はてなキーワード: JPGとは
誰か相談に乗ってください。
どうしたらいいですか?
20000円で受けると言われたので、20000円のつもりでいました。
翌々日に会議があったので翌日までに終わらせてほしいと言いました。
私に分からないことを聞いてくるんです。
デザイナーが自分で聞きますと社長に話しかけてくれたんですが、
デザイナーは朝までがんばったけど返事は得られなかったと言っていて...
その日の午前中委員会があったので、
はがきの裏面も何か載せようということになり、
その日の夜になって、確認役の社長がアメリカですから寝てしまって、
確認と変更指示は22時過ぎに社長が起きるので待っていてと言ったら、
デザイナーがこれ以上は変更代をもらうとキレてきました。
と思って作業していたのに、
必要なデータは何も揃ってないし、追加はあるし、変更はあるし、
当日の17時過ぎになっても内容が確定してないって
どういうことですか?」
って言われたんですが、
それにうちはNPOでみんなボランティアでやってくれているのに、
キャンセルしますと言ったら作業した分はもらうとひどいことを言われました。
「これで前に言ってた安い印刷所に回してください。印刷代は払います。」
と言ったら
「これはフォトショップデータで作ったjpgなのでうちではできません。
印刷するって言ってたのにひどくないですか?話が違う!!
キャンセルしたのにお金取ろうとしてくるなんてひどいと思います、
どうしたらいいんでしょうか?
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
パートのシフト減って家にいることが多くなったおかん、最近の趣味はアニメ鑑賞とイラスト。
毎期新アニメまとめサイトで見るアニメ吟味して暇な時間はスマホで野菜と動物の絵を描いてる。
描いた絵はSUZURIってとこでグッズにして売ってるらしくて、自分でつくったトートバッグを買ってリビングに飾ってた。
jpgとpngの使い分けもできてないから毎回背景の白を消しゴムで消している。
そんなおかんが眩しくて羨ましい。
おかんのすごいところ
②毎日コツコツ仕上げる
③閲覧数などの数字を気にしない
これ、めちゃくちゃすごくないか?!
対して自分はどうだろうか、
①1週間に1枚くらい落書きを描くだけ
②カラーが苦手だから同人誌の表紙くらいしかまともにカラー絵を描かない
③頑張って描いた自カプの絵が30いいねでカプ移動した神絵師が気まぐれに描いた自カプの絵が4000いいねだったときにめちゃくちゃ落ち込んだ(30いいねでもいつもより10倍評価されている)
見たらわかる、ここ3ヶ月自分は絵を描くことにモチベーションがまるで無かった。
故におかんを見るたびに心にくる
社会人になってもお絵かきはやめないんだろ?自カプを布教するんだろ?
とりあえず、自カプのカラー絵を1か月で描くことにする。
魔なる者を討つため
授かった少女たち。
全身を覆う衣は神聖殻と呼ばれ、
神を信じぬものには
傷一つ付けることができない。
恋塚空乃(16)メゾ・エレミエール
B85:W56:H88
天使エレミアと
魂の波長が一致したことで
芯の強さも併せ持つ。
事で他の天使に選別された
積極性を身に着けてゆく。
2枚目 https://pbs.twimg.com/media/DkohKYoU4AEcThI?format=jpg&name=medium
https://twitter.com/patrietta/status/1029673037786886144
1枚目 https://anond.hatelabo.jp/20180818182012 の続き
3枚目 https://pbs.twimg.com/media/DkohLUpVAAAyCz3?format=jpg&name=medium
・罪行天雌(フォウル=アンジェ)
”人としての部分”を支配され、
擬似的に堕天した代行天使。
装束にも似た衣『堕性核』を身に纏う。
原因であり、相手が男であれば
極上の蜜壺をもって交わい、
女であれば堕天王の現身を
もともと神の陣営であったが故に
神聖殻のかごを無力化して
全ての代行天使の天敵にして
宿敵と呼べる存在。
代行天使たちが授かった”使命”とは、
すなわち彼を倒すことである。
pbs.twimg.com/media/DkohLvkVAAAQTcW?format=jpg&name=medium
者は他の邪行天雌と一線を画す力を有する。
信じがたいほどのデモニウムを含んだ
濃精を獲物の体内や直腸内に排泄する。
また、男根部位に展開された”禍輪”は
淫塚空乃(16)フォウル・エレミエヴィル
B102:W57:H91
彼の手により直接寵愛を受けた一人目の
罪行天雌。
異性だけでなく同性すら魅了する淫魔族
