はてなキーワード: 1964年とは
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
https://anond.hatelabo.jp/20220713203406
ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。
視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。
しかし2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景からの作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログや考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。
一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラがモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。
■95というモチーフ
1995年のことだ。バブルは崩壊したが残り香がある時期。世間は2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。
モデルの事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。
村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。
同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。
この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。
作中で出てくるキーワードだ。
これは神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。
この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。
■カレー
98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。
アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラを考察するならまずこれを読めというものでもある。
登場人物の名前から、関係性、台詞などアニメの構成自体のベースにあるものだ。
ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治が宗教観で父親と対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。
聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。
幾原監督の根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年生まれの監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。
■南極物語
銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物に名前に注目してみてほしい。
■リンゴの受け渡し
この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます。最終回後にどうぞ。
まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeとかにもあがってたりするので。
本作の見方で個人的におすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察を鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから…
やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃうと宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。
あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメのファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。
というと、1971年から1978年のことか。まさに50年くらい前の話か。
ということは、元増田は50年も前の事を今ごろわざわざ持ち出しているのか。共産党系の市長の時代はとっくの昔に終わってるわけだろ? 駅前の再開発が遅れたとかって大昔の話じゃん。
もし小金井市のことだとすると、たぶん隣の市とは国分寺市で、誘致した新駅とは西国分寺駅で、小金井市の開かずの踏切とは武蔵小金井駅の近くの踏切だろう。
だけど、これもおかしな話であって、1973年の西国分寺駅の開業は武蔵野線の開通にともなって中央線と交差する場所に新駅ができただけのことで、国分寺市が頑張ったわけじゃないだろ。しかもこの駅は国分寺市内で二つ目の駅に過ぎない。
一方、小金井市内には当時既に二つの駅があった上に、1964年には三つ目の駅である東小金井駅ができている。西国分寺駅に先立つこと9年。こちらは地元が頑張って誘致した「日本初の請願駅」として知られている。
さらに、開かずの踏切問題は小金井市が怠けていて起こったわけではなくて、中央線沿線では国分寺市も含めてどこでも困っていたのであって、これまた解決は国分寺市が独自に行なったわけではなくて、東京都が事業主体となってJR東日本と沿線の六自治体(三鷹市・武蔵野市・小金井市・国分寺市・国立市・立川市)と共同で中央線の立体交差化を行なってやっと解消したのだよ。
元住民として言わせてもらうと、小金井市は住みやすかったよ。ジブリも国分寺市ではなくて小金井市を選んだのだよ。国分寺市を選んだのは駅前書店のオババくらいだったんじゃないの?
ふと北九州の中学で同級生だったマドンナと若いころ新宿で再会した出来事を思い出した[1]。画家を目指し上京したものの夢破れ不本意ながらデザイナーの道に進んだ吉田は、あるとき歌舞伎町で一杯ひっかけてモダンジャズ喫茶の前でタクシーを待っていた[1]。そしてかつて親しくしていたマドンナと偶然鉢合わせるのだが、美人で利発だったかつての初々しい面影は失せ、こちらを避けるような眼差しを向けながら黙って雑踏へ消えていった彼女の姿に吉田はひどく心を痛め、「ああ、きっと苦労しているのだろうな」「あの子に恋人がそばにいたら、幸せになれるだろうに」といたたまれない気持ちになったのだった[1]。吉田は彼女の境遇を自分の境遇に重ね合わせ、都会での生きづらさ、人を変えてしまう都会の非情さを詞に込め[1]、1964年の東京大渇水の際に生まれた「東京砂漠」という言葉にタイトルを託した[2]。
「あなた(恋人)がいれば…」と何度も繰り返されるフレーズを[1]、前川清はその粘りのある歌声で[2]切々と歌い上げた[1]。
ネットスラングだけど例えば「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」とかは諺に追加されてもいいと思う。数十年後には認められているのだろうか?
