「1985年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 1985年とは

2024-05-09

anond:20240509161557

豊田商事事件って1985年なんだけどな。39年前やぞ。

おじさん世代は通り越してるんじゃね。

2024-04-23

逆。景気が悪化→支持率低迷→政権交代

因果と結果が逆。景気が悪化するから支持を失って政権交代してるんだよ。

1回目はバブル崩壊。これは1985年プラザ合意と、1990年大蔵省の引き締めが引き金になって発生したもの。その結果、宮澤政権が持たなくなり1992年政権交代

2回目はITバブル崩壊リーマンショックコンボ。これは橋本内閣から新自由主義政策が極まった所の小泉政権爆弾を持ってて、リーマンショックが発生して景気が急降下した。その結果麻生政権が持たなくなり2009年政権交代

順番から見ても、景気が悪くなったか政権交代してる。自民党野党転落すると景気が悪くなった、のではなくて、経済状況が悪化すると政権交代が発生し、野党側がその舵取りをする事になるということ。

これは日本以外でも同じ傾向です。ただ、景気悪化した局面で舵取りを担う事になる政党が育っているかどうかは、国によって異なる。

普段から交代要員として野党政治基盤が成立している所は、大幅に悪化せずに乗り切っているみたいだな。

2024-04-21

万博の来場者数

2025年大阪万博(以下「万博2025」)については、はてなでもちょくちょくその成否が話題になる。

そこで日本で開催された日本国際博覧会の来場者数を調べてみた(ほとんどWikipediaだけだが)。

もっとも「来場者数が少ないからといって失敗とは限らない」とかい言い訳はありそうだし、すでにそういう発言担当大臣から出てるが。

https://mainichi.jp/articles/20231117/k00/00m/010/242000c

それでも目標来場者数を大幅に下回るようならば、失敗と言われても仕方あるまい。

---

(人数に関しては万人未満切り捨て)

---

大阪万博(1970年) ... 来場者数:6421万人 / 目標:3000万人(後に4500万人に上方修正) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

沖縄海洋博(1970年) ... 来場者数:349万人 / 目標:450万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

つくば万博(1985年) ... 来場者数:2033万人 / 目標:2000万人(※) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

■花の万博(1990年) ... 来場者数:2312万人 / 目標:2000万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%8A%B1%E3%81%A8%E7%B7%91%E3%81%AE%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

愛・地球博(2005年) ... 来場者数:2204万人 / 目標:1500万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

(※)つくば万博目標来場者数はWikipedia記事では見当たらなかったが、他の文献などを参考にした。

---

地方博覧会については調べてもきりがないのでほとんど調べてないが、地方博の「失敗例」として有名な「世界・食の祭典」だけ調べてみた。

---

世界・食の祭典(1988年) ... 来場者数:171万人(有料入場者数:85万人) / 目標:400万人(後に180万人に下方修正) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%BB%E9%A3%9F%E3%81%AE%E7%A5%AD%E5%85%B8

---

さて、万博2025だが、基本計画によると想定来場者数は 2820万人 のようだ。

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/masterplan/expo2025_masterplan.pdf

過去の実績を見る限り相当強気目標に思えるが、実際の来場者数はこれを上回れるのか。(上回るかどうかよりも「どのくらい下回るか」を考える段階か?)

万博の来場者数

2025年大阪万博(以下「万博2025」)については、はてなでもちょくちょくその成否が話題になる。

そこで日本で開催された日本国際博覧会の来場者数を調べてみた(ほとんどWikipediaだけだが)。

もっとも「来場者数が少ないからといって失敗とは限らない」とかい言い訳はありそうだし、すでにそういう発言担当大臣から出てるが。

https://mainichi.jp/articles/20231117/k00/00m/010/242000c

それでも目標来場者数を大幅に下回るようならば、失敗と言われても仕方あるまい。

---

(人数に関しては万人未満切り捨て)

---

大阪万博(1970年) ... 来場者数:6421万人 / 目標:3000万人(後に4500万人に上方修正) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

沖縄海洋博(1970年) ... 来場者数:349万人 / 目標:450万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

つくば万博(1985年) ... 来場者数:2033万人 / 目標:2000万人(※) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

■花の万博(1990年) ... 来場者数:2312万人 / 目標:2000万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%8A%B1%E3%81%A8%E7%B7%91%E3%81%AE%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

愛・地球博(2005年) ... 来場者数:2204万人 / 目標:1500万人 https://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

(※)つくば万博目標来場者数はWikipedia記事では見当たらなかったが、他の文献などを参考にした。

---

地方博覧会については調べてもきりがないのでほとんど調べてないが、地方博の「失敗例」として有名な「世界・食の祭典」だけ調べてみた。

---

世界・食の祭典(1988年) ... 来場者数:171万人(有料入場者数:85万人) / 目標:400万人(後に180万人に下方修正) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%BB%E9%A3%9F%E3%81%AE%E7%A5%AD%E5%85%B8

---

さて、万博2025だが、基本計画によると想定来場者数は 2820万人 のようだ。

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/masterplan/expo2025_masterplan.pdf

過去の実績を見る限り相当強気目標に思えるが、実際の来場者数はこれを上回れるのか。(上回るかどうかよりも「どのくらい下回るか」を考える段階か?)

