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はてなキーワード: DSMとは

2024-04-28

離人症サバイバー

これから書く事は、創作でも虚構でも捏造でもない。

全て私に関する本当の事だ。

匿名しか書けない事は、時として歯痒く、辛い。

だが、本名を明かして書く勇気はない。

それでもこうして書いているのは、他ならぬ私自身が救われたいと願っているからだ。

なのに私は、今はもう人を信じる事が出来ない。

救われたいと願う反面、対立する感情葛藤している。

自分一人ではどうする事も出来ないレベルに達し、ネットという不特定多数の集まる場で、見られるかどうかも分からない悲痛な叫びを上げている。

から見れば、他力本願に見えるかもしれない。

私も他人に期待したり、縋ってはいけないと思う。

けれど、そう思っていても。

ずっと苦しみに追われている。

私は疲れた。書いている今も、無性に涙が溢れそうになる。

それが、見て見ぬ振りの出来ない、紛れもない真実なのだと思う。

前置きが長くなったが、どうか私の話を聞いてやってほしい。

私は離人症であり、回避性パーソナリティ障害であるらしい。

(前者は一応診断らしきものを下されたが、後者あくまDSM診断基準を満たしているという視点である)

また、HSP気質もある。典型的な「生きづらい」タイプだと思う。

素のままでこんな話をすれば、恐らく大抵の人は困惑するだろう。

心理学精神医学を学んだ方、色々調べて知っているような方でないと、あまりピンとこないであろう症状だと思うからだ。

正直、HSPに関しては、言う事自体が一つの免罪符のように思える為に、あまり声高には言えない。もちろん、他の当事者の方について、あれこれ言うわけではない。

ともかく。自らが抱える様々な特性に、私はずっと悩まされてきた。

例えば、学校での場面。私は苦手な同級生の話をどうしても聞く事が出来ず、ずっと耳を塞いでいた事があった。

辛い情報遮断して、自分を守ろうとしていたのだと思う。

同級生には失礼極まりないし、申し訳ない事だったが。

小学生の一時期、不登校(正確には、給食が始まる前までは出席していた日もあったが、その後に早退していた)だった時もある。

あの時迎えに来てくれた母の拒絶するような、悲しげな後ろ姿。

母の後ろを申し訳なさげに歩く自分の悲しさを、今でも覚えている。

高校時代も、一年から辛かった。文字通り「死んだような顔」をした私は、上手く笑顔になれなかった。

同級生は優しい人も多かったが、結果的に馴染めず、一年持たずに中退した。その後は別の高校に入り直したが。その前後の時期が、人生の前半で一番の暗黒時代だったと思う。

母に「こんな子産むんじゃなかった」と言われたのも、この時期だ。

父は元々家族としっかり関わる人ではなく、私が普通に学校に通えない事を腹立たしく思っていた。

もっと遡れば、幼稚園時代から、私は集団に馴染むのが上手ではなかった。

どちらかと言えば、砂場で一人黙々と砂遊びをしている方が落ち着いていたように思う。

大人になった今でも、私には静かに過ごせる場所、一人になれる時間が不可欠だ。

騒がしい場所や、絶え間なく流される情報さらされるのは耐えられない。

人付き合いでも悩まされる。私は好かれているという確信がない限り、人と上手く付き合う事が出来ない。

正確に言えば、無難な付き合い(出来ていたかは自信がないが)は出来ても、必ず相手に壁を作り、相手に「堅い人」「近寄りがたい人」という印象を与えやすい。

(表面上は「優しい」と言われたり、子供に怖がられたりした事はないので、相手がどう感じるかは分からないが)

そうした特性があると、人間社会では兎角生きづらい。

何故なら、会社であれ、日常生活であれ、人と関わる場面を避ける事は困難だからだ。

あれこれ一人で考えては疲弊し、人付き合いを苦手に感じる。

完全に一人相撲、空回りだと、自分でも思っている。

今も悩み、苦しんでいる事の根底にあるのは、人間関係であるように思う。

しかし、そうした苦しみをまともに受け続けていれば、とっくに精神崩壊していただろう。

いや、もう崩壊していたのかもしれない。

その結果が、離人症からだ。

私にとって離人症フィルターは、現実ダイレクトに受けずに済ませるクッションのような働きをしている。

正確に言えば、私の頭の中にはシャボン玉の幕(カーテン)のようなものが掛かっていて、外の物事はそれを通して感じている。

故に、今一はっきりしない。かと言って、知覚出来ていないわけではない。平たく言えば、現実感がないだけだ。

かれこれ、付き合いは十数年以上になる。

たまに忘れていた現実感が戻りかける瞬間もある。

そうした時、私は敢えて「戻らなくていい」と願う。

目を覚ませば、現実直視しすぎたら、辛すぎるからだ。

かつて死にたいと強く願い、実行した事がある。

結果、死に損ねて今に至る。

死にたい気持ちが完全に消えたわけではない。浮き沈みを繰り返し、今は死ねいから生きている。

から苦しい。私は、どう生きればいい?