後は、
犬も歩けば棒に当たるも最初は全然定着しなくて、数十年後に認められたのかな。
調べてみるとTBSラジオで放送されている伊集院光とらじおと内のコーナー「伊集院光とらじおとこどもでんわそうだんしつと」のページがヒットした。
TBSラジオで長年親しまれた名物企画「全国こども電話相談室」(1964年~2008年)のコンセプトを受け継いだコーナーです。伊集院光が「電話のお兄さん」となって、毎回、様々な質問に合わせた頼もしい先生をお呼びしています。今回の質問は・・・
という内容に対して金田氏はこう答えている。
金田一先生 すごいなあ。「起きて半畳、寝て一畳」とか「猿も木から落ちる」ということわざは昔から・・・、昔といっても江戸時代ぐらいだろうけれども、昔から言われていることなんですね。もちろんもっと古いことわざもあります。でも、新しいことわざもあるんだよ。例えば「時は金なり」というのは、アメリカのフランクリンという人が作った言葉なんです(ベンジャミン・フランクリンは「アメリカ建国の父」と呼ばれる18世紀の政治家です)。それを明治時代の日本人がことわざにしちゃったんです。だからそんなに古くないんだよね。みんなが聞いて「いいこと言うなあ、うまいこと言うな、偉いなあ」と思うような短い言葉がことわざになるんです。だから今でも作れるんですよ。あみのくんが何かことわざを作って、みんなが感心してくれたら、それが日本中に広がります。そしていつか辞書に載ります(笑)。
え。そんな感じなの。
スマホ全盛期で情報が更新され続ける今、新しい諺が定着するのは難しい様な気がするが、その中でもガンジーでも助走つけて殴るレベルは群を抜いていると思うんだけど、増田さんやブクマカさん達が生まれてから出来た諺っぽい言葉ある?
ざっと調べたぞ
こんな本があった。日本でも同じような本がいずれ出るのだろうか。
【内容紹介】
書名:ミレニアル世代よ、わかったよ!
帯:ピューリタニズム、被害者化、アイデンティティ政治、検閲……「ベビーブーマー」世代による、Woke世代の神話についての調査
説明:
文化大革命が進行中だ。今度は中国発ではなく、アメリカ発なのだが、中国の文化大革命と同様に大きな被害をもたらすものである。新たな紅衛兵は「社会正義の戦士」だ。ロレアル社は「白(blanc)」「美白(blanchissement)」という言葉をカタログから削除し、エヴィアン社はラマダン期間にプロモーションを行ったことについて謝罪した。レゴ社はBlack Lives Matterとの連帯を示すために、警察が登場する広告を削除した。Wokeが北米の大学に残存する民間伝承にすぎないと言っていられるだろうか?
文化大革命が進行中だ。アメリカの名誉ある大学の女性研究や黒人研究、クィア研究からこの革命は始まった。この革命が、民主党を有害な左傾化へとおいやる「アイデンティティ・ポリティクス」を生み出し、衰退しつつあるプロテスタント的土壌を置き換えた。民族間の分裂に沿って社会を分極化させ、アメリカを内戦の危機にさらしている。黒人と白人、女性と男性、同性愛者と異性愛者を対立させるこのやり口を、われわれの世俗的な共和国、フランスに輸入したいだろうか?
普遍主義的理想と1960年代の解放思想を擁護するベビーブーマーである著者ブリス・クチュリエが、ミレニアル世代に呼びかける。あなた方の過剰な繊細さ、被害意識を伴うナルシシズムは、あなたたち自身に対して検閲や禁止を課すことになるのではないですか、と。私たちベビーブーマー世代は、可能性の領域を広げたい。あなた方は逆に可能性の領域を狭めている。それはわれわれ全員の不利益になる……
【感想】
ちなみに、著者の属するベビーブーマーとは1946年から1964年ごろに生まれた世代と言われている。
Wikipediaによれば、著者は若い頃に毛沢東主義や社会主義に傾倒していたらしい。
60年代の観点からミレニアル世代を批判するというのが、日本とは文脈の違いがあるのかもしれない。
https://livre.fnac.com/a15552213/Brice-Couturier-Ok-Millennials
TRF(ティーアールエフ)は、日本の男女5人組ダンス&ボーカルグループ。1993年、trfとしてデビュー。1996年のシングル『Hey! Ladies & Gentlemen』より大文字のTRFに改称した。 代表曲として「EZ DO DANCE」「survival dAnce 〜no no cry more〜」、「BOY MEETS GIRL」の他「CRAZY GONNA CRAZY」など。グループ全体のコンセプトとして「日本人でプロダンサー・DJがいるグループ。そのグループがライブ会場にいるだけでその場がディスコになる」ことを目標にしている[2]。 メンバー
