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はてなキーワード: 1973年とは

2023-07-20

anond:20230720133538

でも、

ジャーニーJourney)は、アメリカロックバンド

1973年サンフランシスコで結成され、メンバー交代や解散再結成などを経て、音楽性を変えながら活動

ですよ。ジャニーのなまえはしられていない。

2023-07-09

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動わずか7年半ほどだった。引退までにシングル31作の累計で1,142万枚、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手であった[9]。

オリコンシングルチャートにおいて、1973年6月4日付でデビューシングルの「としごろ」が75位に初登場してから1981年3月2日付で32枚目のシングルの「一恵」が96位にランクインするまで、405連続100位以内にチャートインし続けた[10]。オリコンアルバムチャートレコードのみ)において、引退後の1989年時点でアーティストセールス13位(251万枚)、TOP10総登場週数16位、TOP100総登場週数11位、と70年代アイドル歌手(男女共に)では最も上位にランキングされている[11]。

現役時代にはホリプロとの確執があり、『蒼い時』でも意見の相違により社長堀威夫と衝突があったと振り返っている。当時の制作部長であった小田信吾とともに独立するつもりであったが、ホリプロ側が小田を説得して独立を阻んだため引退を決意したとの見解もある。もし独立成功していれば三浦との結婚がなかったかもしれず、女優としてその後も活躍していた可能性があったとの見方もある[12]。

2023-06-29

体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより

ウクライナ語体操着

ウクライナでは体操着のことをСпортивний купальникと呼ぶ。ウクライナ語のкупальникはロシア語のКупальникと同じく、水着意味する言葉だ。ロシア語スペルは同じ。Спортивнийとはスポーツ意味する。

以下、ウィキペディアグーグル翻訳から抜粋

バレエレオタード

体操レオタード

フィギュアスケートレオタード

ロシア語版の記事から抜粋

19世紀には、レオタードは、体操選手強者曲芸師などのサーカスでのみ使用されていました。原則として、その上にショートパンツまたはスカートが着用された(たとえば、パブロ・ピカソ絵画舞踏会少女」)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1c/Pablo_Picasso%2C_1905%2C_Acrobate_%C3%A0_la_Boule_%28Acrobat_on_a_Ball%29%2C_oil_on_canvas%2C_147_x_95_cm%2C_The_Pushkin_Museum%2C_Moscow.jpg


伸縮性のある生地がなかったソ連で、最初ニットレオタード練習リハーサルを始めたのはバレリーナマヤプリセツカヤ海外ツアー中に自分用に購入した。彼女は、 1973年フランス振付師ローラン・プティ衣装デザイナーイヴ・サンローラン)によって彼女のために上演されたバレエ薔薇の死」で、伸縮性のあるレオタードベースにした衣装を着てソビエトバレエ舞台に初めて登場したそうである

マヤプリセツカヤは先日の亜留間次郎さん(@aruma_zirou)に言及した記事で、レオタードを特注していた人のことだ。

ソ連のノーパンブルマー少女

その他

一応通販ブルマを見つけたが、訳語関係ブルマ水着かはわからない。

(купальник、burumaで検索

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125510273-plavki-zhinochi-kupalni

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125446756-trusiki-vid-kupalnika-batal

また、ソ連時代のもの画像検索しても、ロシアのもの資料が混ざっている。

所でグーグル検索って、言語設定を変えると検索結果が若干ぶれる。どういうアルゴリズムなのだろう?

今度はもう少しウクライナブルマについて調べるか、エアロビ衣装についてかな。

参考資料

https://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D0%B8%D0%B9_%D0%BA%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA_(%D1%81%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D1%8B%D0%B9)

