるさらには人種間の対立を煽るのに使われる――アジア系の連中はあんなに成功しているのに、黒人はどうして貧乏なままなの?努力が足りないんじゃない?――場合があります

一方で、このステレオタイプ就職等でプラスに働くこともあり、一筋縄はいきません。

アジア系の中には上記対立煽りを真に受けたり、黒人への蔑視白人と共有する人も存在します。

アジア系アメリカ人の人種差別に関する意識白人と近く、2008年世論調査(***)では黒人の65%、ラテン系の55%が「人種差別は未だ、我々の社会における重要問題である」と答えたのに対し、アジア系白人でそう答えたのは33%でした。

また、「人種差別存在するが、もはや重要問題ではない」という答えは黒人23.9%、ラテン系37.8%、アジア系50%白人60%でした。

しかし、やはりマイノリティー、被差別者としての側面もあり、上記ステレオタイプ押し付け落伍者への冷たい目、キャリアにおける差別("竹の天井"と呼ばれます)が存在します。

さらに、アジア系集団内の格差が激しく、日中韓印系とそれ以外で状況は違うにもかかわらず、アジア系全体の恵まれイメージから支援が届きづらいことがあります

黒人たちと同様、シンプル醜悪人種差別さらされることだって当然あります

また、コロナパンデミックにおけるアジア系の人たちへの差別で、黒人が声を上げなかったとするのも間違いです。

100 Black Menという市民団体はAsian American Business Development CenterおよびHispanic Federationと共同声明アジア系差別批判してますし、黒人コミュニティや個々の黒人twitterなんかで差別批判してます

ただし、アジア系の人々が今まで黒人差別していた/黒人差別に声をあげなかったという理由から、彼らのために声をあげたくないという黒人もいます

例えば、黒人コメディアンのGodfrey氏はinstagram投稿した動画で「エボラパンデミックの時、君らはどこにいた?我々が警察に殴られているときには?」と述べ、「君たちのスーパーヒーローにはなれないよ。他にやること(無数の差別への対処)がいっぱいあるんでね」と答えています

トランプの"中国ウィルス"呼びを肯定していたり、中国人の食生活や、パンデミックに対する中国責任中国から入ってくる安い商品等への批判もしているため、単なる反中国論かもしれませんが。

アジア系アメリカ人とBlack lives matter (以下BLM)の関係もまた歴史的に複雑な背景を持ちます

BLMが使われだすずっと前ですが、ロス暴動の前日譚として黒人韓国系アメリカ人の間の緊張状態および、韓国系アメリカ人による黒人少女Latasha Harlinsの射殺事件がありました。

2014年黒人射殺事件中国アメリカ警官によってなされました。新人警官のPeter Liangが同僚とパトロール中、ガールフレンドデート中のAkai Gurleyと暗がりで鉢合わせ、つい射殺(直撃ではなく跳弾)してしまったのです。

Liangは過失致死で有罪判決を受け、それに執行猶予5年がつきました。

この事件中国アメリカ人と黒人の両方から批判を浴びました。

中国アメリカ人側は「白人なら起訴されないのに中国系ならされるのか」と起訴の取り下げを要求し、黒人側はBLMを掲げて射殺に抗議しました。

ジョージ・フロイドの死に関しても、関わった4人の警官のうち一人はアジア系アメリカ人のTou Thaoです。

アジア系アメリカ団体Asian American CommissionはBLMへの連携を表明した上で、その声明文中にて「アジア系コミュニティにおけるアンチ黒人の深い根」の存在をあげ、コミュニティの変革を求めました。

※「(アジア系は)差別されてきたが、同時にモデルマイノリティ神話から利益を得てもいる」等の意見声明文には含まれていることもあり、一部のアジア系アメリカ人はこの声明に反発しています

勘違いしないでほしいのは私が「黒人アジア系差別している」へのカウンターとしてその逆を言っているわけではないということです。

黒人差別に声を上げるアジア系アジア系差別に声を上げる黒人、当然のようにいます黒人レイシストアジア系レイシスト、当然います白人ヒスパニック、その他マイノリティも同様です。

世界は複雑なのです。立場属性でひとくくりにできるような単純なものではありません。

分かりやすストーリーを無批判に受け入れてはやし立てるような、愚かしい行いは控えてほしいと私は思います

2019-12-11

本物の天才は表に出てこない

スタンフォードハーバードオックスフォードケンブリッジMIT、UCB, UCLACaltechカーネギーメロンプリンストン北京大学上海交通大学とか出て、とんでもない天才ぷりを発揮してる人たちってさ、Quoraでも回答投稿しないし、Wikipediaは書かないし、OSSも作るわけでもないんだよね。