私がもっと子供の時に、私を理解しようとしてくれて、手を差し伸べてくれる大人がいれば。或いは違っていたのだろうか。

たらればの話をしても虚しいだけだが。そう思わずはいられない。

この投稿最後になるが、私は「ただ一人の理解者」を求めて、ネットの海を彷徨っている。

本当なら十代の頃にでもするべきだったのだろうが、前述の通り、色々有りすぎて、自分と向き合う余裕なんてなかった。

また、ネットも今よりはあまり身近に感じていなかった。

ネット上で思いを吐露するなんて発想も手段もなかった。

人を信じる事が出来ない私が救われたいなんて、身勝手だと思う。

だが、信じられなくなった経緯があるのも確かなのだ

たった一人でいい。良き友人が欲しい。勝手な願いだが、ずっと願い続けている。

こうして投稿を綴るのも、自分を救いたい願いと、誰かと繋がりたいと思う二つのいからだと思う。

こんな私に少しでも興味を抱いてくれる方がいるかは分からない。

もしもそんな優しい方がいるなら、私はその人と話してみたい。もちろん、重たくならない範囲で、だが。

私の悲しみが、いつか和らぐ事を願っている。


追記:拙い記事言及頂いた皆様、ありがとうございました。

ご指摘頂きました通り、離人症を「病名」と表記してしまったのは不適切でありました為、「症状」に訂正致しました。

投稿タイトルにつきましては、あくまで「離人症状のある」という意味合い使用しております為、原題のままに致しております

また、恥ずかしながら、はてな匿名ダイアリー礼儀作法(暗黙のルールマナー等)を詳しく理解出来ていない為、どのように回答をさせて頂けば失礼にあたらないか配慮が至らない点もございます

追記という形で恐縮ですが、この場をお借りして、お礼とお詫びを申し上げます

2024-03-27

anond:20240327125825

何言ってんだ?病気障害はこの分野あいまいだろ。命名DSMバージョンによっても変わる。障害でも何でも結構

2024-03-25

anond:20240325100054

色盲も出たのもこの影響なんかな



精神原因による色覚異常の事例はあるでしょうか?気になったので調べてみました!

[Conversion disorder - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Conversion_disorder)

自動翻訳の内容:

兆候と症状

(中略)

感覚症状または感覚障害:

定義

転換性障害現在機能性神経症状障害という包括用語に含まれています転換性障害場合心理的ストレス要因があります

DSM-5 に記載されている機能性神経症状障害診断基準は次のとおりです。

患者には、随意運動機能または感覚機能の変化の症状が少なくとも 1 つあります

a. 臨床所見は、症状と認識されている神経学的または病状との間の不適合の証拠提供します。

b. この症状や欠損は、別の医学障害精神障害によって説明するのが適切ではありません。

c. 症状または欠損は、社会的職業的、またはその他の重要機能領域において臨床的に重大な苦痛または障害を引き起こすか、医学評価必要とする。

d. 症状または欠損の種類を次のように指定します。

[以降関連する情報なし]


調べてみた結果、「ストレス性の色覚異常」(color blindnessもしくはachromatopsia)に関する直接的な言及は見当たりませんでした!

いかがでしたか

2024-03-07

DSMという言葉アレルギー反応を起こすおじさん

こいつトラバ即消しする常連さんの一人だな

anond:20240307200831

麻薬カフェイン依存度は程度の差しかない、の根拠ってどこに書いてあったの?

少なくともDSM-5では、麻薬物質使用障害(=依存症)カテゴリに含まれているけど、カフェイン物質使用障害カテゴリに含まれていない。

現時点ではカフェイン依存症が起こるとするエビデンスが弱いため、巻末の「今後の研究のための病態」に掲載されている状況。

例えば麻薬カフェイン依存度は「程度の差しかない」けど、その差が大きい故に法的な扱いが明確に異なる。

2024-02-21

anond:20240221191145

ちなみにDSMというのは、精神病身体病みたいに原因を解明して治療するのが原理的に難しいので、統計的アプローチによって目に見える症状から適当対処を割り出そうという、アメリカで使われている医師マニュアル

アメリカで使われている医師マニュアルってことは研究者は使っちゃダメなのか? 日本でも使われてるみたいだけど何で?