2023-06-23

anond:20230623093251

2000年くらいには言われてたというか言ってた

1997年からチャットで言ってたので、2000年にはパソコン使う人間の一部は言ってた

2000年あたりでモニターブラウン管ネットISDNテレホ

1994年ではまだ早い感はある

Windows時代がはじまる頃でまだパソコンDOS画面みたいなのをたたいていたあたり

予備校進学ブームがまだあって3DCG実用にむけて準備を始めてた頃

1973年まれバブルを直撃体感してる人間はそう多くないのでは

全体的に時間がずれてる気はする

2023-06-22

1973年まれバブル崩壊

1991年高校3年だった私はバブル崩壊ニュースが騒がれていても何も考えていなかったし危機感もなかった。

まれから株価地価が上がり続ける好景気ニュースや、良い時計、良いブランド、良い車、お洒落な都会の暮らしと浪費を煽るTV番組しか見てこなかったので

経済右肩上がりなのは1+1は2だというのと同じくらい揺るぎない当然の事実だと刷り込まれていた。

からバブル崩壊なんて聞いても一時的な大騒ぎだと思っていたし歴史教科書に載るレベルの事が今起きているなんて実感は全くなかった。

もちろん、後から我が身を以て知る事になるのだけど。


地方田舎だったので大学進学はまだ当たり前ではなかった。

大学は都会の人、お金持ち、頭のいい人が行くところという認識女性大学進学率は身の回り体感で2割以下だったと思う。

高卒就職した先輩たちからは夢のような話ばかり聞いていた。

就活東京に行くと良い。交通費がもらえるから面接スケジュールを何社もうまくまとめれば数十万になる(関東飛行機距離

知り合いがクルーザーを貸し切りでコンパしていたらしい。タクシーが捕まらなすぎるから札束を見せて止めるし、もちろんチップも弾むらしい。

あと高校生でも高確率ヴィトンの財布持ってた。コンビニでたむろしているヤカラ系の人たちも、上下スウェットヴィトンポーチ定番だった。

金を稼いでブランド物やいいものを買う!時代の空気がそんな感じだったから、流されやすい私も高校生の時はバイト三昧で稼いでは散財していた。


私は広告デザイナーに憧れていた。頭の出来は悪かったけど絵をかくのは好きだったし

弟妹に比べてあまり可愛がられてこなかったので、おしゃれな都会でかっこいい仕事をしている自慢の娘として褒められたかったのだ。

それでデザイン専門学校へ進学した。生活費学費バイト三昧でどうにかしたが、絵の課題の物量とバイトの両立は難しくて卒業ギリギリだった。


1994年

クラスで一番絵が美味かった友人はデザイン業界には就職できずにパチンコ屋に就職した。

運よく個人デザイン事務所就職できた友人は手取り13万で会社に泊まり込むような毎日だと言っていた。

私は朝も夜もバイトしながらの就活がつらく、20ちょっと圧迫面接されたタイミングで早々に心折れてしまった。


でも今思えば1994年なら私もまだなんとか職種を選ばなければ就職できたのでは?広告業界はかなり厳しかったけど。

スキル勉強微妙な成績で、顔も微妙からやっぱり厳しかたかな?

ただ、今よりは派遣も幅を利かせてなかったかバイトで頑張って正社員!という流れも現実的で、だからとにかくいろいろバイトしまくろうと考えた。

コンビニビル清掃、ファストフード新聞配達アパレルカラオケ屋、居酒屋パン工場食品加工工場弁当屋デパートラーメン屋ゲーセン

最低賃金は600~700円の時代。掛け持ちで250時間/月くらい働いて手取り15万以下、賞与有給も無し。家賃は5.5万円。


新聞テレビでは「最近の若者責任感がない」とか、「フリーターという自由な働き方!」とか好き勝手言って

親にもいつまで根無し草でいるつもりなのかと責められた。好きでやってんじゃねーよ。


結局バイトから正社員ルートは3年やってダメで、バイト先の先輩が就職したIT企業に誘われて、やっと正社員として就職できた。

この時の親の喜びようといったらヤバかった。花束送ってきたもんね。

でもそれがブラック企業だった。IT土方だった。

大手孫請け・曾孫請けくらいなので単価は安いし、すでに炎上している案件を受けることが多かった。

1ヶ月連勤とか、朝方家に帰って9時にまた出社するとか、片道の航空チケットを渡されて「今から飛べ。バグを直すまで戻ってくるな」なんて事もあった(2ヶ月かかった。仕様バグだった)

