はてなキーワード: CLANNADとは
京アニの放火事件だけでなく、以前から「アニオタはやっぱり頭がおかしなやつだ」「アニオタはキモオタ」ということをはばからずに言う同僚がいやだったが、今回の放火がどれほど重大な事案か知らないで「ほーら、アニオタはおかしなやつじゃないか」といわんばかりに話しかけられてとても嫌だった。
むしろ、素晴らしい世界を見せてくれ、世の中を明るくしてくれていたのがアニメであり、京アニでありその他多くのアニメに関わるみなさんだ。
なのに、アニオタを蔑もうと必死に話しかけてくる同僚の神経がとてつもなく悲しい。
こんなに素晴らしいアニメの世界を知らないだなんて、人生損してるのになあ。
好き嫌いはあれども、嫌いは嫌いでかまわないが、アニオタを必死で蔑むのはやめて欲しい。本当に。
分かりやすく世界をみせてくれたり、勉強の補助になってくれたり(はたらく細胞もいいな)、現実にはない空想世界へも簡単に連れて行ってもくれる。
笑わせてもらったり(CLANNADのそれと便座カバー)、感動させてもらったり、仕事がつらくても「万策尽きたー」といいながら笑えるようになったり(SHIROBAKO、とても好き)、なんやかんやでホントにアニメ最高。
アニメの中でおそらく一番好きなのが「響け!ユーフォニアム」シリーズだと思う。このアニメのおかげで大学1,2年の頃のオーケストラ部を頑張れたんだと思う。結局途中でやめてしまったけど、あの頃頑張った自分は偉かったし、今にも生きてきていると思う。本当にありがとう。
ハルヒやけいおん!も好きだった。ちゃんと見たのが大学に入ってからだったが、こんなに完成度の高いアニメが自分が中学生・高校生のころに存在していたこと自体にも驚いた。「けいおん!」の曲はかなり好き。「U&I」の気分だ。
CLANNADやAIRは恥ずかしながら見たことがない。この機会に見返そうと思う。
しかし何と言っても響け!である。人生の半分くらいを音楽に費やしてきた自分にとってここまで刺さる作品もないんだと思う。特別になりたいと頑張る孤独な少女。目標を見出せずにいたが友人に感化されて目標を見出した少女。部活を純粋に楽しんでいる少女。そんな少女を認められない、音楽に真剣な少女。一歩引いて見ているようで実は未熟な少女。登場人物全てが美しい。これは原作の素晴らしさももちろんなのだが、京アニの音楽・作画によるものも大きい。ありがとう京アニ。
亡くなられた方々、ご冥福をお祈りします。
初めて増田になりました。
学生の頃にCLANNADのアニメを観て、それは大層泣きました。
シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語を演出してみせたと思う。
あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。
しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。
いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。
働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。
多分この日記を開いてくれた人はCLANNADやリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。
私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。
卒業後にプーだったことを負い目に感じていた主人公は、自分で仕事をみつけ、住む場所をみつけ、愛する人の5年目の高校生活を支える。
その18歳の岡崎朋也がなんともいじらしく、可愛く、行動してみせた自分がどこか誇らしく瞳が輝くも、あっという間に現実を突きつけられてしまうのだ。
新居に渚を迎えて浮ついた気持ち、職場の先輩の芳野と初めて車で現場に向かったときに、すれ違った家族を窓越しに見送った時の未来を期待する表情。
それがもうたった一日の労働で、家に帰ったら愛する渚の話に耳を傾けられないほど疲れ切ってしまうのだ。