もっとわかりやすく言うと、そういう人達総理大臣になってくれないんだ。経済的合理性を求めて効率的生き方選択できる人たちは、そういう草の根的な、ゲリラ的な行動は非効率なのと、もっと自分しか出来ないことに専念した方が人類幸福寄与出来ると思ってるからなんだろうな。

から、多分、本を書いたり論文を書いたりして、社会貢献はしてると思う。

思う…思うんだけど、なんか、もっと表に出てきて凡人たちを鼓舞して欲しい。

2018-12-03

ノーベル賞受賞者を多数輩出する「中央ヨーロッパ大学

こんな記事がありまして

https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/01/ceu-tsuihou_a_23606239/

ノーベル賞受賞者17人を輩出しているハンガリーの名門私立大学大学中央ヨーロッパ大学(CEU)は、12月1日ハンガリー政府との合意に達せず、講座の大部分を新設するウィーンキャンパス移転することが決まった。」

とのこと。(多分修正されるだろうから確認した期日を記載しておく:2018年12月3日0時です)

主な内容としては、ハンガリー政府ジェンダー研究禁止し、それに反発した「中央ヨーロッパ大学」がウィーンに全面移転するとのこと。ものすごいニュースだ。そんなすごい大学が、大学機能国外移転ちゃうなんて。しかもそんな大学知らないぞ。

ノーベル賞受賞者17人を輩出、って言ったら大変なものだ。日本なら東大が8人、京大が7人、とかのやつだ。この両校を合わせたよりも多いのか!さすが欧州だ。ロシアとかもすごいしね。東欧には知らない超有名校があったのか。。。

世界大学のそれぞれのノーベル賞受賞者輩出人数とか、真面目に調べたことはなくって、今回初めてこのページを確認してみた。

http://karapaia.com/archives/52158723.html

怪しげなページとは言ってもカラパイアだ。20%くらいは信用できる。

これによると、2014年でこの辺のレベルノーベル賞受賞者数の大学っていうと、

14人:エコール・ノルマルヴュルツブルク大学フランクフルト大学

15人:UCLA、ウプサラ大学ウィーン大学

16人:ライデン大学インペリアルカレッジロンドン

17人:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス

18人:エディンバラ大学

19人:ウィスコンシン大学マディソン校、フライブルク大学

20人:ミュンヘン工科大学ミシガン大学、UCSD

一般的にはなんとも感想を言いづらいようなメンツだけれど、知識レベルイラつく感じで高いようなはてなユーザには親和性の高い(偏見欧州の古風な大学(とかグランゼコール)と、アメリカの若々しい大学が混じっていることに気づくだろう。端的に言って超有名校だらけで、東大京大の2倍以上のノーベル賞受賞者を輩出していると聞いてもおかしくは無い。

この人数レベル比肩する大学、「中央ヨーロッパ大学だって???驚きである

まあ、自分なりには見当が付いていて、多分以下の記事中「ノーベル賞受賞者17人を含む500人以上の著名学者がCEUへの支持を表明」を、間違えて捉えたのだと思われる。

https://jp.reuters.com/article/hungary-soros-legislation-idJPKBN17D0M3

ノーベル賞受賞者17人が支持」と「ノーベル賞受賞者17人を輩出」では、多分アカデミアコミュニティが読んだ時の権威づけレベルが大きく違ってしまう。気をつけてもらいたいものだ。

2018-07-25

お前ら日本大学入試の難しさを過小評価しすぎ

過酷自体韓国中国のほうがヤバいけど、要求される学力水準でいえば日本大学入試学部入試)は世界最強にハイレベルなんだぞ。

東大入学試験なんてそれこそ世界一難しいようなレベルだし、ハーバードカルテックケンブリッジなんかの入試じゃ一切勝負にならない。大人子供の差がある(大学院でぶち抜かれるけどね)。

地帝や都心国立大なんかでも合格必要学力水準はハーバードより圧倒的に上なんだぞ。

あいつら因数分解二次関数得意だよ!みたいな水準だし、高校卒業時点の学力日本人の受験生に敵うわけがない。

MARCH一般入試合格の連中ですら大学入学時点ではUCLAブラウンあたりの合格者より勉強できるからな?少なくとも南カリフォルニア大なんかよりは確実に上。

信じられないと思うけどこれは本当の本当。

インド工科大なんかは東大でも分が悪いかもしれないけど…でも世界中のほとんど全ての名門大学より東大入試学力的な要求水準が圧倒的に上なのはマジ。

東大入試と良い勝負できるとこなんてマジでインド工科大くらいしか思いつかない。

日本の同世代上位10%に入るような大学出てる奴はもっと自分脳味噌評価してやれ。世界エリート基準だと相当頭良いからなお前ら。

あと、アメリカの名門大に通う白人たちがディスカッションしてる動画日本語字幕でいいから一回見てみ?