しか名前だけ役職だったので、10時間を超えた分は全てサービス残業なのだ賞与もまともに貰ったことない。


あんなに親が喜んだのに辞めるなんて言えなかったし、若いうちは体力もあったのでなんとかなった。

でも30を超えて疲れが蓄積して部屋の掃除ができなくなり、食事コンビニばかりで、美容院行ったり化粧品買いに行く時間もなく

そもそも仕様書ができてないか想像で作るしかなかったコードレビュー毎日詰められて、17時以降にも1人月分のスケジュールが割り当てられ

まあ要するに鬱になって1年休職して、その会社は辞めた。


今はなんやかんや縁があって地方都市のホワイト企業で働いて生きている。

この会社でも同年代絶望的に少ないので、団塊バブル世代が定年を迎えたら部長課長のなり手がいない。

初の女性課長代理やらないかと言われているが、バブル世代の後始末を彼らよりずっと安い給料で、課長以上の成果を求めるくせに課長代理まりなのだ

断るつもり。

世の中を恨んでいるし、特に団塊バブル世代勝ち逃げ組は呪いいくらいだ。ぜひとも来世はブラック企業で使い潰されて欲しい。無償で!


実家は太くなく、偏差値は55くらい。顔面偏差値は47くらい。コミュ力は中の下。人より強いと感じるのは不本意だが「我慢する事」

理解のある彼くん無し。それでも穴はあるとか言われるだろうが、穴として使う人と人間同士の信頼関係を構築するのは難しく、私には無理だった。

そりゃめちゃくちゃに頑張ったり美人だったり頭良かったり運が良かったり、何かに突き抜けていれば同じ年代でも勝ち組にはなれたかもしれないので、能力も頑張りも見た目もそうでもない自分ダメだったのは自業自得かと思ってた。

でも私のような中くらいより少し下の人間が、中くらいより少し下のままでもそこそこに生きていける時代になったらいいねって思う。

そしてその為には、私達は救われないまま死んでいった方がいいのだとも思う。

2023-05-19

anond:20230519170230

医療普通に疑うべきだぞ

医者ストライキすると死亡率が下がることが判明しているしな

医者だって大して人体のことなんかよくわからないままやってるんだよ

クエティン・ヤングは、医者らが医療という名目のもとで組織的に大量の人間破壊(大量殺人)を行っていることを指摘して、それを医療による大量殺戮と呼んだ[24]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82

2023-05-12

anond:20230510222831

ジーザスクライストスーパースター(1973年)

(多分演劇が元なんで映画化したやつは本家本元とは言えないかもしれんけど…)

ミュージカルからサントラ買ったらほぼ同じ内容聴けるのつよい

今見てもキリストユダ、いい解釈じゃないかなと思う

市場ラジカセ売ってたりとか、

衣装とか、当時のヒッピー文化?みたいなの混ざってて今見るとむしろおしゃれ

2023-05-11

復元しておきました

anond:20230511153624復元

blueboy のブコメホッテントリに入っている。

自閉症は夫の精子が古すぎる(夫が高齢過ぎる)ことが理由であることが多い。自分のせいでこうなったと思えば、少しは身が引き締まるだろ。/p.s. ただの感想に、いちいち悪意を見出し曲解するな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4736279734293846277/comment/blueboy

これについての解説。 

上には「曲解とある。「曲解」とは、どういうことか? それは、「 このブコメ自閉症の子供の父親を責めている」という曲解だ。

ここでは、その責め方が問題だ。次の二通りがある。

 「子供自閉症になったことについて、その原因を責めている」

上のブコメ趣旨は、後者だ。つまり、「育児を妻任せにして父親としての責任放棄していることを責めている」というものだ。

sametashark  女系遺伝病の時に自分が言われたら死にたくなるかもしれないが、「自閉症ワンオペしてる妻に隠れてカフェでなろう小説執筆してたのがバレてアカウント消すことになった夫」の心の持ちようの話だからな…

