はてなキーワード: EBMとは
プシコって言葉知らん?
最近はこの言葉使う人あまり見ないけど、昔からプシコとナマポは医療従事者から蛇蝎のごとく嫌われてる
精神疾患全般、DM(糖尿病)患者、急性アルコール中毒、生活保護受給者はネット上でどれだけ叩いてもOKな存在とされてるみたい
トンデモ医学と戦う! EBM推進!という立場の人でナマポ嫌いを露骨に出してる人もいて、まさに現代における穢多・非人の扱い
精神保健指定医持ちの精神科医ですら懲罰的感情で患者を身体拘束してやったってツイートして炎上してたりする
誰もがネットで自由に本音を吐き出せるようになった結果、医療従事者が内心抱えてる差別感情がモロに見えるようになった
スティグマ属性は現実に医療現場において迷惑をかける存在だから、愚痴を言いたくなる気持ちは分からないでもないんだけど、せめて実名と所属を明かして「こういう属性の人を私は差別しています」と表明してほしい
まあ無理か
不快になる事しか書いてないし、支離滅裂な文章なので頭がおかしくなりそう!
コロナがついに5類になる。
医療者側の渦中の人間だったので、正直世間の人たちの意見を意図的に見ないようにしていた3年間だった。
なんでかと言うと、余りにも自分たちのしてる事が馬鹿馬鹿しく、そして虚しく感じてしまうんじゃないかと怖かったから。
渦中から外れた今、5類移行を前に様々口汚く罵る人々をアレコレ見られるようになって、「仕事してる時に見なくて本当に良かった〜」と心から安堵している。
ちょっと心は折れたけど、アル中にも借金まみれにも性病にもならず、何となく生き延びることができた。
関係ないけどいま梅毒がやばいので、風俗行ったり知らん人とやりまくる人は一回検査してくれ。ウン10年後が怖いから。妊娠してると堕すことになるから。早めに治療したらちゃんと治るよ。
まぁ梅毒なんかはどうでも良い。
個人的には感染対策も、ワクチンも、各種支援も、このヤバめ未曾有の超災害に対してみんなわりとかなりけっこうずいぶん頑張ったように思う。
ズタボロの雑巾みたいになって働いた医療関係の人たち、私も含めて超お疲れ。
これからはのんびりスローライフとまでは行かなくても、もう少し心穏やかに仕事ができるようになると良いよね。折れた人はもう休んでくれ。
でも多分こう言うふうに言えるのは私が医療者側だったからであって、コロナで散々苦しめられた学生観光飲食エンタメなどに関係する方々からすると、医療職ってもはや『敵』というか『自分達をコロナで苦しめた諸悪の根源』になってるんだなぁと、しみじみ思った。
医者がああだというから、保健所がこうだというからという強制力のもとで散々抑圧された市政の方々からすると、それもそうかーと言う気持ち。
ごめんねってここで謝ったところで、何の意味もないし、何に謝っているのかもわからないんだけど、辛かったろうなと言うことの傾聴はできる。
できるかな?仕事だと言われるとやれると思う。悲痛な面持ちで頷きながら、手を握るくらいなんてことないぜ。
でもそうなるとむくむくともたげてくるのが「私たちがやった事ってわりと無駄だったな」「そこまで頑張らなくても良かったんだな」という考え。
日本は7万人くらい亡くなって、致死率0.2%くらい。
らしい。いまHP見てきた。
厳しめの感染対策と日本人の潔癖さと村八分文化と医療者の頑張りとあとなんか他にも色んなものが様々に絡み合って、出来た結果だと思う。
でもコロナ禍が過ぎて、こんなに医療職が馬鹿みたいに叩かれるなら、もっと対策は緩くして良かったんだなーとしみじみしてくる。
アメリカもロシアも致死率1%以上あるから、別に日本もその水準でなーんも問題なかった
単純計算すると5倍なんで、35万人くらいは亡くならないと他の国と釣り合いが取れない
あれこれと苦しい思いをして必死になったのがばかみたい
今私の頭を占めてるのはそんな考えばかり。
なんか今日胸糞悪い記事とニセ科学記事を血眼にして読み漁ったので、鬱屈とした気持ちが占めてるせいだとは分かってるんだけど。
こんな事は違いますよってのも、感謝してくれてる人もいるってのも知っておりますが。
でも酸素化が85%とかになって苦しいよ〜ってやってる人を、どうしようどうしようって思いながら治療する必要なんかなかったし、食べ物がないんです!と喚く人たちに、配食をあくせくしながら届ける必要もなかった。命ギリギリの人たちにごめん、もっと早くなんとかしとけばよかったよーって泣く必要もなかった。あれも、これもみーんな無駄。
老若男女、等しく5倍の人が死んで良かったのだと思うとなんか全てがあほらしいなーと言う気持ちがいっぱいになるわけです。
でも多分死ぬのは主に金がない人たちに超偏るんだろうなというのも頭を掠める。それはなんだかな。めちゃくちゃ腹立つな。私も貧しい側だから死ぬし。
でももっとたくさんの人が悲壮感たっぷりに死ねば、いちいち強制的に規制なんてしなくても、自発的に色んなものが少し自重ムードになって、こんなに憎悪の連鎖にはならなかったのかもしれない。
お得意の村八分文化で感染者を自殺に追い込む事はできたじゃないですか。なのであんな感じの対策で良かったんのかもしれない。
イベントもそのままやれば良かったし、飲食店も閉めずにそのままでいたら良かった。
次亜塩素酸ナトリウム噴霧しながら、クレベリン舐めて塩のかかった⚫︎コー⚫︎飲んでおけば治るんですよ。はっ倒すぞ。
病院は患者が押しかけて資源の奪い合いになって、多忙で鬱になる医療者がどんどんやめて医療は崩壊するけど、医者はともかく看護師なんかウジみたいにいっぱいいるし、時がたてば何とかなるんじゃない?
