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2017-09-11

F-ZEROの曲を作った神木由美子氏

私は今大学生なんだけれど、F-ZEROの曲がめちゃくちゃ好きだ。

もう25年前の曲なのに今聞いても面白いし、のちに色々アレンジされて今もどこかのゲーム聴くことができる。

単体で取り出してもいい曲だし、レースゲームとしても疾走感ある曲で、本当にあの時代にこの曲が現れたことに畏敬の念を抱く。

作った人は神木由美子さんというかたと石田尚人さんというクレジットが出てくる。

此の二人は今は何しているんだろうか。ググってもさしたる情報は出てこない。

今も音楽に携わっているのだろうか。そもそも25年前にゲーム音楽制作する仕事任天堂でしていた人たちは、どういうキャリアというか、どういう人生を歩む・歩んだのだろうか。知りたい。

2017-05-14

マリオカートリンクとか出すならスマブラカートしろ

そしてファルコン出せよ。F-ZEROシリーズはどうなったんだよ。

最後に出たF-ZERO2004年。それより後に産まれ子供スマブラオリジナルキャラとでも思ってるんじゃないか

2016-05-01

スーパーファミコンが家に来た時の衝撃

すごかったと思います

ファミコンから進化が半端なかった。

PCM音源でのBGMもすごかった。

F-ZEROすごかった。タイムアタックがとても熱かったです。

こんな感動は最近あんまりないと思いました。飽和している。

2014-08-20

ケチだった親父の話

俺の親父はドケチだった.

とにかくドケチだった.

口を開けば「カネがない」とグチった.

貧乏だった.

お袋は貧乏が嫌で俺を置いて出て行ったらしかった.

食う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった.

ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ.

帰ってきたのはゲンコツだった.

そんなカネねえ,と.

ケチなクソ親父め.

でも俺はあきらめなかった.

キャラクターテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた.

根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した.

俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした.

翌週親父が持ってきたのは,中古PC98だった.

どうやら友人から譲ってもらったらしい.

なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし,

まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダコネたい気持ちになった.

やっぱりクソ親父はクソ親父だった.

曰く,

「これさえあればゲームを作れるらしい.そんなに欲しいなら自分で作れ」

そして俺とPC98とBASIC生活が始まった.

始めはとっつきにくかったが,やってみると面白かった.

ゲーム自分で作れる」という魅力的な言葉に酔っていたのかもしれない.

まだ習ってない漢字の入ったマニュアルも苦にならなかった.

これでいつか俺も,F-ZEROを作ってやるぞと,本気で思っていた.

ゴミ捨て場から拾ってきた古いベーマガを読みながら,小さなゲームを作っては楽しんでいた.

始めてジャンケンができるプログラムを作った時の感動は忘れられない.

グラフィカルなゲームは作れなかったが,友達も一緒になって楽しんでくれた.

だが中学2年に上がるころ,長年連れ添った俺の愛機が突然動かなくなった.

ついに寿命が尽きたのだ.

俺はこの世の終わりのように感じた.

まるで愛犬に死なれたような気持ちだった.

しばらく学校も休んだ.

今思えば前の持ち主から数えて10年近く,よく動き続けたものだと感心する.

ケチな親父は,当然だが新しいPCを買ってくれるわけはなかった.

帰ってきた言葉

「そんなに欲しいなら自分で作れ」

次の日からジャンクめぐりが始まった.

新聞配達で稼いだ金で少しずつパーツを買い集めた.

ゴミ捨て場からまだ使えそうなモニタを拾ってきた.

OS友達Linuxを用意してもらって入れた.

始めて自作PCが立ち上がった時は感動した.

Linuxに移行したのをきっかけに本格的にCを始めた.

親父に本を買ってくれと言ったら,始めは渋っていたが,ボロボロ技術書を何冊か古本屋から調達してくれた.

ヴォルトのアルゴリズムデータ構造と,クヌースのThe Art of Computer Programmingもあった.

難しすぎたし技術的なところが足りないから,遠くの図書館までわざわざ出かけて技術書を借りてきては読みふけった.

学校の授業中にも読んでいた.

プログラミング技術はもちろん,画像処理のための数学の道具についても勉強した.

同級生2次方程式因数分解をやっている横で,三角関数行列計算をしていた.

特にアフィン変換には感動させられた.

こんな風に言うと,さぞ数学の成績がよかったのだろうと思うのかもしれないが,テストの点はそこそこだった.