 一方で、前者の意味だと解釈する人もいる。たとえば、次のブコメだ。

studymonster 増田大元のツイ主への批判気持ちからこういうことを書いたのだとしても、この件に全く関係ない自閉症関係者も巻き込んで殴りつけてる。

 「この件に全く関係ない自閉症関係者も巻き込んで殴りつけてる」という記述はまったくないのだが、そういう趣旨だと誤解しているわけだ。

ブコメの話はあくまで「育児分担の可否」「オタク趣味継続の可否」であるにすぎないのだが、自閉症の原因で夫を責めていると曲解しているわけだ。そんなことはどこにも書いてないのだが。話はあくま育児のことにすぎないのだが。

 

一方、高齢という記述はある。その典拠が、「自閉症では高齢父親が多い」という統計データだ。

1973年から2001年の間にスウェーデンで生まれたすべての人(約262万人)を対象とした研究では、2024歳の父親の子供と比較すると、45歳以上の父親の子供がADHDと診断される確率は約13倍

 https://x.gd/EnHyW

 これはマクロ的な統計データから、この本人に当てはまるとは限らない。この本人が高齢であるかどうかも不明だ。だから、「この人は高齢から子供自閉症になったんだよ!」というような理屈は成立しない。もちろん、元ブコメにもそんなことは書いてない。

 元ブコメに書いてあるのはあくま育児の話だ。育児について「身が引き締まるだろう」ということだけだ。そういう話だけが書いてある。あとは根拠となる科学的な調査についても書いてある。

 しかし、「この人は高齢から子供自閉症になったんだよ!」というような話は書いてない。

 かわりに、「自分高齢から子供自閉症になったんだ」と本人が思えば……という、気の持ちようの話が書いてあるだけだ。それはあくまで「本人が思えば」という、本人の心の持ち方の話だ。だから他人がその人を責めているというのとは違う。

 とはいえ、両者を混同する人が多い。

  ・ 「本人がこう思えば」という仮定の話。

  ・ 「 blueboy がこう思っている」という推測の話。

 この両者を混同して、前者を読んだ人が、後者の話だと、曲解する。つまりは、読者が誤読する。あげく、ありもしない悪意があると勘違いする。

 はてな恒例の誤読だ。高齢はてなー にはありがちな恒例だ。今回もその好例だ。

 

 ※ 自閉症高齢とを結びつけているのは、blueboy ではない。統計的データがあるが、統計的に結びつけているのは、研究である。それなら、責めるべき相手は、事実を報告した人の方だろう。たとえば、下記だ。

 → https://digital.asahi.com/articles/ASP145QMSNDTULBJ00K.html

 → https://x.gd/EnHyW

1973年から2001年の間にスウェーデンで生まれたすべての人(約262万人)を対象とした研究では、2024歳の父親の子供と比較すると、45歳以上の父親の子供がADHDと診断される確率は約13倍でした。

 同種の話は下記にもある。

 → https://www.cnn.co.jp/fringe/35044616.html

父親高齢になってから作った子どもは、若い時に作った子どもに比べて、精神障害を持って生まれてくるリスクが大幅に高いことが、最近研究から明らかになった。この研究結果は、米国医師会精神医学専門誌の26日号に掲載された。

 英語原論文は下記だ。

  → https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34066379/

 

 ただし、注釈されているが、これは1件の統計調査であって、この関係が明白に証明されたわけではない。

 ※ 自閉症高齢との関係を blueboy が強く主張しているわけではない。blueboy が主張しているのは、あくま育児についての心の持ちようだ。誤読しないように。

 

 ※ 統計的データがあるが、それを個人に結びつけているのは、「本人がそう思えば」という仮定世界の話であるしかも、その主体者は本人だ。「現実世界で blueboy がそう思っていて、父親を責めている」というのは、誤読である。(正しくは、父親を責めているのは、仮定世界における父親自身である。)


 ※ 「自閉症児の親たちを不当に批判している」という文句もあるが、これも誤解だ。私が批判しているのは、自閉症児の親たち全般ではない。「育児をサボって、オタク趣味時間を使っている」という、特定父親だけだ。たった一人の父親だけだ。それを「自閉症児の親」全般拡大解釈するのは、勝手誤読である。そんな一般的な話はどこにも書いてない。

