はてなキーワード: Favstarとは
ルールの隙間を探す一部のレジスタンスに与するもの以外は、公式サイトもしくは公式クライアントの使用が義務付けられている。
これはTwitter社が目指すTwitterに従えないものはTwitterから出て行けという排除命令だと言える。
非公式クライアント群と、公式クライアントとの最大の違いは、UIが初期のものに寄せられているかどうかだ。
それらのボタンは単にそれぞれのユーザーがそれを押すかどうかを勝手に判断して押すものであり、その総数は一部の外部サイト(Favstar等)から吸い出す必要があった。
☆の総数は気にしたい人間が気になるときに見に行けばいいという状態は、☆の総数にこだわる層とこだわらない層の共存を可能にしていた。
そしてそこには、☆の総数を見たくないなら見ずに終わらせたい層が隠れていたことに誰も気づかなかったのだ。
これはユーザーの心を蝕む毒だ。
いいねの確認は承認欲求を満たして酔いたいときに程度を決めて行われるならともかく、常にその中に晒されていていいものではない。
今のツイッターの状態は全ての食事にアルコールが含まれており常時酩酊状態であることを強要されているようなものだ。
非公式クライアントによっては初期状態、場合によっては設定欄からTLの視覚効果をそれぞれの手で調整することが出来た
恒常的ないいねの可視化に耐えられないものはTwitterを去るしか無い。
自分より少し上ぐらいの人気者だと思っていた相手が、大体の場合において自分の数十倍のいいねや回覧数を持っていることを突きつけられるのは心理的に負荷がかかる。
特におすすめ順表示という、それぞれのハイライトをぶつけあう空間はその度合が強まり、TLの中において自分だけが圧倒的に面白くない人間であるかのように錯覚させられる。
そうした意識が過剰に膨らまされた承認欲求とぶつかると、過激な投稿による人気取りなどが始まっていく。
この状態はユーザーを単に広告閲覧数を稼ぐための家畜としか見ていないSNS産業からすれば、家畜が勝手に美味しい餌を自分たちで生産し続けてくる状態とも言えるだろう。
だがそれは使用者の精神を蝕み続けるものであり、同時にインターネットの中において危険な思想や将来のデジタルタトゥーとなりうるような投稿を増加する要因となる。
非公式クライアントの排除は、この問題を回避するためにユーザーが使えた逃げ道を塞いだだけに過ぎないわけだが、とどめを刺したと言えるのは間違いない。
日常生活の中で延々他人と自分のいいね総数の差を見せられ続けるこの不健全な環境において、生き残れるのは↻0♡0への耐久力を身に着けたものだけだ。
もしもそうすることがなく将来に禍根を残すような投稿をしたとしてもTwitter社は「辞めればよかっただけでしょ」としか言わないだろう。
心強き者のみがやるべきSNSぞ。
どこに行けばいいのかは知らん。
とりあえず、辞めろ
今から八年くらい前の話。
当時僕の居た界隈ではコミュニケーションや情報収集はTwitterでするのが当たり前になっていて、
Twitterを見ないと界隈の動向すら追えないという状況になっていた。
そんなわけで僕はアカウントを作ったが、すぐに飽きてしまった。
別にその界隈に居るからといっていつもその話をするわけではないのだ。
例えばポケモン好きが集まる界隈の人でも、いつもこのポケモンが可愛いやら種族値がどうたら語ってるわけではない。
今日のご飯はこんなんだったとか、昨日こんなことがあったとか、そういう他愛もないことを話している。
僕はそんな話に興味の欠片もない。
ここが2chならチラシの裏にでも書いてろよとでもレスしてる所だろうが、Twitterでそれをやると頭のおかしい人である。
僕はアカウントを作って早々にTwitterに飽き始めてたのだが、とある人の出会いから運命を大きく狂わせることとなる。
名前は伏せるが、それは所謂ネタクラスタに分類されるタイプの人だった。
全然名前も聞いたこともないただの一般人の癖にフォロワーは多く、ツイートには常に大量のfavが付いている。
そう、favorite、お気に入りである。ふぁぼである。星である。今はいいねとハートマークに変わってしまったが。
著名人でTwitterを使っている人はいたが、そんな人のツイートに大量のRTが付いてもfavが付くことはない。
そんな中、彼等は面白いことを言ってfavをたくさん貰っている。
僕も面白いことを言って、たくさんのfavが欲しいと思った。
僕は界隈向けのツイートをやめ、ネタクラスタに特化するようになった。
具体的にはネタクラスタをフォローし、とにかくふぁぼる(いいねする)。
そして自分もネタツイートを考える。ネタツイートを呟くとたくさんのfavが貰えるのだ。
面白いことを言えばたくさんのfavが付く。上手く行けばRTもされてバズる。