学生時代にはその細やかな描写に気が付かなかった、まったく印象に残っていない。
改めて視聴した今回は、汐をめぐる物語以上に、朋也が働き続ける姿が目に焼き付いて離れないのだ。
本人も作中で話してはいるが、学校生活では友人たちの悩みを解決し、手を差し伸べてよい方向へ導いてきた朋也が、
人を導くことができるという自惚れが、働き始めたことで一瞬で瓦解する。
労働とは、そりゃ楽しいこともあるかもしれないけれど、大多数は生きるために嫌々行っているものだ、
学校が楽しくないからと不良のような生活を送っていたあの朋也が、逃げ出さずに仕事と向き合う姿は、まさしく日本という社会で生きるためには組織に所属して労働しなくてはならないという現実を突きつけてくる。
古河家だって、流行っているパン屋ではないことから、渚や朋也の目にみえないところで重いそろばんをはじいているのだろう。
朋也は渚を失ってからも仕事をしつづけた。本人はそれを汐からの逃避だといったが、生きるためにはお金が必要で、庶民は働かないと生きていけない。
どれほど傷ついても生きることから逃れられないのなら、仕事をしたり、人とかかわって生きていかないといけない。
汐の治療のために仕事をやめた朋也は、汐が亡くなってしまったら、もう死のうと心のどこかで覚悟していたのだろう。(原作で描写あったっけ…)
だから生き続けるための仕事をやめて、それを察した芳野は戻ってくるようにと声をかけた。
5年目に触れたCLANNADは家族っていいなとか楽しい友達が欲しいな、とかCLANNADは人生とかそういうことも感じたけれど。
傷ついた人間もその傷が癒えずとも前を向いて生きろと、そんな空をつかむような悲しいエールを受け取ったのだ。
思いっきり割愛するが、リトバスの主人公は親友たちを一度に失うという大きな傷を負う。
そして彼らが死ぬ運命は避けられぬのだと、その痛みを抱えてまでも生きろと言われる。
物語を通してハートが強くなった理樹は喪失をも受け止めて強く生きようとする。
まあ最終的にはうまいこと物語が展開してハッピーエンドになるのだけれども。
だーまえは何かとプレイヤーたちに強く生きてほしいと願っている気がする。
書を捨て街に出よう、じゃないけれど傷ついても現実逃避せずに真っすぐ生きてね、という応援。
ビジュアルアーツ20周年のイベントで配布された曲なのだが、わざわざイベントに来たような熱心なファンに「僕はもう大丈夫だから 今度はそう、きみが幸せになる番だよ」なんて語りかけてくる。
オタクなんて大小あれども、傷ついて生きてきて、エンタメにそれを救われているような人間ばかりなのだ。
そんなオタクたちに、現実に立ち向かえとスパルタ的に奮い立たせようとする。
あと多くのkey作品は現実から逃げるとBADED行きなのだ、智代ルートなど非常に印象に残っている。
そこまでして、どうして生きていかねばならないのか、、、なんて思う。
俺たちは人生の主人公なのだから、現実から逃げずに、居心地のいい環境を作って、ささやかながら生きがいをみつけて、VAにお布施して生きろと。
才能もない、とりえもない、頭もよくない、覚えも悪い。
ぐずぐずに崩れた自尊心を取り戻す手助けをしてくれる渚や朋也、恭介や理樹、そんな存在は周囲にはいない。
久々にCLANNADを観て、そりゃあもう想像外の感想を抱いたのだ。
現実をまっとうに生きている人々が圧倒的に多い世にこんないじけた文章を残せるのなんてここしかない。
自室に引きこもっていたようにみえた恭介だって、実は虚構世界で四苦八苦していた。己の失敗に落胆してはいても、決して行動をやめていたわけではない。
生きることとは行動なのだと、布団の中でスマホを触るオタクへ作品を通して鼓舞している。
もしもここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
サマポケ面白かったから買ってプレイしてね、プレイし終わってたらFD発売か京アニでアニメ化することを一緒に願おうね。
あとVAにできることは、だーまえの後継者を必死に探して育成することか、keyを畳んで新たな才能で作品を作るか、だーまえの治療費を全額出してあげてkeyブランドを守るかだ。