2024-04-14

anond:20240414000436

世界戦争で滅びるって話は1960年代には言われてたことだね。

1985年ごろまでは、実際に核ミサイルによる滅亡のシナリオが割と現実的時代だったよ。

2024-04-02

ラピダスから振り返る日本国家プロジェクト

 日本ラストチャンスとばかりに開始した「日の丸半導体」ラピダスに多大な公費が追加されていることが話題を集めている今日この頃

 心無い専門家たちからは必ず失敗するだの金ドブだの批判殺到中だが、本当に日本経済産業省)主導の国家プロジェクトは今まで成功しなかったのだろうか?

 この記事では主に経済産業省、旧・通商産業省が中心となって始めた国家プロジェクトを振り返る。

LSI国家プロジェクト1976年

結論:成功
簡単に:半導体製造の基礎研究成功

 大規模集積回路LSI)の研究特に基礎研究に力を入れた国家プロジェクト

 当時、半導体小国であった日本で700億円以上の金を基礎研究投資するのは挑戦的であったが、電子ビーム露光技術などの研究レベルアイディア実用・量産レベルに持ってくることに成功

 よく「日本半導体生産ダメだが、生産機械はまだシェアがある」というが、この40年前の国家プロジェクト技術成功がかなり大きく、現在でも半導体製造機械はこのプロジェクトに関わった企業が上位にいる。

 この成功をバネにして1980年台の日本半導体生産の8割を占めることとなった。しかし鮮やかすぎる成功体験と日本政府の政治的脆弱性により、90年台に入ると見る影もなく没落したのはあまりにも有名

第5世代コンピューター1982年

結論:失敗
簡単に:ChatGPTを作ろうとして失敗

 通産省は前述の大規模集積回路LSI)の成功体験を強く意識し、コンピューター技術の「進歩段階」は大規模集積回路が「第4世代」、そしてAI技術が来たる「第5世代であると想定した。

仕様書を読んでプログラムを作ってくれるすごい機械」を目指し、500億円規模の国家プロジェクトに踏み切った。

 しかし当時の通産省は何もかも見通しが甘かった。大規模集積回路の次がAIというのも謎の括りで、ハードウェアソフトウェア混同していた。そもそもなにを研究するのか?という具体的な内容すらあやふやで、やがてはスパコンをよせ集めてもそんなものは出来ないという技術課題に直面。

 現在でいう自然言語処理などのソフトウェア開発を散発的に行い、難航。

 それぞれが独自プログラム言語を作ったりOSを作ったりしたが、特に統合されることも活用されることもなく、「ソフトウェアはむずかしい」ということだけが判明し、放棄された。

 なお、唯一の結論ソフトウェアはむずかしい」ということですら後に生かされることはなかったが、通産省成功したと主張している。

シグマ計画1985年

結論:失敗
簡単に:ソフトウェア開発者を増やす計画が、安価コンピューターを普及させる計画にすり替わり、開発したコンピューターは普及せずに失敗

 「10年後にはソフトウェア技術者が60万人不足して、日本技術的に取り残される–––」

 この現代でもよく聞くようなフレーズに慌てた日本産業界は、ソフトウェア技術者の育成に熱い視線を向け始めた。

 そこに通産省が入り込むと、さまざまな思惑が一致し、ついには国家プロジェクトとして250億円を投入するΣ計画が発足。日本ソフトウェア技術者の天国となる予定であった。

 しか通産省は謎の逆走行を始める。

 ソフトウェアという実態の見えないもの予算をかけることへの抵抗からか、対象は主にハードウェア企業に集中。

 ソフトウェア技術者を増やすという本来目的曲解され、最終的には「安価計算機を普及させる」というハードウェア重視の目標にすり替わっていた。

 その結果としてΣステーションと呼ばれる計算機誕生したが、特に安いわけでもなく、規格が致命的にガラパゴスだったので、ほとんど普及せずに失敗した。

 失敗した後も地方名目としてダラダラと予算が積み重ねられたが、何の成果もなかった。

 日本ソフトウェア技術の息の根を止めたとして有名なプロジェクトである

 なお、通産省成功したと主張している。

リアルワールドコンピューティングプロジェクト1992年

結論:失敗
簡単に:なにもわからず失敗

 日本IT技術に致命的に遅れていることにようやく気づいた通産省は、起死回生の一手としてIT技術に約500億円をかけることを決定。これを「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」と名づけた。