あいつらマジで言ってることが高校レベル。下手すりゃ「真剣10代しゃべり場」。

白人容姿と自信ありげな態度で錯覚してるけどあいつら結構議論酷いぞ。

ガキの発表会レベルのことしか言えてない。すげえ幼稚。

2017-08-28

毛根の幹細胞を再活性化する方法が見つかる

redditで上がってた

UCLA scientists identify a new way to activate stem cells to make hair grow

http://newsroom.ucla.edu/releases/ucla-scientists-identify-a-new-way-to-activate-stem-cells-to-make-hair-grow

Lactate dehydrogenase activity drives hair follicle stem cell activation

http://www.nature.com/ncb/journal/vaop/ncurrent/full/ncb3575.html

数日内にどこかが翻訳してはてブで騒がれそう

2015-01-10

学歴コンプ煽ってる東大生がいるみたいだけど。

東大にはコンプ持ってないけど。

ハーバードとか、UCLAとかの海外人生かけて留学しにきてるインド人とか、そういう奴らには死ぬほどコンプ感じる。

でも、医者なら人生かけなくても同じような勝負舞台に立てる(医者留学制度として確立してる)から、そこまででも無いけど。

でも、自分研究のために海外早く行きたいなあってのは思う。

  

逆に、東大博士まで行って研究職以外ってのは興味すら湧かない。

日本でヌクヌクやってるのも別に悪いとは思わないけど、そういうの相手にコンプもクソも無い自分と変わらないし。

逆に、テニュアトラックとかそっから勝負でまだまだ人生かかった勝負が控えてるのに適当大学生活送ってる東大生とかアホと思う。まあでもそれも一つの生き方かもしれないけど。

学問世界であっても学歴だけじゃ勝負がついたもクソも無い。東大けが最強で各大学個性無視できるほど学問ぬるくない。

2013-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20130326023023

これ、東大事務局が悪い気がするんですよね。

数年前からだと思うのですが、"Todai"をブランド化しようとあくせくいろんな活動をしている印象があります。ただ、残念ながらおっしゃる通り、そもそも東大海外に向けて言うほどインパクトがない上に、いかんせん付け焼刃感が溢れてる上に、そもそも字面として格好悪いという。

ただ、学生(若い卒業生)は騙されてfacebookに"Todai"とか書いちゃうのかもしれないですね。僕のまわりの若手にはそんな間抜けはいませんが。つーかfacebook学歴晒すなんて研究者志望を除けばありえないでしょ、東大生って成績いいやつほど学歴を隠そうとするし。

略称で世界的に通っているっていうと、CMU, UCB, UCLAあたりは当然として、個人的にはETH(えーてーはー)が一押しです。あれぐらいの格に東大が辿りついてるかっつーと、まだちょっと無理そうだよね。

2012-03-17

ちきりんの正体と正体を明かさない理由についてアレコレ

ちきりん」で匿名ダイアリー検索したらこんなのでてきた⇒http://anond.hatelabo.jp/20111126194612

ふむふむ。。。あたしもちきりんの正体を勝手に予想したくなったよ!




こんなところかしら。

あくまで、ちきりんさんの過去記事とツイートトラップがないことを前提としてますけど…。


それで、正体を明かさない理由ですが(あたしとしてはこっちのが興味あります)、個人情報も出しまくりだし、お面付とはいえ講演も行っているから声や体型はわかっているし、現在セブ島でお面なしで生活してらっしゃるそうなので、顔を知ってる人もたくさんいそうです。

ちきりんさんの今朝のツイート

FBリアルの友人から「今、ちきりんという人の本を読んでいるんだけど、あなたの考えにスゴク似ててびっくりしました。もしかして・・・?」っていうメッセージがきた。。。このパターンは初めて。やっぱり、あたしの思想って一環してるんだな。。。

