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はてなキーワード: ICQとは

2016-05-15

メッセンジャーの向こう側

NHKスペシャル人工知能(主にディープラーニング)の後半で、AIによって会話するメッセンジャー利用者の反応を見て、90年代後半に流行ったICQにハマっていた時期のことを思い出した。

テレホーダイネット接続Webチャットで知り合った人と30分〜1時間くらいネットサーフィンしながらICQで会話して寝るような生活フリーターしながら資格試験勉強してたなあ。

会話相手のうちのひとりに、実際に会ったこともないのに恋心を抱いていた。他愛のない会話に混じって悩みを聞いてくれた人だった。

メッセンジャーの向こう側に彼女がいる…勝手にそう思っていた時期だった。実際にはリアル彼氏がいたらしいけどね。

その人と話したことを思い出すと、テレビに出ていた内向きな青年の反応が、少しだけ理解出来たよう気がする。

2015-02-11

固定電話ポケベル携帯ネットスマホ

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

私は今30代。小学生中学生高校ときは、固定電話通信手段だった。

小学生のころは「クラス連絡網」という電話番号が印刷された紙の一覧を配られていた。台風とか忘れ物とかの時はそれで連絡が来る。もしくは電話帳で調べる。電話帳で住所と苗字でそれっぽいのを探して、適当電話する。珍しい苗字だと間違えはないけど同じ苗字の人が多いとか人が多いともう解らん。かけ間違いを謝りながら電話をかけまくる羽目になった。ちゃんと聞いておくのが一番いい。

クラス友達と「今度の土日、お祭りに行こう」と約束した時は、電話で連絡を取り合って、待ち合わせ場所時間を決めて、落ち合って遊びにいった。「もしもし、わたくし○○小学校の○○といいます。○○さんおられますか?」とご家族に言う。ここできちんとした話し方をすると大体お母様やおばあちゃまが優しい。会えない時、遅刻した時はすごくたいへんだった。喧嘩になる。

小学校卒業するときは、クラス女の子がよくわかんないファンシーな紙に個人情報を書いてくれとか言って持ってきたりしていた。アレって一体なんなんだろう?

中学生になると、クラスに加えて部活友達の番号を聞いた。そして連絡を取る。電話番号はきちんと書いてきちんと残していた。今はもう考えられない面倒くささだ。

高校生になったときは、ポケベルが普及し始めたころだった。「ポケベルがならなくて」とかドラマをやってたころかな?私はドラマをみないので良く知らない。ポケベルって言うのは、電話数字の羅列をポチポチ送ると、カタカナが数文字送れる、ってやつ。「バイト イク」とかが送れる。数字暗記してた人もいたと思う。田舎住まいだったので持ってる人は少なかった。画期的通信手段だったとおもう。

固定電話長電話することが増えた。長電話していると、家族が怒り出す。当然だ。当時ウゼーと思ってたけど今思うとすごい迷惑だった。電話代が跳ね上がってよく怒られた。反省していますオタクの知り合いはFAXで絵を送りあっていたようだ。

当時は友人が家によく来てて夜の十時くらいまでよく家に居た。通信手段が限られているけど、何か話したいとかそういうときは実際一緒にいるしかないってことなんだとおもう。

大学生になって一人暮らしをするにあたって「固定電話契約するよりは携帯電話を持ったほうがいいでしょう」と親に言われ、携帯電話を持つことになった。通信代金は親もちだった。今のガラケーと違って四角くて長くて重かった。アンテナが付いていて伸ばしたり出来た。通話できないところをアンテナが立たない、と言っていた。一年二年後には大学の友人も全て携帯電話を持つようになっていた。待ち合わせが楽だったり、どこにいるの?とか聞きやすかったりでやはりすごく便利だからだ。ただ、通話料金が高くて長電話などはしないようにしていた。メールも使えるようになって便利になった。文字数制限がかなりあって、短い文しか送れなかったけど。私は電話があまり好きでなく、メールで連絡を取るほうが好きでそっちばかりだった。今でもそうだ。着信音が当時はファミコンみたいな電子音だった。自分で打ち込んだりして作る。ほんとうです。

