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2022-12-07

あれが「未成年を性消費しようぜ」ポスターである理由

「雀魂」「咲-Saki-全国編」のバニーガールポスターの駅掲示問題について、

ただアニメキャラ露出度高い衣装着てるだけのポスターだと思ってるようなコメント散見されるので、

以下2点を指摘しておきたい。

1.モデル女子高生(=未成年

今回バニーガール姿になっている咲sakiの登場キャラクターは女子高生という設定。

女子高生ということはつまり未成年ということ。

2.バニーガールは直球のエロ表現

バニーガール米国雑誌PLAYBOY』が1960年に発表した衣装であり、

ウサギが年中発情期なことから「いつでもやれる女」の記号だったという事実

まりあのポスターアニメキャラがただ露出度高い衣装を着てるわけではなく、

未成年が「いつでもやれる女」という暗喩が込められた衣装を着てるということ。

まり「さあ、みんなで未成年を性消費しようぜ」ってポスターが、

公共の駅に貼られてるということなのだ。



以下、本稿の注意点。

・「取り外せ」とは言ってない。某弁護士先生ツイート反論はないです。

未成年の性消費自体は、おかずにするだけならば否定しない。(犯罪のNO)

・筆者はフェミでもないし、規制派でもない。どちらかというとオタ寄りの人間

(咲sakiアニメ版・ドラマ版視聴済み)

エロいと思うほうがエロいという反論については本質ではないと思う。(どちらでもいい)。

 なにより普段変態自慢してるような連中が急に「お前のほうがエロい」言い出すのは白々しすぎる。

>>実際に自分の娘が高校麻雀部に入って、なぜか知らんがバニーガール姿で広告塔にさせられたら嫌だよなあ。お前ら、無抵抗アニメキャラなら問題ないのかよ。最低だな。

・この発言に対しての「作り話と現実区別しろ」という反論についても本質ではないと思う。(どちらでもいい)。

 なにより普段俺の嫁発言してるような連中が急に「俺の娘」発言全否定するのは白々しすぎる。

2022-12-06

anond:20221202212454

バニーガールは、アメリカ成人雑誌PLAYBOY』との連動企画運営された高級クラブプレイボーイクラブ(PLAYBOY CLUB)」のウエイトレス衣装として考案された。正式には「プレイボーイバニー」(en:Playboy Bunny米国商標番号:0762884)という名で、商標登録されている。PLAYBOYシンボルマークであるラビットヘッド(ウサギの頭)を題材にしている。1960年2月29日夕方シカゴの「プレイボーイクラブ」で初公表された。

ウサギモチーフにした理由は、ウサギが1年を通して発情期というイメージ生物であることから連想で、「自分はいつでも男性を受け入れる準備ができている」という暗喩から。その当時のバニーガール衣装には実際のウサギの毛皮を使用した物もあった。

ウィキペディア バニーガールの頁から

 

バニーガール衣装性的でないはさすがに無理筋

anond:20221202224234

バニーガールは、アメリカ成人雑誌PLAYBOY』との連動企画運営された高級クラブプレイボーイクラブ(PLAYBOY CLUB)」のウエイトレス衣装として考案された。正式には「プレイボーイバニー」(en:Playboy Bunny米国商標番号:0762884)という名で、商標登録されている。PLAYBOYシンボルマークであるラビットヘッド(ウサギの頭)を題材にしている。1960年2月29日夕方シカゴの「プレイボーイクラブ」で初公表された。

ウサギモチーフにした理由は、ウサギが1年を通して発情期というイメージ生物であることから連想で、「自分はいつでも男性を受け入れる準備ができている」という暗喩から。その当時のバニーガール衣装には実際のウサギの毛皮を使用した物もあった。

ウィキペディア バニーガールの頁から

 

バニーガール衣装性的でないはさすがに無理筋

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-10-30

ジェット旅客機って未来人がつくったんじゃないかと思う

YouTube1960年代の古い映像を見ていて思ったんだけど、ジェット旅客機ってなんか年代感がバグってない?

1960年の時点で2020年代に飛んでいる旅客機とそこまで大差ない基本系が完璧に出来上がってて、見ていて強い違和感を覚える。実際今も生産が続いているB737の胴体って1957年初飛行のB707という飛行機のもの基本的には踏襲しているらしく、65年前の基本設計のもの21世紀の今でも第一線を張れてるのってどう考えても異常な気がする。例えば1957年頃のトヨタ車なんて信じられない位原始的だけど、もし新型クラウンの基本設計1957年の車をベースにしていたら...と考えると、ジェット旅客機の異常性を感じてもらえるんじゃないだろうか。当時の人からしたら、B707って超超超先進的な乗り物に見えたのではないかと思う。自分アラフィフだけど、B707に限らず自分小学生の頃に乗った旅客機と今の旅客機って基本的には何も変わっていないような感じがする。その間に新幹線全然別物になっているのに。

ガラケーiPhoneといったレベルの話ではなく、ショルダー式携帯電話時代に突如iPhoneが出てきたような時代ぶっ飛ばし感。ジェット旅客機(というかB707)って、未来人もしくは宇宙人がやってきて作ったんじゃないだろうか。