本名:髙瀨 浩一(たかせ こういち、1961年8月8日(60歳) - 、東京都出身)。ラップ・ヴォーカル・DJ・サウンドクリエイト担当、リーダー。The JG's、WEST 87、Phal、WILL、Electric Samurai Revolutionとしても活動。血液型O型。
SAM(サム)
本名:丸山 正温(まるやま まさはる、1962年1月13日(59歳) - 、埼玉県岩槻市(現:さいたま市岩槻区)出身)、ダンサー、MEGA-MIX出身。血液型B型。
ETSU(エツ)
本名:西岡 悦子(にしおか えつこ(旧姓:小出)、1964年8月11日(57歳) - 、東京都出身)、ダンサー、MEGA-MIX出身。血液型O型。既婚。
本名:北村 夕起[3](きたむら ゆうき、1966年12月19日(54歳) - 、愛媛県四国中央市出身)、メインヴォーカル担当、元ZOO。血液型O型。
CHIHARU(チハル)
本名:村木 千春(むらき ちはる、1967年2月28日(54歳) - 、埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身)、ダンサー、MEGA-MIX出身。血液型O型。
の略です。
東京五輪2020はやはり10月開催が適切だった。かなり前から10月に開催すべきという声が結構あったと思うが、開催年の2021年10月になった今の現状をふまえて、7月~8月の開催はありえない判断だったということを残しておく。
スポーツの日(旧:体育の日)は1964年の東京五輪の開会式の日を祝日にしたもの。
ちなみに10月10日が晴れの特異日とうのはウソなのだが(本当は10月14日)、10月中旬がスポーツに最適な時期とうのは間違いないだろう。次項で気温について説明する。
ちなみに10月の晴れ特異日が14日というのは『気象学ハンドブック』(昭和34年、1959年)による。
https://web.archive.org/web/20140718103328/http://homepage1.nifty.com/tenki/weather/10oct.html
2019年の最高気温を例に出すと、7月23日が29.3度、24日が31.6度、25日が32.4度。
同じく2019年の10月10日は25.2度、11日が21.7度、12日が25.2度。
年 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 |
---|---|---|---|---|---|
2017 | 31.8 | 30.4 | 26.8 | 20.1 | 16.6 |
2018 | 32.7 | 32.5 | 26.6 | 23 | 17.7 |
2019 | 27.5 | 32.8 | 29.4 | 23.3 | 17.7 |
2020 | 27.7 | 34.1 | 28.1 | 21.4 | 18.6 |
2021 | 30.3 | 31.6 | 26.2 |
2021年2月から接種開始されたワクチンが10月には日本国民の接種率が6割を超えました。
7月23日発表の東京の感染者は1359人です。(7月23日ワクチン接種率25.4%)
10月10日発表の東京の感染者は60人です。(10月7日ワクチン接種率63.5%)
具体的な感染者数を東京五輪の時期決定の時点で予想するのは難しいかもしれませんが、
ワクチンの接種につれて感染者数が抑えられるようになっていくというのは容易に想像できます。
観客にワクチンパスポート提示を義務化すればよいですし、それはワクチン接種の動機にもなったでしょう。
海外客受け入れは無理でしょうが、無観客の損失は1,470億円らしいです(野村総研)
時期をずらすことによる放映権の損失は多少なりとも補填できたはずです。
最近の表現の自由戦士は表題を持論とする人が増えてきているようだ。今日もそういうブコメにスターが多く付いているのを目にした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709467576634225442/comment/yujimi-daifuku-2222
中国における言論統制が表現の自由を侵害していることに異論はないが、報道規制より先に漫画アニメゲームの規制が始まるという言説は明らかに間違いだ。
中国で報道規制が始まったのは少なく見積もっても30年以上前、漫画・アニメが標的になったのは10年くらい前、ゲームはここ数年のことだ。
中国における報道規制は天安門事件(1989年)後に始まる。中国のテレビで例の戦車の前に人が立ちはだかる映像を流せなくなったのは最近始まったことではなく、当時からずっとである。
もっとも、誰の目にも明らかになったのが天安門事件後というだけでその前から諸々の前兆はあった。
たとえば日本マスコミが中国に駐在する条件を定めた日中記者交換協定は1964年に始めて取り交わされたものだが、1968年に下記の要件が追加された(外務省が合意した内容をマスコミは順守する義務を負った)。