 しかそもそもこのプロジェクトには、何の見通しも何の戦略もなかった。

 約50個の研究が「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」の内容であったが、その実態検索ソフトから光ファイバーまでバラバラであり、散発的かつ無計画予算をばら撒くという意味不明行為は、もはや単一計画である必要性がなかった。

 この計画は最終的に10年にもわたって継続されたが、特に何の成果もなかった。そして膨大な予算とともに記憶の彼方へと消えた。

 なお、通産省成功したと主張している。

半導体MIRAIプロジェクト2001年

結論:失敗
簡単に:かつての半導体全盛期を取り戻すという名目で膨大な予算を集めるが、失敗

 2000年に入ると、経済産業省は「かつて世界一だった日本半導体産業を復活させる」という妄想に取り憑かれるようになる。

 その数はまさに膨大である

 「みらい」プロジェクト2001年)に465億円を注ぎ込むも見事に失敗すると、「はるか」プロジェクト2001年)、「あすかプロジェクト2002年)、「DIIN」プロジェクト2002年)、「あすか2」プロジェクト2006年)、「つくば半導体コンソーシアム」プロジェクト2006年)などが代表で、そのほとんどが失敗はまだしも、なんの検証もなく消えさった。

 「アスパラ」(2002年)はかなり象徴的で、日本の先端半導体企業が集合して日の丸半導体企業を作ろうと国費315億円を費やしたが、2006年には泡の如く消えた。

 これらの膨大な失敗は特に顧みられることもなく、なぜ失敗したのかい考察もなく、ただ予算ともに忘れ去られた。

情報大航海プロジェクト2007年

結論:失敗
簡単に:国産Googleを作ろうとして失敗

 いったい何故だろうか?

 摩訶不思議なことに、ソフトウェア技術者が致命的に不足していた日本においては、国産検索エンジンが誕生しなかった。

 

 中国ロシアが自前の検索エンジンを開発し始めると、日本でも国産検索エンジンを作るべきという安全保障上の発想が経済産業省に芽生える。約300億円をかけて国産検索エンジンを開発することにしたが、当時普及し始めたネット界隈はこれを激しく批判

 失敗続きの国家プロジェクト比較されるが、経済産業省は「かつての国家プロジェクトとは違う!」と強い自信を見せた。

 しかしなにも成さず、なんの検証もなく、予算とともに忘れ去られた。

まとめ

 ラピダスにおいては、経済産業省主導の国家プロジェクトは失敗するという根拠のない批判が多い。

 しかしこうしてまとめてみるとどうだろうか?

 膨大な数の実績が経済産業省には積み重なっている。

 少しは信じてあげよう(完)

2024-03-08

毒の無差別殺人って捕まらないもんなんだな。

青酸コーラ無差別殺人事件(せいさんコーラむさべつさつじんじけん)は、1977年昭和52年1月4日から2月半ばまで、東京大阪で起こった無差別殺人事件

青酸ソーダ入りのコカ・コーラを飲んだ会社員らが死亡した。毒入りコーラ事件とも呼ばれる。

犯人逮捕に至らないまま、1992年平成4年1月公訴時効が成立し、未解決事件となった。

パラコート連続毒殺事件(パラコートれんぞくどくさつじけん)とは、1985年昭和60年4月30日から11月24日の間に日本各地で連続発生した無差別毒殺事件である。何者かが除草剤のパラコートなどを飲料に混入させ、13人を死亡させた。すべて2005年公訴時効が成立した未解決事件[1]。

2024-02-22

経済成長って「いかに何も起こさないか」だよなあ?

1985年 プラザ合意 円の価値が倍になり輸出が渋くなる

1989年 日経平均ピー

1990年 バブル崩壊

1996年 やや回復

1997年 アジア通貨危機、相次ぐ金融機関破綻

2000年 ITバブル崩壊ドットコムバブル崩壊

2007年 回復基調

2008年 リーマンショック(the financial crisis)

2009年 民主党政権になり、円高政策有事の円買いの流れにより1ドルは80円を割る)

2011年 東日本大震災

2013年 アベノミクス円安誘導、株高誘導

2020年 コロナパンデミック

2022年 アメリカの金余りによる利上げ、それによる円安

2024年 中国不動産バブル崩壊により、投資中国以外へ集中する)

 