携帯電話には時々全然知らない人から電話メールがきて、友達になろう!とか突然言う人がいた。私は怖いのでそんな人にあったりはしなかったけど「メル友」というのができたりすることも有ったらしい。

大学パソコンを使うようになってからパソコンと、パソコン回線を、自分バイトなどでお金を貯めて使うようになった。そのころICQチャットツール)と言うのが流行り始め、夜はそれでチャットをしたり、チャットルームにはいって知り合いや知らない人と会話をしたりしていた。ネットゲームは知り合いがしていたのでしていた。ICQは突如日本以外の居住の人に話しかけられることが多かった。ノルウェーオタクの人と定期的に喋っていた。

これらインターネット自分にとっては画期的だった。遠くの人と知り合いになれるというのは本当にすごいことだと今でも思う。小中高と、顔を知っていて電話番号を知っている人としか話して関わることしかできなかった。

言うなれば、距離が近いだけで、自分が本当にコミュニケーションをとりたい相手かどうか、解らなかった。でもたくさんの人とコミュニケーションを取れるということは、相手への選択肢が増える。マイナー趣味が共有できたり、同じ悩みの人を探して相談したり。

また情報インターネット上においておくこともできる。他人時間がずれていてもコミュニケーションが取れる。また、1対1でなく、多数の人にコミュニケーションがとれる。これも画期的だと自分は思っている。今は当たり前になっているけど、これはすごく素敵なことだと思う。(面倒ごとも多いけど)

それからしばらく間が開いて、Android OSを搭載した端末を買った。携帯電話メニューって言うのがどうも嫌いだったので。アプリを入れるようになってガジェットを使うようになって、ああ便利になったなあとしみじみ思う。初めてのスマホはまだ動くので大事にとってある。

長々と書いてしまった。どうもありがとう

2014-10-28

別・本当にあったやるせない話「BUMP OF CHICKENって知ってる?」

とある男とは、また別の男の話。

90年代後半。男はギターロックが好きだった。ちょっとポップな、弾ける感じのギターロック

日々ラジオロキノンを漁って、素敵な音楽を探していた。

ある日、小さなレコードショップ試聴機で聞いた歌声歌詞に感銘を受けた。

「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と思った。

BUMP OF CHICKEN

ハイラインレコーズか、さすがだな!

いたことの無いバンドだ。また、こんなバンド出会えた!

アルバムを買った。ランプ、ガラスのブルース、K、続・くだらない唄、アルエやばいやばいやばい

ライブがあるとのことで、十三ファンタンゴに駆けつけた。泣いた。笑った。叫んだ。泣いた。

十三ファンタンゴもいいライブハウスだけど、もうちょっと大きなところでやりたい。クワトロは大きすぎるけど」

そんなボーカル藤原MCに、会場の男たちは「クワトロでも狭いわ! ゼップクラス以上やろ!」と笑った。

ライブから帰ってすぐ、その感動を自分ホームページにしたたるためにホームページビルダーを立ち上げた。

BUMP OF CHICKEN公式サイトにあるBBSにも「ライブ良かったです! 感想をまとめたので良かったら読んでください」と、男のホームページURLを貼った。

翌日、カウンターCGIが壊れたのかと思ったぐらい回転した。

今まで誰も書き込んでくれなかった男のBBSに、知らない人から「良かったです」「ライブ、行きたかった」「東京も良かったですよ」と100人以上の人が書き込んでくれた。