をみても、ちきりんさんが昔から周囲の人に言っていることをブログに書いているので、ネット人格リアル人格乖離していることもなさそう。

となると、純粋に、本名を隠したいのだろうと思います。顔を隠すのも本名がばれないようにするためかと(merecoさんのように、顔出しOK名前NGの例もあり、それが継続できているのも人徳と周囲のネットリテラシーの高さゆえだと思います)。そりゃもちろん顔を出すことによるいらぬ誹謗中傷を避けるためだとも考えられますが(ネット上ではほぼすべての女性容姿へのディスを免れません)

では、なぜ本名を隠したいのか。

学生時代水商売にどっぷり浸かっていた時期があるようで、危ないこともあったのかなーアウトロー系作家ペンネームつけるのと一緒かな、とずっと思ってました(バブルへGO時代だし、戦前生まれのフィクサー()も健在だったでしょう)。

でも、一方で、ペンネームで、ネット上に限らずリアルでもすいすい活動できるなら、むしろ実名を出す意味の方が減少しているよねーと思うのです。フリーライターならともかく、別に文章書いて生活している方でもないのに。

むしろ、このご時世で実名だす意味とはなんなのか?すっかりわからなくなっただよ。

ってなわけで、ちきりんさんに限らずブロガーさんの本名とか顔とか素性とか、いわゆる正体的なものを知らなくてもいいなーと思う今日この頃。そりゃ推測するのは楽しいですけど。

そんじゃーね!


最後の一行が書きたかったのです!)

2009-09-23

脳が冴える15の習慣、脳を活性化する47の方法

先日、『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』という本を読んだ。

最近どうも頭が良く回っていないぞ」、というような感じがしている人は、脳トレ指回し体操なんかもいいけど、日々の生活の中に脳を活性化する方法を取り入れて習慣化すると良いようだ。

勉強においても、仕事においても、向上心の高い人にとって「脳がちゃんと回ってる状態を保つ」というのはとても大切なことだと思う。だからこれは生活習慣を見直してでも取り組むべき課題だと思う。

内容を簡単に書き出すと、次のような感じだ。

● 生活の原点をつくる―脳を活性化させる朝の過ごし方。足・手・口をよく動かそう。:散歩など軽い運動/部屋の片付け/料理ガーデニング挨拶+一言/音読10分程度。

集中力を高める―生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう。:仕事の区切り毎に時間制限を設ける。

睡眠の意義―夜は情報を蓄える時間睡眠中の「整理力」を利用しよう。:夜の勉強中途半端で止め、起きてから整理すると効果的。

● 脳の持続力を高める―家事こそ「脳トレ」。雑用を積極的にこなそう。:雑用は前頭葉の持久力を高めてくれる。

● 問題解決能力を高める―自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう。書類整理のルール、予定表などで脳が一度に扱う量を整理する。

● 思考の整理―忙しいときほど「机の片付け」を優先させよう。:物の整理は思考の整理に通じている。

● 注意力を高める―意識して目をよく動かそう。耳から情報を取ろう。:目で立体的な情報を捉えたり、耳だけで情報を吸収すると脳が活性化される。

記憶力を高める―「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう。:入力情報処理→出力。

● 話す力を高める―メモ写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう。:質問によって話しは長くさせることが出来る。

● 表現を豊かにする―「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう。:ありそうな質問を考えれば、話しを膨らませることが出来る。

● 脳を健康に保つ食事―脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう。:食事制限以前にまずは動くこと。そして消費する以上に摂取しないこと。

● 脳の健康診断―定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう。:MRPET検査を受ける。

● 脳の自己管理―「失敗ノート」を書こう。自分の批判者を大切にしよう。:小さな失敗、人から受けた注意を書き留める。

創造力を高める―ひらめきは「余計なこと」の中にある。活動をマルチにしよう。:アイディアを生み出すポイントは、誰のためになるのかを考えること、アイディアを組み合わせること、思い付きを書き出しながら考えること。

● 意欲を高める―人を好意的に評価しよう。時にはダメ自分を見せよう。:褒め上手な人は観察力が優れている。

番外編:高次脳機能ドックの検査―最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう。

これだけでも、かなりのヒントを得られると思う。

さて、そんなおり、

海外サイトを眺めていたら、「脳を活性化する47の方法 (47 Ways to Fine Tune Your Brain)」というのを見つけてしまった。

上記の「脳が冴える15の習慣」とかぶる部分も多々あるのだけど、それはどちらも脳の働きをしっかりと捉えている証拠ともいえるだろうし、同じ内容でも別の角度から見てみるとあらたな気付きがあるかもしれない。