コードを書くのに必要概念として知っているだけで,証明問題は苦手だった.

特に幾何学はさっぱりだった.

それと,古典社会時間は全部すっぽかしてノートコード書いてたから散々だった.

高校に入ったあたりでX windowシステムを使ったグラフィカルなゲームを作れるようになった.

出てきた敵を撃つだけの簡単なインベーダーゲームに始まりオセロブロック崩しウィザードリィみたいな迷宮探索ゲーム,思いつく物何でも作った.

時代はWin95が出たあたりで,パソコンブームだった.

友達の家にもPCがあるところが多くて,Windows移植して簡単なネットワーク型対戦ゲームなんかを作ったりもした.

ここまで本格的にゲームプログラミングをやっていると,さすがにジャンクパーツを集めただけのPCでは性能に不満が出ることが多くなってきた.

ビルドの待ち時間が長くていらいらしたり,友達の家で動くゲーム自分PCで動かなかったりした.

ダメ元で親父に相談してみたら案の定,

自分で稼いで買え」

親父はどこから取ってきたのか,俺でもこなせる程度の仕事を持ってきた.

始めはパソコン教室バイトだったり,ゲームデバッグだったり,まともなバイトだったのが,

ある日学校から帰ってくると,何に使うのかは知らないが,明日までにこういうコードを書けと言われて徹夜プログラミングしたりするようになった.

時々は他人の書いたコードを別環境移植する仕事をやった.

プロの書いたらしいコードを読んで書き直す作業は,かなりの勉強になった.

給料は親父から手渡しで貰ったが,今まで見た事もないような額になった.

その金で新しいマザーボードPentium IIと32MBメモリを何枚かと,自分の開発環境用にWindowsPCを作った.

こんな感じで高校には通っていたものの,勉強らしい勉強ほとんどしないで過ごした.

当然大学入試は全部落ちた.

それでも,手に職はあるわけだし,しばらくは同人ゲームでも作って過ごそうと思っていた.

だけど親父は反対で,大学ぐらい入れと言い出した.

てっきり学費ケチれる分,喜ぶとばかり思っていた.

それでもやる気のなかった俺に,

大学合格できたら最新のMacintoshを買ってやる」

一体何が起こった,このクソ親父,脳の病気にでもかかったかと本気で疑った.

どうやら正気で言っているらしいと分かると,俺も必死勉強を始めた.

そうは言っても,中学時代から受験意識した勉強なんてさっぱりしてこなかった俺には,何をどうしていいのか分からない.

しかも,やっぱり親父はドケチで,塾や予備校なんていく金は無い.

しかたがないから高校時代友達で,頭のいい大学に行ったやつにお世話になることになった.

結局2年かかってしまったが,そいつと同じ大学に入れた.

厚かましくも,キャンパスにまでついていったりしていたから,新入生として入って行くと顔見知りに驚かれた.

親父は約束通りPower Macintosh G3を買ってくれた.

だが,俺の親父はドケチだった.

今回のドケチさはちょっと予想外だった.

「せっかくいいパソコン買ってやったんだからそいつ学費ぐらい稼げ」

さすがにそいつは無いだろうと思った.

自分で遊ぶ分くらいは当然稼ぐつもりだったが,学費丸ごととは.

お前が無理言って入学させた大学なのに,そりゃないだろと.

いくら国立大学とは言え4年分の学費となると200万ほどになる.

しか教科書代やもろもろを考えると300万円は無いと厳しい.

300万円稼ぐために俺ができることと言えば,やはりゲームを作るぐらいだった.

から大学ゲーム開発サークルに入ることにした.

志望動機を聞かれて,

ゲームを作って300万円ほど稼ぐためです」

と言ったら爆笑された.

金が必要理由を言ったら,一瞬でお通夜みたいな空気になったけれど.

先輩が相談に乗ってくれて,成績優秀なら学費免除になったり半額になったりすることを教えてくれた.

それならなんとかできそうな金額だった.

大学生活は楽しかった.

学校の授業でプログラミングをやるということに驚愕した.

プログラミングをしているだけなのに,「お勉強」として扱われるなんて.

情報科学の基礎を作る数学面白かった.

今まで何気なく使ってきた道具に,こんなに深い基礎理論があるなんて,知らなかった.

講義が終わったらサークル棟に入り浸って,入学祝いMacintoshで朝までゲームを作ったりしていた.

学費を稼ぐためのゲームだが,やはりエロゲを作ろうということになった.

