はてなキーワード: BBQとは
まだ20代後半だった頃、橋本環奈を間近で見たことがある。都内の百貨店でのイベントだった。握手会とかではないんだが、橋本環奈さんがマイク持ってスポンサー商品のPRをしていたのを覚えてる。
名前だけは知ってたんだが、あれは、そう……、眼球が破裂するんじゃないかってくらい、可愛かった。芸能人を間近で見るのは初めてだった。
語らせてほしいことがある。会社の中でだけ結婚できる制度がないかな、と思ってる。
自分はしがないリーマンだ。パソコン回りの電子機器を造るメーカーで働いてるんだが、会社の中で気になってる女の人がいる。でも、その人は結婚してるんだよな。俺と同じ年代で、32くらいか。おしとやかそうだけど、元気があって、若々しさもあって、でも瞳とか見るとくたびれた二重瞼をしてる。なにより性格がいい。
その女の人(Iさんとする)の旦那さんを見たことがある。会社敷地で毎年やってるBBQ行事の時に一緒に来ていた。お子さんも見たことがある。何人いるかは知らんが、少なくとも2人いる。家族仲もいいみたいで、羨ましかった。俺は機能不全家族の生まれなのだ……。小さい頃は母親に殴られていた。マッサージもさせられてた。成績が悪かったら反省文の読み上げがあった。嫌な記憶だ。早く忘れたい。
で、その会社の中でだけ結婚したいIさんなんだが、もう二年以上はそんなことを想ってる。会社の中ではたまに話すくらいで、違う部署だから接点はあまりないのだが、それでも俺がどうしても好きだからさ、機会があったら何か理由を作って、とりあえず話しに行ってる。
実は、数ヶ月前にやってしまった。やってしまったのだ。どうすればいいかわからなくなった。まあ、ちょっと聞いてほしい。Iさんのことだ。身バレにならないよう配慮する。
Iさんを初めて見たのは、30代に入った頃だった。冒頭で述べたイベントで眼球が破裂しそうになって二年ほど後か。関東地方にある会社なのだが、年イチで地元のためにやってるイベントがあった。当時、総務部門に居た俺はスタッフとして参加していた。
地味だけど、いろんな催しをやってた。地元のアイドル(いわゆるご当地アイドル)を呼んで踊ってもらったり、くじ引きや風船釣りなどの古典的なやつもあった。食事のメニューも昔の縁日っぽかった。
俺はアトラクションのひとつで受付をすることになってた。会社の1階を使ってそういうのをやってた。其処で、中途採用で入社して一年目だったIさんと一緒の仕事になった。Iさんは部材の調達部門だった。
俺達の担当は輪投げゲームだった。その階には、コミケみたいに長机がいくつも並んでいた。スタッフが地元民(イベント参加者)を接客するための長机が主だが、後はフロアの奥側にもうちょっとだけあった。役職付きの人が座ってて、同じ階にある催しを見守ってる。
いざイベントが始まると、Iさんが輪投げゲームの参加希望者の受付をして、お金をもらって、俺がいる方では道具を用意して、ゲームのルールを説明して、いろいろやるんだが……どうしても忙しい。スタッフは3人いたのだが、参加希望者が何人も集まると想定外の事態や、意見・苦情が出てきて、いっぱいいっぱいだった。
そんな中でも、Iさんは凄かった。先輩である俺が大変にしてるのに、あの子は笑顔を絶やさずにハキハキと接客をしていたよ……。子どもの相手がうまかった。お年寄りにも優しかった。料金とかゲーム説明とか、トイレの案内とか、ホスピタリティとはこういうことなんだと思えた。
この時、俺はIさんのことを凄いやつだと認識した。輪投げ以外にも、ほかのアトラクションのヘルプにIさんと一緒に入ることがあったけど、俺にできるのは暇な時にスタッフ同士の雑談を振ったり(Iさんは新人だから知り合いがいない)、あとは力仕事くらいだった。
Iさんは俺とほぼ同い年なのに、ここまで差があるのかと感心させられた。イベントが終わった後は、会場屋外の自動販売機(兼喫煙所)のところでIさんと話をした。「疲れたね」とか「でも、楽しかった」とか「フランクフルトの売れ残りあるらしいよ」とか、いろいろ話したのを覚えてる。声が低いのか高いのかよくわからなかった。上ずってる感じがあったし、落ち着いてる感じもあった。