2022-10-21

anond:20221021142741

1960年比叡山ハイドロブレーキ現象によるバス転落事故があり30人近くの乗客犠牲になりました。

当時、運転免許証を取得するために自動車学校に通っていましたが、教官坂道でのエンジンブレーキ重要性を強調していました。

私はこの記憶から長い下り道ではエンジンブレーキ使用していますが、今回の事故を起こした若い運転手比叡山事故を知らなかったのでしょう。

戦争でもそうですが歴史が繰り返されるのは、悲惨な思いをした人々が少なくなると忘れ去られるからです。

長い坂道を探知して自動的エンジンブレーキ作動するシステムの開発が望まれますhttps://news.yahoo.co.jp/articles/fe654d72cee5876384b62601933f19e7b4be10e5

anond:20221021121219

調べてくれてありがとうじゃねえよごめんなさいだろデコ助野郎

数字をもって主張するなら最初から自分情報源を示してください

どこから引っ張ってきた情報かによって読み手判断が変わるんで

60年代以前って具体的にいつだよ

総合すると明治1960年までのいずれの年も穀物自給率が120%を超えてたって主張に読めるんだけど

https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/ohanasi01/01-03.html

お米の自給率は、1890年代には100%を下回り、大正時代には94%、昭和初頭には85%まで下がりました(*1)。ただし、この頃、朝鮮半島台湾のお米は、輸入ではなく「移入」とされ、当時の日本政府は、日本本土朝鮮半島台湾を含めた圏内での自給を目指していくことになります(前掲の自給率は、移入も輸入に含めて計算されたもの)。大正6(1917)年の輸移入は、朝鮮半島のお米が48%、台湾のお米が31%、外米(英領インドビルマ)、仏領インドシナタイ)が21%となっていました

米だけでもこんなんだぞ

2022-10-17

anond:20221017234453

社内ネットワークみたいなのは1960年ぐらいか普通にあったっぽいよ

親のでっけぇコンピュータがあってそれと子機をつないでるかんじ

全てのやりとりを親のコンピュータ通すからまあ簡単なんだろうな

2022-09-17

日本は終わってるぞ

日本人の半数が50歳以上

ジジババだらけの国

高齢化率も30%

高度経済成長期の1960年高齢化率5%

おじいちゃんオリンピック万博で「あの頃の日本」を再現しようとしてるけどもう無理なんだよね

2022-09-11

anond:20220911225755

長崎市新中川町[4]で、海洋学者の父・石黒鎮雄(英:Shizuo Ishiguro)(1920年 - 2007年)[5]と母・静子の間に生まれる[6]。祖父石黒昌明は滋賀県大津市出身実業家で、東亜同文書院(第5期生[7]、1908年卒)で学び、卒業後は伊藤忠商事天津支社に籍を置き、後に上海設立された豊田紡織廠の取締役になる[8][9]。父の石黒鎮雄は1920年4月20日上海で生まれ明治専門学校電気工学を学び[10]、1958年エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文[11]で東京大学より理学博士号を授与された海洋学者であり、高円寺気象研究所勤務の後、1948年長崎海洋気象台に転勤となり、1960年まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた[12]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/カズオ・イシグロ

Wikipedia出自を見てみたらこんなん出たわ。こんなのただの貴族じゃんね。マジで完全に「パンが無ければ〜」でしかない。お貴族様は優雅でよろしいことですね以外に言うことがない。

2022-07-08

anond:20220708185447

人気がなかったりグダグダでも非業の死を遂げると票が集まるもんなんだよ(1960年社会党1980年自民党)。多くの有権者無党派層で、その層の一部は直前にこんな事件が起こると香典みたいな感じで投票するから

2022-07-01

anond:20220630193328

60代:二度のオイルショック直撃するも、日本経済右肩上がりで割と楽観的。

 ← これ。1960年まれだと今年62歳だが、生まれた時には既に高度成長期テレビ東京タワーも有って幼少期に東京オリンピックがあって新幹線が開通しているから、世の中の上り調子空気を吸って育っている。10歳で大阪万博12歳で札幌オリンピック。15歳の時にアップル社マイクロソフト社が創業

一方、オイルショック時はまだ10代(小学生高校生)だったので、社会には出ておらず、その衝撃を肌で感じてはいない。

バブル期には20代だったからそれなりに浮かれていたが、とにかく就職が楽だったから何でもいいやという感じ。(石田純一よりは下でW浅野と同年代

楽観的というかお気楽というか、ラッキー世代かもね。

2022-05-21

日本少子化どこから始まってるのか調べてみたら

バブル世代の前から少子化の動きが始まってた

新人類と言われている世代

1960年頃生まれ世代現在60歳あたり

バブル世代1965年からなので日本においての少子化というのは給料問題で始まった訳ではないようだ(現代少子化給料問題は絡んでいる)

であれば、生涯未婚率に注目した方がいいだろうと調べた

生涯未婚率少子化の動きは始まりが連動していることが分かった

1960年女性生涯未婚率が上昇し始めている(生涯未婚率定義1960年段階で50歳時に未婚かどうかの指標だ)