中国に批判的な報道をするな、香港や台湾は中国の一部だといった内容である。
これらの取り決めを順守しなかった産経新聞は中国から追放され1990年代まで支社を置くことができなかった。
こうしたことから50年以上前から報道規制が存在したと言うこともできるだろう。
当初は市場規模が小さかったためさほど問題視されていなかったが、2010年代になると日本人にとっては理不尽な理由で規制が行われるようになる。
たとえば下記の記事のような内容だ。
https://www.reuters.com/article/idJP00093300_20150504_00420150504
おそらくこちらも大手メディアで扱われるようになったのが2010年代というだけで、その前から様々な軋轢はあっただろう。
しかし報道規制が始まった時期とは明らかに時間軸にずれがある。
2018年に新規IP審査停止、モンハン販売停止の騒動を経て2019年にプレイ時間や課金制限の法制化、2020年からはテンセントを狙い撃ちにした規制などが始まる。
2000年代からネットゲーム廃人の問題は取り沙汰されていたようだが、具体的な規制が始まったのは2010年代と見ていいだろう。
たぶん「そりゃ漫画アニメゲームは1980年代に中国に入ってきていなかっただろうし後から規制されるのは当然では?」という感想を持つ人がいると思う。
自分もそう思うのだが「漫画アニメゲームへの規制の方が報道規制より先に行われる」と主張する表現の自由戦士がいるのでこの記事を書いた。
当たり前のことが嘘で上書きされるのが嫌なので。
そもそもなぜ習近平が表現の自由を制限しようとするかというと、表現の自由が自分の権力を不安定にするからだ。
もし今後マスコミより激しく漫画やゲームで中国共産党や習近平に対する批判が行われるようになるならオタクコンテンツ規制が報道規制より先行する時代が来るかもしれないが、過去にそのようなことはなかった。
日本には表現の自由があるので嘘をつく自由も間違った意見を訂正しない自由もあるが、それを良いことにデマをばら撒くのはやめてほしい。
日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません。これをもって「暴力革命」の「根拠」にするなどということは、まったく成り立つものではありません。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-08-06/2021080607_01_0.html
『暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争の方法を誤まらせるものなのである。
1964-1970年
革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。
革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である。
ちなみに不破さんは2006年まで共産党議長をしていた方なので共産党お得意の「アレは分派が勝手にやった(言った)事と言い訳するのも無理
https://anond.hatelabo.jp/20210905025143
元記事では、勉強中のフェミニストが無自覚に差別主義を振りかざしているが、ブコメでもトラバでも誰もそれを指摘していない。
この国には差別主義が蔓延していて、誰もがそれに侵されているということだ。
元増田の差別性を指摘するこの記事を書くかどうか、まる1日ほど悩んだ。
悩んだ末に書くことにしたけれども、個人としての元増田を非難したり攻撃する意図はない。これは元増田ただ一人の問題ではなく、この国の社会全体の問題だから書く、というだけだ。そもそも私は、元増田が書いたものの本論には同意している。元増田がこれを読んだとして、どうか気を悪くしないでほしい。
さて、私が問題にしているのは以下の部分だ。
「痴漢するクソオスがいるから女性専用車両が必要なんだよ、そんなこともわかんねーのか味噌どもがよ」じゃなくて、「悲しいけど痴漢が起こる可能性はありますし、性被害に遭った経験のある方や宗教・思想上の理由がある方のためにも必要です」と書け。
言葉遣いは問題ではない。上記の2例の両方で表現されているロジックは、明確に、差別主義者のそれである。
しかしおそらく、このロジックがなぜ差別主義なのか理解できない人は多いのではないか。
元増田(というよりもそれ以外からもよく聞かれるものだが)の主張を整理すると次のようになる。
上記1は統計的事実である。ここまでは問題ない。問題は2だ。個別の性犯罪者を問題にするのではなく、男性という属性を持った人すべてを性犯罪者と同等に扱っていることに問題がある。
個々の人物ではなく特定の属性を差別する、というのは許されない。これを別の属性に置き換えると次のようになり、このロジックの差別性がわかりやすくなるだろう。