ただし,そのためには絵師必要だということで,先輩が漫画研究会から絵師スカウトしてきた.

かわいい女の子だった.

一目惚れした.

彼女の絵は綺麗で,エロかった.

こんなちっこくてクリクリして可愛い女の子が,こんなドエロい絵を描くなんて!

俺の頭はすっかり茹だって,も~だめだ~という感じになった.

それからなんやかんやあって,結果的彼女俺の嫁になった.

詳細は伏せるが,なかなかにこっ恥ずかしい青春を送った.

とにかく,彼女の絵を俺のゲームに入れると,

今まで○とか■とか,ちょっとしたドット絵しかなかったキャラクターに命が吹き込まれるようだった.

作った同人ゲームも,学費がまかなえる程度に売れた.

先輩たちが,売上金を快く俺にカンパしてくれたおかげでもある.

満ち足りた大学生活だった.

就職先には当然ゲーム会社を選んだ.

スーファミはもう時代遅れになったが,自分の作ったゲームが本当に発売されて,ゲーム機の中で動いているのを見た時は嬉しくて泣いた.

娘が生まれた時と,どっちがと思うくらい泣いた.

さて,俺のドケチな親父だが,娘が生まれてほどなくして死んだ.

あんなにドケチに金を惜しんでいたのに,財産も何も残さず死んだ.

遺書を読んだら,葬儀簡素親族だけで行うように,とあった.

最後最後までドケチなまま逝った.

親戚付き合いらしい親戚も居ないし,どうせ誰も来ないだろうと思っていたが,

葬式当日には呼んでもないのに大勢の参列があって,なんだこれは,人違いかなにかかと思った.

なんでも,親父の運営するNPO法人従業員だとか,親父の寄付金で建てた養護施設代表さんだとか,

親父とは無縁の世界の住人だとばかり思っていた,立派な善人ばかりだった.

家に居ないことの多い親父が外で何をしているかなんて興味なかったし,どうせ競馬かなんかで稼いでるんだろうと思っていた.

最後最後さら最後まで,面倒事を運んでくるクソ親父だ.

葬儀が終わって,ちょっとした額になった香典の山を眺めていると,

「さあ自由に使っていいカネだぞ.お前はそれで何をするんだ?」

そんな声が聞こえてくるようだった.

なんだかむかついたので,その金は今まで通った学校プログラミング関係の本を寄付するのに使うことにした.

一銭も残さずに,全部.

それでもなんだか負けた気分だったから,ボーナスをつぎ込んで,倍額にして寄付してやった.

ケチなクソ親父を,見返してやった.

最高の気分だった.

それが6年ほど前の話だ.

ところで最近小学校に上がった娘が,アニメに出てくるようなフリフリなドレスを着て学校に行きたいと言い出した.

うそんなお年ごろになったのか.

女の子の成長は早いものだ.

子供には不自由させたくないと思っていたが,調べてみると我が子の眼鏡にかなう服は,日常的に着る服にしては,ちょっと高い.

悩ましい問題だ.

家の家計は諸事情により逼迫している.

さて,どうやって安上がりにすませようか.

2014-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20140803222337

思い入れがある所残念だけど、F-ZEROはもう用済みだと思うよ。

確かにF-ZEROスーファミローンチタイトルとして出た傑作だけど、F-ZEROで培ったノウハウを元にして大傑作のスーパーマリオカートが作られて、任天堂代表するタイトルになった。

この時点で主導権は失ってる。実際、スーファミ次世代機として出た64ではF-ZEROじゃなくてマリオカートだったのがそれをよく表してる。

F-ZEROはというと、64のポリゴン性能で実現できて、かつマリオカート表現できなかった「より立体的なコースによるレース(要するにワイプアウト)」をやりたいために超傑作のF-ZERO Xが出たね。

ゲームの出来は抜群だったけど64の頃はゲーム部分にばかりリソースを取られてグラフィックいまいちだった。

それを解消できる次世代機ゲームキューブで出たF-ZERO Xの続編が極傑作のF-ZERO GX/AXだ。元増田遊んだとあるかな?

これを遊んだF-ZEROファンなら、こう感想を抱くと思うよ。「完璧F-ZEROだ」そして「これを超えるF-ZEROが今後現れるのか」ってね。

実際、宮本茂海外メディア向けに「F-ZEROの新作を作るためのアイデアが無い」って話してたよ。トドメを刺されたと思ったのはやっぱマリオカート8が完全にF-ZEROの要素を入れてきたことだね。

個人的にはHD画質F-ZERO GXをリマスターして欲しいと思ってるんだけど。

もう一方では「SFCゲームをそのまま携帯機で遊べる」をアピールしたいのか、GBAローンチタイトルF-ZEROだったね。元増田は衝撃を受けたかな?

GBAマリオカートを作るには性能に満足できなかったのか、GBAではSFCF-ZEROベースにしたF-ZEROが何作か出たけど、DS以降はマリオカートばかり出てる。

やっぱり用済みじゃないかなぁ。

2014-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20140803222337

初代F-ZERO宮本茂の好きそうなアスレチックレースゲームだった。

押し合いへし合いあり、ジャンプありショートカットあり。

しかも緻密にコース取りを追い込んでタイムアタックもできる。

神がかり的なバランスだった。

でもそのゲーム性はすべてマリオカートに受け継がれた。

しかたなく、F-ZEROは別のゲーム性を手に入れる必要があった。

しかし見つからなかったので、超スピードワイプアウトパクリ)でごまかした。

が、やっぱりゲーム性と呼べる物は盛り込めなかったので、後が続かなくなった。

2014-08-03

F-ZEROの続編はなぜでないのか?

1990年に発売された『F‐ZERO』は、単なるレーシングゲーム以上の意味を持っていた。

まぁいきなり端的にいえば、「ローンチソフト」としての役割を持たされていたのだ。

スーパーファミコンではこんなことができる、こんなグラフィックでできる、こんなサウンドを出せる…

レーシングゲームというジャンルにおいてこうした技術を示す重要任務を与えられていたのが『F‐ZERO』だった。

アクションでは勿論、『スーパーマリオワールド』がこれを担当していた。

結果的にいえば『F‐ZERO』は「ローンチソフト」としての役割を十二分に果たしたと言えるだろう。

SFC、この新しいゲーム機でできることを象徴的にあらわしたのだ。

今改めて『F-ZERO』をプレイすると、ゲーム自体シンプルであったと気付かされる。

しかし『F-ZERO』は、述べてきたような歴史的意味を持っている。

すなわち、SFCという家庭用ゲーム機における偉大な歴史の1ページに、直に関わる存在であるのだ。

ただの古臭い24年前のゲーム、という評価に逢着しない、『F-ZERO』の色あせない部分がここにはあるのだ。

F-ZERO』は、ゲーム新しい時代象徴だった。

2003年に『F-ZERO GX』が登場の後、F-ZEROシリーズの続編はまだない。

これは述べてきたこととの逆の現象が起こっているからに他ならないだろう。

まり、この時期からレーシングゲームの劇的な進化進歩が起こっていないのではないだろうか。

3D化を果たし、グラフィック進化した。しかし、ゲーム歴史を揺るがすような劇的な進歩がここ10年ほどはレーシングゲームで起こっていないのではないだろうか。

いずれ劇的な進歩が再び起こることがあるだろう。

その時『F-ZERO』は再び私たちの前に姿を現すに違いない。

2011-09-11

衝撃を受けたゲームねえ…

・Dungeon Master(リアルタイム

Virtua Fighterポリゴン…これよりバーチャレーシングなどを挙げるべきかもしれないが)

F-ZERO(拡縮回転を3Dにおける面として扱う発想とスピード感)

Final Fantasy 4(リアルタイムバトル)

Street Fighter 2(格闘ゲームの完成度として)

・汝は人狼なりや系(マフィア系統ゲーム知らなかったもので)

発売開始時に触れていれば初代スーパーマリオや初代シルフィードとかも衝撃受けたんだろうか…うーん

http://anond.hatelabo.jp/20110911081233

2009-06-04

マリオギャラクシー2をwiiでだすらしい

ハードブランドだと勝手に俺は思ってた

ファミコン時代はまだ手探りだったから例外として、それ以降は結構この法則は守られていた

なのにwiiではそれをあおろうことかマリオでやった

いまゼルダwiiを開発らしい

ブランドの安売りだと思うんだが

岩田は焦ってるのか、それとも戦略的にやっているのか

E3でサードのソフトがほとんど無かった現状みてるととても悲しい

利益が出ていればOKという考えは、経営者として正しいかも知れないけど

ゲームやってる側にはどうでも良いこと

F-zeroスターフォックスの外注、そしてメトロイドの外注

なんかもう岩田はゲーム文化なんてどうでも良いと思ってそうだ

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