 ※ 最後に繰り返して指摘しておきます。「おまえが高齢者だから、おまえの子供は自閉症になったんだよ」とは、言っていません。ありもしない言葉を、あると勘違いしないでくださいね




とはいえ、誤解を招いたのは事実だったので、誤解を招いた表現であったことには、お詫びします。文字数が 65字の短いブコメだったので、余計な誤解を招いた点はあります

それにしても、 65字のブコメの舌足らずな点で大騒ぎをするなんて、はてなーは本当に暇だなあ。他人の舌足らずなブコメ悪口を言うことより、もっと有意義なことをする気はないの? そんなに暇なの? (きみたちだって、舌足らずなブコメをすることはあるでしょ。そのたびに、アラ探しをされて、いちいち大騒ぎにしたいの?) 

 【 追記

 現在109ブクマに達した。 元のブコメに付いた 100以上のブコメに加えて、新たに 100以上のブクマが付いている。元はと言えば、たったの 65字のブコメに、これほどにも悪口を言うなんて。……そんなことに熱中する、はてなーの執念には驚くね。

 きみたち、他人ブコメのアラ探しをして、悪口を言う以外には、楽しみがないのか? 女の子デートでもしている方が、ずっと楽しいぞ。せめて、レジャーでもやれ。もっと有意義人生を送る方がいいぞ。部屋に引きこもって、ブコメでネチネチと悪口を書くよりは。

2023-05-04

なつかしいねw anond:20230504094431

ドラえもん (1973年のテレビアニメ) - Wikipedia

Wikipediaじっくり読んじゃったよ。

例の「こんなこといいな」じゃなくて、「ほいきたさっさのドラえ〜も〜ん」ていう主題歌のヤツだよね。

途中で声優が交代して、声が違っちゃったんで子供ながらにすげー違和感を覚えたような記憶がうっすらあるよw

2023-03-22

anond:20230322034016

バイオテクノロジー何だか似たような状況だよな

DNAらせん構造発見したのが1953年(70年前)

遺伝子組換え技術誕生1973年(50年前)

だってのに、ついこの前、指サイズ培養皮膚を開発したくらいでワーキャー喜んでいるレベル

50年もあったら、綾波レイ水槽並とはいかないまでも、1/48スケール人間の脚や手程度は楽に作れても不思議ではないのに

未だ脳の仕組みは解明されないし、人工声帯すらできないから波形を弄って疑似的に再現しようと画策している始末だし

人体は謎だらけ

2023-02-26

「見ても読んでもいない」度

昭和巨匠漫画家

松本零士の「見ても読んでもいない」度が高いのは納得できね?

たびたび映画リメイクされてるけれどアレ見に行くの 見たことある人が大半でしょ?

テレビ放送リメイクも1クール深夜帯とかで オタク以外が見るのは無いでしょ?

赤塚不二夫も「見ても読んでもいない」度は高いのではなかろうか?

バカボンとかのキャラ松本零士作品キャラより知名度理解度は高そうだけれど、テレビ放送シリーズ的に20さい未満の「見ても読んでもいない」度は高そう


手塚治虫はどうだろう?

鉄腕アトムの「見ても読んでもいない」度は結構高いと思う

一方、ブラックジャックはだしのゲン三国志と並んで学校図書に並んでたのと2000年代長期間ゴールデンタイムでの枠があったのでそこそこ低いのでは?

石ノ森章太郎平成ライダーを含めないと「見ても読んでもいない」度が高そう

水木しげるの「見ても読んでもいない」度はどうだろう?

ゲゲゲの鬼太郎10年間隔でテレビの新シリーズ放送されてるので幅広い年代にヒットしやす

藤子 不二雄はダントツで低そう

1973年以降ずっとテレビ放送されてるドラえもんが強すぎる

2023-02-21

anond:20230221124421

精子数は1973年時点で精液1ミリリットルあたり9900万個だったが、

2011年には4700万個に減っていた。しかも減少ペースは上がっていて、

悪くすればあと40年でゼロになるという。

2023-01-18

金閣寺銀閣寺があるなら銅閣寺は?