結婚できない女性が増えて1970年に一旦横ばいとなる

派遣法が改悪された90年あたりから再び女性生涯未婚率悪化していく

男は1990年から急激に生涯未婚率が上昇していく

男が結婚できなくなってきたのはバブル崩壊とのタイミングと一致しており、給料問題リンクしていると考えられる

したがって

日本少子化

少子化がはじまったのは1960年から

・時期的には1940年まれ大人たちが子どもをそんなに産まなくなった(この世代生涯未婚率悪化していない平和世代

・はじめは給料問題少子化が起きたわけではないようだ

バブル崩壊派遣法の改悪給料問題が起きるようになってから生涯未婚率少子化も急激に悪化している

現代日本少子化は、収入が低い人が増え結婚できる人が減り、結婚してもそこから子どもを持てる人はさらに減ったという悪循環がもたらしている

2022-05-19

anond:20220519123309

この指摘は正しいと思う。 →  

兄弟多い昔は親と同居出来るのはそのうちの一人だけで残りは核家族形成してたし

専業主婦ってのは核家族が多い(共働きだと子供の世話する人がいないが子供放置生活はしたくない、となると必然的専業主婦になる)都会の中流以上に多い形態


昭和35年1960年)生まれの俺も、昭和4年(1929年)生まれの父も、明治まれ祖父も、そういう家庭環境で育った。この3人のうち東京まれ祖父のみ。あとは首都圏以外の大都市で生まれ育った。

2022-02-25

anond:20220225112619

アメリカでは徴兵制はありますか。

ベトナム戦争後、いったん徴兵は終わりましたが、1980年カーター大統領告示により1960年1月1日以降に出生し18歳となった男性登録することが義務づけられました。

Selective Service Systemの変遷

現在は18歳から25歳までのアメリカ国籍を持つ男性はSelective Service Systemに登録し、訓練を受ける義務があります。(5年以下の懲役か25万ドル以下の罰金

留学生など一部を除き、国籍を持たない男性対象となりますアメリ国籍を持つ男性国外に住んでいても登録対象となります

2022-02-12

男、太り過ぎ

1960年20代BMI21

→ 2020年20代BMI23

6kgくらい太ってる

 

1960年30代BMI21.5

→ 2020年30代BMI24

7.5kgくらい太ってる

 

1960年40代BMI21.5

→ 2020年40代BMI25

10kgくらい太ってる

 

1960年50代BMI21

→ 2020年50代BMI25

11.5kgくらい太ってる

2022-01-16

anond:20220116004342

1960年チリ地震津波だよね

 

これのwikipedia読んで初めて津波は水深が深いところほど速い、

チリ地震津波は時速750kmで太平洋を走って

地球の裏側の日本までわずか22時間半で到達したと知った

 

津波改めて怖い

というかそれだけの巨大エネルギーを生む地震も怖い

2022-01-15

奈良自動車整備工場デジタルプラットフォーマーへと舵を切る─ファーストグループの挑戦


2022年1月14日(金)奥平 等(ITジャーナリスト/コンセプト・プランナー

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地方発中小企業からグローバルなデジタルプラットフォーマーへ──決して荒唐無稽な話ではない。すでにシリーズAによる資金調達を果たし、上場へ向けて確かな歩みを続ける企業がある。1960年奈良県天理市自動車整備工場として創業したファーストグループである現在天理市東京都渋谷区本社を置き、自らの事業を「グローバルカーライフテックサービス」と位置づけ、全国の自動車整備工場SaaSマーケティングサービス提供している。本稿では、地方自動車整備工場デジタルトランスフォーメーション(DX)に挑む同社のビジョンと打ち手に迫ってみたい。

オートアフターマーケット市場ポテンシャルを信じた

 自動車販売の「オートアフターマーケット」と聞くと、脇役的なイメージがあるかもしれない。だが実のところ、各種の市場調査データからファーストグループが算出した市場規模は下記のとおりで、自動車整備市場だけで実に5兆5000億円に達している(図1)。また、国内外300社以上が出展する国際展示会が開催されるなど、グローバルでも確固たる市場が築かれている。

図1:オートアフターマーケット市場規模(出典:ファーストグループ自動車年鑑2019、自販連、自軽協統計資料平成30年整備振興会整備白書を基に調査

 一方、矢野経済研究所2021年3月に発表した調査によると、2020年国内自動車アフターマーケット市場規模は19兆14億円。ここには「中古車(小売、輸出、買い取り、オークション)」「自動車賃貸リースレンタカーカーシェアリング)」「部品・用品(カー用品、補修部品リサイクル部品)」「整備(整備、整備機器)」「その他関連サービス自動車保険ロードサービス)」の5事業が含まれている。

 前年比1.8%減と2年連続で微減しているものの、2019年10月消費税増税2020年2月顕在化した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大をもろに受けて新車販売台数が前年比11.5%減(日本自動車販売協会連合会の発表)と大幅に落ち込んだことと比較すると、マイナス幅は小さいと言える。

 ファーストグループ 代表取締役社長の藤堂高明氏(写真1)は、「実はオートアフターマーケット、とりわけ自動車整備市場リーマンショックギリシャショック、そして今回のコロナ禍においても大きな影響を受けなかった不況に強い産業なのです」として、その理由を次のように話す。