いっぺんにやろうとせずに、

ひとつずつ、生活に取り入れられるところからやってみると良さそうっすね。

脳を活性化する47の方法

●一度にいろんな事をやろうとしない。無理だから。

 脳は一度にひとつの事にしかフォーカス出来ない。これは科学的にも実証された事実。単調な仕事は別として、集中力や、論理的思考、意思決定を要求するようなことに関しては、ひとつに集中するべきだ。

●身体だけじゃなく、脳エクササイズが必要。

 多くの人は、学生じゃなくなった瞬間に学ぶことをやめてしまう。外国語でも、新しいスキルでも、楽器でも、何でもいいから新しいものを学ぶことで脳は最適な状態を保てる。

世界は謎だらけだ。

 周りを良く見渡して、疑問を見つける。見たり、聞いたりするもの全てをそのまま受け入れないで、一度疑ってみるだけでも脳のエクササイズになる。それには、可能な限り自由な好奇心を持つことだ。

右脳左脳も使う。

 日常論理的、数学的な問題に対応することで左脳が働く。想像力を自由にすることで、右脳が働く。日々の自分の生活を振り返ってみれば、脳のどっち側を多く使っているかわかるはずだ。そして、使ってない方の脳も使うよう工夫してみる。

睡眠パターンを知る。

 睡眠は身体の疲れを回復するだけでなく、脳の疲れも回復する。自分は何時間寝たときが一番すっきりとした朝をむかえられるのか一度はっきりと調べてみると良い。

 また、睡眠に悩みがある人は仕事勉強の効率に必ず影響する。これを期に『「朝がつらい」がなくなる本―ぐっすり眠る、すっきり起きる習慣術。』などで自分睡眠改善してみるべきだ。

インプットするならまともな情報を。

 脳はノイズの少ない寝ている間に、昼間インプットした情報を振り返り、消化する。どうせ入れるならまともな情報を脳に与えよう。

学習量を増やすなら、歩きながらやる。

 動くことで血液の循環がよくなり、脳に酸素が行き渡る。歩きながら学習することで記憶力も増す。

 もう一度言うけど。

 エクササイズはたぶん脳の許容量を増加させる最も効果的な方法だと思う。避けて通ることは出来ない。

●人付き合いをする。

 人付き合いに積極的な人は年をとっても脳がシャープだ。

インターネットを利用して脳を活性化する。

 UCLA研究チームによると、インターネットで何かを検索しているとき、意思決定や複雑な理論を司る脳の中心部分が刺激を受けていることがわかった。

●ダークチョコを食べる。

 ダークチョコを食べるとドーパミン放出されることがわかっている。ドーパミン学習記憶を助ける物質だ。

●歌を覚える。

 好きな歌の歌詞を覚えるという作業は、聴覚記憶力を保つのにとても効果的だ。

●脳を刺激するような映画を視る。

 ミステリー映画のような、頭を自然と使う映画は脳を活性するのに役立つ。

テレビゲームをする。

 テレビゲーム認識力を高め、アルツハイマー防止に役立つことがわかっている。

利き手じゃないほうの手でいろいろやってみる。

 利き手ではない手を使うと脳のさまざまな部分を刺激できるし、とにかく楽しい

ストレスを緩和するには瞑想が良い。

 瞑想をしてストレスを緩和することの効果は多くの研究で認められている。ストレスを感じる度に脳細胞は失われてしまうからだ。

●笑う機会を増やす。

 声を上げて笑うと免疫機能を刺激してエンドルフィンという物質を刺激する。これは身体にとって良い物質だ。

ポジティブな思考。

 ポジティブな思考は脳を活発に保つ。反対にネガティブな思考は精神だけでなく免疫機能も低下させる。

感謝することを忘れない。

 感謝することで幸福感は劇的に高まりストレスレベルを下げるのに役立つので、脳にも身体にも良い。

セックス

 セックスは心肺機能を正常に保つのに役立つ。つまり、脳に酸素がまわって脳を健康に保つのに役立つということ。

●良い本を読む。

 どんな種類の本であれ、読書は脳を健康に保ち、活性するのに役立つ。老化の防止にもなる。

アルコールの量を減らす。

 適量のアルコールは実は脳に良い。ただし、度を越えると脳細胞の減少につながる。

仕事をする。

 多くの人は年を取ると仕事をやめリタイアする。しかし、パートタイムでもいいので仕事をしていると脳に良い刺激を与えられる。ボランティアワークでも同じ効果が期待でいる。