泣いた。バンプ好きな人がたくさんいると、嬉しくて泣いた。

でもこのバンドはいつかメジャーになって変わってしまうんだろう、と確信めいた感覚があった。

それからと言うもの、男は会う人会う人にバンプを勧めた。変わってしまう前に。

最近良いバンド見つけたんだよ!」

「ふーん。インディーズなの」

「この曲「ランプ」って言うんだけど、最高なんだよ!」

「へー、今度聴いてみるわ」

「今から送るよ!」

ダイヤルアップ接続の遅いスピードで、ICQを使って送った。数分の曲を送るのに2時間近くかかった。勿論、歌詞も一緒にテキストにまとめて送った。

「これ、いいね! すごい元気になれる!」

「あー、若い時に聴きたかった。今の僕はナイフに代わる自信を仕事で手に入れたよ。でも、いい歌だね」

みんな、喜んでくれた。

男は嬉しくて、でも「ランプ」だけを送りプロモーション活動を続けた。無料で配るのは気が引けるから、この1曲だけ。本当に気に入ってくれたら、きっとアルバムを買ってくれるはずだと。

こんなにも良い音楽なんだもん、本当に多くの人に届く! 嬉しい!

どこか勝手な使命感にかられてたのかもしれない。自分ごとのように必死だった。自分のことじゃないのに。

ある時。

転機は急に訪れた。

「見えないものを見ようとして」

大好きな歌声で、なんだか、ちょっと違和感を感じる、乗り切れないメロディが飛び込んできた。

メジャーデビューが決まったと聞いた時、すごい不安だった。変わってしまうと思ったから。

ボーカル藤原だけじゃなくメンバー全員が「俺ら、変わらないから」そう何度も言ってたけど、そんなの無理だって分かってた。

モテない、女心も分かってない童貞全開な歌詞。いつも通りのバンプなのに……。

天体観測

さながら打ち上がったロケットが、大気圏突破して宇宙(そら)に消えて行くようだった。

中途半端なヒットで、それでもバンドの知名度を押し上げた。

男は黙り込んだ。

これで、もうバンプの話ができなくなるかもしれない。

この前までバンプのことを完全スルーしてた人たちも、男と同じように自分ごとのように喜ぶんだろう。「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と。

それは、もう男にとっての「僕のバンド」ではなくなっているだろうけど。

ほどなくして、そんな知人に会う機会があった。

その日は珍しく知人のほうからこう切り出してきた。

最近良いバンド見つけたんだよ」

「おっ、そうなん?」

BUMP OF CHICKENって知ってる?」

(終)

元ネタ本当にあったやるせない話「BUMP OF CHICKENって知ってる?」

http://rhal.hatenablog.com/entry/2014/10/27/223050

2014-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20141014085011

客のシフト表でもバーに(勝手に)置いて、客が各自勝手に書き込めば?


あるいはいつも気が合う客とLINE IDでもTwitterアカウントでもICQ No#でも交換して連絡しあって

この日とか行くよーとか連絡取り合えばいいじょん。


どんどん動けよ

2014-04-11

極黒のブリュンヒルデというアニメが超恥ずかしい

ヒロイン無線機を使うたびに「CQCQ」というのが超恥ずかしい。

CQってのはアマチュア無線で見知らぬ誰かに交信を呼びかける符丁で

ICQと同じようにSeek Youから転じた言葉だ。

ヒロインが味方と連絡するたびにそれを言うのは意味をなさない。

その他にツッコミどころがたくさんあるのだが、それらが霞むほど自分の中では通信シーンが恥ずかしい。

2013-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20131208152041

>俺の場合固定電話IRCあとは昔はICQと今はSkypeで連絡が完結しちゃってて

俺と同じパターンっぽい。

家兼職場固定電話、業務用グループIRCメール、昔はICQMSN、今はSkypeTwitterですね。

最近時間外にいることがおおくなったのと、外にいるときに(wifi圏外で)SkypeTwitterしたい地図見たい+Spotifyサービスがそろそろ日本で始まりそうだし始まったら外でてる時こそ使いたい+GPSロガー欲しい、といった要求が以前からあって、直接の決心のきっかけは国内SIMフリーiPhoneでたこと。

2012-05-25

今日までそして明日から

日本ネット社会に古き良き時代を取り戻すべく、立ち上がった闇の組織

彼らは、インターネット上に、23から8時までしか接続できない、全く新しいネットワークを構築した。

 