あの時、俺が自販機に千円札を入れてコーヒーを買うと、お釣りがこんなだった。
㊿㊿㊿㊿㊿
㊿㊿㊿㊿㊿
㊿㊿㊿㊿㊿㊿㊿
⑩⑩
50円玉がたくさん出てきて、Iさんに見せると大笑いしていた。それで、ずっと笑顔で、くたびれた感のある二重瞼で俺の方を見つめていた。この人の場合、話す時に体がバネのように上下に揺れることがある。やはり、人はニコニコしてるのがいいと思う。機嫌がよさそうな人っていいよな。
Iさんは結婚してる人だから、話し過ぎるのはよくないと思ってた。もっと話したかったけど……彼女の不利益になるかも、と思ったら会話をやめたくなった。あの時はどうしたか今では覚えてない。
話は変わるけど、自分は新卒で会社に入った。十年以上前のことだ。今は総務だけど、元々は技術部門で働いてた(高専卒)。PCのキーボードを作る部門だった。キーの下に、押下圧を感知して電気信号を走らせる部分があるんだが、そのあたりの品質検査・テストをする部門にいた。ずっとこういう仕事をするんだと、若い頃は思っていた。
しかし、総務課に技術部門の人が配属されるケースがある。総務だと、いろんな会社から窓口的な扱いを受けることがあって、簡単な問い合わせだと専門部署に繋ぐことなく回答する。
ただ、一応は電子工学の分野であるからして、スタッフが答えに窮することがある。そういう時のためのバッファーとして、俺みたいなの(若い、体が動く、技術部門から消えても困らない)が技術部門から異動するようだ。先輩に聞いた話だから、本当かどうかはわからん。技術部門で戦力外の人が事務部門に行ってるだけの可能性もある。
事務仕事という括りだと、Iさんと俺は仲間だった。Iさんは調達部門で、俺はひとつ上の階だった。先ほど説明したとおり、Iさんは優秀だ。必要部品を発注する仕事は一カ月でマスターしてしまって、ほかの女性社員が毎日残業してる中で定時帰りだった。いつも、帰る時にIさんがいる部署の前を通るのだが、あの子はいなかった。
Iさんが入社二年目の時だった。うちの会社も、ほかの電子機器メーカーみたいに国から補助金もらって仕事することがあるのだが、そのための申請書と添付資料(全くの新規分)の一部を作る業務を、Iさんは任された。「億単位の補助金だから必要資料がとんでもない」と、全社での飲み会(会社敷地内で自由に飲み食いできる)でIさんが話してたっけ。
Iさんは理系の学位を持ってなかった。普通科の高校を卒業して、ずっと地銀で一般事務の仕事をやってたらしい。素養がないのだ。制御工学(電気)の才能があるかもわからない。
俺の部署は、申請書本体を作っていた。Iさんの部署とは直接協力する関係ではなかった。けど、絶対苦戦するとわかってた。ある日の夜7時頃に調達部門がある階に行くと、やはりIさんは悩んでいた。
当時の調達部門には、技術の有資格者がいなかった。「いや、1人くらい置いとけよ」と思ったが、それは組織が決めることだ。
Iさんに声をかけると、涙目だった。家には子どもと猫がいるのに、全然仕事が終わらないとのこと。周りのスタッフが帰った後の席を見渡したけど、協力しようとしても無理だろう。国の補助金の申請をするために技術士などの資格を持ってる必要はないが……「おそらく無理」、というのがIさんの課題を見せてもらっての感想だった。ごく普通に電気関係の計算や、専門機材への理解が必要だった。
例として、これから開発しようとしているパソコン周りの機器の仕様があったとするだろう。メーカーカタログやECサイトだと、仕様・スペックがズラッと並んでいるが、あれのベースになっている要素を国補助金用にイチから作らないといけない。
しかも、申請にはあちらの行政機関が定めた相当なページ数の手引きがあって、それに準ずる形にしないといけない。こちらで好き勝手に仕様等を書けばいいものじゃない。中には、国の基準が古すぎてメーカー側の技術基準の方が正しいみたいな箇所がいくつもあった。
難しい話は置いといて、この時は迷った。Iさんには難しい仕事が回ってきている。本当は別の部署、例えばウチの総務課とか、経営企画室が作らないといけないのでは!? なんてことを思った。
