はてなキーワード: HMDとは
VRChatエアプです。
ほぼTwitterだけ見てやった気になってる。HMD重いしダルいし。
美少女アバターを着るおじさん!?みたいなのは、VR黎明期みたいな時期に一瞬驚かれたけどキモがられながらスタンダードになった印象がある。
まあ分かる。
汝が男であるならば、家族を、仕事を、ローンをつまりあらゆる責任を背負っていけ。
仕事できない稼げない守るべき家庭も自分を縛るローンもない、そんなヒョロガリ野郎に価値なんてあるわけないのよ、男は。
というかそんな奴は男ではないわね。
かわいそうに。
だから男であることに耐えかねた者が背負わざる存在になりたがるというのはかなり理解できる。
そこで美少女。
美少女は背負わなくていい。
ただ可愛くそこに有りさえすればいい。
中身が空っぽだって、無力だって、可愛ければそれでいいんだよ。美少女というのはそういう価値を持つ存在だから。
かわいこぶるためにちいかわ族の肉体を得たモモンガとかが近いと思う。
あいつちょっとダルいけど可愛いからまあいっかってなるじゃん。
可愛く無害で、敵意を感じさせず警戒させない。だから人とも仲良くなりやすい。
こいつらが本当に分からん。
なに???
女に生まれて、背負う宿命を持たない者が、見た目だけ男を着るのに何の意味がある?
肩幅がデカかろうが、ヒゲが生えていようが、見た目がいくら力強かろうが、中身が背負わざる者である限りそんなのは絶対に男とは呼べないのよ。
背負わない中身が背負うかのような見た目を着るの、本当に虚しくないか?
インスタのわナンバー高級外車とか、飼い主の腕の中からギャン吠えするチワワとか、そういう虚勢そのものになっている自覚はあるか?
無力さを肯定される選択肢を捨てて、何も背負えず可愛くも男らしさもないただただ無力なヒョロガリポリゴン野郎を召喚する事の意味がわからない。
マジで何がしたいんだ。
アレは男ではなく女子供の方なので。
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
結果、家族バレしても言い訳がきくものを通販で(引っ越し先は宅配BOXがないので主に実家置き配。サイズが大きいものや商品カテゴリでコンビニ受け取りができないものが多い。専用ショップだと営業所止めができることを後から知った)
アダルトショップに行ったついでに大きな店でHMDを買えばよかったのだが、荷物が多く、まずはお試しで近所の100均一などでスマホをセットするタイプの簡易版を買おうと思って売ってなくていまだに未購入。
先に買った、偽乳、エアドール、穴あき全身タイツ、ウィッグ(結局ウィッグはあまり使っていない。髪型が微妙なのとずれるのと。えあますくを買うときに再購入予定)と、可愛い下着だけでプレイが充実しまくっている。
優先順位でいえば、次は可愛い下着(白)。小さなアダルトショップではいかにもエロい系下着が多く、今持っているのは地雷系女子が来てそうなプリントの入った黒いタンクトップ系の合わせ上下。
ネコポス対応とかで下着を色々探してたら、ノンワイヤーに辿り着いて、ジュニア系の店で、匿名というかバレずに受け取れますというアピールを見てしまってうぁぁってなってちょっと保留してる。まさに自分向けサービスすぎて、いったん立ち止まってしまって勇気をチャージしている。
それと、前述のえあますく。全身タイツは脱ぎ着が面倒なので、割り切って上はピタッとした肌着、下もナチュラル系のタイツにベースしようと。で無地のえあますくにウィッグずれないようにセットして、顔はどうしようかと。いっそ紙粘土とかで自作するか。普通に実物大の写真張ったらどんな感じなんだろう……などなど
そこまで行ってVRAVの存在を思い出した。
VRAVもずっとちらついてはいて、すでにFANZAで安いときに買った作品などもあって、スマホにアプリ入れてみてみたらかなり良さそうで。
ただそうなると、エアドールを見ながらはできない。音声作品のほうがよいような気がしてきた。(だいたい向こうがいく時に合わせていけるぐらい早漏でずっとがまんしてるタイプなので)
ちょうど自分用パジャマ買う必要あって、どうせだからエアドールに着せても似合いそうなやつにしてみた。
足指はともかく、手がミトンタイプなので、綿入れたり手袋装着したりとかも浮かんでたのだけど、前ボタンの男性用パジャマ着せたら萌え袖になって、手袋どころか肩から先はギリギリ肌感出さなくてもよさそうだ
色々悩みは尽きない。
という記事が出ていた。
「Meta Quest Pro」というのはHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の新作である。
日本で有名なところで言うと「Oculus Quest 2」があるが、
実は販売元のFaceBookがMetaに社名を変更した際に、OculusもMetaに変更されており
「Oculus Quest 2」は現在では「Meta Quest 2」となっている。
なので「Meta Quest Pro」は「Meta Quest 2(旧Oculus Quest 2)」の上位モデルと言うことが出来る。
で、だ。
HMDといえばやっぱりVRゲーム、VR表現との親和性が非常に高い。
と、なると
というタイトルを見ると、ははーん、流行りのVRAVって奴だなと思うじゃん?普通は思うじゃん。
すげー視聴につかれるという欠点はあるが、VRで見る大迫力のAVは他では代えられない魅力がある。
それをプロモデルである「Meta Quest Pro」で視聴するとどうなってしまうのか!って思うじゃん。
でもこれってA(オーディオ)V(ヴィジュアル)の話であってA(アダルト)V(ビデオ)の話じゃないのだ。
しらねええええええええええええええええええええええええええええええええ。
興味ねええええええええええええええええええええええええええええええ。
うるせええええええええええええええええええええええええええええ。
解散!
というかQuestでゲームしたり作業したりしてると思うことがあるんだけどな
そうそう。誰かの家に週1で集まるとかだとちょっと億劫だけど、HMDかぶるだけで「一緒に映画見てる」感が得られるのがいい。
あとは携帯とかに気を紛らわされることもほとんどない映画館に近い没入状態で見れるのと、笑ったりツッコミや感想入れながら見れるハイブリッドな感じがすごくよくて気に入ってる。
VRChatやってて、Trustedになった。そこそこやってる方ではあると思う。だからこそ気持ち悪い。
日本勢のフレンドとかはプラベにこもっては何もしたくないだの世界が嫌いだの嘆いている。
あたかも「自分はこんなに正しいんですよ~」みたいな感じで。でも別に社会はお前の保護者じゃない。どうせ死んでも世界には何にも影響なんてない。さっさと行動すりゃいいのにしない。で、挙句の果てに休職・退職?ふざけんな。いつまで守られてる気分でいるんだ?
VRChatだって直に終わる。その時お前はどうするんだ。幻想と心中でもするつもりか。現実見ろよ。HMDつけて酔って狂って「楽しい」なんて言ってもなんの薬にもなりゃしない。どうせ動かなきゃならない。
しかも、VRChatやってるやつらで輝いて見えるやつは全員リアルも充実してんだよ。お前だけだ。腐った現実からすがるようにしてインしてるやつは。
いいよな、VRChatは。そもそもVRゲーマー人口が少ないから、やってるってだけでアイデンティティ。さらにヘッドマウントディスプレイかぶれば理想だけを見てられるから。
でもさっき言ったとおり、いつかこんなところ終わらせなきゃなんないんだよ。これから輝くはずの現実を捨てて先のない仮想にすがるやつなんてもう居なくていい。死ぬなら勝手に一人で死ね。死ぬときくらいわがまま止めたらどうだ?
それでも生きたいなら、お前らに対する最終警告だ。いつかその薄荷ちゃんが皮にびっしり張り付いて離れなくなる前にLogoutしろ。アカウントを消せ。逃げろ。こんな前時代的で退廃的で救いようのないゴミの集いから。
最近はRCカーのレース本番でも車体にカメラを設置することがOKみたいで、YouTubeで見つけた動画を眺めていた。
私はRCカーのようなコントロールが非常に苦手で、例えば初代のバイオハザードみたいなのは苛々してプレイすら無理だった。
同時期のDoomやQuakeのようなFPSは問題ないのでそればかりやっていた。
同世代がプレステでバイオハザードのような定点カメラやタスクをこなして動画を観させられるようなRPGが非常に苦痛であった。
一方で同じプレステでもPsygnosisのWipEoutのような洋ゲーは好きだった。
これもFPSであるが、日本独自実装の苦労も感じられる素晴らしいゲームだった。
ジャンピングフラッシュ!のようなFPSは問題なかった。(ただジャンピングフラッシュ!は退屈すぎた
RCカーに設置したカメラの映像は自分には非常に好感が持てた。
これなら自分のような人間でもRCカーを運転する気になるというものである。
そもそも、最近はドローンとHMDの組み合わせによる運転、レースは常識になっている。
ただ、これはこれでちょっと怖い。
運転が怖いのではなく、振り向かないと後ろが見えないというのが逆に怖い。
HMDでマルチコプターを運転して自分に衝突させたり、他人に衝突させるのが怖いのである。
個人的には寧ろ定点カメラ、HMDを使わない操作の方がマルチコプターは安心できる。
農家がRCヘリコプターの農薬散布でもよく事故を起こしているような気がする。
あれは当然、定点カメラ式であるわけだが、それでも事故るのである。
自分はポケバイやカートをちゃんと運転したことがないのだが、あれは速度が数字より速く感じられる。
速度的には大したことがないわけで、自動車であれば寧ろのろく感じられるかもしれない速度である。
しかし、視点を低くしただけで、地面のアスファルトの速い流れが感じられる。
うっかり転倒したら痛いだろうな、と思うわけだが、こういうヒヤッとする感覚は自動車に乗ってるときには感じられないものである。
https://pbs.twimg.com/media/C0zntbDUUAAiNBW.jpg
視点が高すぎると時速200kmでも遅く感じられることはありえると思われる。
ガンダムのような巨大な二足歩行は実現がほぼ不可能に思われるが、資源採掘などで使われる巨大な特殊車両、
ロケットを運ぶような車両でも乗ればそう感じられるのではないだろうか。
同じように、遅々として進まないように感じられる現状、プロジェクトがあったとしても、
それは高い視点から眺めているからそう感じられるわけであって、
低い視点、例えばそれは泥臭い現場であったり、鉄道であれば線路を工事している人達には違う速度で感じられるかもしれない、
そんなことを思ったのであった。
眺める高さ、場所によって、その速度の感じ方は変わるのではないだろうか。
要は自分が何を言いたいかというと「健康診断の検査つらい」なんですが。
それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。
日本人の寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金の負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見・治療しているからなのだろうか?人類の医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。
でも、トシくって様々な検査がちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、
「検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」
積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。
会社員でいる以上は、自分を労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社側から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点からの論理と言えるだろう。
なんか、「自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社や社会の共有物かのような感じがする。
あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定の権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。
その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族の意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。
医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。
そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムのroot権限は誰が持つのか。
それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?
人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。
医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。