写真2:ファーストグループ 代表取締役社長の藤堂高明氏(出典:ファーストグループ

 「理由は大きく3つあります。最も大きいのが、道路運送車両法に定められた車検自動車継続検査)があること。自動車の所有者は半ば強制的に整備工場に足を運ぶこととなります。次に、定期点検オイル交換などに代表される定期接触必須ビジネスであること。そして、サービス供給側と利用側の情報格差が大きく、供給側主導のビジネスとなっていることです」

 こうして、オートアフターマーケット不況に強いビジネスではあるが、年々飛躍的な成長を遂げているかというと、残念ながらそうではない。その背景に、従業員が少ない小規模な工場地方分散しているというこの市場形態がある。ディーラー系を除いた小規模な自動車整備工場は全国に約5万7000も事業所があるが、メカニックエンジニア経営後継者の不足などに悩まされ、ここ数年は減少傾向に転じているという。

 また、ガソリンスタンド付加価値提供を目指したサービスステーションにシフトしていること、整備入庫を包含したビジネスモデルへの再編を狙うメーカーディーラーをはじめとする異業種の囲い込みなど、厳しい外的環境にもさらされている。

 それでも、藤堂氏はこの市場ポテンシャルに注目する。「全国に約5万7000事業所。この数って、実はコンビニエンスストアの出店数に匹敵します。さらに、ディーラー系を含めると9万事業所を超えるわけですからコンビニが出店のために費やしてきたコストや労力を考えれば、こんな魅力的な業界は他にないのではないでしょうか」(藤堂氏)

 「同時に、これは私の試算にすぎませんが、日本8000万台あると言われている自動車登録台数からの換算で、その資産価値総額は約200兆円に上ります。商圏を2~5kmに絞り、1事業所あたり1000人の顧客がいたとして、1台あたり100万円としても10億円規模の資産を預かるビジネスとなるわけです。自社の課題を克服して、ラストワンマイルの発想で、いわゆる自動車整備工場から脱却して、1人ひとりのカーライフを支えるビジネスパートナーとしての地位を担えれば、大きな飛躍があると確信しています」(同氏)

バリューチェーンの創出に注力し、年商を30倍に

 ファーストグループが掲げるミッションは「カーライフ革命で人々に喜びと感動を」、企業ビジョンは「GLOBAL No.1 CAR LIFE TECH COMPANY─世界の人々から最も必要とされるカーライフカンパニーへ─」である

 この壮大なミッションビジョンに辿り着くまでに、ファーストグループは実際にどのような手法プロセスで自社の変革を進めてきたのであろうか。藤堂氏は、同社が決して特別存在ではなかったことを物語エピソードとして、「父から引き継いだ段階で毎年7000万円の赤字を垂れ流していた企業だった」と振り返る。その歴史と変遷をたどってみよう。

 2007年、先代社長他界きっかけにMBO(Management Buyout)により事業を取得、2代目を継承した藤堂氏は先頭に立ってマーケティング指向経営管理手法企業再生に着手、翌年には黒字転換を達成する。成長への第1ステップは、自らが培ったその再生モデル武器に、「同様の課題に直面している全国の自動車整備工場を元気にする」(同氏)ことにあった。

 それは、いわゆる買収・再生モデルの横展開だが、実際にはそこにも紆余曲折があり、2つの段階を踏まえて、進化と深化を図っていった。①資産負債のすべてを原則譲り受けるM&Aモデル、②事業のみ譲渡を受け、土地建物賃貸借して継続させる賃貸モデル。この2段階のプロセス実践した14年間で、ファーストグループ年商1.5億円を約30倍の50億円に拡大したという。

 具体的な打ち手はバリューチェーンの創出だ。ファーストグループが特化しようとするカーライフにまつわるマーケットは、①車検をはじめとするメンテナンス領域、②更新が見込まれ保険領域、③カーライフのサイクルを最適化する車両販売領域、④万が一の事故に備えた各種サービス領域に大別される(図2)。

図2:カーライフマーケットにおけるバリューチェーン(出典:ファーストグループ

拡大画像表示

 しかしながら、これまでの自動車整備工場はその一端となるメンテナンス領域のみで、事業の維持に努めてきた。つまり顧客とのライフタイムバリューを最大化するチャンスを逃してきたのである。そこで、藤堂氏は、同社が買収・再生を手がけてきた自動車整備工場に対し、徹底的にバリューチェーンの創出に注力した。

 藤堂氏は、カーライフにまつわるサービスが多岐にわたることを、同氏のシミュレーションを示して力説する。「18歳で初めて免許を取得した若者が生涯にわたってクルマにかける費用は最低でも1600万円。高級車に乗られる方はその何倍ものコストを費やすことになるはずです」(同氏)

 藤堂氏によると、これまでの自動車整備工場車検や修理に依存した事業形態から抜け出すことができず、カーライフの起点とも言えるクルマ販売にはあまり積極的ではなく、むしろ苦手としていました。

 「ところが、その壁をクリアさえすれば、バリューチェーン簡単に創出できるのです。車両販売を手がけて成果を上げれば、自らのメンテナンス領域仕事も増えて安定します。さら販売時に必要となる保険やさまざまなサービス包含して提供する窓口にもなれば、さまざまな異業種の人たちとの接点が生まれエコシステム形成されます。つまりバリューチェーンによって、LTVの最大化と事業ポートフォリオ変革を同時に成し遂げられるというわけです」(藤堂氏)