鉄道車両内で犯罪を起こす者の多くは黒人であるから、犯罪被害者や、宗教または思想上の理由がある方の安心安全のためには、白人専用車両が必要だ。
もしかしたら、上記の何が差別なのかすらわからない人も多いのではないか。差別は私たちの社会に遍在していて、もはや空気のようなものであり、元増田のように何が差別なのかがわからない者が大多数を占めている可能性がある。そうでなければ、女性専用車両のような差別的サービスが運用されている現実を説明できない。そもそも差別とは何かということを説明する必要があるだろう。
差別とは、ある特定の属性を持った人に特別な扱いをすることである。
属性とは、人種、民族、性別、宗教、国籍、出生地など、本人の意思で容易に変えることができない属性を指す。特別な扱いには優遇と冷遇があるが、いずれも差別である。
当然、男性であるという理由で性犯罪者と同視し隔離対象とするのは差別である。
しかし本邦の、特にフェミニストにおいては、おそらく善良な市民であろう自分の父親や夫や彼氏や息子が、男性という属性を理由に性犯罪者と同視されることに反対せず、むしろ推進する。差別主義者であるというこの点においては、フェミニストも、元増田が迷惑だと称したミサンドリストやツイフェミも、大差はない。
その背景として本邦には、女性専用サービス、女性割引サービス、女性無料サービスといった差別的なサービスが遍在している事実がある。これらがあまりにも当然のように遍在しているために、それが白人専用や白人割引や白人無料と相似であることに気づけない。
余談だがアメリカでは、白人専用席や白人専用ホテル、白人専用トイレなどが1960年代までは当然のように存在したというが、1964年公民権法の成立を契機に縮小し、前世紀のうちには姿を消した。その一方で本邦においては、旅客鉄道各社が女性専用車両の本格運用を始めたのは、なんと今世紀になってからである。
上記の一文で元増田が言ったことは「女は嘘つきで詐欺師だから隔離してもいいよね」ということであり、ミソジニストそのままの、言語道断の差別発言である。とても「フェミニストとしても、マスキュリストとしても、そしてLGBT+を応援する立場としても活動していきたい」と宣言する人物が書くこととは思えない、むき出しの差別主義だ。
しつこいかもしれないがあらためて言う。男性の一部に性犯罪者が存在するという事実をもって、すべての男性を性犯罪者として扱うことは差別である。同様に、女性の一部に詐欺師が存在するという事実をもって、すべての女性を詐欺師として扱うのもまた差別である。あなたの論にしたがって男性も女性も平等に犯罪者として扱ったとして、一体誰が幸せになるというのか。
おそらく元増田は、志高く、善意にあふれ、前途の有望な人物なのだと思う。しかしそのような人物ですら、この社会に充満する差別主義の空気を呼吸していると、まったく自覚することなく、狂気のような差別主義者になってしまう。どれだけ注意してもシースーぎるということはない。
(南果歩と同じ)
第五十八 大伸丸 かじき等流し網漁業
2011年5月 (無粋だけど5月に仮設住宅って理屈ではありえるが現実では)
及川美波の携帯番号をそのまま新次が使うことにしたのは、携帯番号でも存在していたことを残したいのか
SNSでは大喜利が盛んですが、元々、1964年の東京オリンピックの際、日本語表記のみ、英語に不慣れな国民が大多数という現状を踏まえ、「非常口」をはじめとした公共施設のピクトグラムがデザインされたことで、世界中に普及しました。また、各種競技のピクトグラムもその際にデザインされ、以降大会ごとに特色を活かしたデザインが作成されています。
また、ピクトグラムの情報伝達性を活かし、音声言語によるコミュニケーションの困難をサポートする、「コミュニケーション支援用絵記号デザイン原則」があり、日常生活の中での様々な物体、事象、動作、感情などがピクトグラムとして表現されています。これらを組み合わせて、並べることで、実際にコミュニケーションを支援する取り組みも多く行われています。そして、2016年には日本からの提案で、ISOとして標準化もされました。
面白い、とかシュール、とかとにかく批判したい、といろいろな言及がありますが、このピクトグラムこそが、現在まで続く1964年のオリンピック・レガシーなのです。
この騒動を通じて、はてなってもう本当に終わったんだな、って心の底から思った
俺は一貫して20年以上前のことでその人の今の仕事を否定したり人格否定するのは
人種差別や更生の否定にも繋がるからどこの誰か知らんけど辞めたりする必要は無いって思ってたし
それが同じことしたら途端に擁護する論理を構築し始めててクッソダサい
kusigahama スピード感あるなぁ。別に擁護する気はないけど、直接手を下したあれに辞任を認めて、ネタにしたこれは解任なの、バランス的に逆だろう。
バランス的に逆とかいう謎な話をし出してる。時系列理解してんのか?