でも、これはIさんの課題だった。Iさんは今、死にもの狂いで頑張ってる。ここで応援すると、Iさんの成長機会を奪ってしまうのでは? という考えがあった。どうすればいいのか相当悩んだが、夜寝ている時に、枕元でこんな考えが浮かんできた。
「本当にIさんのことが大切だと思ってるんなら、今あの子がこんなことになって、どういう気持ちか心配しないといけないんじゃないか?」
迷った挙句、こっそりサービス残業することにした。「手伝うよ。とりあえず何でも言ってみて」とIさんに伝えた時、すっごく喜んでた。手伝いを申し出てよかったと思えた。
その後はキツかった。Iさんに専門知識がない関係で、半分以上丸投げみたいな感じで申請書の添付資料を作る仕事が回ってきた。彼女が悪いんじゃなくて、こんな謎デザイン(神エクセル)の申請書と手引きを作った経済産業省が愚かなのだ、と思うことで乗り切った。
俺ではなく、Iさんが一番キツイのだ。やったことのない専門分野の知識が必要なのに、気合と根性で乗り切ろうとしている。子どもだっているのに。物理的な意味で時間がないのだ。あの子は頑張ってる。俺も頑張らないと……と当時は思っていた。
サービス残業の時間は、丸25時間ほどだった。疲れた。Iさんは無事に申請データを提出できたようだ。「これでよかった」と思えた。今まで、入社したばかりの人で圧倒的な仕事量を任せられて、うつ病とかストレス障害で沈んでいく人を何度も見てる。Iさんを助けてあげようと思ったのも、そういう現実があったからだ。
ある日廊下ですれちがった時、Iさんにお礼を言われた。「気にしないでください」と言ったけど、この時点でもう本気だった。俺はもう、本気でIさんに恋している! 大事にしたいと想える人になっていた。会社の中でだけ結婚したかった。できないかな。
Iさんは、根が明るいし、礼節はあるし、可愛いし、細身だし、とにかくいい人だった。ただ、廊下で話してる時、Iさんが付けてる結婚指輪が気になった。指輪……指輪だ。何度もチラ見したけど、やっぱり薬指に付けている。あれはニーシングだろうか。
しかし、不思議だよな。独身の若い子と社内で話してる時は、けっこう気にするものだ。周りの目線を。なので、若い子とはあまり話さないようにしてる。その子が不憫だろう。
Iさんは結婚してる。そこまで気にならない。例えば、「お前らそういう仲なんか?」と疑う人がいたとしても、「不倫を疑ってるの? なんて失礼な奴!!」となるだろう。だから、そう、結婚指輪をしてる人とは話しやすいのだ。
その時のIさんとの話は、今でも覚えてる。Iさんがいつもの明るい調子で冗談を言って、俺が「いいですね!」「面白いですね」「調子に乗るなよ^^」とか言って笑い合ってたっけ。今はもう、そういうことはできないんだけど。思い出だ。
思えば、あの時はどういう気持ちだったんだろうか。「心がふわふわする」とか、「心臓が締め付けられる」とか、いろいろ考えたけど、どんな名前でも間違ってる。ああいう時の、ああいう感情、好きな人を感じている瞬間を表す言葉なんかひとつもない。言葉にすることじゃないのだ。
すまないが、続きは明日にする。
世間では「明るいこと」に比べて「後ろ暗いこと」への理解が浅い。浅すぎると思う。
そもそもいつからこんなに、明るさや賑やかさが正義とされ始めたのだろう。そして明るさを「楽しい」と変換する安直な人が増えたのだろう。
「性質」と「それがもたらす感情」は別物なのに、ごく当たり前のようにいっしょくたにされすぎである。自分の中できちんと「楽しい」に変換されたなら全く構わない。し、社訓や集団のスローガンに沿っていっしょくたになる場合は往々にしてあるから仕方ない。
けれどよく考えずに、よりによってその場の空気なんかで「楽しい」としているのはいただけない。
後述するように、思考を放棄すると自分のためにならないからだ。
明るく賑やかなものに触れると楽しい。後ろ暗いものに触れると気が滅入るし嫌だ。だから暗さは人生に必要ない。Q.E.D。
ここまで解いてペンを置く人たちが意外と多くて恐怖をおぼえる。はたしてそんなに簡単に証明できるものなんでしょうか。まだ終了のチャイム鳴ってませんよ。まだまだ考える時間はたくさんありますよ。ゲーデルの不完全性定理みたく証明できないということを証明しても間違いじゃないんだから、もうちょっと考えましょうよー!