 ファーストグループ自身が先陣を切って、このバリューチェーン創造エコシステム構築に取り組んだ。すると、瞬く間に車検の年間受注件数が急増し、奈良県内では断トツの年間1万件を超えるまでになったという。メーカーディーラーが何十年もかかって達成した件数を、ごく短期間で凌駕するまでになったのだ。年商は1.5億円から現在では実に30倍の50億円に達している。

2021-12-02

知名度が低いと自称するIHIなる会社ツイッタートンデモなのでちょい激励したら、IHI本社からヘビー(蛇~)な回答が飛び出てきた!【全文公開】

※肝心の質問に答えず、タッタ数行のお返事。笑って流してくれってさ~。貧すれば鈍する(涙)

IHIとやらのツイッターが厳冬の訪れを予感させるので

12月2日朝 IHIホームページ問い合わせフォームより、質疑メール送信

12月2日昼 IHIコーポレートコミュニケーション部より返信


以下にやりとり全文

人名伏字)(リンクアドレスは省略)

12月2日朝 IHIホームページ問い合わせフォームより、下記の質疑メール送信

ご多用中、失礼します。

単刀直入ながら、御社ツイッター担当者への

質疑メールを以下に差し上げます

(★印が質問事項ですので回答をお願いします)

御社ツイッターアカウントは下記リンクだと思いますが、

twitter.com/IHI_ad/

株主を含めたステークホルダーに対する責任ある会社

公式ツイッターであるということでしたら、

ツイッター担当者名、所属部署をお知らせ下さい。

匿名でこそこそではないはずですから

(おそらくコーポレートコミュニケーション部の××××氏か

××××氏だと思いますが。返答できなければ暗黙に認めたと判断します)

当該アカウントから発せられるツイート内容は、

まりにも幼稚で舌足らずで不親切で、

社会性の欠落したネット中毒オタク

暇つぶし落書きしているかのような不気味さと稚拙さが充満しています

会社イメージを良くし、親しみやすさを持ってもらう広報宣伝とは違う

異質なモノを感じます。「良き時代日本経済の顔」だった土光敏夫会社であり、

日本代表する大会社としての最低限の品位というものがあるはずです。

赤ちゃん喃語みたいな奇妙なツイートで、たとえば

リクルート活動においても優秀な学生採用できるのでしょうか?

幼いツイート最近顕著ですから、いくつか抜き出してみます

>おおおお!!!

スクショスクショ!!

twitter.com/IHI_ad/status/1465917164230422529

>あーあと5日で168歳かぁー

twitter.com/IHI_ad/status/1465582391242928129

「あと5日で168歳になります!」とかならば、

創業168周年を希望に満ちて祝う準備をしているように思えますが、

「あーあと」だの「168歳かぁー」では

今にも死に絶えそうなヨボヨボの老醜

嘆いているようにしか受け取れません。

>午前9:21 · 2021年11月29日

twitter.com/IHI_ad/status/1465113617779421187

ツイッター投稿時間を見ますと、勤務時間のはずですが 

この悲しい自虐ツイート、月曜の朝9時からする仕事ですか?

中学生憂さ晴らしみたいな書き込みだけで

給料を得られるとはラクチンですね。

ちなみに御社ツイッターは、自己紹介欄において、

私のツイート文句があるのならば、会社へ問い合わせよと

下記のようなリンクを貼っていますが、

ihi.co.jp/ihi/contact/

このアドレス11月ぐらいか

(一本化されたためか、更新し忘れているのか、

メンテナンス中なのか)繋がらなくなっています

担当者は気づいていないのでしょうか?、

【正しいリンク

www.ihi.co.jp/ihi/contact/

あどけないツイートを出社早々するぐらいならば、

もっと肝心なお化粧をすべきでは?

>社名のHは播磨のHじゃないです・・(n回目)

>#いいにくいことをいう日

twitter.com/IHI_ad/status/1465115596597522436

IHIツイッターの固定ツイート

twitter.com/IHI_ad/status/1423148853855850497

 ↑

★これらのツイート意味は、どういうことでしょうか?

石川島重工業播磨造船所を吸収合併したのでしょうか?

対等合併ではないのでしょうか?

IHIのHには当然に播磨意味も含まれているはずでしょうに。

「Hは播磨じゃない」と言い張るのならば歴史的暴挙であり、

合併時の播磨造船所関係者を騙したとかになってしまうのでは?

当の暴走ツイートには、「#いいにくいことをいう日」のタグまで

加えられていますが…。

いやはや暴走ツイートだけじゃなく、やはり御社自体が、

会社公式HP会社概要欄においても下記のように

「Hは播磨じゃない」かの如き説明をしています

現在IHIは、石川島造船所の流れをくむ石川島重工業1960年播磨造船所と合併して

>「石川島播磨重工業(Ishikawajima-harima Heavy Industries)」となった後、

2007年グローバルブランドの強化を促進するため,社名を「IHI」に変更して誕生しました。

www.ihi.co.jp/ihi/company/history/

わざわざ地名のHarimaを小文字にする必要があるのでしょうか?