kotsubee 障がい者に汚物を食わせてあらゆる非道をつくしても留任させようとして最終的にも辞任で済むが、歴史上の非道を揶揄した過去のコントは即刻解任になるんだな。コロナのせいにして中止にしたほうがマシだった
これも辞任か解任かの理由探し。そんなもん時系列理解してたら誰でも分かるだろ。
surumesan 小山田氏問題の本質を理解せず強引に起用し続けたせいで、小林氏ができる謝罪の芽をほぼ潰してしまった。非難されてるのは現行DVD収録なしの自主規制作品。対応が逆だったら。
本質を理解せずに叩き続けてたお前らはいいのか?対応が逆だったらなんなの?普通に小林がズルズル起用されて辞任して小山田が解任だったと思うが?
こんな感じでほぼ全部のブコメが解任はやむなしみたいな感じで統一されててそもそも解任が妥当かどうかに突っ込まない。だって小山田のときと矛盾するから。だから辞任か解任かみたいなクソどうでもいいところに突っ込むしスピード感があって良いとかいうクソコメントばっかになってる。
何度も言うが20年以上前にその人が働いた悪事があったとして、それを理由に今の仕事を否定するようなことは絶対にやってはならない。
EXITの兼近が昔捕まったことがあるっていう話題の時も同じ議論があった。
1964年のオリンピックの最後の聖火ランナーはその約20年前の8月6日に広島で産まれた坂井義則氏だった。
被爆国の日本が復興の象徴として坂井氏を選んだというのは米国や世界への当てつけなんかではなく
過去に囚われず未来へと進むことを世界へ示したんだと思っているが
まさか2020年のオリンピックで20年以上前の出来事にグダグダ文句言ってる光景が見られるとは思わなかった。
インターネットとSNSのおかげで未来ではなく過去に生きる人ばかりになってしまった。
もうこの国に未来はない。これからもずっと過去のことに囚われて滅びていくのだろう。
もうお腹いっぱいだ。最高の開幕式になったよ。
2011年3月11日に発生した東日本大震災における全世界からの支援に対する返礼や震災復興、震災時に示されたスポーツの力、1964年東京オリンピック以来56年ぶりの日本開催を掲げ、施設面や財政面で優れている東京で五輪を開催することを目指している。また、震災から復興してきた姿を見せることや、戦後60年以上一貫して平和を貫いてきた日本で五輪を開催することで、世界で起きている災害や紛争で苦しむ人々を勇気づけることも理念に掲げている。
被災地である宮城県の宮城スタジアムでサッカーの予選を開催するほか、三陸沿岸で聖火リレーを行い、事前キャンプを被災地に招致する計画を打ち出している。開閉会式や陸上競技などを行うメインスタジアムは改築予定の国立霞ヶ丘競技場陸上競技場とし、晴海埠頭に建設する選手村を中心とした半径8km以内に8割の会場が収まるコンパクトな会場配置計画となっている。
東京は強固な財政力と良好な治安、インフラ面で前回2016年五輪開催地選考における1次選考では、立候補都市の中で最も高い評価を受けた。今大会の開催地選考でも東京の計画への評価は高く、2012年5月の1次選考でも総合評価のコメントで立候補都市の中で唯一「非常に質が高い」と記述され、正式立候補都市に選出された。課題として挙げられているのは、IOC の報告書で指摘された夏季のピーク時における電力不足と都民の低い支持率である。招致ロゴは友好の印として世界中に送られてきた桜を使用して「再び戻る」を意味するリースを模り、震災からの復興や経済の復活、半世紀ぶりの夏季五輪開催をイメージしている。
2020年夏季オリンピックの開催地選考 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/2020%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%96%8B%E5%82%AC%E5%9C%B0%E9%81%B8%E8%80%83