●最新の出来事、ニュースに注目する。

 脳を健康に保つには、新しい情報を与えるのが良い。ストレスを感じない程度に、ニュース番組などで最新の動向を追うこと。

音楽を聴く。

 通常聞くのとは違うジャンル音楽を聴くというのも、脳を活性化するひとつの良い方法だ。音楽ポジティブな感情を喚起する効果がある。

●踊る。

 ダンスで新しい振り付けを学ぶことは認知力、空間認識、社交性、運動能力を向上させる。これは身体にとっても精神にとっても良い影響を及ぼす。

キャッチボールをする。

 キャッチボール知覚、触覚、そしてこの2つを連携させる能力など、感覚神経の向上に役立つ。

●ちゃんと食べる。

 しっかりとした食事は、脳の細胞に良い刺激を与える。

●水をたくさん飲む。

 水分補給がしっかりしていると、細胞が適切に働いてくれる。

お茶を一杯飲む。

 冷たいのでも、熱いのでもよいので、お茶を飲む。お茶は脳に刺激を与えてくれる。

旅行をする。

 旅行視野を広げるのに役立つ。

●議論をする。

 友達や家族と友好的に議論を交わすことで、論理的思考や想像力を向上させることが出来る。

●ちょっと長めに寝る。

 通常より一時間多めに寝る、ということを時々すると脳が若返る。これは学習速度を速めるのに効果が高い。

●昼寝をする。

 10分程度の昼寝でも疲れやが取れたり、脳がすっきりしたりする。

テレビの音を下げる。

 テレビを多く見る人は、音を下げることで、聴力や集中力を高めることが出来る。

日常パターンを破る。

 毎日同じような行動パターンを持っている人は、時にはそのパターンを破ってみると良い。そうすることで脳の働きを活発に保てる。

●新しい言葉を覚える。

 新しいことを学ぶのは、それがどんなことであれ脳を健康に保つのに役立つ。新しい単語(言葉)をひとつ覚えると言うやり方は、もっともシンプルな方法だ。

●古い写真を見る。

 これは、記憶を蘇らせ、脳細胞間のつながりを強めるのに最良の方法だ。

●突拍子もないことをする。

 バンジージャンプや、スカイダイビングロッククライミングなど、普段絶対にしないような経験をすることで脳は活性化する。

●脳を鍛える。

 脳トレ現在盛んであるが、これはちゃんとした理由に裏打ちされているからだ。効果がちゃんとあるので、やらない手はない。

サプリメントを採る。

 オメガ3、葉酸ビタミンB12コエンザイムQ10、アセチルLカルチニンなどは老化防止に役立つといわれている。

集中力

 もっともシンプルな集中量を高めるエクササイズは座って、リラックスして、自分の呼吸に意識を集中すること。

●批判的思考を育てる。

 批判的思考とは、自分自分の周りの事柄に疑問をなげかけること、そして自分の見識の根拠を探すこと。

哲学する。

 人生に関する、大きな問いかけをしてみる。多くの場合、明確な解答を得るには至らないだろうが、これは脳にとって大きな刺激となる。

自己肯定する。

 自己肯定は自分の設定したゴールに集中するための最善の方法だ。肯定することでイマジネーションが喚起され、脳の様々な部分が刺激され、記憶力や想像力も高まる。

●思考の壁を破る。

 知識の枠のなかで考えている限り、思考の壁を突き破ることは難しそうだ。しかし、『論理性を取り払って考える』ということは可能だ。

●大声で歌う。

 歌うことは集中力を高めたり、ストレスを発散するのに役立つ。歌うことで、思考のような自分の内側で完結する活動から開放され、外側の活動(自分の声など)に集中でき、これが幸福感につながる。また、歌うことで記憶力も高まる。

http://monojin.com/47-ways-to-fine-tune-your-brain/

2008-07-06

別れ話がこじれた結果、「別に付き合う相手なんて誰でもいいんだからわざわざ君のような面倒な相手とつきあう必要はない」という趣旨捨て台詞を吐かれてふられたことがある。結婚の話も出た相手だった。その言葉に私は自分でもびっくりするくらい深く傷つき、立ち直るまでには1年半時間がかかった。一時は誰とでも寝るということをやってみようかと思ったくらいだった。どうしてそう思ったのかはよくわからないけど、そのときはそうすると納得できるんじゃないかと思えたのだ。余計な話になるが、私の両親はとんでもなく保守的な考え方をする人達で、私は「結婚するまで処女でいるように」と躾けられて育った。つまらない冗談のようだが本当のことだ。さすがに20歳を過ぎてそれを額面通り受け取ることはできなかったが、それでも全く無視はできないという程度の束縛感はあった。だから自分がそう考えたこと自体が結構な驚きだった。