Hを2つ重ねての「IHI」ということではダメなのでしょうか?

石川島中心で、播磨歴史矮小化し消し去りたいのでしょうか?

そもそも石川島」、

江戸時代は罪人やホームレスのための「人足寄場」です。、

IHI改名したのは、納税者国民からの悪質な窃取である

巨額公金ドロボー事件談合事件)を起こし、

2007年に45日間の会社業務停止処分を受けたどさくさだったはずです。

その罪を償い続けるために祈念して、

石川島」中心でIHIなる社名を掲げ始めたのでしょうか?

合併時の石川島重工業土光敏夫社長

播磨造船所の六岡周三社長

「Hは播磨じゃない」と主張されているのでしょうか?

>調印式の様子。右が石川島工業土光敏夫社長、左は播磨造船所の六岡周三社長

www.ihi.co.jp/ihi/company/history/

誤記なのか、「石川島工業」となっているのが示唆的です。

平和で持続的なグローバル社会を望むのならば、

死の商人」とも関係が深い「重工業」、

人を苦しめることにもなる「重」の文字

石川島播磨重工業の「重」こそが不要であって、

IHIの3文字は、Ishikawa Harima Indutries から創られたと

ハッキリと謳ってもよいぐらいでしょうに。

「Hは播磨じゃない」と言い張るのならば、

IHIが見捨てた」相生という町の寂れっぷりみたいに、

鈴木商店が消えた、播磨造船所が消えた、

次に消えるのは、当然にIの「石川島」の東京方面では?

Iの文字まで消えてしまえば、

平和のHしか残らない…。むしろ望ましいことのような…

御社ツイートを受けて、

朝日新聞社系のサイトに皮相な記事がつくられました。

twitter.com/withnewsjp/status/1465800566169292807

この船舶ならぬ浅薄文章を綴ったのは

札付きの若松××という記者で、

ジャーナリズムとは似ても似つかぬ

底の浅いウケ狙い記事ばかり量産している人物です。

若松記事中で、御社ツイッター担当者から次のような回答を

得ています

>「IHHI」とならなかった理由については、こう推測します。

>「『石川島』と『播磨』ではなく、『石川島播磨』として

>とらえられているためと考えます播磨とHeavyの頭文字

>同じ『H』だったことがすべての始まりですね」

蛇足ながら、私の身内(従兄)の××××がIHIOBです。

彼の論文が収録された1978年刊行の『石川島播磨技報』

dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3207285

表紙画像にはIHIの3文字が表示されていますが、

雑誌英字タイトルは「Ishikawajima-Harima Engineering Review

播磨頭文字も(当たり前ですが)しっかりと大文字です。

鈴木商店以来の会社歴史を考えるのならば、

「H」には当然に「播磨」の意味も含まれます

正式に伝えるべきなのでは?

不適切ツイートに基づいて、

いい加減な記事ネット上にばらまかれているのならば、

泉下眠る播磨造船所関係者の功労や名誉のためにも

会社公式HPで釈明をするべきです。

以上、縷々と綴りましたが、★印の質問に関して

真摯な回答をお待ちします。

追記

若松××が記事を書いていなければ、

御社にこのメールを送っておりません。

上述の××××も現在居住している佐賀への

悪意ある誹謗中傷記事で大暴れした

朝日新聞若松××だけは断じて許せませんから

※問い合わせフォームにおいて、

なぜ「貴社名」だとか「部課名」が必須になっているのでしょうか?

ツイッター会社に問い合わせしろと謳っておいて、

問い合わせフォームサイトは、デリカシーを欠き

不親切としか思えません。一般的な問い合わせ項目が無く、

仕方なく【IRについてのお問い合わせ】から

連絡を差し上げております

身内のIHIOB実名で健在ですが、

この質疑メールは、仮名にて送付しております

(メールアドレス電話番号と住所の一部は実際のものです)

IHIツイッター担当者匿名である以上、

現時点で実名を掲げる必然性は無いと判断しました。



12月2日昼 IHIコーポレートコミュニケーション部より返信

山田

平素は格別のお引き立てを賜り、心より御礼申し上げます

株式会社IHIの××と申します。

この度は、弊社のTwitterを通じて発信した情報において

不快な思いをされたとのこと、申し訳ございません。

弊社では、硬軟織り交ぜた多種多様ジャンル情報

様々な視点から発信することにより、幅広い層の方に

興味や関心をもってもらうことを意図し、Twitter運営しております

山田から頂いた貴重なご意見も今後の運営

参考とさせていただきますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます

また、誤記不具合についてもご指摘いただきありがとうございます

確認の上で適切に対処いたしますので、何卒ご理解のほど、

よろしくお願い申し上げます

IHI ××

∞━━━━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━━━━∞

株式会社 IHI コーポレートコミュニケーション

×× ××(×××× ×××)