医療が進歩して検査の負担を減らす改善も継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるときの不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射で麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間で麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラでトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。
若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というものが無限であるかのように錯覚していた。
言い方を変えれば「有限なリソース」という概念そのものが頭の中になかったのかも知れない。
健康も時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。
でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。
そして30を超えると、「自分の健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。
若いころはモノを買うとき、お金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。
それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。
トシを取ると自分の寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。
「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分の寿命のほうがなくなっていくからね。
たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。
経済の話でいうところの「機会損失」って、商品の在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分の健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。
「健康が不足していて機会損失」も大いにあり得るわけです。「大切な推しのイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。
これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。
だから商売するのって、「ちょっと健康に不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。
ゲスいですが。足元見てる。
そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。
「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラクに死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。
日本における安楽死の議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死の自己決定を促されてしまう」危惧をドグマにしてますけど、
すでに「健康診断の圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます。
「自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。
どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分だけが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険で治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。
他者の圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、
どっちがマシなんですかね?
「勝手に生きるな」
介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、
人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。
面倒なことにならないように、自分の生死を他者の人為的なコントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。
やっぱ自分がコントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死が理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手な自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。
自分が死ぬときはVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。
臨床宗教師の仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期の映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。
だからVR業界から法曹界・医療関係に転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。
塞翁が馬。
みとりびと、おくりびと
バーチャル・リアリティの略称である。「仮想現実」と訳される。
英語のVirtualとは「事実上の」「実質的に」という意味なので、
つまり「本物みたいな感覚をいろいろ再現したらそらもうほとんど現実やろがい!」ということである。
現在のところ、コンピュータ・グラフィックスで仮想空間を作り上げて、
Oculus QuestやHTC VIVEといった魚眼レンズ付きHMDを被り、
オーグメンテッド・リアリティの略称である。「拡張現実」と訳される。
「現実に仮想空間を持ち込めば便利になるやんけ!」という感じである。
現在のところは、スマートフォンのカメラや、眼鏡型の透過スクリーンを用いて、
現実世界にコンピュータ・グラフィックスを重ねる方式が主流である。
たとえばCGで作った動物が現実の道路を走り回るように見せるとか、
自分の部屋に家具データを配置して大きさを確認する、といったことが当てはまる。
対となるのはAV。
オーグメンテッド・ヴァーチャリティの略称で、「拡張仮想」と訳される。
ARの逆なので「ほなら仮想空間に現実を持ち込んだらどうなるんや?」ということである。
現実の物体をセンサーでスキャンして3Dモデル化して仮想空間に表示するとかである。
MRとはつまり「現実と仮想現実をシームレスにつなげること」である。
「現実」、現実に仮想現実を混ぜた「拡張現実」、仮想現実に現実を混ぜた「拡張仮想」、「仮想現実」。
そういうのをわざわざ区別したりせずに一括で取り扱っていこうぜ!ということである。
MRは「ARやAVを組み合わせてシームレスにいろいろやる」という総合的な技術のことだが、
XRは「VRとかARとかMRとかSRとか『なんとかリアリティ』がたくさんあるからまとめてXRと呼ぼう」というだけである。