ならねーよ。後輩みんな鬱と不眠抱えてんだぞふざけんなよ。転職できた子はめちゃくちゃ明るくなってたので、それはめちゃ良かった。健やかに生きてね。
今はそんな気持ちでいっぱいになってる。
市政の人たちは医療者の事、嫌いだろうと思うけど
少なくとも私も市政の人たちのこと大嫌いなので、安心して欲しい。
口汚く罵る人はもちろん地獄に堕ちろって思ってる。
あとは上っ面でブルーインパルス笑を飛ばしたり、テキトーなイルミネーション点灯して「医療関係者にありがとう!」とかしてた奴らはもっと唾棄するレベルで嫌い。
本当にきつい時に、他人の自己満足の餌にされたことは一生忘れない。
なおブルーインパルスを操縦した人は悪くない。
でもそれを企画立案したやつも、それに金出したやつも磔⚫︎斬⚫︎にしろと思う。血を流せ。畑を血でみたせみたせみたせ。フランス国歌もそう言ってるだろ。苔むしてる場合じゃないんだよ。
金と休暇以外に欲しいものはなかったけど、それは絶対にくれなかったし。
漠然とした上の連中が、この3年間で何を考えて、私たちに何をしたのかは忘れないでいようと思う。
具体的にいうと選挙に行く。あと有給を取る。手札が少なくて泣けてきちゃう。転職がんばろ。
あとはネットでよく見かける「つよいくちょうのいしゃとかんごし」これも嫌い。
嫌いというか愛憎入り乱れてる。
たしかに良いぞもっとやれって思う時もある。もっと無知蒙昧で下劣で低俗な市民をボコボコにEBMがちがち正論で殴ってしまえと。スカッとするし。
でも結局センセーショナルな文言で煽るようなことを言っても何も解決しないのと、結局他の善良で草の根ネットワークな医療関係者を背後から撃ってることになるし、なんなら私も攻撃受けて辛いので、マジでやめろやという気持ちに落ち着く。
頑張ってるのに患者や市民にリンチされてしまった結果、世間に怨嗟を撒き散らすことになってしまった悲しい乙事主である事はわかるんだが。頼むから美味しいもの食べて、寝て、楽しいことをして、いかりをしずめてくれ。あなたたち、つかれてるのよ。
というか今ここで恨みつらみを書き連ねてる私も同位体なわけですけど。つらみー。
OMIさんがもうそれはそれは散々な罵倒をされてるが、あの人の凄いところはそれを絶ッッッッッ対に怒りで返さないところ。対話をしつづけるところ。まじですごい。
私みたいな底辺クソメディ野郎はもちろん、各方面の優秀なオイシャサンたちまでもが、感情むき出し祟り神モンスターに成り果てていく中で、静かにわかりやすい形で啓発・説得を続けようとするの、これは本当にすごいことなわけですよ。
何なんあのメガネって思ってる人も多いと思うんだけど、まともなことを怒らずに淡々と言い続ける人はまじでとんでもねー人なんで、30年後とかにめちゃ余裕が出て慈悲の心が沸いたりしたらインタビュー記事とか読んでみてください。めっちゃ心を砕いてどうしたらいいか考えて、頑張ってるんだよ、分科会の人。政府はろくに聞きませんでしたけども。ナントカ医師会とかナントカゲカ学会の人なんかより5億倍くらい頑張ってるのは知って欲しい。
とりあえず5月8日が待ち遠しいような、でも別に私の職場何も関係ないような気もするような。
医療関係者なんか来世には絶対選ばねーよと思いながら、転職を頑張ろうと思う。
みんなおつかれ。
なんか罵倒コメントでもついてるかなという戦闘的な態度で見にきたら、普通にやさしいコメントついててびっくりした。ありがとね。
でもさ100のヨシヨシと1の膝蹴りだと膝蹴りの方が脳内を占めない?