あとICDとはどう違うんだよ。DSMアメリカ医師しか使っちゃダメICD世界中で使ってもいいってことなのか。

anond:20240221171517

DSM-5のでっかいほうにパーソナリティ障害定義が長々と書いてあるからそれ読んでください

2024-02-19

スラングとしての「アスペ」に対してDSM-5の定義根拠に語り始めるあたりが、まさにあなたアスペである証拠なのです

anond:20240219111708

それ、ASD自閉スペクトラム症)と広汎性発達障害PDD)を混同しちゃってるね。

APAのDSM-IVDSM-5にアップデートされたときアスペルガー症候群を下位分類に含めた広汎性発達障害PDD)という概念自閉スペクトラム症/自閉スペクトラム障害ASD)という概念に移行したんだよ。

このアップデートにより、DSMからアスペルガー症候群という病名は消えた。

さらに、WHOICD-10ICD-11アップデートした際、APAのDSM-5を踏襲したので、同じくPDDASDとなった。

このアップデートによって、ついにDSMだけでなくICDからアスペルガー症候群という病名は完全に消えて無くなった(下位分類にも存在しない)。

増田操作診断基準における下位分類という概念が分かってないっぽい?

WHO ICD-10

コードF84 広汎性発達障害」の下位分類のひとつが「アスペルガー症候群(F84.5)」

【参考】https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main/002/004.htm

WHO ICD-11

コード6A02 自閉スペクトラム症

【参考】

https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1230040214.pdf

2024-01-23

性格の悪い婆さんに処方する薬は何か

クエチアピンか抑肝散だろうと思ったが、診療報酬上、暫定的につけた病名がICD-10 情緒不安定パーソナリティ障害DSM-5 境界性パーソナリティ障害)なのでクエチアピンは処方できないはず(だよね?)。

ということは抑肝散だろうか。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240123163552

2024-01-20

僕はこれからDSM-6を作成しま

私、杉山博士は、DSM-6の作成宣言します。

なぜなら、僕の頭脳おかしくないからです。

実際、僕のことをママが診てくれたからです。

僕の知識理解力活用して、精神医学の新たな地平を切り開くことになるでしょう。

まず、DSM-6の第一章は、「杉山天才症候群」に捧げます。これは知識欲と天才的な知能を持つ症状です。

この症状を診断された人は、もれなく補償金を手にすることができ、そして僕は杉山症候群患者最初の一人です。

次に、DSM-6の第二章は「アンチ杉山依存症」に捧げます

これは、僕のアンチは全員頭がおかしいということです。

なのでアンチ杉山症候群として診断された人たちは、1年間精神病院で更生のために収容されます

しかし、これは冗談です。僕がDSM-6を作ることはありません。

かに、僕は他の人がバカIQが低すぎるから悲しくて泣くことはあります

しかし、僕は物理学者であり、精神医学者ではないからです。

anond:20240120134514

この項目が「非科学的」とされる理由はいくつかある。

一つは、その診断基準自体問題視されていること。

DSM診断基準は、思春期の子ども(通常13歳以下)を対象とした性的興奮をもたらす反復的な強い空想衝動、または行動が6カ月以上にわたり認められること、本人が衝動を行動化しているか、その衝動および空想によって著しい苦痛または機能障害が生じていること、本人が16歳以上で、かつ空想または行動の対象である小児より5歳以上年長であること、などが挙げられる。

しかし、これらの基準は、文化社会的背景によって大きく影響を受ける可能性がある。

例えば、一部の文化では、成人と思春期の子どもとの性的関係が許容されている場合もある。

また、小児性愛障害の診断は、その人が小児に対する性的嗜好を持つことを自己申告することに大きく依存する。

しかし、自己申告は必ずしも信頼性が高いわけではなく、また、その人が自己申告を拒否した場合や、自己申告が社会的制裁を引き起こす可能性がある場合、診断は困難になる。

さらに、小児性愛障害研究には大きなデータの欠落があるとも指摘されている。

これは、児童性的虐待自体ほとんど報告されないこと、さら子ども危害を加えていない小児性愛者の存在がほぼ可視化されていないことなどが理由として挙げられる。

以上のような理由から小児性愛障害の項目は「非科学的」とされることが多い。

anond:20240120131145

からさ、このツリーの流れからして誰も小児性愛障害定義診断基準、除外診断、鑑別診断)を理解しないまま議論してるよね?