それがあるんですな。

大雲院にある祇園閣、これが別名銅閣と呼ばれとるんですな。

1928年建築されて1973年に大雲院がそこに移転してきたわけですから金閣寺銀閣寺と比べるとずいぶん新しいですが、銅閣はその名の通り屋根が銅板葺きになっておるんですな。

2023-01-17

ガチャピンってよく見たらキモくない?

1973年デザインされたものから、古いんだよ

目が怖いし、歯は出っ歯すぎるし、腕の布のたるみも不完全感があってキモい

お腹黄色ピンクの縞模様も、趣味が悪い色使い

そういうとムックの方がまだマシ

目と口が怖いだけで、モフモフだし

頭のタケコプターで空も飛べるし

ガチャピン中の人を色々かえることによって、なんでもできるイメージになったけど、あんなの詐欺だよ

ムックはずっと同じ人なのに

ムックにもすごい人を中に入れてあげてほしい

ファンからのお願いでした

2023-01-16

電磁波によるマインドコントロール

マインドコントロール」という言葉ネット上に頻繁に登場する。何千人もの人々がグループまたは個人で、インターネットやその他のあらゆるチャンネルを通じて、マインドコントロール技術による虐待拷問に注意を喚起している。現在進行中の犯罪の規模は大きく、そして隠されている。人々は、今この瞬間、世界中で静かに行われている莫大な人権侵害について、世界的な注目と国際的調査を求めている。21世紀最大の人権侵害の一つは、マインドコントロール技術の普及と、それに伴う虐待拷問である世界中で何千人もの罪のない犠牲者が、自由を求める活動家になっている。 

電磁波によるマインドコントロール技術は、電磁波によって人の脳と神経系乗っ取り個人思考、行動、感情意思決定に対するコントロール感覚破壊する兵器である。本稿では、マインドコントロール技術、隠されたマインドコントロールによる虐待拷問の深刻な状況、そしてマインドコントロール技術とその拷問虐待を紹介する。 

マインドコントロール技術とは、電子マイクロチップナノテクノロジーマイクロ波電磁波などを用いて、脳や神経系攻撃し、個人思考、行動、感情意思決定制御感覚破壊する武器である。これらの方法技術の開発には歴史がある。 

中央情報局ファクトブックによると、NSC国家安全保障会議)とCIAは、1947年国家安全保障法の規定に基づいて設立されたとされている。1947年12月NSC最初会議を開いた。国防長官ジェームズ・フォレスタルは、CIAソビエトに対する「秘密戦争」を開始することを推し進めた。フォレスタルの主導で、ヨーロッパでの心理戦作戦psy-ops)が実行されることになった。CIA職員は、精神破壊し再構築することに長けているナチス医師と協力することに反対はしなかった。このような秘密工作を隠すために、軍事基地が使われることもあった。共産主義者の脅威は、憲法上の権利よりも優先される問題である判断されたのである。 

CIA調査する分野の一つにマインド・コントロールがあった。CIA人間行動制御プログラムは、主にソ連中国北朝鮮マインドコントロール技術使用していると認識されていたことが動機となっていた。国家安全保障保護の下、政府の他の多くの部門もこの分野の研究に参加した。CIA1950年にBLUEBIRDという名称最初プログラムを開始し、1951年カナダイギリスを加えた後、ARTICHOKEと改名した。MKULTRAは1953年正式に開始されました。技術的には1964年に閉鎖されたが、一部のプログラム70年代に入ってもMKSEARCHの名で活動を続けていた。1973年CIA長官リチャード・ヘルムズは、近々行われる調査について密告し、MKULTRAの記録をすべて廃棄するよう命じた。

Mk-ultraの存在確認する圧倒的な証拠がある。米中央情報局CIA)による「洗脳」の被害を訴える250人以上が、数百万ドル補償を求める法廷闘争勝利することになった。冷戦時代にMK-Ultraというコードネームで呼ばれた作戦を立てたことを認めたスパイ機関から、すでに9人がそれぞれ6万7000ドル(3万3500ポンド)の賠償金を受け取っている。