世界が全て膝蹴りしてくる人に見えてこない?認知の歪みなんだけどさ。そんな時もあるんだよ。
そして市井の人とノイジーマイノリティね。
おぼえたよ、ありがとね。
啖呵切った部分で誤字ってるのは公衆で恥部を晒しているのに等しいが、覚えるために残しておくね。
Twitterで怨嗟の部分だけ切り抜きされてて、それも羞恥心に駆られました。冷静になったら負けだ。
これは公衆便所の落書きと同じなんで、こんなもん真剣に読まんで寝てくれ。もし寝れないならKUTSUNA先生のYahooのやつを読むんだ。50億倍役にたつ。
そしてなんか凹んでる人達へ。こんなもん読んで罪悪感とか悲哀を感じないでくれ。職業選択の自由において大いなるハズレを引いてやがるざまぁと嘲笑うくらいでいいんだよ。私もそう思ってるから大丈夫だよ。
海外の医療者の人へ。なんなら海外の医療者のが本気で死ぬ思いで悲惨だったろうと思う。マジでマジでお疲れ様。海外はたぶんワクチンと文化と政治が絡み合ってあの感染者だから、何かとてつもなく巨大なものに押し潰されるような恐怖と戦ってたのかもしれない。英国とかの病院の廊下で患者が死ぬ話とかもはや戦時中だよ、考えただけで胃が捻転する。
医療職の何が大変なのか理解に苦しむ人へ。職業に貴賎はなく、どの職にもそれぞれの苦労やつらさはあると思う。現場で胸が苦しくなる場面が体験したければ、NHKのエマージェンシーコールって番組見てみて。風呂場で血まみれで冷たくなってる妻を、夫が震えながら心臓マッサージする場面(だったと思う)が出てきます。例えるとそういう類のものです。
『接遇気をつけて♡』ってうちわ持って振りたいやついるよね。うちの職場の人にもぜひやってくれ。
WHOとかいう組織のフグの毒みたいな名前の人が緊急事態宣言を解除したみたいで何よりです。
何がよかったのかといわれるとわかんないけど。
撲滅してないし、何かの感染症の流行り廃りは続くので、少年漫画の打ち切りのラストみたいな「私たちのたたかいはこれからだ…!」みたいなのを延々続ける羽目になるのだ。完。
余命投票制度を反射的に否定する人は、莫大な費用のかかる手術をしないと死亡する幼児と老人がいる場合、どちらも対等に扱うべきだと考えているのだろうか?
費用の制約により救える命が限られている場合、原則としては余命の年数をベースに優先順位をつけるのは自然な発想であり、実際に根拠に基づく医療(EBM)の考えではQOLを考慮した期待余命の年数(質調整生存年)をもとにした費用対効果に基づき判断するのが一般的である。
日本でも質調整生存年に基づく費用対効果を考慮した薬価基準制度は2019年にに導入されており、余命をもとに物事を考えることはそれほど反倫理的ではないといえる。
漢方はうさん臭いだのエビデンスがないだのって話がしょっちゅう出て、そのたびに漢方系の人間は「西洋科学的な分析が相応しいわけではない」とか「数千年の蓄積が」とか「EBM(科学的根拠に基づいた医療)に向けた取り組みもあるのだがなかなか進まず……」とか言ってるけど、大企業から金と人をドカンと取ってきて今風の研究を数年間モリモリやってデータでなぐりゃいいじゃんね。
その人の体調全体を見て、ライフスタイル全体を向上させるのが漢方だから云々ってんなら、それを踏まえた調査研究手法をやればいい。西洋医学で普通使われる調査とは違っても、データ数とその厳密さが十分あれば一般向けの説得力は出るだろ。
幸福度調査とか言うよくわからん意識調査だってそこそこ存在感あるんだからさ。
ツムラ、クラシエ、サントリー、DHC、世田谷自然食品あたりの漢方とか健康食品とかの大企業は金あるんだし、どこぞの有名大学がそれらに共同出資してもらってやりゃあいいのにな。
差別と表現規制の話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現は
という.
この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民にエビデンスを提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいかに知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.
ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口にエビデンスといっても質の強弱がある:
I | システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
II | 1つ以上のランダム化比較試験による |
III | 非ランダム化比較試験による |
IVa | 分析疫学的研究(コホート研究) |
IVb | 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
V | 記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
VI | 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
もちろん,社会科学分野では完全なランダム化比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学の研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制の議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンスを提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である.
宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士の発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスがフェミニスト側から提示されることは現在までない.
と,有害性は明らかであるとする.自治体のガイドラインは炎上しないためのHow toであり,これに抵触したからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連のポスターですら,形式的にはガイドラインに抵触することが指摘されている:
https://togetter.com/li/1425795
こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか.
キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。
「性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実の性差別・性犯罪を助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイのイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.
https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560
ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞のサイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期の自分は、やっぱり傷ついたから。
自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがときに女性をいかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分の趣味にケチつけられたら、腹も立つだろう。
ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.
千田氏自身は,法規制を求めているわけではなく「市民的公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民の議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民の議論の補助となるエビデンスを提示してもらいたい.
今年の4月,フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字を引用し,現在の社会にある男女差別を提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想で同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンスを提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制でエビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである.