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/04/14/113600
00年前後が青春ど真ん中だったエロゲヲタのひとりとして衰退理由を一言でまとめると、、、
だと思う。
Leafでいえば『雫』『痕』『To Heart』。Tactics/keyでいえば『MOON.』『ONE』『Kanon』『AIR』『CLANNAD』。TYPE-MOONは『月姫』『Fate/stay night』。エロゲではないけど同人の流れをくんだ『ひぐらしのなく頃に』。
この辺のソフトはプレイヤーを熱くさせ、語りたい欲を大いに刺激し(葉鍵板なんてのもあった)、「これエロゲーじゃないから泣きゲーだから」などという妄言を口走りながら周囲にプレイを勧めさせるだけの力があった(売上だけなら『鬼作』とか『大悪司』も当時強かったけど語るもんでも勧めるもんでもないから伝播力に欠けた)。
これらはざっくり「伝奇/サスペンス」「泣き」に分けることができてそれぞれブームを作ったけど、かなしいかなそれに続くブームはつくれなかったし、フォロワー作品は年を追うごとに小粒化して(初期は『sense off』とか『みずいろ』とか『秋桜の空に』とか『それ散る』とか良質なフォロワー作品がいっぱいあった)エロゲ全体のブームを急速に沈下させた。エロゲの時代は突然やってきてあっというまに終わった。
自滅、というのは言い過ぎかもしれないが、文化として根付かせることができなかった、ぐらいは言ってもいいだろう。
粒が小さくなって新しい体験が提供できなくなったエロゲは世代交代(『恋姫シリーズ』世代はいると思ってる)に失敗したし、熱狂してた連中はエロゲといっしょにオタクを卒業するか新たな最前線へと旅立っていった。
それは『ラグナロクオンライン』/『東方』(ROは2002年開始だけどコミケの流行が葉鍵/型月→RO→東方と変わっていった(型月はしぶとく東方と共存してたような記憶)のは大きなトピック)だったり、ラノベ(西尾維新/『ハルヒ』/『とある』/『ゼロ魔』)だったり、ニコ動/ボカロ+アイマス文化だったりした。
ブームが完全に去った現代はソシャゲ(『艦これ』/『デレマス』/『グラブル』/『FGO』)でゲーム体験を満たしつつエロはその同人で摂取する時代だから本格的にエロゲの出番はないだろう。ニッチな需要は同人エロゲが担っているから尚更だ(『奴隷との生活』はヒットしたなあ)。
1. ラノベ・深夜アニメ・ソシャゲ(あるいはスマホゲー)など他のメディアに客を奪われた。
2. ファイル共有ソフトなどにより海賊版が蔓延して購入者が減った。
3. CDからDVDへの移行、スマホの普及、光学ドライブのつかないノートパソコンの普及など、周辺環境の変化によりプレイヤーが減った。
の4つがかかげられていたけど、
2. は共有ソフト以前にコピー問題があったので要因とまではいえない
3. はスマホの普及以外論外(エロゲをやるためにパソコンを買う・組む連中は多数いた。DVDへの移行なんて屁でもないし、光学ドライブがつかない云々はDL販売とかUSBドライブの存在を無視してる)
4. は正しい。制作コストの増加とプレイコストの上昇は別問題なので切り分ける必要はあるが、これらの問題は大きかった
という所感。
上記以外の理由としてはこのエントリの主張である「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」と、もうひとつあるとすればスマホの登場による可処分時間の細切れ化。エロゲをやるようなオタクはもともとインターネットとの親和性が高かったわけで、スマホの登場でネットに常時接続する消費スタイルへ移行すると、パソコンに向かってじっくりエロゲをプレイするなんてことが難しくなった面はあると思う(ここに物語の長大化によってプレイコストが上昇した問題がからんでくる)。
まあ同人エロゲもエロゲといえばエロゲだし、DMM GAMESのエロゲも形をかえたエロゲと言えるだろうし(大本のオモコロの記事はまさにその宣伝だ)、FGOもエロゲに含めれば(含めるな)過去最大のエロゲ市場が爆誕してると言えるのかもしれないが。