特にITバブル崩壊と、リーマンショックがなければ1020年早く立ち直っていた

なぜ今回復できたかといえば、ひとえに2012年〜2019年の8年間が平和だったからだと思う

アベノミクス開始からコロナ前で、日経平均は1万弱から2.3万まで伸びてるから

2024-02-21

絵を描くことが手段ではなく目的な人ってこれから大変だろうなって思う

おっさんならわかると思うけど2000年ごろのテレビ業界って、インターネットを敵視してたよね

自分たちの食い扶持を脅かす厄介な存在みたいに思っていた

私は、そんなに脅威ならテレビ局ががネット企業になればいいのではって思ってたんだよね

CDレンタル屋のnetflixネット配信業やるみたいに、DMMAV配信するようにね

なにをそんなにテレビ固執するんだよって感じだった


から生成AIでも思ったんだよ「なにを脅威に思ってんだ、絵師がさっさとAIを活かした事やればいいじゃん」ってね

でも絵師はむりなんだよな

なぜなら書くことが手段じゃなくて目的から

承認欲求のために絵を描いてるから

いいねが欲しく絵を描いてるから

絵の仕事がしたいんじゃないんだよな(仕事になればいいと思ってるだろうけど)

苦労して苦労して苦労して、凄いですね!っていいってもらうための手段しかない

楽をするという事が彼らにとって死なんだよな

から生成AIを活かせない

活かしたら彼らは楽をしていると思われる

登山みたいなもんだよな

単独登頂無酸素みたいなもんだ

からAIを活かした創作なんかできないんだよな

AIプロンプトがもっと複雑になって著作権で守りましょうなんて時代になったら

プロンプターも尊敬されるようになるかもしれない

70年代プログラミングなんて著作権で守るようなもんじゃない、あんなのはキーボード文字うってるだけだと思われてた

1985年にようやく保護対象となったが

今はそんな感じだな

絵師に限った話じゃないが苦労することが偉い、苦労にお金を払うみたいな日本人性格では生成AI時代はかなり厳しいだろうね

実際プログラマーは簡単そうに見えるとか言って買いたたかれている

2024-02-18

anond:20240218173357

あいたか1985年とかは1ドル261円だったこともあるわけで

なにを持って円安と言うのか?ってむつかしいすよねー

それがすぐ我々の生活に反映するのか?っていうとタイムラグあるだろうし

2024-02-14

anond:20240214185555

例えば1990年まれなら1985年には全く存在してない

まり死んでいたのと同じ状態なわけだ

そこに戻るだけの話

2024-02-08

[]HUNTER×HUNTER世代

HUNTER×HUNTER1作目 1999年2001年

HUNTER×HUNTER2作目 2011年2014年

幽遊白書 1992年1995年

 

世代」を「放送している時に9〜14歳」と定義すると

 

幽遊白書世代

1978年まれ1986年まれ

2024年時点で、38〜46歳

 

HUNTER×HUNTER世代

1985年まれ1992年まれ

2024年時点で、32〜39歳

 

HUNTER×HUNTER世代

1997〜2005年まれ

2024年時点で、19〜27歳

 

まりHUNTER×HUNTER世代は、2024年時点で19〜39歳

ただし2831歳はその限りではないかもしれない

2024-02-06

[]日本の30年、失われてなかった

日本人口ピークがいつか知ってる?

これは2008年で1億2808万人なんだけど

じゃあ生産年齢(15〜65歳)のピーはいつかっていうと、1995年なんだよね、思ったより早いでしょ

日本って1995年あたりがピーク感ない?

それで思ったんだけど、そもそも「一人あたりのGDP」っておかしくない?

生産性どうこう言うのなら「生産年齢一人あたりのGDP」が正しいのでは?

 

と思って調べたら割と順調に増えていた

 

1980年 7883万人 324万円 1.43万ドル

1985年 8251万人 412万円 1.72万ドル

1990年 8716万人 531万円 3.66万ドル

1995年 8716万人 598万円 6.36万ドル ←生産年齢人口ピー

2000年 8622万人 620万円 5.77万ドル

2005年 8409万人 633万円 5.74万ドル

2010年 8103万人 623万円 7.10ドル

2015年 7592万人 708万円 5.85万ドル

2020年 7341万人 734万円 6.88万ドル

 

言うほど失われてるか?