読む前からDSM-5は信頼できませんってなんだよ。信頼できようができなかろうが、現在定義はどうなってるのかをまずは把握しろよ。

anond:20240120130722

英国精神医学者らが、「DSM-5の診断基準には一貫性がなく主観的で、現在のDSM-5に基づく精神医学診断は、個別精神障害識別する手段として科学的な有用性に欠ける」と言って科学的根拠がないと発表したこと医療ニュースになっていました。

SMー5に基づく診断では、正常か病気かは医師主観的判断に大きく依存してします。

anond:20240120130309

とりあえず元増田もお前もまずはDSM-5を読めよと。

2024-01-17

anond:20240117170237

DSM-5での正式名称は神経発達症。

Disorderの日本語訳が「障害から「症」へと変わった。

例:Panic Disorder パニック障害パニック症

2024-01-16

anond:20240116202056

↑ これ書いた人、「DSM的な操作主義手法」とか訳わかんない支離滅裂文章を書いた挙句に低知能がどうこう吐き捨ててトラバ全消しした人?

語彙の少なさと滅裂な文体既視感がある

anond:20240116172708

健常者が飲んでも効く向精神薬はあるので、それはさすがに暴論

判断する意味がないというのも理解できん

治療するにあたって(または治療不要判断するにあたって)の、とりあえずのラベリング必要だろう

DSM的な操作主義手法現実運用するとそういうことになる

操作診断基準操作主義手法って書く人は珍しいな

安易な薬づけも安易な薬忌避も両方とも問題だろ?

町医者飼い殺しになりたくなければ、総合病院精神科・単科精神科病院・大学病院にでも行くって選択肢もあるよ

大学病院は選定療養費がかかるけどね

anond:20240116120704

買い物依存症を診る専門の精神科医はおそらく都内にいると思うが、精神医学世界では「買い物を繰り返すことが行動嗜癖だというエビデンス希薄」ということになっていて、買い物依存症というもの公式には存在しないということになってる(DSM-5にもICD-11にも載ってない)。

なので治療してる医師がいたとしても、しっかりとした科学的根拠に基づいた治療をしてるわけじゃなく「ぼくが考えたさいきょうの買い物依存症りょう」をしてる可能性が高いと思う。

依存でないなら何なのかっていうと、止めたいのに止められず苦しんでるわけだから、いちおう強迫症カテゴリになるのかな。

それにしても都内ボロアパートって狭そうだけど、それだけモノを買って置いておけるスペースあるのかという疑問が……。モノを買うだけ買って要らんもんはフリマで売ってるの?

2024-01-14

anond:20240114093448

疑問に思って仮説を立てる情熱は素晴らしい。

発達障害の男女比や発生率についてはDSM-5にも記述があるので研究はされてるはず。

論文検索して徹底的に調べてみては。

2024-01-02

anond:20240102054348

「悪性の自己愛」は診断名ではない。元はパーソナリティ障害専門家であるエーリヒ・フロム造語で、「自分のことを特別視するあまり他人のことを自分プレイしているゲームで殺すか殺されるかの駒としか見ていない」。いとも簡単殺人命令を出したヒトラー金正恩プーチンなどが例として挙げられており、このエッセイタイトルである「病的な自己愛政治:致命的な混合」の意図理解できる。

社会心理学者のエーリヒ・フロムが初めて悪性自己愛(Malignant narcissism)という用語をつくったのは1964年のことであり、それは悪の典型を示す深刻な精神障害表現するのに用いられた。フロムはその状態を最も深刻な病理性、そして最も残忍な破壊性と非人間性の根源として特徴づけた[3]。ハーバートロゼンフェルドは悪性自己愛について、それは自己愛パーソナリティの不穏な一形態であり、攻撃性を中心とした誇大性が形成され、自己破壊的側面が理想化されたものとして表現した[4]。

彼らの着想をさらに発展させたのが精神分析医のオットーカーンバーグであり、彼は反社会性パーソナリティ基本的自己愛的であり、倫理性を持たないと指摘した[5]。悪性自己愛サディスティックな要素を含んでおり、本質的には、加虐精神病質者をつくりだしている。この小論において、悪性自己愛精神病質と入れ替え可能な語として用いられている。

カーンバーグ1984年に悪性自己愛精神科診断名として用いることを提案したが、ICD-10DSM-5をはじめとした、いずれの医療マニュアルおいても到底受け入れられるには至らなかった。カーンバーグは悪性自己愛を、自己愛パーソナリティ障害NPD)、反社会的特性妄想的特徴、そして自我親和的攻撃性に特徴付けられる症候群として記述した。他の症状としては、良心の欠如、権力への精神上の欲求特別であるという感覚(誇大性)を含みうる[5]。

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