そのネットワーク接続するためには、PCネットワークに対して、今のインターネットにするよりも、基礎的に高い知識とスキル必要とした。

自動的に接続をしてくれるソフトなどは存在せず、全てを自分の勘と経験と知識に基づいてログインする必要があったが、その能力さえあれば誰でも接続はできた。

必然的に最近ネットを始めたようなライトユーザーはそのネットワーク接続することを許されず、ネットワーク上に集うのは、昔からの、何でも自己構築が原則のヘビーユーザーばかりだった。

 

そのネットワーク上に集まったヘビーユーザーたちは、その世界に驚喜した。

そこにはテキストサイトがあった。どうでもいい個人のホームページがあって、日記があって、掲示板があって、リンクの冒険(爆)があった。

ちょっと裏通りに行けばあゆ板があった。一生使う必要もなさそうなアプリにみんなが食いついて「いただきますうp感謝です」と心にもない言葉を残していた。

5分ほどの動画音楽を手に入れるためには1時間や2時間転送速度を軽く要した。不自由の中で、彼らは取捨選択に迫られながらも顔は苦痛ではなく、楽しみに溢れていた。

匿名掲示板殺伐としながらもマターリとしていた。政治家はどこの党のどんな派閥の奴であろうと、ネタしか無かった。

ナンセンス反社会的ジョークやイタズラが、非難されずに賞賛されていた(面白ければ)。

ただの盗撮社会的地位を失ったタレントは、みんなにさらに叩き潰されるどころか、逆に神と崇められアメリカ雑誌の表紙にまで推薦されていた。

糞つまらない正義正論を叫ぶ奴はただ黙殺されるのみだった。シラネーヨみたいなAAが1つ返ってくるのが関の山だった。

誰かと繋がりたい時はICQを使った。数百数千のフォロワーとではなく、数名の友人と来る日も来る日も夜通し、同じような話題で盛り上がっていた。

 

その様子を伝え聞き、ライトユーザーたちは逆に驚愕した。不自由と不便と無秩序しかないように感じられた。何が楽しいのかひとつも理解できなかった。

しかし、日ごとにヘビーユーザーたちは噂を聞きつけてはその世界へ旅立ち、ついにインターネット上にヘビーユーザーはどこにも存在しなくなった。

 

今、インターネット未来を取り戻すため、若いユーザーたちが立ち上がる。

 

 

って映画、ヒットすると思いませんか?タイトルは「オトナネット帝国の逆襲」ってのがいいかなって思ってるんですけど。

2010-06-25

とあるヒキオタ不登校児の半生

http://anond.hatelabo.jp/20100624140030

意外となんとかなるよ、と自分の事だけで見て、楽観的な事言ってみる。

中学から不登校ひきこもりだったけど、なんだか普通に大学行って、普通に就職したよ。

特に何もしなくても良いんだと思う。みんな言ってるように不登校になるのに理由なんて無いし、だからただ普通にしてれば良いと思うよ。

今時不登校引きこもりなんて珍しくもないし、狼狽えずにちゃんと「親」をしてくれれば良いと思う。

有効な手とか大抵幻想だから、ただ、「親」をしてくれ。「親」で居てくれ。

なんてことを思いながら読んでたら、自分の半生をちょっと書いてみたくなった。

僕も昔、同じく意味もなく中学から不登校になった。

別に中学がそんなに過剰に嫌だったわけじゃない。クラスに友人は一杯居たし、勉強トップクラスとは言わないまでもある程度は出来る方だった。

部活にも一応ながら入っていた(不真面目だったけど)し、友人と遊んでゲームして、普通中学生だったと思う。

ちょっと本を読むのが好きで、インテリぶって知識を持ったつもりになってるだけの、ただのガキだった。

で、なんだかある日、さらっとなんとなく面倒になった。多少の仮病気味でも休ませてくれた親の甘さも有ったと思う。

一週間程仮病で休んで、その後親に「学校に行く意味が分からないから行かない」って宣言して引きこもった。

全然そんな事はない。学校に行くのが面倒で、ただ単にネットチャットでもしたりネットサーフィンしながら引きこもったり、家でゲームしてるほうが幸せだっただけだ。

よく親も許したとは思う。全く甘い親だった。

バラ色のひきこもり生活はとても単純だった。

昼に起きて、ご飯を適当に作って食べる。たいていチャーハンとかインスタントラーメンカレー

で、PC前かTVの前。ネットサーフィンチャットICQ(当時はメッセンジャーなんて無かった!)、IRCでダラダラと過ごし、FFDQをやったりとか、ヨッシーアイランドをALL100点にしてみたりとか。

ダラダラとネットでいろんな人としゃべってたんだけど、当時のネットなんてオタクの集まりみたいなもんで、話してるうちに僕も勝手にどんどんオタクになっていった。萌えとか言ってた。

いわゆるオタクだった僕の外出は、週に1~2回程度本屋アニメイトに行ったりする程度だった。

漫画新刊とラノベカバー無かったんだぜ、うちの近くのアニメイトお金なんか当然無いわけで、ひたすら立ち読みで済ませた。

本を読むのは大好きだったな。家にある親の本とかも含めて凄い勢いで読んでた。

親は教師だったりしたんだけど、ひきこもりだす前から教育書とか読んでた。

朝4時、5時くらいになったらそろそろ眠くなってくる。布団に入って適当に寝てしまう。

深夜ネットやってる廃人組もこのくらいにはみんな居なくなるから、ちょうどよかった。

ただまぁ、さすがに勉強はしないと親はお金はくれなかった。

っても学校行ってないから何するでもないわけで。

一応中学の間は進研ゼミを取ってたんで、中学の終わり頃に進研ゼミを全部やれって言われた。

当然の放置状態だったんだけど、適当に本体やって、赤ペン先生テスト出せば親がお小遣いくれたから、むしろ喜んでやった。

テストについてくるシール特典で図書カード貰った。ウハウハ。

高校なんて普通の高校に行けるはずもなかった。通信制の高校に行った。

テストを受けたかも定かではないけど、とりあえず希望すれば確実に入学は出来た。

週一回だけ学校に行って、とても簡単な課題だけこなしてれば一応高校卒業ってことになる。

特に何かしたいわけでもない僕は、まぁ一応親のススメ通りそこに入学した。

単位制で出席回数とかのラインもがっちり引かれてたから、コントロールするのは簡単だった。

当然単位が取れるギリギリ分しか授業には出なかった。当たり前。

学校自体が楽だったのもあるけど、何より一応は勉強してるっていう体裁だから、親がお小遣いくれるのが嬉しかったな。本当にクズ

相変わらず学校行く日以外は昼過ぎに起きてたし、学校も行ったらとりあえず寝てるか本読んでるかだったし、家事とかしてるわけでも無かったし、ただのクズ以外の何者でも無かったと思う。

高校卒業した後はどうしようかなーって思った時に、大学生の人が「大学人生夏休み!」って言ってたのをよく知っていた僕は、まぁ堂々とモラトリアム期間延長出来るなら大学行くかーって思った。

大学は行くよ」って言ったら親が喜んで参考書代出してくれたしな。

受験勉強はしたよ、三年の夏からな。当時五教科平均偏差値38。必死に、そう必死に毎日2時間勉強をしたよ。ゲームは毎日8時間してたけど。残りの時間ネット

勉強用の部屋が何故かTVゲームが有る部屋だったから、親が来たらすぐにTV消して勉強してたフリするんだよな。妹が来ても全然気にせずゲーム継続受験勉強で、家族足音を聞き分ける能力が一番ついたと思う。

大学受験目標なんて無かったし、別に浪人しても良いかと思いながら勉強してたから、受験のときも適当にその時の学力に合わせて受けた。

なんか適当に一応入っても良いくらいの大学に受かったから大学入ったよ。所詮ニッコマレベルだけどな。

大学一人暮らし初めてサークル入って。中高の青春を取り戻す!ってわけじゃないけど、すごく一般的な大学生活してた。

サークルしてバイトして、単位は友達の手を借りてギリギリ突破して。

サークルとか、なんていうかオールラウンドみたいなところじゃなければ、ちょっとオタクでも十分に受け入れて貰えるよ。楽しめるよ。男女比半々とかだと出会い(笑)とかもあるよ。

ああ、授業は全然出てなかったよ。相変わらず昼起き、夕方起きが当たり前だった。

大学行っても授業出ないでサークルメンバーとダラダラしてるだけとか基本だった。

ネットチャットとかに入り浸ってるのも全然変わってない。

家に居る間は常にPCの前か、ゲームしてるか、布団の中で本読んでるかだった。

それでもなんだか遊び足りなくて、親に「一年遊ぶわ!」って言って、学費生活費自分で払いながら単位ほとんど残ってない5年生とかやったりしてた。

だって就職とか面倒じゃん。働きたく無いじゃん。引きこもりたいじゃん。

で、5年生になる直前に「うーん面倒だけど新卒就活出来るのも今だけだよなー」と思って就活ってのをやってみた。

これがまた割と面白いんだ。勿論面倒で、家の外にも出なきゃいけなくて、履歴書手書きとかただダルくて、嫌な事も多いんだけど、なんだか面白かった。

ああ、親に「就活忙しくて金が無い」って言ったらお金くれたのも大きい。本当にクズ

薄っぺらな誇張にも騙されてくれたりとか。いや勿論向こうもある程度は割り切ってるんだろうけど。

就活中にいろんな人と知り合うのも面白い女の子メール送ってデート出来たりとか無視されたりとか。

スタートしたのが5年生の4月内定4月終わりにとりあえず1つめ貰った。っていうかそれまでの過程でいくつかの会社並行して受けてたけど、この時点で何処の選考もつまずいてなかった。

別にどこかの会社に入りたいなんて思ってなかったから適当2chとかの評判含めて見て受けていったし、内定貰っても保留して放置してた。

さすがにその後はいくつか落ちたりもしたけど、5月終わりの時点でとりあえず内定4つ貰って、そのうちから1つ選んだ。一応「とーしょーいちぶじょーじょー」って奴らしい。全然知らないし、調べずに受けてたけど。笑い話でよくある「全部上場するのはいつですか?」って実は就活初めて最初は思ってたよ。

一応選んだけど夏選考とかも受けてみた。さすがに全然受かる感じでは無かった。そりゃそーか。

就活終えて、さて就職どうしようかなーって考えた。

正直言って働きたく無いんだけど、全然働きたく無いんだけど、いまんとこ他に方法考えつかない。

じゃあとりあえず、「働かなくて良い状態」を目指す間だけでも就職してみるかーって思った。

目標だとか野望なんて無い。とりあえず。

で、今就職して二年目。

適当仕事しながら、あんまり残業しないでオタクな事にお金かけて、適当貯金してる。

「働かなくて良い状態」になりたいなーとは思うけど、いまんとこ何もしてない。

何かしないとなーとは思ってるけど、なんだか思いながら何もせずダラダラ働いていくのかもなーとも思ってる。宝くじで3億円くらいあたらねーかなー。宝くじ買ってないけど。そんな感じ。

結局根本のところは変わってなくて、ネットにつながったPCの前に居れば時間はいくらでも潰せるし、幸せ。あとはたまにゲームやったりとか。

ぐうたらなのも変わってなくて、眠くて面倒だと午前半休取って昼まで寝たりとか。

平日も帰ったらネットしてアニメ見て本読んでゲームして、あとはちょっとはお金あるから、お酒飲んだり美味しい物食べたりだね。たまに同僚と飲みに行ったり遊びに行ったりして。

ま、普通の「社会人」って奴なんだろうと思う。「社会人」とか全然定義もよく分からんけどね。

そんな感じで色々過ごして来ての結論だけど、中学生時代のキツさって相当だよ。

普通に大学生してる方が楽だよ。普通に働いてる方が楽だよ。

みんながみんなそう思うとは限らないけど、ある程度そういう人が居るはずだよ。

いやまぁ、社会的な状態に最初に晒されたからとか、思春期だからとか、集団行動を習う時期だとか色々理由はあると思うんだけど、はっきり言って僕にとっては、会社仕事してる状態とか、大学生とかよりよっぽど中学生の方が大変だった。

教師が「これから社会でもっと大変な事が一杯有る」なんて言うけど、そりゃーそう感じる人も居るんだろうけどそうじゃない人も割と居るだろって話。

社会人ナメるな。」?「社会にでたらもっと大変な事、理不尽な事が一杯有る。」?

アホか。社会人こそ中学生ナメんな。中学生には大変な事、理不尽な事が一杯有るぞ。

どんだけ偉いんだよ社会人。あんたも僕もただの人だろ。変わんねーよ。社会って何処だよ。そんなもんねーよ。

でまぁ、だからこそ、学校行かないぐうたらな子でも、とりあえず親は「親」で居てほしいなー。

僕がまっとうな(本当にそうかは怪しいけど)道に進めたのはそりゃ親がちゃんと最後まで「親」でいてくれたからだと思うし。

僕もそりゃ「これで良いのか」なんて悩んだりもしたけど、悩むだけで結局刹那的快楽に負けて、ネットしたりゲームしてるんだよね。

うちの親も不登校時代や引きこもり高校生時代はかなりドキドキだったらしいけど、「ま、息子は息子だし、私たちはその親だし。」とは思ってたらしい。そりゃそうだよなー。どう見ても息子、引きこもりニート一直線コース。

実際のとこ色々と体面悪かっただろうな、近くの人とかも教えてる教師なのに、その息子が引きこもり不登校とか。

そんなゆとりの甘ちゃんの僕の意見ではあるけど。

元増田場合だと学校以外のところには外出するって話だし、大丈夫だと思うけどね。

引きこもり空間を制限するのはやめたほうが良いと思うけどな。

する事が無くなったら本当に何もしなくなるし、閉塞感に耐えられなくて攻撃が外部に向く可能性が高いと思うんだけど。家でゲームしてテレビ見てる方がよっぽど健康的だよ。

この状態で世界を取り上げられたらそれこそ行き止まりだよ。

賭けても良いけど元増田場合、「高校には行きたい」ってのは「とりあえず堂々とモラトリアムしたい」って意味だよ。

中卒でニートになるのは怖いもん。バイトするのも嫌だし、就職なんてもっての他だし。

そうなるととりあえず、学生は続けたいんだよね。でも勉強はしたくない。そりゃとりあえず「高校は行きたい」って言うわ。だからって何かするわけじゃないんだけどね。

ネットしてると、「単位全落ちwww」「今日も授業サボったわ」「一ヶ月大学行ってねえわwww」って言ってるクズみたいな大学生ばっかりだよ。大学が本当に人生夏休みに見えてくるよ。楽したい為に大学入りたいって思うようになるかもよ。

実際多分大学行っても4年間(高確率で+α)遊んで、適当単位取るだけだけど。

でもさ、上で書いたそのクズみたいな大学生のうちほとんどが結局、普通に就職して普通に働き出すんだよね。

いーじゃん、高校、大学モラトリアムさせて。日本学生なんてほとんどみんなそんなもんだよ。大学勉強するために行ってる奴なんて、ほとんど居ないよ。学生からの延長線でなんとなく仕事してる奴ばっかだよ。「だから近頃の新人は」なんて言われるんだけどそんなのずっと同じだよ。

世の中なんて意外とユルいし、クズにも優しいよ。

元増田は当然子供にしっかりした真面目な人になって欲しいんだろうけど。

でも、世の中、ほとんどの人がぐうたらで面倒臭がりだよ。所詮、そんなもんだと思う。



そんなわけでずっと書きなぐってきたけど、結局のところ、意見というか、お願いはひとつ

最初に書いた通り、ずっと、「親」で居てあげて下さい。

2009-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20090614035235

ふと思い出した昔話がある。

10年ほど前、自分女子高生だった頃、TCGボードゲームTRPGサークルに入っており、

夜になるとほぼ毎日ICQログインして、サークルの人たちとチャットし、土日のどちらかは

TRPGをやりに公民館サークルの人の家に出かけていた。

その後、サークル内で特に仲の良かった20代の人にICQで告白され、付き合うことになった。

が、しかし、3ヶ月ほどでICQで一方的にそれらしき理由をつけて振ってしまった。

外見は見事なオタクだったが、今も昔も私は人の外見をとやかく言える筋合いではないので問題はない。

相手の希望で、相手のことはお兄ちゃんと呼んでいたが、別にそこも問題ではない。

善意のかたまりのような、とてもいい人だった。

恋に恋するお年頃だったのか、年頃とは関係なく、自分勝手すぎたのか。

ともかく、何の落ち度もない相手にはひどいことをしてしまったと、20歳を超えてから

申し訳なく思うようになった。

いくら始まりがICQでも、それなりに長い付き合いのあった相手だ。やはりICQで一方的な別れ話は

よくなかった。あの「あっおー♪」と別れ話はどう考えてもミスマッチだ。

それに、別れた後に、これだけは受け取ってくれといわれたプレゼントをパシーンと

突っ返したのは良くなかったんではないか。

それを車に積んで、持って帰って処分しなくてはならない彼の気持ちを、もう少しは

思いやれなかったのかと後悔する。

MtGとFar Roads to Lord、Gurps妖魔夜行またやりたいな…と思いつつもも、再開できないのは、

このTCGTRPGと、この申し訳ない記憶がセットになってるからだと思う。

ごめんなさい。

2008-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20081209204101

15年前の話題で盛り上がってるなあと思ったり。

ICQとかIPメッセンジャーが出始めの頃にそういう現象がよくあったよね。

まだIPMessengerって開発してるのかあ。

2007-07-28

私の時間泥棒

1999 ICQチャットルーム ←テレホ時代

2000 チャットルーム、2ちゃんねる ←ISDN

2001 2ちゃんねる

2002 2ちゃんねるネトゲRO) ←フレッツADSL

2003 ネトゲRO

2004 ネトゲROTWなど混在)、IRC ←フレッツADSLモア2へ

2005 IRCmixi

2006 YouTube ←光回線

2007 ニコニコ動画(暫定)

表にしても面白…くないな、別に。

テレホ時代が懐かしすぎる。

2007-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20070608163353

私は割と初期だったので#1-4くらいまでしかなかった気がする。ICQハマったなー。カッコー鳴くんだよねw

http://anond.hatelabo.jp/20070608162255

あの頃まだメッセンジャー無くて、仲のいい人とはICQで繋がってたんだよ。

連絡つく人もうほとんど残ってないなぁ。

ちなみにテレホーダイフレッツISDNだったわ。

英語専用ルームがあって、日本人なのに英語かよスゲーって思っていたのは秘密

2007-03-30

internet protocol

ネットワークを跨ぐための方法ですな。

社内だけのときは礼儀正しかったのに、一度ルータ越えして外を体験したからって、とたんに乱れるなんて。

IPであることを実感したのだろうが、そんなんじゃピアを解消するよ!って、ことか?

って書こうと思ったらTB先が消えてるんじゃねーか。解消されちゃったよ。

って事で、元記事へ http://anond.hatelabo.jp/20070330115508

ってのはどうでもよいけど、IPってIPメッセンジャーのことかな?サーバのないネットワークだと便利だよねぇ。

でも、IPって略すのは初めて見たw

しかし、「メッセ」ってのとは違うんだろうな。つーか、「メッセ」ってどこまではいるの?MSNだけ?Yahooも?AOLとかICQとかは?つーかIM全般?ってIMもびみょうなんだよな。いまどき「ふぇっぷ」なんて言わないし。おじさんには、そっちのほうが通りが良いけれど。

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