 

から問題なのは経済じゃなくて少子高齢化しかないのよ

そして「一人あたりのGDP」が停滞し続けることは確定している、なぜなら人口が減るから

 

730万円っての個人的にしっくり来る、社員1人あたりの中小企業の売上ってこのあたりだよね

(15歳〜21歳とか、60〜65歳が含まれているので、実際はもうちょい上がる)

 

____

 

参考:一人あたりのGDP(円)

 

1980年 219万円

1985年 281万円

1990年 375万円

1995年 415万円

2000年 422万円

2005年 416万円

2010年 396万円

2015年 423万円

2020年 428万円

 

本当の国別の生産性を図るのであれば、各国の生産年齢人口を分母にしなきゃいけないんだけど

これ調べようとするとめっちゃ大変なんだよね

前やったけど心折れた

 

____

 

各国の生産年齢人口増加率の推移を見つけた

https://honkawa2.sakura.ne.jp/1158.html

 

日本は95年あたりからマイナスに転じている

というか2000年代の現象スピードがとんでもなく激しい

 

一方で欧州(英独仏伊)は2020年くらいまで増加している

アメリカ2020年時点でまだプラスを保っている

 

日本が失われた◯年をやってる間

海外はなぜ順調に伸びたのか疑問だったけど

単純に生産年齢人口が増えただけなのかもしれない

指標として「一人あたりのGDP」を使ってるのがそもそもの間違いな気もする

 

なお欧州中国2020年代はマイナスに転じていくため、「日本病」になる可能性がある

2030年代の予想を見ると、日欧中はもうだめそう

2024-01-25

死刑確定

1947年 33

1948年 41人

1949年 76人

1950年 23

1951年 40人

1952年 34人

1953年 26人

1954年 20

1955年 19人

1956年 22人

1957年 25人

1958年 21人

1959年 14人

1960年 36人

1961年 18人

1962年 14人

1963年 16人

1964年 11

1965年 7人

1966年 12

1967年 13人

1968年 11

1969年 13人

1970年 12

1971年 7人

1972年 7人

1973年 5人

1974年 2人

1975年 2人

1976年 2人

1977年 2人

1978年 4人

1979年 4人

1980年 7人

1981年 3人

1982年 1人

1983年 1人

1984年 3人

1985年 2人

1986年 0人

1987年 7人

1988年 12

1989年 5人

1990年 7人

1991年 4人

1992年 5人

1993年 7人

1994年 3人

1995年 3人

1996年 3人

1997年 4人

1998年 7人

1999年 4人

2000年 6人

2001年 3人

2002年 3人

2003年 2人 

2004年 14人

2005年 11

2006年 21人

2007年 23

2008年 10

2009年 15人

2010年 9人

2011年 21人

2012年 9人

2013年 8人

2014年 7人

2015年 2人

2016年 7人

2017年 2人

2018年 2人

2019年 5人

2020年 2人

2021年 4人

2022年 0人

2023年 3人

2024年 1人

 

所感

2010年代まで、裁判時間がかかりすぎ

1020年かかってる

2000年入ってからすごい勢いで判決出していったっぽい

最近ホント平和だね

2024-01-19

1950年まれ人生テクノロジー変わりすぎ問題

仮定の話、1950年まれだとすると今年74歳

 

変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)

 

1960年 10歳 白黒テレビ一般化(一般化=50%)

1962年 12歳 洗濯機一般

1962年 12歳 自宅のお風呂一般

1965年 15歳 冷蔵庫一般

1960年代 10代 年賀状が隆盛

1967年 17歳 掃除機一般

1969年 19歳 大型店舗でのレジスター一般的に

1970年 20歳 プッシュホン、キャッチホンなど始まる

1971年 21歳 カップヌードルが登場

1971年 21歳 カラーテレビ一般

1972年 22歳 電卓が爆発的に売れ始める

1972年 22歳 炊飯器一般

1970年代 20代 アナログレコードが最盛期

1970年代 20代 自家用車一家に一台に

1979年 29歳 スペースインベーダーブーム

1980年 30歳 ウォークマンが登場

1980年代 30代 カセットテープが隆盛

1983年 33歳 ファミコンが登場

1984年 34歳 電子レンジ一般

1985年 35歳 エアコン一般

1986年 36歳 写るんですが登場

1987年 37歳 水洗トイレが当たり前に

1988年 38歳 ビデオデッキが隆盛

1989年 39歳 CDカセットレコードを超える

1991年 41歳 バブル崩壊

1991年 41歳 ポケベルが隆盛(1996年まで)

1994年 44歳 プレイステーションが登場

1995年 45歳 Windows95発売

1995年 45歳 MDが隆盛

1995年 45歳 海外旅行が隆盛(以後横ばい)