〒135-8710 東京江東区豊洲三丁目1番1号 豊洲IHIビル

TEL 03-6204-7030

FAX 03-6204-8613

E-MAIL個人アドレスのため非表示

URL www.ihi.co.jp

∞━━━━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━━━━∞

2021-11-14

anond:20211112065826

あるあるシックスティ想像したら色々歌詞が思い浮かんだ。1960年の頃の戦前戦後を生き抜いた60代の曲とか、池袋の60階建てのビルの曲とか。60回殴る曲とか。

2021-11-05

ブルマーについての拾遺集

調べる途中だったがほったらかしにしたものをまとめておく。

1927年台湾にて提灯ブルマーでの掃除

https://en.wikipedia.org/wiki/School_uniform#/media/File:Karenko_girls_high.jpg

1951年ベルリンの体育

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bundesarchiv_Bild_183-10454-0004_Berlin_Sportunterricht_mit_Rh%C3%B6nrad-Colorized.jpg

1958年ニーダーザクセンの体育

https://www.youtube.com/watch?v=PO-Z-kBOWEU&ab_channel=trinitrojo

1968年ロシアの体育

https://www.youtube.com/watch?v=2sQknAnyzK8&ab_channel=historycomestolife

1960年セルビアユーゴスラビア)の体操選手

https://sr.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B3%D0%BD%D0%B5%D1%81_%D0%9A%D0%B5%D0%BB%D0%B5%D1%82%D0%B8#/media/%D0%94%D0%B0%D1%82%D0%BE%D1%82%D0%B5%D0%BA%D0%B0:%C3%81gnes_Keleti_1960.jpg

この記事では御年百歳のオリンピックメダリストコーチが扱われている。

1970年スウェーデンの体育

https://classic.europeana.eu/portal/en/record/76/jlm_item_208965.html?utm_source=new-website&utm_medium=button

1984年ソ連映画

https://www.youtube.com/watch?v=hMDtC9mU38o&ab_channel=%D0%94%D0%BC%D0%B8%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%B9%D0%A1%D0%B5%D0%BC%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D1%85%D0%B8%D0%BD

北朝鮮スクール水着(?)

http://russian.china.org.cn/exclusive/txt/2013-04/12/content_28524100_13.htm

グーグル翻訳中国語和訳すると次の通り。

北朝鮮は非政府スポーツを重視する国です。政府はすべてのユニット、すべての家族、すべての人にスポーツ活動への積極的な参加を義務付けています工場企業学校の4,000を超えるスポーツチームがあらゆるレベル存在します。運動グループランニング制度化されています北朝鮮民俗スポーツ活動は、豊かでカラフルで、長い歴史伝統がありますが、その中で最も影響力のあるものは、長距離走テコンドー重量挙げスケートです。」

フランス学校ブルマー

https://www.epinay-sur-seine.fr/wp-content/uploads/2019/01/l_histoire_du_sport_a_epinay.pdf


anond:20211105075157

2021-10-03

還暦なんだね

漫画家田川滋の個人サイト

cartoonist: TAGAWA Shigetu

メインページ

1960年東京まれ明治大学漫画研究会出身

1982年少年キング新人賞まんが道大賞」にて

佳作『六明舎のトモちゃん』で商業誌デビュー

以後、少年画報社少年KING」、

学研「COMIC NORA」「5年の科学」などに連載作品執筆

代表作はSFショート漫画集「とわいらいと通信」全3巻。

ゼロ年代以降は学研「なんでもよくわかるシリーズ」などの学習漫画

各種企画広報もの漫画などを執筆

細々ながらそろそろ40年、漫画を描き続けております

なお、大学政治学科出身ですので(?)、Twitter等のSNSでは市民としてのパブリックオピニオンを、個人として自由に発表しております

https://sites.google.com/view/tagawa-shigeru/

2021-09-07

ポーランドブルマー、結局名称は何なんだ?

はじめに

最初にブルマーについて調査した記事で、ポーランドブルマーの映っている動画を紹介した(3:55頃から)。そのことから自分ポーランドにおけるブルマー存在証明したと満足し、それ以上の調査をやめた。しかし、先日のドイツのブルマーにまつわる記事で、ドイツ語のブルマー名称を知ったこからそもそもポーランドブルマーを何と呼んでいるかを調べた。

結果として、今回は具体的な名称を見つけることはできなかったが、ポーランドにおけるブルマー年代をもう少し細かく絞り込むことができた。

ポーランドの体育の起源

ポーランドの体育の歴史は1805年にさかのぼる。医師であり化学者でもあるJędrzej Śniadeckiが、身体の訓練がなおざりにされ、精神だけの訓練が行われていることを嘆き、体育を創始した。彼の目指した水準は高く、「レスリング、さまざまな武器使用ダンスジャンプ、高い木に登る、溝をジャンプする、水泳乗馬、走りながら馬に乗る」などが教科に含まれていた。また、どうやらそこの学校では、ポーランド語も教えられていたようであるポーランドが分割されていた時代のことと考えれば、驚きである

Kto wymyślił lekcje WFu?