世界リードする神経科学者チームが、人の脳の奥深くを覗き込み、行動する前にその意図を読み取ることができる強力な技術を開発した。 この研究は、科学者が人の心を探り、その考えを盗み聞きする能力において、その技術や応用において倫理的非難されるべき論議を呼ぶ新境地を開拓した。 

2011年カリフォルニア大学バークレー校神経科学者は、脳外科手術患者頭蓋骨の内側に電極を付け、音声や画像の処理に関わる側頭葉から情報モニターした。患者は誰かが話しているのを聞きながら、コンピュータプログラムによって、脳がどのように処理し、聞いた言葉再現するかを分析した。 科学者たちは、この技術を使えば、次に何を言おうとしているかを読み取って報告することも可能だと考えている。 

Plos Biology誌によれば、この技術は読心術の試みを「全く新しいレベル」へと押し上げたという。 ハーバード大学バックナーは、2011年に我々の心を読むことでアルツハイマー賞を受賞している。研究者たちは、被験者の脳活動を遠隔で測定することで、被験者の心を読む能力を示していたのだ。この技術は、自分では気づいていない個人から情報を引き出すことさえ可能だった。

これらの読心術は,衛星テレビ電波塔を通して,インプラントの有無にかかわらず遠隔で神経信号デコードするEEC使用している。「世界中に設置された深宇宙追跡アンテナの感度は本当に素晴らしい。このアンテナは、ボイジャー情報を、アンテナに当たる電力が10指数-16ワット10兆分の1)しかないほど弱い信号からとらえなければならない。現代電子デジタル時計は、この微弱なレベルの200億倍のパワーで作動しているのだ。」

科学者たちは、1立方センチメートル脳内物質の微弱な電波放射は、衛星の検出限界範囲であると考えた。人工衛星あなた思考感情、知覚を検知し、その情報コンピューターに渡して解釈することは技術的に可能だったのだ。

https://www.linkedin.com/pulse/mind-control-electromagnetic-frequency-soleilmavis-liu

2023-01-05

創業50年

いまだと1973年創業ってことだからめっちゃ新しく感じるな。

2022-11-28

日本電産忖度文化”の極み

人事部作成「永守会長対応マニュアル

「永守会長へは最高の敬意を込めて対応すること」

「永守会長に『さん』付けは厳禁」

「疲れ知らずの永守会長に『お疲れさまです』と言ってはならない」

 日本電産の内部で、永守重信会長社員対応する際の作法を説く手引書を作成していたことがダイヤモンド編集部取材で分かった。日本電産人事部作成したもので、毎年大量に入社する中途社員に向けたオリエンテーションで使われたという。

 その内容は、永守氏に対する呼称あいつの方法、社内で出会った際の立ち振る舞い、電話メールの受け方、食事会での作法まで多岐にわたり、異様なまでに細かなルールがある。

 1973年創業以降、ハードワークの社風を築いた永守氏。独自経営哲学で競合企業追随を許さない圧倒的スピード経営実践してきたが、時に社員罵倒する強烈な言動には批判もある。

 永守氏は「叱られた社員は私に感謝する。これがパワハラというなら会社はここまで成長していない」と意に介さない様子だが、社員に過度な圧力を掛ける企業風土は、永守氏個人にとどまらず、同氏を取り巻く側近らが組織的に醸成した面もありそうだ。

 ダイヤモンド編集部では、日本電産人事部作成した「永守会長対応マニュアル」を独自に入手した。次ページでは、その内部資料を公開する。中身は時代錯誤ビジネスマナーオンパレード社員に過度な負担を強いて人材疲弊させる異様な企業風土が明らかになった。

https://diamond.jp/articles/-/313403

うーん

創業社長として日本モーターを世界に定着させたのはすごい人だけど、

王朝化しすぎたのかなあ

M&Aしまくったのが一因にあるのは間違いない

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

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