1990年代 40代 コンビニ一般

1990年代 40代 カーナビが隆盛

1990年代 40代 ビデオカメラが片手持ちに

1997年 47歳 CDピー

1998年 48歳 携帯電話一般

2000年 50歳 デジタルカメラが当たり前に

2000年 50歳 FAXじわじわ浸透

2000年代 50代 インターネット一般

2002年 52歳 DVDビデオを追い抜く

2005年 55歳 パソコン一般

2008年 56歳 動画投稿サイト流行り始める

2009年 59歳 液晶テレビ一般

2004年 54歳 ウォシュレット一般的に

2011年 61歳 地上デジタル

2012年 62歳 iPodが最盛期

2014年 64歳 スマートフォン一般化、SNS一般

2016年 66歳 GoProアクションカメラ)が最盛期

2018年 68歳 TikTokショート動画)が流行り始める

2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える

2010年代 60代 本、新聞CDDVD凋落電子化スマホ化する

2020年 70歳 リモート会議一般

2020年 70歳 ドローンが浸透し始める

2020年 70歳 スマホキャッシュレス決済が隆盛

2021年 71歳 VRAR一般化?

2023年 73歳 AIが隆盛?

2024年 74歳 ?

 

変化が濃すぎる

 

年はザックリ、わかりやすさ重視

全部調べて書いてます

普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいか

→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)

※隆盛:身近になってきた当たり 

※最盛期:ピー

一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合ピークの5合目当たり)

 

FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い

固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれ物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い

炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末

新幹線飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛

プリントゴッコ情報が少ない、年賀状データばかり出てくる

※衣類についても言及したいが、何か革命的なことあっただろうか?

2024-01-12

松本人志面白さ、良さってなんなの?

1985年まれだけど、ダウンタウンの全盛期?によく見てないまま

気づいたら業界の重鎮としてなんか偉そうになっていった松本人志、というイメージしかなくて

面白さとか良さが良く分からない。

ダウンタウンを初めて認識したのはHey!Hey!Hey!でのMCであってお笑い芸人としてではないし

ごっつええ感じ全然見てなかった。

たぶん放送時間チャンネル権を親が持ってたのかな…。

笑ってはいけないシリーズ大人になってからたまに見て、面白かったけど、あれば別に松本人志から面白いというよりたぶん企画面白さだよね。企画松本人志がやってるの?

浜田の方はいろんな番組MCまわしながらゲストいじりもうまくて分かりやす面白いけど。

松本の方はご意見番とか重鎮感を出しすぎだし出演者もそんな扱いしてる場面ばかりで、面白さがよく分からない

2024-01-09

anond:20240108235945

続き

苦情処理委員勧告

2022年4月県民からの申立を受けて、2023年8月30日苦情処理委員が県教委へ提出したもの

県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。

平成13年勧告

勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。

これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。

教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校主体性尊重する必要があることなから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。

女子差別撤廃条約とは

女子差別撤廃条約

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html

女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別撤廃のために適当措置をとることを求めています

条約は、1979年の第34回国連総会において採択され、1981年に発効しました。日本1985年に締結しました。

条約全文

https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html

勧告根拠としている箇所は以下。

10

締約国は,教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別撤廃するためのすべての適当措置をとる。

(c) すべての段階及びあらゆる形態教育における男女の役割についての定型化された概念撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。

内容についての所感

勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保すること」とある

半世紀前の世界女子教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代埼玉県において、この条文を根拠目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。

勧告要旨の2点目について、管理職教職員の男女格差是正必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。

男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。

他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。

市民団体「共学ネットさいたま」(清水はるみ代表

埼玉県高校の共学化を推進する団体

埼玉県男女共同参画推進センター主催するイベントに毎年出場しているらしい。

紹介文を見るに20年以上の歴史があるようだ。

第21回 With You さいたま フェスティバル出展参加団体紹介

https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku

代表者氏名 清水はるみ 会員数 100人 所在地活動拠点) 鶴ヶ島市

2001年9月私たちは「埼玉県内のすべての公立高校男女共学に」をめざして、「共学ネットさいたま」を設立しました。

2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動母体として、様々な活動に取り組んできました。


前述の平成13年勧告が契機だという。

WebサイトSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。

10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。

団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。

他に共学化推進の活動をする団体情報は見当たらなかった。

浦和高校同窓会意見書

12月1日大野知事日吉教育長に提出されたもの

7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティ観点から別学の意義を主張している。

5番目の項目では勧告書の矛盾恣意性を指摘している。

女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である

勧告書の共学化勧告は、私学にも向けられる内容であり、少なくとも触れられて然るべきである

しかし、本勧告書はこの点に目をつぶる。私立の別学までは関知しないという姿勢だろうが、首尾一貫しない主張に見える。

7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。

最後に、埼玉県高校管理職教職員格差等については、県教育行政問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである

内容についての所感

勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。

ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。

別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人感覚であろう。

今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。

オンライン署名

12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者在校生卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。