Q. 「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」ってそれトートロジーじゃないの?
A. そう見えるかもしらんけど、オタクを熱狂させる弾がなくなったから、という話をしてるつもり。
逆になんで00年前後にそういう作品が雨後の筍のごとくでてきたかというとまあ割と謎なんだけどひとつ言えるとしたら若いクリエイターに申し訳程度のエロさえつけてれば自分のやりたいことをやれる場所だって認知されたことがデカいんじゃないかなーって(日活ロマンポルノみたいなやつって言えば伝わるのかね)。
『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』ってエロゲがある。ニトロプラス(今はたぶん刀剣乱舞で有名)の処女作でシナリオはぶっさん(虚淵玄。今だと『まどマギ』で有名……ってそれももう古いか)。
アメリカに旅行した青年が殺しの現場を見たせいでマフィアに拉致られ暗殺者をやらされるって話なんだけど、ハードボイルド小説か映画かってあらすじでもうエロゲじゃないよね。で、なんとこのゲーム暗殺に使う銃を選べて、なおかつその銃がポリゴンで表現されてた上に、どの銃を選んでもシナリオには一ミリも影響がない、というのが爆笑ポイントで単に作り手がそういうの好きなだけっていう。当時すでにIllusionとかがポリゴンエロゲを世に送り出してたとはいえ銃だけポリゴン表現にしたエロゲって『Phantom』が最初で最後じゃねーかな(ゲームはめっちゃ面白かったよ念の為)。
『雫』だって『新興宗教オモイデ教』のフォロワーだし、菌糸類が菊地秀行とかの影響モロに受けてるの見ても、外の文化にエロをつけてエロゲの流通に乗せる、は所謂たまによくあるってやつだった(そういうのの元祖はたぶん蛭田昌人と剣乃ひろゆき)。
まあ結局売り手も買い手もスケベ心があったんだよな。当時はエロさえ入れてれば一定の購買が見込める市場で、市場が未熟な分、制作コストが安くすんだ。買う方としてもエロがあるだけでオトクな感じがしたし地雷でも許せた(Tony絵に騙されて買った『Partner』ですら俺は許したよ)。上で挙げた諸作が仮に非エロだったらここまで売れてなかったと思うね(『CLANNAD』とか『ひぐらし』は地盤を築いた後だったからヒットした説)。
エロゲ(商業パッケージ)の売上は2015年に底を打っててV字回復しているとか,10年代でも名作はあるとか,本当に崩壊したのはエロゲ批評のコミュニティだとかいう話をすればいいんです? / “エロゲが衰退したのはラノベのせい、、、ではない”
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117750519840198656
なんだろな,一連の流れを読んでいて思うのは,『千桃』とか『サクラノ詩』とか『金色ラブリッチェ』とは言わんにせよ,『ホワルバ2』とか『はるくる』とか『つり乙』あたりをスルーされると,お前エロゲ追わなくなって10年近くないか感強くて,一気にもにょるんだよな。
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117753560047898624
こういう論旨を理解せずに訳知り顔するやつが一番むかつくんだよね。
とりあえずエロゲ市場規模は02年の段階で560億(財界さっぽろ)、15年の実績値で150億(矢野総研)。V字回復というからには18年実績値で300億ぐらいに戻してるんだろうな?
そして本稿は00年台前半にエロゲ市場が盛り上がったあと衰退した理由をその当時オタクシーンの最前線をはれる弾がありその後そういうのがなくなったから、に求めてるのであって、それ以降にエロゲとして名作と呼ばれる作品があったかなかったかなんて話は一切していない。
俺が最後にやったエロゲは『もっと!孕ませ!炎のおっぱい異世界エロ魔法学園』(2018年4月27日発売)だ。ゲスパーすんなヴォケ。
またムカつくコメントがついたら全力で殴りに行く。
神アニメとして名高いので1話だけ見た。なんだかなー、という印象だった。
いわゆる青春モノは結構好きでよく見ている。序盤が地味だと言われる『Just Because!』『サクラダリセット』なども自分にとっては最初からおもしろくて、最後まで見た。とても良かった。
だけど、CLANNADはなんだかなー。
かなり特徴的なキャラ画はこの際置いておこう。ストーリーが良ければ良い。
主人公が気取りすぎているというか、現実感がないように思った。レビューで「オタクの「こういう青春を送りたかったなー」という妄想を具現化したような作品」というのを見かけて、まさにそんな感じだと思った。
「景気が良いときほど暗いアニメが流行り、景気が悪いときには明るいアニメが流行る」
といった話を耳にするが、
そのような疑問を抱いた私は、
1985年からの景気動向指数(CI・一致指数・各年の12月の数値を採用)と、
私が独断と偏見で選んだ「その年に人気だったテレビアニメ」を、
並べて比較してみることにしたのだった。
ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲの表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。
現代の感覚で萌え絵の範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。
さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。
萌え絵は少女的無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事は萌え絵が一般のアニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代だからこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態を晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。
しかしながら完成した萌え絵がエロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。
萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。
ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。
まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵と少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である。
萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopのエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。
立体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。
この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いとエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。
それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画か吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタクの定義でロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いとエロいは両立していなかったのだ。
それを両立させた萌え絵がエロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。
そして萌え絵がエロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンルの物語だ。
泣きゲーというジャンルのエロゲーは、Key、Leafといったエロゲーメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。
この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵はエロのみに価値があるわけではなかったのである。
これらの物語と萌え絵のマッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。
そしてそれから萌え絵はエロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵、マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程で萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。
一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いとエロいを両立させ続けている絵柄だ。
さて、ここで萌え絵を性的なものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。
今のオタクが萌え絵と言って連想するのはエロのコンテキストから引き剥がされた現代の萌え絵だ。
だが、萌え絵を性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロのコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。
これでは両者の話が噛み合わないのは当然である。
さらに萌え絵を性的だと批判する人々がなぜ萌え絵を特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いとエロの両立が非常にショッキングなものであることが大きな要素になっているだろう。
萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人の世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供、特に女の子のためのものであった。しかし萌え絵は可愛いの世界にエロを持ち込んだのだ。
これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。
だから私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵を批判する非オタクの大人の批判も宜なるかなと思っている。
そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵はエロくないと言い張って萌え絵批判を批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。
重要なところを復習する。
まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いとエロを両立する絵柄であること。
それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロい萌え絵が今も存在していること。
これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?
これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵はエロいという人を一方的に非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?
今萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である。
一方で萌え絵はエロゲ絵から始まり、今もそれを引き継いだエロい萌え絵が存在するのも事実である。
普通に考えて、萌え絵を性的なものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者を連想している場合もあるか。
気になったので「アニメDVD・BD売り上げ一覧表まとめWiki」のクール別から同じように表にまとめた。
放送クール | 売上1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 京アニ作品 |
---|---|---|---|---|---|
2003年夏 | おねがい☆ツインズ | D.C.~ダ・カーポ~ | フルメタル・パニック?ふもっふ | ぽぽたん | フルメタル・パニック?ふもっふ(3位) |
2005年冬 | The world of GOLDEN EGGS | 魔法先生ネギま! | AIR | まほらば ~Heartful days~ | AIR(3位) |
2005年夏 | BLEACH 尸魂界救出篇 | SHUFFLE! | D.C.S.S. ~ダ・カーポ セカンドシーズン~ | ガン×ソード | フルメタル・パニック! The Second Raid(7位) |
2006年春 | 銀魂 | 涼宮ハルヒの憂鬱 | ONE PIECE 9THシーズン エニエス・ロビー編 | しばわんこの和のこころ | 涼宮ハルヒの憂鬱(2位) |
2006年秋 | Kanon | コードギアス 反逆のルルーシュ | ウサビッチ シーズン1 | DEATH NOTE | Kanon(1位) |
2007年春 | 銀魂 シーズン其ノ弐 | 天元突破グレンラガン | らき☆すた | 魔法少女リリカルなのはStrikerS | らき☆すた(3位) |
2007年秋 | ウサビッチ シーズン2 | みなみけ | 機動戦士ガンダム00 | CLANNAD | CLANNAD(4位) |
2008年秋 | とらドラ! | かんなぎ | ウサビッチ シーズン3 | 機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン | CLANNAD AFTER STORY(7位) |
2009年冬 | 続 夏目友人帳 | BLEACH 過去篇 | スレイヤーズEVOLUTION-R | 宇宙をかける少女 | 空を見上げる少女の瞳に映る世界(売上データなし) |
2009年春 | けいおん! | 涼宮ハルヒの憂鬱(新アニメーション) | 銀魂 シーズン其ノ四 | 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST | けいおん!(1位)/ハルヒ2期(2位) |
2010年春 | けいおん!! | Angel Beats! | WORKING!! | 薄桜鬼 | けいおん!!(1位) |
「空を見上げる少女の瞳に映る世界」を除いた京アニ作品の平均順位は3.09位で、印象どおりの結果だった。
アニメDVD・BD売り上げ一覧表まとめWiki:https://www38.atwiki.jp/uri-archive/pages/57.html