さながらの肉体に作り替えられ、更には
その実力は最高階位の代行天使たちにも
引けを取らないほどに。
見ておらず、正体を隠しながら虎視眈々と
罠に嵌める機会を伺っている。
エロゲが当時は他に類を見ないコンテンツだったからだとしか。萌えが誕生した頃、全年齢向けのコンテンツも当然あったが、それがえっちになるのなんてそう時間はかからなかった。なにせえっちな絵でえっちなことができる、しかもえっちな音声付きでゲームってなると当然オタクは絶頂興奮するし、それが売れるとなると技術もコンテンツもエロゲを通して爆速成長するってもんよ。昔は今みたいにインスタントに見れるエロ動画とかないし。PornHubとかないしな。2chでエロ絵をうぽつしてもらってダウソしてjpgが上からカクカク順番に表示されるのをワッフルワッフルするような時代だったし。エロゲが時代の最先端を走ってたといっても過言ではなかった。P2Pで割れ厨がただでPCゲームできたってのも一役買ってたかもしれん。
学校のオタク仲間の口コミで「あのエロゲはいいぞ」って情報を共有しあって、プレイするんだよ。げんしけん初期の空気がそこにはあったんだよ。先輩のエロゲを借りて、Windows98にインスコしてプレイするんだ。家族共有のPCだから当然自分のユーザアカウントにインスコするんだけど、間違えて全ユーザアクセスでインスコしちゃった日には、新しく追加されたスタートメニューのえっちな女の子のアイコンに惹かれて弟もエロゲに目覚めたってもんよ。そうやってオタクからオタクへ、兄から弟へエロゲスピリッツがねずみ算式に継承されて、気づいたときにはクールジャパンよ。
P2Pファイル交換ソフトWinnyを経由して感染するWORM_ANTINNY.Aやその亜種が生成するファイルに含まれていたJPGファイルに写っている男。ファイルサイズが9152バイトだった為、「9152バイトの男」と呼ばれる事が多い。男の素性は全く知られていない。
※参考情報
WORM_ANTINNY.A(発見日:2003/08/13)
155×144ピクセル(恐らく2002年前後当時のQCIF液晶を使った携帯電話用の待ち受け画像と思われる)、8ビットカラー。2002年10月19日発売のTu-Ka TT22(東芝)だとビッタリ。
ユニクロのフリース(赤色)の様な物を着ている(1998年発売、1999年前後に爆発的にブームが起こった)。
リュックサックを背負っている(2004年頃までは秋葉原のオタクの必須アイテムであった)。
細い金属フレームのメガネをかけている。比較的厚いレンズの様に見える。
「Love Beer ?」キャンペーン(サッポロビール、黒ラベル。2000年~2005年)ののぼりが写り込んでいる
光の写り込み具合から、夜間に、かなり明るい照明のある店舗(飲食店)の前での撮影と思われる。
幅の比較的細い道(6メータ程度)の、街路樹のある歩道で撮影されている様だ。
写り込んでいる人物の服装から、それ程寒く無い時期(春とか秋頃)の撮影と思われる。
以上の特徴から、ウイルス作成の直近(2003年4月頃?)に、ウイルス作成者に近い人物(またはウイルス作成者本人)を撮影した物と思われる。
前提として
カメラは道具でしかなくて、目的に応じて適したものとそうでないものがある。
カメラだけでなく、レンズもカメラバッグも三脚も道具で(カメラバッグはそうではないかもしれないけど)、どれも帯に短したすきに長しで万能なものはない。
それでは先に進めないので、なんらかの着地点が欲しい。
そこで、スマホではなくカメラを購入する目的として次の3つを考えた。
出来るだけ高価なカメラを使うほうが効果的。ただし宗教戦争に巻き込まれるので、巻き込まれにくいライカかフジの中判がおすすめ。
ライカはレンズでマウントを取ろうとする人もいるけれど、金持ち喧嘩せずの精神で乗り越えられるはず。
高価なカメラでなくても、写真で評価を得ることが出来ればカメラおじさんは湧いて来ないから安いものでも問題ない。
写真に自信が持てなくても堂々とアップしていれば、いずれカメラおじさんは別のターゲットを見つけて消えるのでそれまで耐えて欲しい。
オンデマンドの写真集を作ったり、写真展をしたり。そこまでいかなくても紙のプリントでアルバムを作って残したいという方も多少はいると思う。
パナソニックはJPGの出来が素晴らしく、特にプリントした時にその良さを実感出来る。A3までならマイクロフォーサーズで問題ない。
カメラおじさんのほぼ全てはプリントを作らないのでその辺を知らない。もしバカにさらたらパナソニックはプリントが綺麗だから使っている、と言えば反論の足がかりも持っていないので去るだろう。
カメラおじさんは自分が撮る写真に自信がなくメーカーなどに固執しているように思えるので、それに取り込まれないようにカメラではなく撮りたい写真に目を向けるべき。