この署名趣旨は以下の2点のようだ。

現在1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。

Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。

内容についての所感

特に2点目の情報公開については強く賛同するところだ。

賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的ものであるように見える。

特に関係者以外からコメントは実感のこもった真摯ものが多く感じた。

一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。

勧告書の内容や経緯を誤認しているもの卒業生個人的な思い出のみを根拠感情的に反対を叫んでいるものなど。

中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身品位矜持もないものかと残念に感じた。

そもそも議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名説明勧告書と意見書リンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。

全体所感

勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。

しか勧告書が提出され議論俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである

浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名活動は意義あるものだと思う。

署名が受け入れられて議論が公になり、理性的で公正な判断がなされることを願うばかりだ。

また今回の運動は他県の共学化にも影響することとなりうるので、特に他県別学校関係者にも注視してもらいたいと思う。

2023-12-27

[] メットイン自転車流行ると思ったのに

道路交通法の一部改正により、令和5年4月1日から全ての自転車利用者に乗車用ヘルメットの着用の努力義務が課された。

でも、自転車降りた後にヘルメット持ち歩くのは面倒。自転車のカゴにヘルメット入れておくのも無用心。ワイヤーロック自転車ヘルメット括りつけておいてもイタズラが不安

そこで、ヘルメット収納スペースを備えたメットイン自転車流行ると思ったのに。

原付バイク界に革命を起こした”シート下スペース”の登場! なのに第一モデルは短命だった?|Motor-Fan Bikes

car.motor-fan.jp/article/10009603

原付一種(50cc以下)のヘルメット着用義務化が1986年(昭和61年)。

ヘルメット収納スペース備えたスクーター第一号の発売はその前年の1985年(昭和60年)。

大ヒットした「メットインタクト」の発売が1987年(昭和62年)。

そもそもメットイン」がホンダ登録商標と。


原付の着用義務化と違い、自転車のはまだ努力義務からニーズが少ない?

最近国立大学の近くを通学時間帯に通りがかったらヘルメット着用率、5%もないくらいだったし。

2023-12-26

生物的な人口1040歳人口)の推移

1940年 5550万人 +5.9%

1945年 5878万人 +4.1%

1950年 61197万人 +5.4%

1955年 6455万人 +3.1%

1960年 6661万人 ▲2.4%

1965年 6497万人 ▲3.6%

1970年 6261万人 ▲3.0%

1975年 6078万人 ▲2.9%

1980年 6043万人 ▲0.5%

1985年 5810万人 ▲3.8%

1990年 5401万人 ▲7.0%

1995年 5238万人 ▲3.0%

2000年 5037万人 ▲3.8%

2005年 4790万人 ▲4.9%

2010年 4398万人 ▲8.1%

2015年 3982万人 ▲9.4%

2020年 3711万人 ▲6.8%

 

既に全盛期の半分に到達しそう

 

ところで少子化はいつ始まったと思う?

2023-12-22

杉並区防災無線電波ジャック事件Wikipediaかい嘘松みたいなページ

このご時世だからこそ杉並区防災無線ジャック事件Wikipediaを読んでみる

そもそも杉並区防災無線ジャック事件って?

1985年昭和60年6月22日21時45分頃[1]、杉並区内の小中学校など公共施設104か所[1]に設置された防災行政無線屋外拡声子局のスピーカーから突然、1985年東京都議会議員選挙立候補を表明していた人物中傷する内容[1]の女の声[2]が大音量で流れ出した。

2、21時!?なんつー大迷惑な…

でもなんでそんなことを…

中傷演説言及された長谷川英憲は、1967年以来中核派支援を受けて杉並区議会議員を務めており、当時は東京都議会への鞍替えを表明していた。中核派敵対する革マル派は、本事件以前も長谷川選挙ポスターを破ったり、宣伝カーを盗んで放火したりするなどの政治活動妨害を繰り返していた。対する中核派も鉄パイプなどで武装し、選挙妨害を繰り返す革マル派との乱闘騒ぎを区内各所で起こしていた[要出典


世紀末か。流石に盛りすぎだろと読む度思うけどほんとに起きた出来事なんだよなぁこれ

内容は以下の通りであった[要出典]。

都議選立候補している長谷川英憲はひどい男です」

「こんなひどい男を都議にしてはならない」

「彼らは中核派人殺しです」

長谷川英憲人殺しーっ」

語彙力よ…ここまで壮大な迷惑行為の割に誹謗中傷小学生レベルって



まりの音量に、区民はあわてて外に飛び出したという。区ではスピーカーの電源を切るための閉局電波を発信したが音声は止まず[1]、そのまま約20分間[1]ないし25分間[3]にわたって流れ続けた。区民からの苦情が区役所警察署殺到し、110番が不通となった[1]。