ダルビッシュ選手がトンデモとされる医療本を紹介して、話題になってる件を見て思ったことがタイトルなんだけどさ。
推測だけど、野球選手って基本的にみんな「※個人の感想です」の世界で育ってきてると思う。
小中高と野球をしている中で、「この練習には打率を上げる効果が論文で実証されている」と言って指導している人はまずいないと思う。「こうやったらうまくいったからやっている」だと思う。プロに入ってもそうなのかもしれない。
それから、彼らは一瞬一瞬が勝負なわけで。エビデンスがどうであれ、結果が全て。だからどんなやり方も平等に取り扱うし、それが結果につながればそれが正しくなるわけで。
だから今回のダルビッシュ選手の行動は彼からしたら何の問題もないんだろうと思う。
医学はそうではないんだろう。
だから衝突が起きた。
ただ、彼には彼の生きてきた文脈があるし、医学に従事してる人にも文脈があるし、その辺の折り合いをつけるのは難しいだろうな、と思う。
ただ医学的にいくら問題があると言っても、いきなり彼の文脈に入り込んで声高にそれを否定することはどうなのかな、と思う。もう少し医療側がコミュニケーションの仕方を考えたほうがいいと思う。
医者になってからずっと、このまま医者を続けていっていいのだろうかと考えている。
はじめに断っておくが、医者の仕事がキツいとか、仕事についていけないからやめたいとか言っているわけではない。
自分で言うのも何だが、私はそれなりに優秀な部類に入る方の医者だと思う。
仕事がキツいと思ったことがないとは言わないが、それが原因でやめたいと思ったことはない。
何が問題かと言うと、医者という仕事にどうしても楽しさが見いだせないことだ。
自分の治療によって患者さんが良くなるのはうれしいし、医者という仕事は感謝されることが多くてやりがいはある。
これは間違いないのだが、果たしてそれを糧にしてこれからの人生でずっと医者を続けていっていいのだろうか。というか続けていけるのだろうか。
医者になってはじめの数年は、このまま経験を積んでいけばそのうち医者という仕事に楽しさを見いだせるようになるに違いないと思っていた。
しかし、初期研修医が終わり、後期研修医が終わってもあまり状況は変わらない。
卒後10年くらいでこんなことを言われると怒られるかもしれないが、医者という仕事はある程度のキャリアを積めば、どういった環境で働くかにもよるが、その後はルーチンワークがどんどん増えていく。
この世に一人として同じ人間がいないように、同じ疾患の患者さんで同じ経過をたどる人はいないわけだが、それでもほとんどの場合何かしらの類型化は可能である。「あっ、これ前に見た患者さんと同じ感じだ」というのが増えていく。
そして、現在の流れとしてEBM(Evidence based medicine:臨床試験などの結果を踏まえた根拠に基づいた医療)を元にした各種ガイドライン化が進み、誰がやってもある程度同じ結果が得られるような体制ができつつある。
自分が優秀だとして、その自分の優秀さのおかげで患者さんの予後が変わるシチュエーションなんて、そうそう巡り合わない。まぁ、そんなシチュエーションに頻繁に巡り合うとストレスで寿命が縮むのでやめていただきたいが。
現実の医者の世界のほとんどは、医療ドラマにあるような派手な世界とは真逆の地味な世界だ。
誰がやってもほぼ同じなんて楽しいわけがない。まぁ、医者の楽しみのために患者さんがいるわけじゃないので、誰がやってもほぼ同じということはもちろんいいことなんだけど。
そして、きっとそう遠くない未来には、医者はAIの助言に基づいて最終的な判断を下すだけの存在に成り下がるに違いない。お先真っ暗である。
外科系や循環器内科などの手に職系の内科は違うかもしれないが、きっとそれもそのうちロボットに駆逐されるだろうと思っている。
それはさておき、そんな自分の現状を変えようと思って、臨床にいったん区切りをつけて、大学院に戻って今度は研究をしてみたが、これまたあんまり楽しくない。
それなりに優秀なので教授にも気に入られてそれなりに結果を出してはいるが、現在の医学研究は物量がものをいう世界になっていて、アイデアはもちろんだが、カネとヒトがないとトップジャーナルに載るような研究はほぼ不可能である。
もう数年は頑張って、なんとか博士号だけは取りたいとは思ってはいるが、将来的に主任研究者としてこの世界でやり合っていけるほど自分が研究に向いているとは到底思えない。
そんなこんなで、医者になってからずっと自分探しの旅が続いている。
傍からは脳天気な人間に見えるらしく、悩みもなく順風満帆なエリートコースを歩いているように見えるらしいのだが、内実は大荒れの海を彷徨っているかのごとしである。
よく、「好きなことを仕事に」とか言われるけど、好きなことってなんだ?
増田にこんなことを書いていることからわかるように、パソコンとインターネットが好きで、株を少しばかり嗜むこともあって、岡三RSSを駆使して自作した株の自動売買システムをいじくっている時が最近の一番楽しい時間だが、プロの投資家としてやっていけるような才覚はおそらくない。
医者とパソコン・インターネット好きということを活かすという意味では、医療ITベンチャーのスタートアップなんかも楽しそうではあるが、この年になって妻子を抱えた身としてそんなところに身を投じる勇気は残念ながらない。
AIとかディープラーニングとか、医療の世界でもっと活用できそうなことが転がっていて、すごく心躍る世界ではあるのだけど。
なにより、医者という身分はいろんな意味で居心地がいいので、なかなか捨てづらいものがある。
「医者の仕事に楽しさが見いだせない」とか言いながら、実際に臨床を離れると患者さんを見る機会が減ってかなりさみしかった。
今はバイトベースで外来や救急をしているが、患者さんを診ると充足感があるのは確かだ。
給料はいわずもがな。大学院生をしながら週1〜2回の外来・当直で妻子を養っていける。こんな職業は他にはたぶんない。
なんとなく不満をぶつぶつ言いながら、このまま荒波に順調に流されて行ってしまいそうな気がする。
一重盲検だって成立しねーんだよっ!検査だろうが療法だろうがな!