情報が増えSNSが普及し、みんなが広く「人と比べる」ことを始めてから、世の中ではグッとわかりやすいものへの評価が高まった。
わかりやすいというのは、説明しやすいということだ。「楽しい」はわかりやすい。他者との濃密なコミュニケーション。よろこび。平和。笑顔。健康。皮肉にも先人たちのブランディングのおかげで、個人に沿ったものかは別として楽しいシチュエーションなんて山ほどあげられる。フェス。海。BBQ。友人とのランチ。家族との食事。etc……。
それに比べて「気が滅入る」「嫌」はどうだ。「楽しい」ほどポンポンシチュエーションが出る人は少ない気がする。
それは人によって全く違う形をしているのと、「嫌なことなんて忘れて、楽しいことだけ考えないと人生もったいないですよ♪」というひとつの考えが蔓延しているからだ。
はたしてそれがみんなに適応する考えなのだろうか。楽しいことだけで自己が形成されているわけなんてないのに、臭いものに蓋をしてしまったとき、ひずみが生まれないだろうか。そしてそのひずみは、今すぐでなくても時間をかけてゆっくりと自分を苦しめたり、あるいは自分が無意識に他者を攻撃する原因になったりしないだろうか。
私の母はもう還暦になるが、家の中でひとりでボケてツッコんで、永遠に喋り続けている陽気な関西人だ。器用で頭の回転が速く、生活力も抜群に高い。何をやらせても80〜120点でこなせるタイプで、どこでも重宝されて生きてきた。
母は子供時代、友達と遊ぶことを許されなかった。共働きの両親の代わりに家事を引き受け、弟の面倒をみた。ランドセルを放り出して遊びにいきたいのをずっと我慢して、結婚して家を出るまで一生懸命家族に尽くしてきた。
年月は流れ、両親も母も歳を取った。いざ相続に関する話が出たとき、母の親、つまり私の祖父母は露骨に弟を贔屓したそうだ。
母は当時50代だったが、そこから何年も「男尊女卑精神が染み付いた両親」と向き合うことになった。
『思えばずっと、あの家が嫌いだった。ずっと、両親の弟贔屓が嫌だった。でも、嫌ってしまったら「嫌な家庭に生まれた人間」になってしまうから考えないようにしていた。年老いた親を嫌うひどい人間になりたくない』……。
さめざめと泣く母を見て「別に実の親のこと嫌っててもいいじゃん。そういう自分を認めていいじゃん。『私はあの人たちを嫌いで理解できない』ってことを自分で理解しておけばいいじゃん」と言った。
これは言わなかったけれど「私は絶対に自分の中の『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合っておこう」と思った。
私は母と違って生活力もなければ大抵のことが40〜50点しかできないし、場合によっては0点も当たり前、でもある特定の条件が重なると涼しい顔で200点を叩き出せる、そういうタイプの人間なのでより一層そう思う。
これは私の持論だが、これから先もずっと自分の弱い部分や後ろ暗さ、悲しみや憎しみについて考えなければならないと思う(楽しいことなんて放っておいても無意識に考える)。
「ずっとトラウマを抱えるな」「いい大人なんだから忘れろ」「うじうじするな」「そんなこと考えて人生楽しい?」とかなんとか言ってくる人がいる。けれど、そもそも簡単に忘れられないからトラウマなのだし、「いい大人」なんて曖昧な言葉が理由になることなんてないし、うじうじしているのではなく向き合っているのだし、人生は広い目で見ると楽しいけどピンポイントで見ると全然楽しくない、そういうものだと思ってます。
勘違いされたくないから強調するが「『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合って昇華し、キラキラすっきりと生きていこう♪」という能天気なことを言っているわけではない。無理無理、それは私には無理。ずっと私は暗いもん抱え続けて生きているし、嫌なもんは嫌なまま。
その理由を言葉で説明できるようにしておくと「本当に無理なこと」を避けられる。客観視できるまで噛み砕いておくと「これに関しては私のバランス感覚がおかしいのだな、人を選んで主張しよう」「これは今いる環境によって自己がブレてしまって起きている事象だから、あまり気にしないでおこう」と判断ができる。
自分を知るという槍、客観視点という盾で戦うしかない。転生したらきっとチート主人公になれるのだから、今世ではとりあえず、武器を持って立ち上がろうと思う。
この前、職場のみんなで暑気払いの代わりにBBQをやったんだわ
職場から親睦費ということで、お金も少し出てたから派遣の氷河期おっさんも一応誘ったら、本当に来た
みんなが火を起こしたり野菜を切ったりしてるのに派遣の氷河期おっさんは椅子に座ってぼーっとしてるかスマホを見てるだけ
まだ職場になれてない今年入った高卒新卒の職員や障がい者雇用の職員でも
「何をしたらいいですか?」って聞いて
自分のできる仕事を見つけて野菜を切ったり、水を汲みに行ったりしたのに
結局、一人で肉を食って酒を飲んでケーキを食べて帰っただけだった
何しに来たかったのか謎だは
なんでいい歳して非正規のやつって積極性や協調性に乏しいんだ?
素直に謎
車中泊のデメリットにDQNに絡まれるとあるが、それは間違いだ。
輸入キャンピングカー(レンタカーを除く)に乗っている夫婦(ワンワン同伴率高い)は基本的な社会性やコミュ力があるので、ヤバそうな奴には近づかないしかわす賢さがある。
国産のキャンピングカーも同様だが、年式が古くステッカーを沢山貼っているタイプは癖が強い夫婦やおじさんも多い。
ハイエースも多いが、年式が新しく車中泊仕様のタイプは400万~と高いので、イカれた奴は少ない。しかし、釣りをするタイプの車中泊は増田が言う通りDQNが多いし、北海道ではヤクザもいる(釧路ナンバーのハイエースとジムニーには気を付けろ)。
今人気のエブリイ、アトレー、NBOXで車中泊しているおじさんで、社内がきちんと整理されていたり、自分で車中泊仕様にカスタムしているおじさんは実は学があったり、何かしらのスキルがあったりする。
逆にタオルとか洗濯ものとか布団とかを雑多にのせて完全に部屋にしているようなおじさんには気を付けた方がいい。話が長いし、距離感もバグっていることが多い。
特にステッカーを貼りまくっている一見車中泊強者おじさんの中には、ワクチン接種済ですや打ってませんという思想つよつよステッカーを貼っていることも多く注意が必要だ。
道の駅では当然アウトだが、車の外でBBQしているおじさんは問題外だ。絶対に近付くな。倫理観がイカれている。
数を上がればキリがないが、こういったポイントを踏まえた上で、他の車中泊とコミュニケーションを取らず孤独に過ごすことも可能だ。
車中泊を始めた直後は誰とでもコミュニケーションを取りまくる「車中泊ハイ」になる確率が高く、そういった時にやっかいな車中泊おじさんと仲良くなり後々面倒なことになる。
現実社会と同様に、近づいていいタイプの人間を見極めてよい車中泊ライフを送ることをおすすめする。
車中泊をしている子連れの家族、リタイアしたおじさん、カップル、欧米から来た人等々、車中泊をしていると色々な人と出会えるのも醍醐味のひとつ。
いくらこそこそしていても、全国を旅するなら一度や二度以上話しかけられることはあると念頭に置いて、月見マスダーベーションをするとよい。
当方、一卵性双生児(男性)なのだが、兄弟でやって楽しかったことを書き連ねてみる。
・スマブラ
当時は現在と環境が異なり、対人環境がオフラインしかなかったため、対戦相手を用意するだけで一苦労だった。
私は双子であったため、家に帰ればすぐに対人練習ができる環境であり、双子揃ってどハマりした。
腕前が同程度の相手と何度も練習するのは効率が良かったのであろう、2人とも地区大会選出程度には上達できた。
・野球
親の影響で始めたのがきっかけ。
なお、負け試合は互いのボール/リードのせいにしてよく喧嘩していた。
高校からは互いに、多少の反発心もあり、違うチームでプレイしたが、帰宅後の自主練は2人でよくした。
おっさんになった今でも、たまにキャッチボールやバッセンに行く。楽しい。
自分が学生時代の時には、まだまだオタクに対し風当たりが強く、周りにもそのような趣向の友人がいなかったため、隠れオタクをしていた。
ある時、互いの部屋にオタク関係のアイテムがあり、互いがオタクだと認知したとき、兄弟のみで嗜好をオープンにした。
やはり1人より2人で作品を考察し、キャラを愛でるのは楽しく、どっぷりオタク趣味に浸かっていった。
2人でコミケにいき、たくさんはしゃいだのも良い思い出。
・友達交換
双子ならではだが、お互いの友達が確実に同年代かつ、趣味嗜好が合うため、互いの友人を呼んで交流をたくさんした。
上記のオタク趣味が顕在化してからは、そのようなグループも交えていろんなところに旅行へ行ったり、BBQをしたりした。
・キャンプ
もともとソロ気質が高い人間であり、ソロキャンプをしていたが、せっかくなら一緒に行こうと兄を誘ったところ、刺さったもよう。
気を使わなくていい相手と、取り留めのない話をしながら酒を飲み、火に薪をくべる時間が、どうしようもなく好きだった。
・子育て
先に私が結婚し子どもができたが、甥っ子に当たる私の息子を兄はよく可愛がった。
これからは、このコンテンツがメインとなり、兄と楽しんでいくんだろうな。
同世代の1番の友人であり、ライバルであり、家族である双子の兄、書き連ねてみると、一つ一つは大した思い出でもないが、やはり居てくれてありがたい存在だ。
幼稚園からの関係の親友と半年前くらいに絶交した(幼稚園からといっても本格的に交流しだしたのは小学生からだけど)あっちは友達が多いからなんと思ってたか分からないけど俺は親友だと思ってた。家族以外でライン登録してる唯一の人間だっし、俺が中学から不登校になっても変わらず会いに来てくれて何度も遊んでくれた。
高校からそいつが遠くの全寮制の学校に転校したからそんなに会えなくなったけど、それでも長期休みの時は必ず連絡してくれたし向こうの学校の公衆電話から何度も電話くれた。こっちに帰って来た時はあっちも友達いっぱいいて忙しい筈のに俺なんかとも何度も会う機会を作ってくれて遊んでくれた。電車の乗り方もそいつから教わったぐらいだしカラオケとかファミレスとか映画とか本当に思春期らしい青春の全部を教えてくれた。すごく尽くしてくれたし良い奴だったし感謝もしてるけど、その関係にどうしても耐えられなくなってLINEも電話番号も削除した。