面倒な相手という点については、まあそう言いたくなる気持ちもわからなくはなかった。取り立てて異論はない。「面倒だから別れたい」と言ってもらえれば私もすんなり納得していたと思う。問題は「誰でもいい」の一言だった。我ながらいくら何でもそこまでショックを受ける必要はないだろうと思ったが、駄目なものは何をどう頑張っても駄目だった。悲しくてまともにものを考えられなかった。

時間が経って落ち着いてから、私は相手に何を求めていたのだろうとよく考えた。そして相手は私に何を求めていたのだろうと。

小学生の頃よく読んだ「赤毛のアンシリーズに、何巻目だったかは忘れてしまったが、「人間は20歳くらいでその輪郭が決まってしまう」というような一文が出てくる。私はそれを真に受けて10代の数年間を過ごしたので、20歳くらいまでに何とか自分の方向性を確立しなければならないという強迫観念があった。そして20歳になる頃には本を読んでばかりいる生意気な理屈好きの小娘になった。ある時期からは手に取った本に書いてある映画を見て音楽を聴くようにもなった。村上春樹を読んでビーチ・ボーイズを聞きイオセリアーニアルトマンを見るようになった。アーヴィングからヴォネガットに手を出し古典を読むようになった。そのうちペーパーバックも読むようになった。新しいものを知るたび少しずつ世界が広がっていくように感じられ、すごく楽しかった。でもそういう楽しみを誰かと分かち合うことはなかった。私の属しているところではそういうのは何と言うか、知的な気取りの一種のように見なされていたからだ。私は1人で図書館にこもり1人でタワレコに通い1人で映画館に出かけた。両親は極端に人付き合いが悪い娘にひとしきり説教を垂れたが、私としてはそれに特段不自由を感じなかった。友達がいて知り合いがいて1人の時間がある、それのどこが問題なのかと思っていた。確かにそういうのは客観的に見てあまり魅力的な姿とは言いがたかっただろうが、私は毎日いろいろと必死で魅力などというものについてじっくりと思いを巡らす余裕はなかった。そんなことについて考える暇があるなら丸善まで出かけて本棚を物色する方が100倍楽しい。私は何かの答えをそれなりに必死になって探している最中で、魅力なんてものは後回しにしておけばいいと考えていた。

一方、というか当然というか、私は「若い女性」という自分の属性にどうしてもうまく馴染めなかった。若い女性であることをすごく窮屈に感じた。そしてその窮屈さをなかなか言葉に表すことができなかった。人並みにフェミニズム関連の本も読んだけど、それはどれも目の前のあまりにもベタ現実とはうまく切り結ばなかった。例えばがつがつと本を読む若い女性は私の周囲にはいなかった。有り金全部を使う勢いで映画を見る若い女性もいなかった。本当にものの見事に誰一人としていなかった(たぶん趣味に関して引きこもっていたせいだろう)。私の周囲では、一般的に若い女性はそういうことはあまり好まないものだという観念が割と根強くあった。そういうのは趣味として上品に嗜む程度に留めておくべきものであって、没頭するべきものではなかった。もちろん若い女性精神分析専門家だとか映画監督だとかいう人がいるのは知っている。統計の授業を担当なさった先生UCLA帰りで、とんでもなく優秀な上におよそ文化と名の付くものなら何にでも博識な女性だった。でも彼女たちは言ってみれば「私の履歴書」みたいなものだった。自分に特段優れた才能が備わっているわけではないことにはとっくに気づいていたので、それらはただ単に雲の上の出来事でしかなかった。たぶんそういうのは選ばれた若い女性だけに許された特権なのだ。それに特権を維持するのは見るからに大変そうだ。そう思っていた。私は自分の置かれた状況にはそれなりに満足していた。家族は私に呆れながらも基本的には好き勝手にさせてくれていたし、友達も私がよくわからない何かにかまけているからといって意地悪をするようなこともなく優しく放っておいてくれる。環境にはずいぶん恵まれたと思っていた。もし私が男の子だったらもっと堂々とできたのかもしれないが、男の子男の子でいろいろと大変そうだとも思った。ここから出て行きたいとは思わなかった。うまく言えないのだが、どこかにあるはずの理想の地を探すことではなく、今いる場で何とか居心地のいい状態を確保することの方が建設的な考えのように思えた。