製薬会社がそうしたように、セキュリティソフトの会社がそうしたように
歪んだデータで作られたエビデンスを掲げた検査や療法のマニュアルやビデオが氾濫することになる
ああ、楽しからずや
私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。
坂口安吾「余はベンメイす」より
つまりは、自分を騙しちまうような目の曇った哀れ者が溢れれば、途端に壊れちまう世界なのよ
ああ、先輩よ
“澆薄の世の習ひとて、淑徳が却って不徳に對うて、語を卑うし、頭をも下げて、許容を乞はねばならぬわい”
恋愛工学がなぜすごいかって、EBMと同じ理屈だと思ったから、医学でたとえた。
自分の身内なら当然話はかわる。ケースバイケースがいいのも理解している。恋愛も、やられる女からしたらそうでしょうね。
しかし、医学みたな秀才達がガチで考えた結果がこうだっていうなら、そりゃそうなんだろうなって俺は思ったし、多分人類にこれ以上の答えないから、
てかさ。
本当に患者のことを考えてたら、副作用でかい薬で、寿命のバスか~とかを、冷徹に決められないでしょ。
一応、医療のプロトコール的なもんで、患者の意思を尊重って言うけど。本当の本当に考えたら、決められないんだよね、どんな薬使うかなんて。
これって、ナンパ師達がやってきたことをまた同じように繰り返しているんだけど。
確かに面白いと思った。
工学って名乗るくらいだから、専門用語を作ってみたりして概念を数理モデルに落とし込んでいる。
これは非常に俺は納得できた。
言ってることは、
「ナンパでの声かけは、定型文作って、それで話かける、これを『オープナー』と言う。『写真撮りましょうかオープナー』『こんばんはオープナー』などいくつか定型作れ」
こういう感じで、定義つけられた行動をひたすら繰り返せば、ヒット確率が5%なら20人話しかけられればいけますね。これはナンパ業界では常識だけど、これを『メソッドだ』と割り切ったのがよかった。
俺は、どーも話しかけることに感情の機微的なものを感じすぎていたが、メソッドだから心を無にしてやってしまえるんだ!と解く。
それとか他には、「セックスすれば女はその男を好きになる、セックスする前は女が主導権あるが、セックスした後の主導権は男。だから、セックスする前にセックスできるように女をいかにだますかが大事」というのは常識だけど、それまでの過程をいくつかに分割して、それぞれ無感情でできるメソッドでくくっている(まったく同じデートコースを繰り返すことで流れになれるとか)
もちろん、これまでもナンパ技術で、さんざん言われてたことだが。どーもナンパ技術は、「メンタル」「度胸」となっていた。俺はどーしても感情で話してしまうから難しいんだけど、それをできるようになる。
会話についても、どーも俺は感情を読み取って話ししていたが、「ラポールを作るんだ、これらの技術を繰り返すんだ」と単純化されてしまうと、なるほどできそうだと思えた。俺は、機微にこだわりすぎて、大筋を忘れていたみたいだ。
あと、恋愛工学は、それぞれの過程で専門用語を作って、ある程度体系化しているからこそ、研究しやすいと思う。
オープナーのメソッド、連絡先聞き出しのメソッド、クロージングのメソッド、デートに誘うメソッド、デートからセックスに持ち出すメソッド、セックスを断られそうなときのメソッド。
もちろん、これまでもナンパ師はこういう分割で研究してきたんだけど。どーも彼らナンパ師の言葉はふんわりしていて。理系には分かりにくかった。オラオラだぜ~とか、ノーグダとか、体験してない側には意味不明だった。
あと、「普通の漫画とか映画とかドラマとかの手順を踏んだ恋愛は無理」ってのをはっきりと書いてくれたこと。イケメン美女なら、できるんだけど。それを普通の男がやってもまず無理。ってのを教えてくれた。
まあ正確には無理じゃないが、ヤリチンと女が遊んで、その間のキープってのを普通の男は付き合ってると言ってるんだよ。ってことをはっきりと言ってること。その、ヤリチン側に回る手順は、一般の、仲良くなって、尽くして好きになって~ではないと。
女達が偉そうに教えてくる優しくしろだの、マメがすきだのは嘘だ、女はヤリチンに相手してもらえなくて、だから押し付けがましくそういう理想像があったらいいなってだけだ、本当は冷たくされて喜んでるんだ。と。
これは本当に目をさまされた。なんで、ナンパ師達が、あんだけオラオラやってるのか俺は理解できていなかったが、なるほど、そういうフレンドシップ戦略、とか一人の女だけを好きだぜ、みたいなのはキモいと女は感じるようにプログラムされてるらしい。
なるほどと思った。女向け恋愛映画は、ヤリチンくさい男が、一途に君だけ見てるぜ的なのが多い。ヤリチンはそれを読んで、やりまくってる、やりまくってるそぶりも見せる、しかし、君が好きだ、君の話を聞いてタイアピール。をする。
これはその通りだなと。ヤリチンが好きなんだから、一途に思うこと自体無意味。余裕を持たせるために、たくさんの女と同時平衡にアプローチしろ。それ、ナンパ師が毎回言ってたが、意味が分からなかったが、なるほどと分かった。
俺は、どーもそのあたりの機微を詠みすぎていた。
医学なんかでも、確かに患者の話を聞くのだけれど。じゃあ薬はどうやって選ぶのか、手技はどうするのか、ってなるとそれは冷徹に論文に根拠を求めるんだよね。