理由は会うたび聞かされるそいつの充実ぶりに耐えきれなくなったから。もともとタバコも酒もしてたし陰キャの俺とはちょっと方向性が違う奴だったけど、する会話も大体向こうの学校の先輩後輩とBBQしただとか文化祭でお笑いライブをしただとか異性関係のいざこざがとかを聞かされる一方で苦しかったし、自分の話もして良かったのかもしれないけど俺は友達がいなくて話すエピソードなんてないからうんうん頷いてるしか出来なかったのが苦しかった。そいつが大学に進学してようやく始めた念願の一人暮らし先に泊りに行こうかと二人で計画を建ててるときに、急に無理になって自分から行きたくないと連絡した。その数か月後くらいに電話で連絡を絶ちたいし一人で生きたいと口頭で伝えた。電話した時あっちは外だったしなんかお取込み中みたいだったけど、ラインで話したいってメッセージ送ったらすぐに電話かけてくれたしなにも文句言わず承諾してくれた。もうLINEもブロックしたし着信拒否もしたし家凸される以外本当に連絡する手段がない。本当にすごく良い奴で感謝してるし遊んだ後はともかく遊んでる最中は楽しかった記憶もある筈なのに微塵も悲しくなれなかった。
電話が終わった後ようやく一人になれたのかと思って本当に気が楽になったし後々実感が来るのかと思ったら全然悲しくならない。夢のキャストが十年くらい前から変わってないんだけど今もそいつが頻繁に出てくるのにその度喪失感とかもない。むしろ今はすごい充実してる。ずっと好きだったコンテンツのサークル参加にも一人で挑戦してて今はその作業がすっごい楽しい。もともと一人の生き方が向いてたのかな。苦しくないのはいいけど急に絶交したいっていっても文句ひとつ言わずに承諾してくれたあいつに申し訳が立たないなと本当に思う。
強いて当面の不安を言うなら俺はこの先あいつ以上に深い友達を作れるのかな。新しく友達作っても同じ結末になると思うと気が引けるし作り方も小学生以来だし忘れちゃった。今通ってる専門学校では早速孤立してる。
俺は忙しいんだよ。
休んで遊んで掃除して医者行って映画見てネットに書き込んでプラモ作って釣りをして旅をしてゲームして作り置きして図書館行って手続きして勉強してよく寝て筋トレしてとにかく色んなことをクソほどやらなきゃいけないんだよ仕事以外に。
そんな時間をこれ以上奪われるわけには行かないんだ。
単に職場で知り合いだとか昔同じ学校に通ってたとかその程度の理由で。
むしろ「アイツのためにハブってやった優しさに感謝して欲しい」とハッキリ言葉にして欲しい。
俺はそれに対して「いやー忙しかったんで助かっちゃってますね本当」や「いやーその日は都合が悪かったから気まずい思いをせずに済んで結果的にWIN-WINっすね」みたいのを空気読んで使い分けてくから。
頼むぜ。
俺はわざわざ断るのさえ面倒くさい。
そっちはわざわざ誘うのだって面倒くさい。
だろ?
それでいいんだよ。
元のツイートには中学生男子は手伝っていなかったとか女児は働かされていたとか中学生女子は唐揚げを食べられなかったとか中学生男子だけで唐揚げを無心に食べ尽くした、とか一切書いてないじゃない。30人規模のBBQなら中学生以外も唐揚げ食べたでしょう。
「とりわけ食欲旺盛な中学生男子が5人も来る」という以外の意図は一切ないよ。
そこに唐揚げを食べられない上に肉も貰えないで可哀想にBBQに混ぜてもらえないで下働きを続ける中学生女子はいないよ。
男連中に気を使ってキッチンにこもりきりの女連中もいないよ。
ホストとゲストなんだからホストがたくさん振る舞うのは当たり前じゃない。
どこにも中学生が手伝いをしたしないなんて書いてないし、この話には全く関係がない。
それが読み取れなくて、一生懸命自分がいかに可哀想だったかの話しか出来ない。
女だからって唐揚げを食べさせてもらえなかった過去を思い出して悔しい気持ちなんだろう。
これ叩いてる連中で鳥貴族に集まってみんなで手羽先食べ尽くしていいから。
親に遠慮なく食べろって言って欲しかったよな。
それで男ばっかり楽してると思ってたよな。
自分は他の人と違うと落胆したよな。
他人が楽しそうだと羨ましくて嫌だよな。
でも関係ない人に恨み言ぶつけんなよ。
文句はてめえの親に言いやがれ。
胸糞悪い。