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2024-05-05

anond:20240505030127

ちょっと馬鹿

 

  1. ユダヤ区域は初めはカトリック前のローマイスラム前のペルシャ寄生ユダヤ属州
  2. 紀元1世紀ユダヤ教徒は十分の一税を支払っており(ハコモノ神殿不要になり)、独立戦争をして負けたのでディアスポラ(各地に潜伏)
  3. 6世紀ユダヤ教徒がヒムヤル王国乗っ取りカトリック虐殺
  4. 7世紀イスラム教が発明され、ヒムヤル王国イスラム改宗
  5. 10世紀ハプスブルク(親ユダヤ)が現れ土地を求め、カトリック11世紀イスラムを敵視して十字軍を開始
  6. 15世紀新大陸発見され、ハプスブルグカール5世司教領地動説は用済みとし、プロテスタント入植者支援
  7. 18世紀産業革命のあと、消費者必要になり、奴隷制廃止
  8. 原爆発明に至って植民地は足手まといになり、2度の大戦を経て植民地制度廃止、軍を縮小(米国以外)
  9. 21世紀組織的テロが増え、小国たちは、ユダヤ先進国任せではヤバいと気付いてはい

 

分かった?

anond:20240505132413

紀元前6世紀頃 仏教成立

紀元前3世紀頃 インドトーラナ

538年 百済から仏教伝来

6世紀前半 新羅に紅箭門の記録

8世紀後半頃 伊勢神宮内宮に関する儀式書「皇太神宮儀式帳」に 「於不葦御門(うへふかずのみかど)」と称して屋根のない門という意味で登場

973-976年 現存する日本最古の鳥居山形県山形市鳥居ヶ丘にある元木の石鳥居


って考えると鳥居って神道特有の物ってより仏教から借用したものなんだろなあ

2024-02-26

メガテンで仲魔やペルソナになる実在した人物

カエサル

古代ローマ政治家ガイウス・ユリウス・カエサル

カンセイテイクン

三国志劉備に遣えた武将関羽呼び名「関聖帝君」。

キャプテン・キッド

17世紀活躍した海賊船船長ウィリアム・キッド

ゴエモン

安土桃山時代盗賊首長あった石川五右衛門

ジャンヌ・ダルク

15世紀フランス軍勝利に導いた軍人聖人

セレスティーヌ

オペラカルメン』でカルメンを演じた女優

テンカイ

徳川家康の側近でもあった南光坊天海

トキサダ

島原の乱総大将であった天草四郎本名益田時貞

ハヤタロウ

長野の光前寺で飼われてた犬。

マサカド

平安時代関東豪族平将門

ミチザネ

平安時代貴族菅原道真

ヨシツネ

平安末期の武将源義経

リョウオウ

6世紀中国北斉の高長恭という人物称号蘭陵王」または「羅陵王」。

実在微妙

キントキドウジ

金太郎名前で有名な坂田金時のこと。実在は疑わしい。

ジャック・リパー

19世紀ロンドンを賑わせた連続殺人犯通称切り裂きジャック」。犯人が誰かわかってないので妄想、あるいは怨念産物ということになってる。

トモエ

平安末期の女武将。後世の創作実在しないと言われる。

ヒミコ

邪馬台国女王魏志倭人伝記載があるので実在したとされるが、肝心の日本でまだ証拠が見つかっていないため実在しなかったとも。

ハンナ

歴史上唯一の女性教皇創作と考えられている。

番外編

タトゥーマン

ヤ○ザ

フーリガン

サッカーで暴れる観客

2023-06-18

ローズマリー・サトクリフローマンブリテンシリーズ本一覧

※ほぼメモ書きです。

 ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマンブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般ローマンブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境オオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。

https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html

 一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。

(1)作中時系列

2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)

3世紀:銀の枝(The Silver Branch)

4世紀辺境オオカミ(The Flontier Wolf

5世紀ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)

5世紀:落日の剣(The Sword at Sunset)

6世紀夜明けの風(Dawn Wind)

9世紀:剣の歌(Sword Song)

11世紀:盾の輪(The Shield Ring

(2)出版順(訳者無記名は猪熊葉子

1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店1972年

1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールドリング ヴァイキングの心の砦』原書房2003年

1957年:銀の枝(同)→岩波書店1994年

1959年ともしびをかかげて(同)→岩波書店1969年

1961年夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版2004年

1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎山本泰子訳『落日の剣 : 真実アーサー王物語原書房2002年(2巻本)

1980年辺境オオカミ(Oxford University Press)→岩波書店2002年

1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキング物語原書房2002年

 これらの作品群がファンWikiDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカ指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているかである。ただ、『三銃士シリーズのような一貫した主人公陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニア駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌスジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境オオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。

 もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境オオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公アンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけであるしかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。

 『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公ヴァイキング少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっと最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキング少女フライサと孤児ビョルン(後者指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人抵抗する様が描かれる。

 見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境オオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国辺境民族ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマから脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキング主人公になっている。アングロ・サクソン人ブリテン征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人ノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人ブリトン人、サクソン人、デーン人ノルマン人イギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカ指輪は父を殺害したピクト人長老マルクスに返却している)。

 出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境オオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊作業量の限界だったのだろうか(1928年まれだし)。そもそも夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフ名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。

 英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境オオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティローマからローマンブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカ指輪象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代イギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。

2023-04-18

anond:20230418094216

言いたい事わかるけどマジで言ってるのに数値が10000倍とざっくりしてるせいで本気度が薄い

5246世紀くらい細かく出す方が良い

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2021-08-21

古代経済史を考えてみた

飛鳥に29、40、41代天皇の墓があって大阪奈良に16代天皇家族の墓があるのは変だなと思って経済史的に考えてみた。

4世紀帯方郡卑弥呼が滅び、渡来人が辰砂利用技術を持ってきて、初代天皇が立つ。天照・卑弥呼から曾孫の代は出雲にも進出

5世紀貿易成功した15〜16代天皇大阪奈良盆地に進出して栄える。巨大古墳を作る。

6世紀、29代のとき任那が滅びて百済貿易が中心になる。渡来人が増えたので32代までに飛鳥京が開発される。それで銀山も開発されたが、場所秘密

7世紀33代は遣隋使を送り、34代は遣唐使を送ってまた大陸貿易栄える。36代のとき百済が滅びて渡来人が増えたので38〜41代が奈良再開発飛鳥京は国内統一のための機関になり、統一後は廃止

8世紀渡来人がいるので43代に古事記(たぶん百済系)、44代に日本書紀(たぶん漢人系)ができる。45代が奈良大仏。47〜49代あたりに続日本紀ができる。50代(平家祖のひとり)が長岡京平安京を開発。しばらくすると、インフレが酷くなりしばしばデノミをする。

平安時代は長いので飛ばし11世紀、唐と平家が滅びて道教公家が衰退、仏教武家が台頭。大陸日本諸国分立時代

古墳年代が正しいなら、天皇4世紀からで、5世紀大阪奈良時代が始まり任那滅亡のあとしばらく飛鳥京がある。飛鳥京の謎の石造物は任那渡来人が来る前のものだろう。そもそも2世紀福岡伊都国に千如寺が建ったとき天皇がいないだろうし、新羅渡来人鉱山開発をしてる。

天皇陵のある奈良飛鳥古墳作りがが廃れたのは、国内統一し終わって割の良い古墳作りを村人にさせる必要がなくなったとか、そのあたりの銀山が閉山したとか、任那百済が滅びて古墳流行らなくなったとか、産廃の利用方法古墳作りの他に見つけたとか、唐辛子香辛料が入ってきて、料理に忙しくなったとか。

追記

初代天皇父親の墓が鹿児島にあるとされているが、だったら隼人の反乱が起きるはずがないと思う。

だいたい古墳の主は仮託もできるし、もしかすれば戦争の死者が埋められてるかもしれないわけだ。律令制のあとは古墳がないんだろ。

2020-06-06

anond:20200606130237

ただトマトが普及したのが15、6世紀で、先ほども書いたように14世紀画像の時点で細長い麺だし、

手づかみで食べてた頃はチーズくらいしかかけてなかったrしいかトマトソース普及の前だと思うんだよね。

そこからパスタの発展とか普及はトマトソースと関わりが強いんだろうけど、細長い麺は元々っぽい。

2019-10-30

宇宙の謎が不明なのが悔しくてならない

26世紀まれならすべて解明されてるだろうに

2019-09-15

anond:20190915012629

ググったけど、少なくとも第26代の継体天皇から実在が立証されてるんだよな?

6世紀日本ってイギリスとの交流なんかあったっけ?

日本はまだ発見すらされてない時代じゃなかったか

2017-09-17

anond:20170917124244

石油産業敵利用が始まったのが19世紀イスラム教が始まったのが6世紀

原油が出ないと持たないのに12000年ぐらい何で継続してんのイスラム教

2016-09-06

[] トビリシ

トビリシグルジア語: თბილისი, Tbilisi [tʰb̥ilisi] ( 聞く))はグルジアジョージア)の首都ときティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。

トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。

人口は約120万人。

  

5世紀古代カルト王国(後にイベリア王国とも言われた)の王ワフタング・ゴルガサリ(ワフタン1世)がここに町をつくり、

王の死後、息子のダチが遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。

統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王が

この地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、

鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉発見したワフタング・ゴルガサリは

それをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、

それがトビリシ語源である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B7

2016-06-21

宇多田ヒカルAutomatic』の「7回目のベルで~」云々のtogetterを見て

2001年宇宙の旅とか磁気テープ使ってなかったっけ

ガンダムseed二期(2004年放送、作中設定22世紀ぐらい?)でガラケー主人公?の妹の遺品として出てたのが印象に残ってるがアレは「レトロ趣味」みたいなエクスキューズが作中にあったっけ

まあ要するに「人類は手近な記録媒体として紙以上のものをついぞ発明出来なかった」とか書いちゃう銀英伝(作中設定で36世紀ぐらい)は傑作

 
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