この部分、昔の医療は医者の経験とかで判断してたんだけど、それよりは論文に寄ったほうがいいよね(EBMっていう)ってなった。
そうすると、すんげー専門用語が多くなった。それもそのはずで、専門用語ってのを理解できるってのは原理を理解できるってことに近い。専門用語を知ってる知らないってのがダイレクトに理解してるしてないにつながっていくから、専門用語を作ることが合理的になる。
そういう意味で。確かに恋愛工学はいままでの焼き直しだけど、そこに名前をつけたのがいいなと思った。
俺は、ナンパ師たちのテクニックを学んでも一向に実行できない。
正確には、10回くらいはナンパして、5回は話かけられず、5回は2,3人にこんにちはーとか、道を聞いたりしたが、韓国人の女と1回おちゃした程度で、連絡先交換もなかった。
でも、工学といわれて、メソッドだといわれるとできそうな気が少しした。
医学でも、自分の経験だと微妙に挑戦しにくいが、「この論文でこっちの薬がいいと結論でている」といわれると、「証拠があるし、悪いことしてない気になるしいっかー」とやれる。逆に、勉強してるからできるんだぜーくらいに誇らしい気持ちすらあるw
女性は恋愛したいのに、恋愛工学だと女性はセックスするためのもので。しかも工学にあてはまる女ってのは一部のそういう工学にはまりやすい女だけだ。という主張。
これもその通りだと思うが。
論文で薬を与えられる患者というのは、完全にモデル化されてるし、それぞれの患者に効く効かないは個人差あるけど、それでも薬を投与する。統計的には効くから。
そして、経験的な医療では、患者の話を十分に聞いて機微を察して薬を投与するが、それでは学問として成立しない意味合いもあるから、論文重視になって、だれでも同じ医療が受けられるようにしている。
確かに、女性の言うように、恋愛の機微で感情を持ってやるべきだってのも分かるんだけど、それでは男は女と付き合えないというわけだ。女なら股をひらけば男をゲットできるが、男は50人に声をかけて1人と付き合えるかどうかなわけだ。
まったくのゼロの女しか捕まえられない男に、次のステップである恋愛の機微とか説いても無意味じゃないかと思った。
ってか、そういう恋愛の機微を捕まえる、一途な男にたいして、女はどういう態度を取ってきた?クリスマスプレゼントだけもらって、デートがあっても浮気相手のヤリチンに走って。そういうのが多すぎる。だったら、女がそういうの言う資格ないと思うんだよね。
また、一部の女にしか効かないというが、それでいいと思う。効かない女もいる、それは当たり前。効く女だけに薬を売ってるんだろみたいな話だが、それでいい。まったくのゼロで女に相手されないより、そういう女でもやれるほうが絶対いい。
まあここまで散々持ち上げたけど。俺はそれでも、風俗に行く。
金もあるし、楽だから。セックスもクッソ自分の好き勝手にできるから。
だって、恋愛工学での女って、確かにゲットできるんだろうけど、面倒くさいよ。
そりゃ、自分の奴隷みたいな女を見つけられればそれで風俗行かなくてすむだろうけど、それまでにどんだけの労力かけるんだよ。
俺は、医者で、一回の当直で10万とか給料もらうから、ナンパにかけてる時間分働けば、風俗で美女とやれる。
風俗ってのも、よーするにナンパ師に似た、スカウトマンがいい女をナンパして、風俗に横流ししてるわけだから、ナンパしてるより効率がいい。
でないが、趣味の一つとしてコツコツ続けるのはいいことだと思う。
そんな時に、近くの高齢者施設に行ったら、すごくショックだったことがありました。それはほとんどの病棟にいる患者さんがほとんど寝たきりで、胃瘻されていた。そしてその患者さん、ほとんど意識がない。寝たきりで意識がなくて、会話もできない。痛いも痒いも言えない。その状態で何年も、長い人は10年以上です。
胃瘻をする人が皆寝たきりだ、みたいな安易なイメージ誘導はよろしくない。
大事なのは胃瘻ではなくて「栄養を与えるか」「栄養を中止して最期とするか」のどちらを選択するか、ということだろう。
近くに総合病院があるということよりも、市民が意識を変えるってことが、病院があること以上に価値があることだと僕は思います。
一般論としてはそうだろう。
(中略)
だから呼ぶのは訪問看護師、在宅医。もちろん、発熱とか一時的なことで、これは良くなるよってことであれば家で点滴したりして治療します。でもそうでない時は、残念ながらお看取りすると。そういう世界です。だから救急車が減る。しかも医療費も減っちゃったんですね。
救急車の出動回数の減少や医療費の減少は、救急車を呼びたいような人が夕張以外へと転居した、等の統計上のトリックも考えられる。
だが、ここに述べられているように在宅医療の徹底がなされていることも大きな一因であると考えてよいと思う。
しかもですね、何と死亡率まで下がっちゃったんです。これがすごい。
日本人の死因の1位がガン。2位が心臓系。3位が肺炎。1、2、3、全部下がっちゃった。すごいですよね。何がポイントか。多分、僕が思うに予防の意識ですね。
何年で下がったのか、どの程度下がったのか全く見てとることができない。
その後に「日本人の死亡率は100%」と言っていて”死亡率”という言葉を使っている矛盾にはつっこまざるを得ない。
3大死因の死亡率が下がったなら何の死亡率が上がったのか?
死亡率の変化には死亡診断書を書いた医師の変化に影響されているのではないか?
予防意識が死亡率にまで影響するにはかなりの年月を要するのではないか?
今日本がここです、25%。数十年後には40%になります。じゃあ、高齢化率が2倍になったら、借金も2倍になるんですか……? 医療費はどんどん上がってますもんね。ちなみに夕張は今ここです。かなり先取りしてますね。でも日本中が夕張みたいに高齢化率が高くなる。爺ちゃん婆ちゃんばっかりになる。そんな世界になります。
今回の中で根拠があると言えそうなのは終末期における在宅医療の推進。これは本当に進めていくと良いと思う。
国民の健康に対する意識を高めるというのは国が躍起になっているところ。
その方法として総合病院がなくなってしまえばいい、というのが夕張市のストーリーだが、
全国で総合病院を取り壊す訳にはいかないので、全国的には総合病院へかかりづらくするという現在の政策と近い物になると考える。
改めて読んでみると、「医療費、救急車の出動回数の減少」はグラフもどきの絵のせいで印象が悪いが理屈は合っている。
「死亡率の低下」には短い中に突っ込みどころがこれでもかと詰まっており、ここが一番ダメ。
『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ』というタイトルも統計的トリックを警戒させて印象が悪い。
死亡率の話を抜きにすれば、印象の悪さとは反して普通の終末医療の話だった。
そこにずさんなデータを持ってきてしまったことで、ブコメでの突っ込みが多くなるのは必然だろう。
タイトルでその個所を煽っていることも突っ込みを誘発している。
まとめてみると、十分受け入れられ得る在宅医療推進の話なのに、論拠としてうかつに死亡率のデータを出したせいで話全体の信頼性を失わせてしまう、残念な例だった。
人体の仕組みは川のメカニズムよりもっと複雑だから、『なぜ』そうなるかを現時点で説明しきれないとしても、『確かに良い』と多くの人が言ってきて、今も言っているものについて、まだその理由が分からないうちから捨ててしまうような真似だけはしない方がいいと思うんだ。
これは別にいわゆる東洋医学とやらに限った話でもなく西洋医学とされてる今の医学だって同様の事はある。作用機序のわかってる薬ばかりでもないし、根拠を説明しきれるような治療ばかりやってるならEBMとか言われる事もないわけで。オリエンタリズムで実態以上に西洋医学と東洋医学の違いが強調されてるように見える。
ちょっとまって!
ネット上にあふれている
「ステロイド=悪」
「脱ステしないと廃人決定」
みたいな極端な言説に惑わされないで!