そんな状態にもかかわらず、お付き合いする相手が現れることがあった。縁があったのは同級生や会社の先輩といった人達で、音楽映画の話がきっかけになることが多かった。好みが似ている人とは話がしやすい。自分が基本的に聞き手に回ることしかできないとしても、親しみのある世界の話ができることはとても嬉しかった。社会人になってからはなおさらそう感じるようになった。女の子同士がお茶だけで何時間でも話しまくるように、好きなことの話だけで1日中笑ったり驚いたり考え込んだりできるのは本当に楽しかった。でもそれと同時に、1人で楽しむことを選んだ領域に人を介在させるのは少し怖いことだと感じた。そこでは1人で過ごすことを選んだはずだ。そのルールを変えたりしてひどい目にあったりしないだろうか。でもひどい目ってどういうことを言うのだろうか。よくわからなかった。でも、はっきりと意識に上らないくらいぼんやりとした一瞬の感覚だったにもかかわらず、その嫌な感じはなかなか消えなかった。

相手との距離が近づいてしばらくすると、私はびくびくするようになった。付き合い始めて1年も経つと、仲良くなるきっかけだったはずの私の趣味嗜好のようなものが、次第に相手を苛立たせるようになってきたのがはっきりと感じられた。私が何の気なしに漏らす一言に相手がすごい剣幕で「普通女の子はそういうことは言わないものだ」と怒り始めることも珍しくなかった。その都度、私がどちらかというと普通じゃないことは私もあなたも承知しているはずだったと思いますが、あなたの言いたいことはたぶんそんなことじゃないんでしょうね、と思いながら黙って聞いた。自分でこんなことを言うのはばかみたいなのだが、私が縁あった男性は目立たないけれどしっかりしていて人の気持ちを察するのが上手な人達だった。どうしてそんなに人当たりがいいんだろうと思ってよく見てみると、誰と接するときでもフェアであることを優先させているのがわかった。女の人からの評判はよく(ただし決してモテるという訳ではない)、マッチョな男の人からは幾分軽んじられているふしがあった。そういう人をここまで怒らせるからにはたぶんこちらに非があるのだろう、と私は思った。だから相手を怒らせそうなことは片っ端から控えるようになった。でも、そうなるとそこにあるのはただの力関係だけだ。会話の内容が当たり障りのない世間話のようなものになり、映画館レコードショップを避けて出かけるようになり、そうして程なくして別れることになるのだった。

相手の年齢や社会的属性が違っても別れる理由は同じだった。ある時の別れ際に冒頭のことを言われた。私がショックだったのは、いつの間にか関係がすっかり塗り替わってしまっていたことだった。友達の延長みたいにして付き合い始めたつもりだったのに、それとはかけ離れた関係を作り上げていた。最終的に私は規格外の若い女性でしかなかった。更にショックだったのは、「誰でもいい」と言われて最大限に傷ついている自分だった。仲良しの友達に言われたとしても十分ショックなフレーズだとは思うが、私の受けたショックはそれだけでは説明がつかなかった。付き合っていた相手にだけはコンビニで飲み物を選ぶように私を選んだと言ってほしくはなかった。でもいつの間にかそうなっていた。相手が最終的に私に求めたのは女の子らしい女の子であることだった。それと呼応するようにいつからか私も、私が私であることの担保を相手に求めるようになっていた。いつの間にそれを求めるようになっていたのか、自分のことなのにまるで理解できなかった。付き合い始めた時の気持ちははっきりと思い出せるのに、その時は担保なんて関係なく楽しいことや嬉しいことはその意味意識する必要もなくシンプルにそれだけだったはずなのに、見た映画に興奮して渋谷から千駄ヶ谷まで意味なく歩いてしまった私は相手に会うとうまく口がきけなくなっていた私とまるで矛盾なく同じ私だったはずなのに、それらがきれいさっぱり失われてしまっていることがうまく飲み込めなかった。でも、お互いに求めるものがそれだけになった時点でそこにはもう役割だけしか残っていない。確かにそうなってしまえばいくらでも代わりはいるのだ。お互い相手にその望むものを差し出す余地がないのは嫌になるくらいよくわかっていた。何だか騙されてたちの悪い契約を結んでしまったような気分だった。でもそれに荷担したのは他ならぬ自分だったのだ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん