はてなキーワード: HSPとは
全て私に関する本当の事だ。
それでもこうして書いているのは、他ならぬ私自身が救われたいと願っているからだ。
なのに私は、今はもう人を信じる事が出来ない。
自分一人ではどうする事も出来ないレベルに達し、ネットという不特定多数の集まる場で、見られるかどうかも分からない悲痛な叫びを上げている。
けれど、そう思っていても。
ずっと苦しみに追われている。
それが、見て見ぬ振りの出来ない、紛れもない真実なのだと思う。
前置きが長くなったが、どうか私の話を聞いてやってほしい。
私は離人症であり、回避性パーソナリティ障害であるらしい。
(前者は一応診断らしきものを下されたが、後者はあくまでDSMの診断基準を満たしているという視点である)
また、HSPの気質もある。典型的な「生きづらい」タイプだと思う。
素のままでこんな話をすれば、恐らく大抵の人は困惑するだろう。
心理学や精神医学を学んだ方、色々調べて知っているような方でないと、あまりピンとこないであろう病名だと思うからだ。
正直、HSPに関しては、言う事自体が一つの免罪符のように思える為に、あまり声高には言えない。もちろん、他の当事者の方について、あれこれ言うわけではない。
ともかく。自らが抱える様々な特性に、私はずっと悩まされてきた。
例えば、学校での場面。私は苦手な同級生の話をどうしても聞く事が出来ず、ずっと耳を塞いでいた事があった。
小学生の一時期、不登校(正確には、給食が始まる前までは出席していた日もあったが、その後に早退していた)だった時もある。
あの時迎えに来てくれた母の拒絶するような、悲しげな後ろ姿。
母の後ろを申し訳なさげに歩く自分の悲しさを、今でも覚えている。
高校時代も、一年次から辛かった。文字通り「死んだような顔」をした私は、上手く笑顔になれなかった。
同級生は優しい人も多かったが、結果的に馴染めず、一年持たずに中退した。その後は別の高校に入り直したが。その前後の時期が、人生の前半で一番の暗黒時代だったと思う。
母に「こんな子産むんじゃなかった」と言われたのも、この時期だ。
父は元々家族としっかり関わる人ではなく、私が普通に学校に通えない事を腹立たしく思っていた。
もっと遡れば、幼稚園時代から、私は集団に馴染むのが上手ではなかった。
どちらかと言えば、砂場で一人黙々と砂遊びをしている方が落ち着いていたように思う。
大人になった今でも、私には静かに過ごせる場所、一人になれる時間が不可欠だ。
騒がしい場所や、絶え間なく流される情報にさらされるのは耐えられない。
人付き合いでも悩まされる。私は好かれているという確信がない限り、人と上手く付き合う事が出来ない。
正確に言えば、無難な付き合い(出来ていたかは自信がないが)は出来ても、必ず相手に壁を作り、相手に「堅い人」「近寄りがたい人」という印象を与えやすい。
(表面上は「優しい」と言われたり、子供に怖がられたりした事はないので、相手がどう感じるかは分からないが)
何故なら、会社であれ、日常生活であれ、人と関わる場面を避ける事は困難だからだ。
あれこれ一人で考えては疲弊し、人付き合いを苦手に感じる。
今も悩み、苦しんでいる事の根底にあるのは、人間関係であるように思う。
しかし、そうした苦しみをまともに受け続けていれば、とっくに精神は崩壊していただろう。
いや、もう崩壊していたのかもしれない。
私にとって離人症のフィルターは、現実をダイレクトに受けずに済ませるクッションのような働きをしている。
正確に言えば、私の頭の中にはシャボン玉の幕(カーテン)のようなものが掛かっていて、外の物事はそれを通して感じている。
故に、今一はっきりしない。かと言って、知覚出来ていないわけではない。平たく言えば、現実感がないだけだ。
かれこれ、付き合いは十数年以上になる。
たまに忘れていた現実感が戻りかける瞬間もある。
そうした時、私は敢えて「戻らなくていい」と願う。
かつて死にたいと強く願い、実行した事がある。
結果、死に損ねて今に至る。
死にたい気持ちが完全に消えたわけではない。浮き沈みを繰り返し、今は死ねないから生きている。
だから苦しい。私は、どう生きればいい?
私がもっと子供の時に、私を理解しようとしてくれて、手を差し伸べてくれる大人がいれば。或いは違っていたのだろうか。
たらればの話をしても虚しいだけだが。そう思わずにはいられない。
この投稿の最後になるが、私は「ただ一人の理解者」を求めて、ネットの海を彷徨っている。
本当なら十代の頃にでもするべきだったのだろうが、前述の通り、色々有りすぎて、自分と向き合う余裕なんてなかった。
人を信じる事が出来ない私が救われたいなんて、身勝手だと思う。
だが、信じられなくなった経緯があるのも確かなのだ。
たった一人でいい。良き友人が欲しい。勝手な願いだが、ずっと願い続けている。
こうして投稿を綴るのも、自分を救いたい願いと、誰かと繋がりたいと思う二つの願いからだと思う。
こんな私に少しでも興味を抱いてくれる方がいるかは分からない。
もしもそんな優しい方がいるなら、私はその人と話してみたい。もちろん、重たくならない範囲で、だが。
私の悲しみが、いつか和らぐ事を願っている。
HSPときいてHot Soup Processor しか思いつかないんだけど、ややこしいアルファベット3つや4つの省略はやめてほしい
繊細すぎない?HSPじゃない?
これはあくまでも私の愚痴であって、特定の人に対してのヘイトではありません。
この事をTwitter(現X)などで呟いた瞬間、HSPへのバッシングとみなされ、袋叩きに合うのは分かっているが、どうしても繊細で感受性が強いから私はこうなんです!と押し付けてくるフォロワーに対して何とも言えない感情と限界を感じただけだ。
私自身、メンタルがそこまで強いわけではなく、仕事などで色々あったりし、限界値を越えてしまうと、ちょっとした事で「ああ、何をやってもダメだし、こんな世界とはお別れしたい」とかなりのネガティヴ思考に落ちる時もあれば
「人生たーのしー!世界は私のために回っている!」となるほどハイテンションな時もあるので、上がったり下がったりするのは誰しも同じと思っている。
ただ、冒頭にも書いた通り、相互フォロワーの中にこんな私とは正反対な自称HSPで感受性も強く、ニュースで芸能人などの訃報を見るだけで気分が落ち込んで辛くて泣いてしまう人が居る。
それも個人の性格だし大変そうだなと感じる事はあれど、そこまでは気にしてなかったが、最近になり?となる事が増えてきた。
私が訃報ツイートなどのニュースをRTしたあと、必ずといっていいほど「亡くなったニュースを見て辛い。しんどい。」と呟き、そのあとすぐHSPさんはこんなに大変!だから配慮して。といったような内容が書かれたツイートをRTしてくる。
1度なら分かる。
だが、毎回である。
なぜ壁打ちをしている内容をそのフォロワーに配慮しないといけないのか?繊細だからって押し付けてくるのはおかしいのじゃないか?
こんなことを考えてしまう自分の性格はかなり捻くれて思いやりが無いのでは?と考えてしまい、そんな自分が嫌になり、ツイートの内容も当たり障りがない内容ばかりを書いてしまう。
最近では自衛のため、HSPや繊細さんと書かれたツイートが表示されないようミュート設定をし、快適なタイムラインになるように努力はしているが、小蠅の如くどこからともなくすり抜け流れてくるHSPツイートにイライラしてしまうし、イーロン仕事しろ!と謎の八つ当たりをしてしまっている。
ここで、そのフォロワーをブロックかミュートにしてしまえば解決するのでは?と思われそうだが、HSP関連の事さえ無ければ、趣味も合い、気も合うフォロワーなのでなかなか切るという決断が出来ないでいる。
そうして今日も自己嫌悪を感じながら、小蠅のように流れてくるHSP関連のアカウントをひたすらブロックする作業を繰り返している。
自分には言い訳できても社会には通じないから余計に疎外感が強まって社会との折り合いが難しくなるだけ。
カウンセラーにHSPですねって言われて、そうか私はHSPなんだってわかったところでそれは一時的に自分の無力さを緩和する効力はあっても、じゃあ自分がHSPだからって会社での自分の境遇は変わらない。
別に会社も"普通"に扱えばいいだけで別にそいつがHSPだからって優遇する必要はイチミリもないしな。そうなったときに「私はHSPなのに!会社は!」ってなって、知らなかったときよりも余計に辛い気持ちになるだけだから、手帳出ないんだったら精神科に行って自分に言い訳持たせる必要マジでない。
本当に死にたい。
遅刻癖がある人に対しては、遅刻癖以外の部分にたいしても正当な評価をすることができない。
だから遅刻癖のある人とは友達付き合いもできないし、仕事の付き合いもなるべく避けている。なお借金癖や盗癖は言語道断過ぎるのでここでは触れない。
ウンコが乗ってる時点でもう皿の料理がどれだけ素晴らしくても食べる気にならないのと同じで、いかに美人だろうが、頭が良かろうが、親切で面白い奴であろうが、こちらの評価はカスの一言だ。挨拶を決してしない人間と同じくらいに心象が悪い。
ここで軽症者とは数分〜15分程度の遅刻の常習者であり、5分以上遅れる場合は連絡を入れてくるレベルには常識のあるカスを指すとする。
こいつらが一番付き合いづらい理由は無数にある。まず最初に遅れてきた時点でこちらは連絡があろうが数分だろうが毎度毎度カスだな死ねよ…と呆れているのだが、向こうは数分の遅刻は大して悪いことではないと思っている&連絡を入れた自分エライ&数分の遅刻を悪いことだと認識している客観的で自分に厳しい自分スゴイと思っているため、そもそも温度差がある。そして、そもそも悪いと本気では思っていないのでこの微妙な遅刻は毎回毎回繰り返される。
ムカつくのでこちらも遅れて行こうにも、なまじ向こうが連絡入れたり謝罪したりするため、こちらも遅れてお互い様だね❤︎とはならず、待たされるor謝らされるの強制的2択を強いられ不快極まりない。文句を言うにも数分の遅刻にガタガタ抜かす心の狭い奴になってしまう。関われば関わるほど心理的に損する仕組みになっている。
実際、数分や10分くらい微々たるもので、実害はほとんどない。
しかし、逆にこの微妙な時間必ず遅れてくる理由は、間違いなく「自分は1分でも待ちたくない。ピッタリを目指して、少しでも待つくらいなら遅れる時間に出よう」という自己中極まりない理由だろう。この見下され感がムカつくのだ。
そしてこの見下され感と自己中ムーブにより、いかにシゴデキ気取りだろうが、自称HSPだろうが、「カス」のフォルダに入れ疎遠にならざるを得なくなるのである。
言いたいことは薄っすら分かるんだけど、ADHDとLDは精神科(精神医学)の正式な診断名で、アダルトチルドレンは正式な診断名ではなく定義も曖昧なので、両者は分けて語ったほうが良かったと思う。
ASD、SLD(限局性学習症/LDとも言う)、ADHDと診断されると社会的なサポートを受けられる。
学習面での支援、障害者手帳や障害年金、症状に応じた薬物療法など。
診断名に甘えて努力を放棄するならそれは一種の呪いと言えるが、だからといって診断されることが無意味であるかのように断じるのはあまりに単純かつ乱暴すぎる。
↓こういうことを言っている人は見たことないが、最近流行りの自称HSPが「HSPだから云々」と言っているのは見たことがある。あとは「毒親持ちだから云々」、毒親に関連してICD-11で登場した新病名「複雑性PTSD(CPTSD)」を持ち出す人も増えている印象。
発達障害は生まれつきのもので生涯治らない(ただしADHDについては寛解という概念がある)ということになっているので、基本的には生涯に渡って精神科に通院することになる。
統合失調症と双極性障害も同様で生涯に渡って通院と服薬が必要。むしろ自己判断で通院と服薬を止めると大変なことになる。
私は何年も精神科にはまる人はしょーもないと思ってる。
影響が大きい人のみが発達障害と診断される仕組みになっている。
影響が小さい人はそもそも診断されない。
また、ASDとSLDに対しては薬物療法はない(ASDに伴う症状に対して抗精神病薬を使用することはある)。
ADHDには治療薬が存在するが、かといって薬物療法は必須ではない。
製薬会社の影響力はゼロではないが、過剰に敵視しすぎて適切な治療を受けられなくなるのであれば、それこそが呪いだと思う。
生まれもっての性格や特性が人生に関係あるのは本当でもその影響ってそんなに大きい?
大企業の社長や大物政治家ならまだしも99%の普通の人には呪いにしかならないんだよ。
方言のせいなのか、口調がめちゃくちゃきつくて嫌味っぽいのに、ユーモアもなければフォローもないのですごく傷つく。
愛嬌とかお世辞って知ってる?って感じ…。
かといって東京のドライさがあるわけでも、東北のように寡黙なわけでもない。
どちらかといえばコミュニケーション好きでグイグイ近づいてくる。だけど全体的に不躾で失礼発言が多い(様に感じる)。
東海圏の大学行ってたので名古屋出身者は多かったけど、ちょっと話しただけですぐ名古屋の人は見分けがつく。
うっすら嫌われてる要素はやっぱこの一点だと思う。
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例えば髪をばっさり切って出社すると
東京人:(何も言わない、無関心)
関西人:おお!髪切ったんか!ええやん、似合っとるわ。
名古屋人:すごいバッサリ行ったね…。
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関西人:ここ間違ってるわ、自分ほんま頼むで。俺もようやるけど。
名古屋人:ここ間違ってます。指摘するの二回目です。メモ取ってますか…?
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代々愛知出身の地元民が多いから、言葉足らずの不愛想コミュニケーションが根ざしちゃってる気がする。
悪意はないんだけどとにかく傷つく。まあ長く一緒にいれば慣れるし、おそらくコミュニケーションのコスパはいい。
ビジネスではいい言語かもしれない。(実際世界的大企業も多いわけだし、イチローとか世界でも活躍してる)
名古屋は女あまりってよく聞くけど、男女比のほかに「可愛げがない」ってのも大きいと思う。