サイト名が「ファクト」で少し胡散臭い

ポーランドとSokół(ソコウ)

ソコルはチェコのブルマーについて記載した記事でも書いた通り、チェコ民族的体育運動協会であるポーランドのソコウはそこから派生した団体である1863年蜂起の失敗後、同年2月設立された。同時期のスカウト運動とは逆に、右翼的傾向があった。それに危機を覚えた当局による迫害が続いた。プロイセン占領下のポーランドでもそうであったし、独立後、再びナチス占領されても迫害を受けた。

にもかかわらず、ソコウはポーランド独立運動の一翼を担ったのである

しかし、共産主義政権が成立するとソコウは違法化され、これにまつわる情報はすべて検閲された。1989年合法化され、1990年にソコルポランド体育協会連盟(とでも訳せるか)

名称を変更、現在は80のグループ8000人を擁し、若者愛国心市民義務を教える団体となっている。

なお、余談だがサッカー庶民スポーツとして嫌ったため、20世紀に何人かのメンバー離脱独自サッカークラブができるが、これがポーランド最初サッカーチームの起源である

Sokół - Wikipedia

英語版では1935年の提灯ブルマー確認できる。ポーランド語版では1937年、提灯ブルマーでのマスゲーム確認できる)

ポーランドの体育での服装(結局ブルマーはいていたか?)

上記の「ファクト」というサイトによれば、当時はズボンとゆったりとしたシャツを着て、女の子ドレスを着て運動した、と書かれている。またソコウ(自動翻訳では「ファルコン」と出てくる)では軍服のようなものを身に着けた、とあるブルマーに関する記載がないことに、僕は困惑した。証拠となる映像画像もそろっているのに、文章が見つからないのである

ポーランド語は一言もわからないので、以下の語を翻訳し、組み合わせて検索してみた。「体操着」「紺色」「ブルマ」「短パン」「共産主義」「1960年」「歴史」「恥ずかしい」など。ここで思いがけなかったのが、中東欧の多くの言語で「体操着」で画像検索すると、女性用のレオタードばかりヒットすることだった。

Wikipediaポーランド語版Mundurek szkolny(学校制服)で検索したが、それらしいものはヒットしなかった。イギリス制服に関する項で、

  • Spódniczka sportowa lub szorty z logo szkoły (dziewczęta)
  • Szorty sportowe (dziewczęta)
  • Kostium gimnastyczny (dziewczęta)

とあり、これは

意味するので、検索のヒントになるかと思ったが、結局見つからなかった。

やっとのことで、あるサイトで、こんな証言を見つけた。

pamietam obowiazkowy stroj na wf szorty granatowe bialy podkoszulek.

これを日本語にするとこうなる。

体育の必需品、ネイビーブルーショートパンツ、白いTシャツを覚えています

これが数少ない、ポーランドブルマーにまつわる証言である。名も知らない誰かのコメントで、ポーランドブルマーはあったのだと、映像だけでなく、言語でも納得できた。

ブルマー写真さまざま

こちら過去ポーランド撮影した写真アーカイブだ。検索ワードをgimnastykaに変えても同じような写真が出てくる。

幸いなことに、写真の下には年代記載されている。1930年代1948年と書かれた写真は提灯ブルマーだが、1960年代を映している写真は、間違いなくショーツブルマーだ。

また、こちらでは、少しダボダボしているが1950年代ブルマー確認できる。

他にもブルマー運動する女性写真は何枚か見つけたが結論は同じであり、リンクをいたずらに増やしても意味がないので、割愛する。

陸上ブルマーについて

陸上ブルマーバレーボールブルマーについてもある程度調べようと思った。一つには、日本ブルマーバレーボールに影響されたという説があるからであり、もう一つにはブルマーポーランド語での名称を探すヒントになるかと思ったからだ。

こちらでは1972年陸上ブルマーの普及の様子を確認できる。

また、こちらでは陸上ブルマーの是非について論じているが、タイトルが「Majtki dla biegaczek」、和訳すると「陸上パンティー」である。これがブルマー正式名称かと思ったが、どうやら違うようである

これ以上探しても見つからないので、調査は一段落とした。元々は体育のブルマー調査だ。プロスポーツブルマーとは少し違う。日本でも競技ブルマーの浸透した年代と、学校制服ブルマーの普及した年代には、かなりのずれがある。名称調査はともかく、この画像検索ではずれが出てくる。いずれ、競技ブルマーの普及した年代調査することがあれば、そのときに改めてまとめなおす。

結論

調査での反省

しかしたら、グーグルもDeepLも、単語レベルでの正確なニュアンスに関してはまだ改良の余地があるのかもしれない。また、日本語から英語からかでも、訳語がぶれた。

それと、今回は自分の落ち度だが、系統的単語を調べず、頭に浮かんだまま検索したので、何度も同じ単語検索してしまった。また、サイトによっても訳語のブレがあった。気晴らしの調査であるとはいえドキュメントファイルかなにかで記録を取りながら調査すべきであった。

しかしたら、画像検索ではなく、文章検索すべきかもしれない。たとえば、「体操着 共産主義」ではこちらの質問サイトが見つかり、ブルマーが黒っぽかったことを示唆する内容もある。

Wątek "Strój gimnastyczny " - wielkiezarcie.com

今後の展開と次回予告

できることなら、なんとかポーランドブルマー名称確認したい。

また、ブルマーの普及状況について、国ごとに調査継続したい。

ちなみに、今回自分は並行してハンガリーブルマー事情について調べていたのだが、思いがけないことが明らかになった。それに関してはできたら一週間以内に記事アップロードし、共有したい。

遅れたら失礼。

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