逆に脱ステで何年間も棒に振ったり、炎症がどうしようもなく悪化して、コントロール不能になってしまう可能性があるよ。
まずここを読んでみて。
http://www.kyudai-derm.org/atopy_ebm/index.html
世の中のいろいろなアトピー治療法について、科学的に検討した結果がまとめられてるよ。
怪しい民間療法にだまされないための基礎知識として目を通しておいてね。
http://skinnext.cocolog-nifty.com/blog/cat1880990/index.html
あと、このHP。
http://cabad806.web.infoseek.co.jp/index.html
今使っているステロイドが「効かなくなってきた」とのことだけど、連用による障害ってすぐに結論付けないで。
東京に出てきてから症状が悪化してきてる、とのことだから、一時的に炎症の程度がひどくなって、
今までのステロイドの強さではコントロールできなくなっている、という可能性もあるよね。
とにかく、「ステロイドを処方しない医師」とか「反ステロイドの医師」より、
「ステロイドの使い方、副作用のコントロールに長けてる医師」を探したほうがいいと思う。
その上で、炎症を改善する生活習慣について、これはかなり自分の努力が必要かも知れないけど試行錯誤していくしかないと思うよ。
ネット上では圧倒的に「反ステロイド」情報の方が多いから、あえて逆の観点を強調して書きました。
どちらを信用するかは、最終的には元増田の判断だけど、絶望感に付け込む人、善意で間違ったことを押し付けてくる人には気をつけてね。
高校のころ「脱ステ本」に衝撃を受けて、ステロイド断ちしたけど、完全に治ったということはない。
最近また悪化して、今はステロイドでなんとかコントロールしてるよ。
今改めて「脱ステ本」や脱ステサイトの主張を読んだら、私としては信用できないことが多すぎるな、と思ったから。
アトピーは、自分の体質として一生付き合うしかないな、と思ってる。
すべての疾患を完治させなくてはならない、というのは現代の強迫観念みたいだけど、
治せない病気もあるから、どう付き合っていくか戦略を練る方が現実的だと思うよ。
夫は炎症がひどいときに血まみれになってると、「痛そう、かわいそう」とは言うけど、気持ち悪がったりはしないよ。
そんな人も絶対いるから…
それに、アトピーは絶対よくなったり悪くなったりする。
今悪いからって一生それが続くってことはないよ。
絶望しすぎないで。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1240968090
「偽科学pseudoscience」って言う言葉を使いたいだけなんろうけどね。断言してもいいが、偽科学は病に効きます。ここ重要。これは信念とか、願いとかではなくて、単なる統計的事実ですからね。
以下改変いくよー。
すでに一部の偽科学批判の偽科学系サイトに豚インフルエンザ「便乗」記事が出ているようなので、取り急ぎ、書いておきます。
万が一、本当に偽科学に対する偽科学的な批判に発展したら、ホメオパシーなんてものが効かないなどと期待してはいけません。それは「何もしない」のと同じであることを理解しておくべきです。
いつまで経っても偽科学に対する偽科学的批判が亡くなることはないでしょうが、現時点ではシカトするしかありません。「何もしない」という選択をするかキチンと統計学の初歩の初歩を学ぶは、自分で判断すればいいとは思いますが、万が一「ホメオパシーが効かない」と信じている人がいたら、それは誤りであることをはっきり言っておく必要があります。
また、このような機会に「便乗」して宣伝をする一部の偽科学に対する偽科学的批判サイトは最低だと思います。もちろん、善意であってもだめです。
ホメオパシー、と聞くだけで脊髄反射的にファびりはじめる人間が多すぎてワラケル。多くは禄に医学、というか初歩的な統計学も学んだことのない「理系(笑)」の人なんだよね。リンクのサイトがそう、って言ってるわけじゃないからね。
古くから諺で、「病は気から」というのがあるわけだけども、たとえば偽薬(プラシーボ)には、痛み止め、喘息、鬱、関節炎、麻酔薬、心不全、アレルギーなど、統計学的に有意な効果があることが知られています。
ホメオパシーが効かない、っていうのはそういう意味で、極めて偽科学的発言であるわけ。ホメオパシーに全く効果がない、と言い切ってしまうのは、もうトンデモもいいところ。
言っておくけど、ホメオパシーを擁護しているわけじゃないからね。トンデモに対する憎悪が強すぎて、自らがトンデモになってしまっている○ホが多すぎる、ってだけの話で。
そもそも、「科学的である」とか「偽科学」であるとかの違いがなんであるかをこのリンクの人は考えたことがあるのかな?この人は医学に関わっている人ではないわけでしょ。オレのイメージだと、やたらと偽科学を批判する人間って、ちょっとアレなのが多いんだけど。
EBM全盛の時代ではあるけれども、じゃあその土台に乗っていないものがすべて効かない、嘘、まやかしだといわれると全くそんなことはないわけでね(笑)。健康食品だって同じ。特にホメオパシーに関しては、精神的な効果も含めた上でキチンと考察されているものがあまりに少ない。
極端なことを言ってしまえば、インフルエンザでよく言われている「手洗い、うがい」のうがいについても、それが予防に有効であるというエビデンスは全くないんですけど。統計的な有意差があって、論文に載って学会で認められていることしか正しくないというならば、よく言われているような(っていうか今日の新聞に実際に書いてあったんだけど)「外ではあまりものに触らないほうがいい(キリッ)」なんてのもエビデンスは全くありませんから(失笑)。
血液型占いを真面目腐った顔で批判し始める、ちょっとコミュ力に欠けた「理系メガネ君」って、傍から見てると痛々しいからね。酒の席でのどうでもいい話に過ぎないし、血液型でこうあるべき、っていう「社会に対するアナウンス効果」(たとえば、B型はおおざっぱな人が多い、と繰り返し言われると、実際におおざっぱになるように行動してしまうこと)は学問的な土台の上で議論されてるからね。
くり返して言うけど、決してホメオパシーを擁護するわけじゃないからね。ただ、偽科学を批判するあまり、「ホメオパシーには全く効果がない(キリッ)」って言ってしまうと、その台詞はもう偽科学の範疇に入ってしまうんだよね、残念ながら。
エビデンスがないということのみを論拠にして、「エビデンスがない=偽科学だ!」と飛びついてしまうのは、それこそ偽科学の王道なんだけどね・・・。
あ、ちなみに、インフルエンザに手洗いが有効だっていうエビデンスは存在しますよ(笑)。増田のみなさんも、外から帰ってきたら、きちんと手洗ってくださいね。オレはうがいもしてますけど(憫笑)。