僕はこの快感の虜になっていた。寝る間も惜しんでネタツイを考えた。
ふぁぼられたい、バズりたい、たくさんの人に褒められたい。Twitterはその欲求に応えてくれる。
そんな無益にも程がある行為を二年ほど続けてきたが、Twitterユーザーのfavの使い方も段々と変わってきた。
まず、ネタクラスタだけの特権だったfavを他のユーザーも使うようになった。
そしてふぁぼられの数を増やすことだけを追い求めるふぁぼクラスタなるものも出来上がっていた。
彼等は全てのツイートをふぁぼる。ふぁぼられたらふぁぼり返す。
そんなことをしてるので何の変哲のないツイートでも大量にふぁぼられてしまう。
全盛期だと、ふぁぼクラスタのトップはおはようツイートだけで300favくらいいってた記憶がある。
これの何が問題かというとFavstarというサイトが荒らされるのである。
Favstarは大量のfavが付いたツイートだけを紹介して載せる。
ネタクラスタ全盛期はネタクラスタのツイートやバズツイートだけが載ってたが、その時代はふぁぼクラスタに占領される有様だった。
当時ネタクラスタの中でもそこそこの地位(笑)に居た僕はこれを批判した。
こっちは評価としての公平なfavなのにお前らは組織票でのfavをしてるではないか、と。
言うまでもないが間違ってるのは僕の方である。
Twitterは自由なのだ。別におはようおやすみツイートをふぁぼっても批難される謂われはない。
とはいえFavstar自体はバズツイートを見付けるのに重宝されてたので、僕以外にも不満を持つ人が居たのは事実ではある。
しかしそんなふぁぼクラスタも相互厨と呼ばれる人達にfav数で勝てないようになる。
基本的にネタクラスタもふぁぼクラスタもフォローを返さない人が多かった。
これはTLが荒れるからというのとFF比(フォローとフォロワーの比率)がかっこいいからという理由があった。
ちなみにふぁぼクラスタのトップはツイートをふぁぼればその対価としてフォローを返すという仕組みでfavを稼いでいた。
一方で相互厨は相互によって稼いだ圧倒的なフォロワー数を利用する。
ただ、フォロワーに向けて「お気に入りしてね」と言うだけで良い。
ふぁぼクラスタはそれは下劣だと批判した。僕はお前らが言うなよと思った。
さて問題だ。僕、ふぁぼクラスタ、相互厨。この中で頭がおかしい人は誰だろう?
答えは全員だ。当たり前の話である。
さて、こうなってくると最早fav数で面白さは計れない。
既に僕は彼らと勝負することを諦めていた。何を勝負してたのか知らないが……。
だが僕は普通の一般人よりは遥かに多いフォロワー数を誇るという所に着目した。
その時の僕は何を言ってもそれなりの人が見てくれるという状態である。
このフォロワーを利用すればまだ見ぬ面白いツイッターユーザーを発掘できるのでは?と考えたのだ。
そしてツイッターの深淵へと潜っていった僕はある一つのことに気付く。
そしてそういう人は別に評価とか望んでない。楽しく馴れ合ってるのだ。
更に気付いたことがあった。
数千人~数万人のネタクラスタタイプのアルファツイッタラーでも、別にそこまで面白くないということ。
数字なんて所詮数字であり、人気のバロメータにはなるだろうがクオリティを保証するものではないという当たり前の事実に今更気付いたのである。
こうなってくるとfavもフォロワー数も虚しいものでしかない。
いくら大量にfavが付いても、つまらないツイートにそれ以上のfavが付いてるのを何度も目撃してるのだ。
数字に固執するのがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、長い年月を経てようやく理解したのである。
虚しくなった僕はアカウントを削除した。
疲れていた、というのもある。
数字の為にウケる発言を考えていると最早僕はピエロか何かかと思ってしまう。
だいたいこんなネットでの評価を貰って何になるんだ、金貰えるならまだしも無だぞ。時間潰してること考えたらマイナスだぞ。
削除した当時のフォロワー数は3000人程度だった。
いやたった3000人かよ、と思われるかもしれないがこっちは返し目的のフォローもフォロー返しもしていない。
それでこのフォロワー数なのだから結構な人数だと思う。呟いてた内容はどれもこれもクソほど面白くないわけだが。
僕は数字にこだわり続けた結果疲れてしまったわけだが、自分を高める為に数字を目標にするのはモチベーションを保つ上で悪い手段ではないだろう。
だが、決して数字を取ること"だけ"を目的にしてはいけない。あと他と比べてもいけない。
数字は人を狂わせる力がある。それに囚われた瞬間人格までもが壊される。
これはアルファツイッタラー(笑)ネタクラスタ(笑)とかいうクソに固執した馬鹿野郎の話だが、他の界隈とかでも同じこと言えると思う。