いやいや、大事件じゃないですか

当時の防災無線は音声に特定周波数を重畳させることでスピーカー作動する単純な仕組み(トースケルチ)だったため、伝送使用周波数キーとなる重畳音声周波数が割り出せればジャックすることが可能であった。当時の杉並区では毎日18時に「夕焼小焼」のメロディを流しており、この際の開局電波を解析され、周波数を割り出されたとみられている[1]。



区側が発信した閉局電波が利かなかったのは、妨害電波のほうが強い出力であったためと考えられている[1]。犯人は当日、防災無線と同じ周波数に設定した強力な送信機を用意し、自動車に乗せて移動しながら[3]か、区内のどこかに基地局を設置[1]して妨害電波を流したとみられている

もうこんなんテロ事件だろ。長谷川英憲ひとりのためにここまでするならそのエネルギーを別のことに使えって…みんな同じこというからなぁ


まあ山上みたいにならなくて良かった…のか?

2023-12-21

anond:20231217190452

はいダウトぉ!(エルフ過激派

数あるD&D系の中でもエルフクラスだったのは主流とは言い難いクラシックD&D4版系(1985年和訳)の話であり、

元祖オリジナルD&D1974年)、後世のあらゆるRPGに影響を与えたアドバンスD&D1st(1979年)、現在D&D5版でもすべてクラス種族は分離されている。

まりエルフ職業」という発言自体D&Dほとんど知らないにわか確定発言に他ならない。

2023-12-12

anond:20231212203516

上戸彩さんは、清潔感があると言われています。

上戸彩さんは、1985年9月14日まれ女優歌手です。東京都練馬区光が丘出身で、オスカープロモーション所属しています。

上戸彩さんは、デビュー以来親近感や清潔感があり、最近では大人雰囲気も醸し出しています。また、綺麗な歯の芸能人ランキングでも上位に選ばれています。

2023-12-11

日本円ホールドするだけで金持ちになれた時代

はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。

この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。

1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値実質的に上昇するというメリットが生じました。

2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。

3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。

このように、デフレ経済円高環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインド心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます

---

そうでもないです。私は90年代子供でしたが、親や祖父母から資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールド土地を買いなさいとか、ましてや株は危険から買うなとまで言われました。

彼らは日本円価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?

---

1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます第一に、1985年プラザ合意以降、10年近い円高基調継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたか常識と化していました。

第二に、1980年代後半のバブル景気による株価土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。

第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。

第四に、当時の円相場政府日銀管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。

このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。

---

だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。

---

はいプラザ合意後の急激な円高体験した世代にとっては、円預金選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます1985年ドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。

この出来事日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。

生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですからプラザ合意体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。

2023-12-07

anond:20231207232826

多くの人は、規制緩和によって派遣労働を推進したのは、小泉竹中と思っていますが、労働派遣法が成立したのは、1985年中曽根内閣の時です(施行は翌年)。つまり、この規制緩和は、1980年代の土光臨調と中曽根行革にまで遡るということです。但し、当時派遣が解禁されたのは、専門知識必要とする13業務限定されました。

中曽根行革に続く行革は、橋本行革です。1996年橋本内閣時代に、対象業務26業務に拡大されました。しかし、最大の規制緩和は、1999年小渕内閣によってなされた改正で、この時に、派遣労働対象原則自由となり、禁止業務けが定められるネガティブリストの形を取るようになりました。2003年小泉内閣のもとで製造業務への労働派遣が解禁されたとはいえ、なぜ非難されるのはもっぱら小泉内閣で、より抜本的な規制緩和に踏み切った小渕内閣ではないのでしょうか。おそらく、小渕内閣公共事業を増やしたのに対して、小泉内閣は減らしたので、小さな政府を嫌う勢力は、小泉内閣だけを攻撃したいからでしょう。

派遣労働に関するもう一つのよくある誤解は、パソナ会長竹中平蔵が、自社の利益のために派遣労働を推進したというレント・シーキング説です。竹中大臣あるいは参議院議員の任にあったのは、2001年4月から2006年9月までで、パソナ特別顧問就任したのは2007年2月会長就任したのは2009年8月です。そもそも竹中派遣労働を直接所管する厚生労働大臣には就任していないのですから竹中が中心となって派遣労働を推進したというのはおかしな話です。もちろん、竹中は、政治家を辞めた後にも様々な政策提案していますが、直接政治権力を持っているのではない以上、責任は、提案を受け入れる政治家にあって、民間人竹中にはありません。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん