はてなキーワード: 1941年とは
思い立ったので書く
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
多くの自動車メーカーに影響を与え、後に自動車のスタンダードとなるような技術・理念を持つことを選考基準とした
世界初のガソリン内燃機関を動力とする3輪自動車。現代の自動車の始祖にあたる。
自走式の自動車はモートルヴァーゲン以前に前例があるものの、馬車を改造したものでしかなかった。機動性と実用性を考慮し、ドライバーが手足のように操作できることを念頭に開発された自動車は、モートルヴァーゲンが初となる。「バランスを取ることなく、ドライバーが自由にコントロールできる自走式の乗り物」を自動車とするならば、それを定義したのがこのモートルヴァーゲンといえる。
発明者のカールベンツはメルセデス・ベンツ創始者の一人。その妻であるベルタベンツは1888年、旦那に内緒でモートルヴァーゲンを持ち出し、息子2人と長距離旅行(実家に里帰り)を敢行。ガソリンスタンドなど無い時代に、幾多の故障とトラブルを乗り越えながら往復200kmの長距離走行を成功させている。この時の経験は、モートルヴァーゲンの改良に大いに役立ったという。
世界初の大量生産車。ヘンリー・フォードによるライン生産方式の発明により、一部の富裕層の乗り物であった自動車が大衆のものになった。自動車史のみならず、人類の歴史にに大きな足跡を残した偉大な車である。
大成功を収めたフォードであったが、その十数年後にはゼネラルモータースの台頭により、フォードは窮地に立たされることになる。
いわゆる「ビートル」。基本的な設計を変えないまま2003年まで生産された。累計生産台数は2152万9464台。フルモデルチェンジを含めない単一車種の生産台数としてはぶっちぎりでトップ。
この車の偉大さを伝えるにあたり、長ったらしい解説は必要なし。世界中で広く愛され、たくさんの人々の生活を支えた。
世界で初めて衝突安全ボディを採用した車。衝突時に車体を意図的につぶすことで、衝撃を吸収し安全性を高める。
今では当たり前の技術だが、その当たり前を作り上げ沢山の命を救った功績は大きい。
3点式シートベルト(現在一般的に使われているシートベルト)を世界で初めて標準装備した車。ボルボは「安全は独占されるべきでない」としてこの特許を無償で公開。その結果3点式シートベルトは急速に普及し、世界中の自動車の安全に大きく貢献した。メルセデス・ベンツとともに敬意を。
スポーツカーとしての高い走行性能と、人や荷物を載せる実用性を高い次元で両立させた車。高級スポーツカーとしては珍しくルーフキャリアが装着可能で、荷物を屋根積みすればスキーやキャンプなどレジャーにも使える実用性を有する。初代の発売から現在に至るまで、世界中の自動車メーカーにとってスポーツカーのお手本であり続けている。
エンジン横置きFF(フロントエンジン・フロントドライブ)大衆車の先駆車。コンパクトな車体ながら広い室内空間を確保できるこのパッケージングは、現在の自動車の主流となった。
BMWにブランドが買収された後は、様々な自動車メーカーが挑戦し失敗し続けた「小さな高級車」を初めて成功させたブランドとなった。
フェラーリの創業者エンツォフェラーリが最後に手掛けたスペチアーレ(限定モデル)。希少価値を高めるため「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」ビジネスモデルは、高級車はもちろん高級時計やブランドバッグなど、ラグジュアリーブランドビジネスとして今では一般的な手法となった。世界最強の高級ブランドフェラーリを象徴するF40は、自動車業界の枠を超えて特筆するべき製品といえるだろう。
世界初HV乗用車。初代プリウスは赤字覚悟の実験的なモデルだったが、2代目プリウスは商品力を高め大ヒットを記録した。
近年のトヨタはEVの販売が積極的でないため脱炭素できていないと叩かれがちだが、発売から現在までCO2排出削減に最も貢献した車は、他でもないプリウスである。「良い製品でも売れなければ意味がない」というトヨタの考えを地で行く名車。
走るスマートフォン。もはや自分で運転する必要などない時代を予感させ、モートルヴァーゲンが定義した自動車の定義を覆そうとしている。トヨタが「自動車メーカーからモビリティメーカーへの変革」を目指すようになるなど、世界各国の自動車メーカーが経営戦略の転換を迫られた。
また、テスラの運転支援技術が悲惨な事故を引き起こすなど、自動運転技術が普及していく過渡期として重要な出来事も引き起こしている。良くも悪くも、今後自動車史における大きなターニングポイントとして語られることは間違いない。
・1920年代のゼネラルモータース(シボレー、キャデラック等)
たくさんのブランドや車種を展開する販売戦略(多品種少量生産)やオートローンなど、現在は当たり前になっているマーケティング手法を生み出した。自動車史において非常に重要であるものの「これ!」となるような特定の車種を選ぶことができなかったため選外とした。
夢のエンジンと呼ばれたロータリーエンジン。世界中の自動車メーカーやオートバイメーカーが研究したが失敗。唯一実用化に成功したのは、東の最果てにある小さい自動車メーカーだった。高く評価されるべき技術だが、広く普及した技術とはならなかった。
ちなみに、ソ連がロータリーエンジン車を生産していた事実はあまり知られていない。一説によると3ローターの市販車は、マツダではなくはソ連が初だとも言われている。昭和51年にマツダがソ連技術者に工場を案内したことがあるらしく、その際に技術流出した(らしい)。
油圧サスペンションやモノスポークホイール、流線型で宇宙船のような外見など、意欲的な工夫が多数盛り込まれたシトロエンの傑作。特殊な車に見えるが、大衆車として145万台以上生産された。
誰もが認める名車だが、マツダロータリーと同じく一般的な技術として普及しなかったため選外。
ちなみに、油圧サスペンションの油圧はブレーキやパワステ、トランスミッションの駆動にも使われているため、何らかの原因で油圧がかからなくなると、最悪サスペンション、ブレーキ、ハンドルすべてが利かなくなる。
・メルセデス・ベンツ ミディアムクラスW124(1985年)
「最善か無か」最後の時代のメルセデスとして名高いW124型ミディアムクラス/初代Eクラス。安全性を最優先に考え、最善の自動車を実現するべくコストをかけて徹底的に開発された名車。世界中の自動車メーカーの研究対象になった。
しかし、日本車の躍進や東西ドイツ統合による経済的混乱などの理由で、メルセデスベンツはこの車以降、コストをかけた車づくりをあきらめることとなる。
日本車の高級車市場進出の象徴ともいえる一台。この車が出るまでは日本車=安くて丈夫な大衆車だったが、それを覆した。きわめて静粛な車内と乗り心地、そして高いクオリティに対する値段の安さは、全世界に衝撃を与えた。メルセデスが「最善か無か」の車づくりをあきらめたのはこの車が原因。
世界中の自動車メーカーが不可能と思われていたアメリカの環境規制、マスキー法を初めてクリアした名車。ホンダが北米市場で躍進するきっかけとなった。
ちなみに、マスキー法はビッグ3(フォード、GM,クライスラー)の反発により実質的な廃案となる。アメリカの環境規制がマスキー法同水準に達するのは、1995年になるまで待たなければならなかった。
アフリカや中東、南米ジャングルの奥地...。どんな場所でも生きて帰ってこれる車。厳しい環境で、農業や鉱業、人命救助などに活躍している。この車がないと生きていけない人が、世界中にはたくさんいる。
開発者インタビューによると、地引網漁に使われている事例もあったらしい(ランクルで浜から海にざぶざぶと入って網を投げ、引き上げる。釣った魚を売る時にも使う)。
パワーがないけど、軽量で安く走る楽しさにあふれるスポーツカー。デビュー当初、この類のスポーツカーは瀕死寸前だったが大ヒットを記録し、数々のフォロワーを生み出して今に至る。
日本と中国が排他的経済水域をめぐり争う東シナ海ガス田問題があり、1969年に試掘出願をしたが政府に保留にされた(大平正芳経産大臣)
出願から35年後の2005年7月、試掘権が付与されたが(中川昭一経産大臣)
10月に、親中派議員の二階俊博が経済産業大臣になり、この流れがストップ
2006年、国際石油開発と経営統合し、持株会社・国際石油開発帝石ホールディングスの完全子会社となった
2008年(平成20年)、際石油開発帝石ホールディングスが社名変更した国際石油開発帝石(現・INPEX)に吸収合併され消滅
https://note.com/yonahajun/n/n5f920bd34136
これ読んでぶったまげたわ。
「ゼレンスキー政権の全体を「ネオナチ」と呼ぶロシアのプロパガンダの歪みは明らかだが、独ソ戦下にドイツの側につくことでソ連からの独立を策した、ステパン・バンデラを標榜する勢力がウクライナに存在することは事実だ。
少なくとも彼らの視点では、ナチスは「良いこと」もしたのである。そう主張する、私たちにとって十分にはクリーンでない人々とも手を組まなければ、プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない。世界はそこまで、追いつめられている。 」
バンデラを英雄視するウクライナ人が、「ナチスは「良いこと」もした」とは言わんだろ。
確かにバンデラは反ソの立場からナチ・ドイツに協力しようとしたが、それは同床異夢でしかなく、独ソ戦開始直後の1941年7月にナチ・ドイツから捕らえられて、強制収容所に入れられてるんだから。
また今の情勢で「ナチスは「良いこと」もした」なんて言おうもんなら、国際世論からも非難されるうえ、ロシア・プロパガンダに塩送ることになるわけで、ウクライナ・ナショナリストもそこまでバカではないよ。
しかも、「私たちにとって十分にはクリーンでない人々」って誰を指してんの? その直後に「プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない」とあるから、もちろんナチではないよな?
直前の「そう主張する」とあわせて考えると、「ナチスは「良いこと」もした、と主張するウクライナのステパン・バンデラを標榜する勢力」ということなのかもしれんが、繰り返すように、別にバンデラを英雄視するウクライナ人が「ナチスは「良いこと」もした」と主張しているわけではないからな。
とにかく日本語としてわかりにくいうえ、ウクライナの歴史ならびに歴史認識の複雑さをまったく無視した暴論としか言いようがないよ。
北欧諸国にもブルマーらしい写真を見つけることもできた、また、学校の体育で使われたと確認できるものもあった。
〇デンマークの学校教育では、1960年代から1980年代後半にブルマーが採用されている学校があった。また、レオタードを着用する例もあった。
〇スウェーデンの学校教育でも時期ははっきりしないが、ブルマーやレオタードが使われていた。
〇ノルウェーでは学校教育でブルマーの写真が確認できた。また、学校教育外ではへそ出しブルマー、ブラトップにブルマーが確認できた。
〇これは英国での影響かもしれない。英国では、学校教育で導入される以前の1930年代、1940年代から、Women's League of Health and Beautyなどで提灯ブルマーやショーツ型ブルマーが導入されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=YmWYxulYQI4&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=UbO9RAXHdHU&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=HUrx29uQpwg&ab_channel=BritishPath%C3%A9
そして、これは知らなかったのだが、女性だけの場所では、へそ出しファッションもあったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=2k5uTySJO4w&t=28s&ab_channel=BritishPath%C3%A9
ちょうどビキニの水着が生まれた頃で、少しずつへそ出しの時代が始まっていたようだ。陸上ブルマ以前のへそ出しの存在には驚いた。ヨガと書いてあるが、す1956年代ににヨガが欧州に伝わっていたのが驚きだ。ヒッピーとかの時代だと思っていた。対し蟹欧州のインド研究の歴史は長いが、大衆にまで広がるのにはタイムラグがあったはずだ。いや、ここでヨガが伝わってヒッピーが育っていった?
〇フィンランドでは、女性のみの環境では1940年代から1950年代でブルマー姿になっている女性が見られた。また1970年代のブルマー着用者ではなく、ブルマーそのものの写真も見つかった。現代の学校では、スパッツやレオタードが選べるらしい。
〇アイスランドについては資料が少ないが、現代の生徒でジャージ以外にバレエみたいな恰好をしている例を見つけた。
さて、以前、調査は国ごとにまとめて行うべきで、地域を横断するのは雑になるのではないかと思っていたのだが、こうやってブックマークしておいた画像をもとに1つの記事にまとめると、北欧にはへそ出しがあるという意外な関係性がわかるメリットがあった。
女性だけの環境では、多少大胆な格好をしてもいいのだろうか。あるいは、屋内というか体育館限定なのかもしれない。
かつての記事では、女子は人前ではスカートだが、女子だけの場所ではパンツスタイルで運動したことを書いた。
それと関係しているのだろう。
もっとも、上のWomen's League of Health and Beautyでは、うら若き女性が人前で大胆なブルマーで開脚している。
これは女性の解放・自由・権利が、家父長制に逆らって好きな格好をするほうに向かっているケースで、マドンナやテイラー・スウィフトのレオタードにも似ている。
https://genxy-net.com/post_theme04/328116l/
https://pbs.twimg.com/media/F_vqDL8W0AABet_?format=jpg&name=large
では、韓国のブルマー同然の短パンで腰を振りながら歌う女性歌手は?
わからない。だが、女性が堂々と肌を見せる権利と、それが異性愛者の男性の欲望の対象となることで起きる緊張は、今にもつながっている。
だが緊張は常に悪ではない。そこから新しい思想、ファッション、表現が生まれていく。問題なのは無知や無理解、人格攻撃であり、批判は時には深い理解からなされることだってある。純粋理性批判だって、批判は肯定的な意味じゃない。何ができて何ができないか、境目を知っておくのは大切だ。
話を戻そう。
一方で、これが本当にブルマーだったのかは留保が必要な写真もある。というのも、ごく短いスパッツのサイズが合わず、結果的にブルマーのような形になってしまっていると解釈できなくもないからである(さっきの★をつけたデンマークの写真や、☆をつけたノルウェーの写真)。つまり、結果的にブルマーに見えているだけで、最初からショーツ型ブルマーとして裁断されているわけではないのかもしれない。提灯型ブルマーかはっきりしない写真もある。
今後は他のアーカイブサイトを横断し、さらに事実確認を続けていく必要がある。
今回見つけたのは、例えばデンマークでは第二都市オーフスのアーカイブだが、それこそ首都コペンハーゲンのアーカイブを探せばもっと当時のブルマが見つかるのではないか?
ノルウェーではオスロ博物館の情報もあったが、他の諸国ではどうか。
とはいえ、画像による調査に行き詰まりを感じている。幾分、事実確認よりも画像の狩猟に近づいてきているからだ。
なので、今後は各国の言語で「体操服の歴史」と検索して、それを読むことになるだろうか。
実際、英国やオーストラリアでのブルマーの展開については、個人の記憶や体験をもとにしたブログでの証言をもとにした記事もある。ただし、人口の少ない国では苦労するだろう。前にも書いたように、ショーツ型ブルマーそのものに特に名前がなく、短パンやスパッツの一種ととらえられているとしか思えない国もある。
また、リンクの途切れたバルト三国についても、画像を探し直すやもしれない。
そう、過去の記事を見るとすでにいくらかリンク切れができている。だが、魚拓を取るのも面倒だし、どのリンクが死んでいるかを何十もある記事をさかのぼって調べるのもおっくうだ。
いつ上述の作業をしたり、続きを執筆したりするかは全くの気まぐれ、次回はいつになることやら。下手をすれば来年だ。それくらい面倒くさくなっている。というか、調べまくっていたらブルマがゲシュタルト崩壊を起こしてきた。あの頃のブルマーってあんなにハイレグだったっけ?
資料の豊富にある英語で調べた、ブルマー以外の服や手塚ブッダのおっぱいのほうがしっかりと調べ物をした実感もあるし、バズる。
けれども、少しずつはてな匿名ダイアリーでブクマを稼ぐことへの執着が前よりもさらに薄れてきており、調べものをしても増田に書くかどうか、日々怪しくなっているのである。
やるとしたらトップレスやへそ出しの歴史か、しかしそれもウィキペディアの丸写しになりそうなので、何か別の資料がいる。
それではまたどこかで会いましょう。
適当にやってたら間が悪く人的資源を使い果たしたタイミングで隣国が敵として参戦してきて詰んでしまった。次回プレイに向けてメモ書き。
NF「地方選挙」を取れるようになったらすぐに取って、それ以後のNFを取って自治度を上げていく。
自治領まで上げると、NF で「飢餓の恐れ」を解除できるようになってバッドイベントを回避できる。それ以外はあんまり効果はない。
この後は、自治領に留まってダラダラするかさっさと独立するかを決めてNFを取って行った方がよい。中途半端にするとただ遅いだけになる。
NFで日々の自治度獲得を上げた後は、結局戦争で貢献して自治度を稼ぐのが一番いい。レンドリースには全然工業力が足らないし、資源の輸出は受けてくれない。駐在武官の派遣は忘れてたけどいいかもしれない。
初期状態では中道80%くらいで始まる。政治力が余った時期があったので、ディシジョンで民主主義を削って安定度の足しにしようとなんかやっていた。しかし自治度が上がって自治領になると、指導者の変化と同時にイベントが発生して政体の構成が大きく入れ替わって無駄になる。そのため、わざわざディシジョンを実行しなくてよい。
長期的には独立した方がいいが、独立してしばらくは人的資源・工業力共に減少してしまう。今回のプレイではこれらが必要な時に独立してしまい、軍が維持できなくなって酷いことになった。
徴兵可能人口増加と消費財減少は強い。これらは取ってから独立してもいいかもしれない。工場がもらえるNFは独立を目指すなら効果の割に時間がかかりすぎる。自治領に留まるつもりなら暇つぶしにいいかも。
序盤は自治度を上げるNFを取りつつ適当に内政。大戦開始前に20師団ほど出してリビア国境に並べた。編成は燃料を食わないようにしておいた。対枢軸戦が始まってイタリアが参戦したら行動開始。リビアのイタリア軍を殲滅して貢献度稼ぎする。その後はイタリア領東アフリカに走り、アフリカにいる枢軸軍を殲滅。この時点でイタリア軍死傷者の半分以上がインドのせいになっていた。アフリカが終わった時点で 1941年になったところだったので、対日開戦に備えて軍を戻す。ここまではいい感じだったが・・
日本が対米開戦したので対日戦に参加できるようになり、日中戦争と、よせばいいのにフィリピンに援軍を送って本土を空っぽにしてしまう。フィリピンに送った軍で抵抗を試みるが、日本はいろいろなところから上陸を仕掛けてくるので支えきれず、結局フィリピンは降伏。なんとか粘って一島を沿岸防衛する形で耐えたが、海上封鎖されて出られなくなってしまう。これと並行して戦争で稼いだ自治度があったので独立してしまい、徴兵可能人口と工場が減ってしまって追加の軍を出せなくなる。徴兵法を上げなきゃ、と思ったところでシャムが大東亜共栄圏に参加して参戦してしまった。全裸の領土を殴られているのに見ていることしか出来ず投了。
言及元は困ってるように見えたのでまず「家庭内だけで解決を目指さない」選択肢があることを提示しました。相談機関や対策が未熟なのは問題点として指摘したつもりではあります。ただ未熟だから、「親権が取れない」など結果が期待できないからと言って全く手を打たないのは違うと思いました。女性問題の専門家は別につい最近活動してるわけではなく、戦後すぐぐらいから長くDVや貧困、性暴力の問題について積み重ねていった結果の今のありようなんですよね。別に女性問題の解決手段はボーッと誰かがお膳立てしてできたのではなく、当事者がそれなりに努力して獲得した歴史があります。男性問題は問題視されたのがつい最近なので、この辺り専門的に対応できる人材は限られるだろうなと思います。マンパワーは足りないですがやらなければ泥沼だと思いますよ。
まず生まれが、<数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、1941年1月5日に東京市で生まれた。>だからね?そりゃあ金持ちとして文化資本が高い生活を送ったことだろう。この時代子供に家事やらせたり働かせるなんて当然の時代で一般人は余裕がない中本は読めるわ、当たり前のように大学進学という選択肢も選べたし
幼少期に空襲を体験してるっていうのも創作者として格が違うしな
まだやってないストーリー、キャラ、動き、世界観だらけで何やっても新鮮でやりがいがあって最高の環境だっただろうな
創作者に限らず人のピークは20代から40代あたりだろう。創作者としての良い時期と日本が成長していく時期が完全に重なってた。
観客の質も良かったんだよな。宮崎世代は娯楽が少なかったから本を読むのと映画を見るのが当たり前で教養があって、作家主義的な映画にも敬意を持った観客がたくさんいたけど今やYoutubeの動画すらも長いと感じてショート動画見まくる時代だよ
こっちは、経済政策の失敗で30年間経済が停滞して、異次元の少子高齢化で国がすごい勢いで衰退していく中、これからとどめの南海トラフ巨大地震に首都直下地震、原発問題だってあるし、気候変動問題で自然災害は増加する一方で、政治は韓国のカルト宗教統一教会と自民党が繋がって良いようにされてるし、国際情勢は露宇戦争もどうなるかわからない、なにより中国が台湾侵攻するのも時間の問題で沖縄だって狙ってるんだから日本は第一線で戦わなきゃいけないの確定してるわ・・・
こんな暗黒の時代を生きなきゃいけない俺たちに時代に恵まれた82歳の老人が「君たちはどう生きるか」なんて言葉投げかけるな
original story as written by Hans Christian Andersen から リトルマーメイドになった時点では欧州大西洋(北部)の話だったみたいだが、2023版はカリブ海あたりに舞台が移されている
そこでは、ご当地風味の演出として民衆が出てくるミュージカルシーンで楽器「スティールパン」によって曲が演奏されている
「BGMにスティールパンの音がする」ではなく、明確に人間族がスチールパンを叩いている映像が見られる
スティールパンは白人の奴隷抑圧、から生まれた楽器なのは譲るとして
「トリニダード・トバゴはイギリス領となりましたが、黒人奴隷たちの待遇は相変わらず最悪なもので、しばしば植民地の政府や警察相手の暴動が発生。
その発生は「カーニバル」の時期に決まって起こっていました。
キリスト教の謝肉祭の文脈と、アフリカの楽器を用いた祝祭の伝統が融合してできたものなのですが、興奮して盛り上がりすぎて日ごろの鬱憤が全部出てしまい、暴動に発展するケースが多々あったのです。1880年、イギリス植民地政府は「カーニバル暴動」を取り締まるため、金属の棒を用いるパーカッション音楽を全面禁止にしてしまいました。
黒人たちは、竹の棒を使ってフライパンやドラム缶を叩いて音楽を楽しみ始めました。それをタンブー・バンブーといいますが、しばらくしたらそれすら当局によって禁止されてしまいます。」
「1939年、ウィンストン・スプリーという人物がボロボロになったドラム缶を叩いて直そうとしたところ、凹んだ箇所によって異なる音が出ることを発見。スティールパンの元となる楽器を偶然生み出し、一躍黒人の間に広まります。
これが有名になったのは1941年。」「このような発展から「20世紀最後にして最大のアコースティック楽器発明」と呼ばれており(要出展)」
スティールパンが存在するのは、本来ならば20世紀以後。現在も職人の高度な技術によって製造されている。
馬車と帆船が移動手段なのにスティールパンが存在するリトルマーメイド世界は、幕末にシンセサイザーを演奏する武士がいる江戸みたいな世界だということになる。(BGMにシンセサイザーの音が聞こえる映画ではない)(自動車は19世紀には実用化されている)
佐々木のおっちゃんと濱口のおいちゃんが「左翼も右翼もプーチンロシアを大日本帝国になぞらえないw」と的外れなことを言って失笑を買われてる。
[B! ロシア] 佐々木俊尚 on Twitter: "プーチンロシアを大日本帝国になぞらえる議論がなぜ右からも左からも出てこないのか。納得感あり。/サヨクとウヨクのウクライナジレンマ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) https://t.co/7M64YmKJyv" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sasakitoshinao/status/1640490883811246080
彼らは「都合が悪いから誰も指摘しないw」と笑うことはしても、彼らが「プーチンロシアの戦争は大日本帝国の戦争と同じ」と主張することはないんだよな。どうせなら「誰も言わないけど俺はこう主張する」って書いてほしいけど、「誰も指摘しない」で終わらせるってことはその主張はその程度のどうでもいい内容だったということでしかない。
彼らが仮想敵にしてそうなリベラル左翼、その代表メディアの朝日だけでも、プーチンロシアの戦争と日本の戦争の類似指摘記事はちゃんと出てくる
今は政治も「変動相場制」 五百旗頭真氏が問う、動乱の中の安全保障:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ7M44QZQ7HUTFK00M.html
ロシアの侵攻の図式、かつての日本とうり二つ 盧溝橋事件の教訓とは [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ764JDQQ73USPT00D.html
権力に自ら服従したとき プーチンの「大本営発表」がやって来る:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ675KMVQ5TUPQJ00D.html
ウクライナ危機、各国なぜ「戦争」と呼ばず 昔の日本に重なるロシア:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ5C4K1RQ5BUTIL01Q.html
(交論)憲法と平和主義 山室信一さん、松元雅和さん:朝日新聞デジタル
www.asahi.com/articles/DA3S15280549.html
1931年の満州事変からの満洲国建国、6年後に泥沼の日中戦争開戦して、1941年に日米戦争開戦。
2014年のクリミア侵攻からの傀儡国家独立、ロシア併合に続いて8年後の2022年にウクライナ戦争開戦。泥沼化で今後の世界大戦勃発への恐怖。
あと昔はこういうの「マスコミが言わない」「マスコミが報じない」って枕詞で広まってたけど、SNSの言論バトルがメインの今は「左翼も右翼も言わない」「右も左も無視する」という形容詞がトレンドになってるんだなって思った。
マスコミが報じないとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E5%A0%B1%E3%81%98%E3%81%AA%E3%81%84
宣戦布告の対米最後通牒(国家の意思表示を相手国に知らせること。戦争をするためにやらなくてはいけない)が、真珠湾攻撃の50分も後になってしまいました。これは外務省がその文書の日本語から英語の翻訳を遅れたからです。海軍の人はこの件で外務省をよく責めたのですが、外務省だけを責められないと僕は思います。1941年に大本営連絡会議で、外交をするにあたって開戦の時期と攻撃地域を教えてくれと、その時の外務大臣東郷重徳が軍令部次長の伊藤整一に聞いたのですが、伊藤は「軍令に口をはさむとは、けしからん」と一喝したそうです。このように外務省は何も知らされていないまま、いきなり翻訳を頼まれたことを踏まえると、外務省より軍(ここでは海軍)のほうが責任はあると思います。やはり1.で書いた通り、軍は政治と同格にあってはならないと思います。
太字の部分、SESの多重下請けでよくやりたがる幕府しぐさじゃん
軍なら規律があるから当然としても、平和な世界だとオ〇ニーになるやつ...
日本人は77年たって成長したのだろうか?
22年2月開戦時、ウクライナの「非ナチ化」「非軍事化」がロシア政府のナラティブだったことを覚えているだろうか。そのために『わが闘争』の本がウクライナ軍陣地跡から出土した、というような馬鹿げたプロパガンダをしていたことも。ウクライナを含めたロシア圏を西側の影響(文化的なそれを含む――LGBTの排除が典型)から守るというナラティブであった。それが「戦争」ではなく、「特別作戦」というネーミングにつながっている。これは不戦条約および国連憲章による武力行使禁止への言い訳に過ぎないかもしれないが※、ここではそれを思想的に少し本気に受け止めておこう。
今は違う。ロシア政府は「戦争」と言い出した。悲喜劇となっているめちゃくちゃな動員も行い、ウクライナ国内への容赦ないインフラへの打撃――戦略爆撃など、本格的な戦争にいちおう移行しつつある。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022102300113&g=int
では、NATOが本格的に軍事介入(空爆にせよ、陸戦にせよ)すればカタがつくかと言うと、そうでもないように思われる。実は、それこそがロシア政府の望んでいる事態なのではないか。上記記事では、現時点でもロシア政府が「戦争の責任を負うのは北大西洋条約機構(NATO)側と主張。ロシアが仕掛けたにもかかわらず、「被害国」だと訴えている。」という認識を示していることが語られている。これは、どう考えても欧米諸国に向けられたメッセージではない(彼らも、本気でこういう認識を欧米諸国が認めてくれるとは思ってはいるまい)。ロシア国民に対する敗戦の言い訳である。そしてNATOが本格的に軍事介入すれば、この言い訳をNATO自らが裏書きすることになる。
この戦争の思想的原動力になっているのは、要するにロシア民族優越主義であることが指摘されている(例:イリインの思想についてhttps://book.asahi.com/article/14612140。小泉悠氏の著書やフォルカー・ヴァイスの『ドイツの新右翼』を読むと、かのドゥーギンの思想は、シュミットのグロースラウム論の応用のようだ。それも結局一言でいえば自民族優越主義だろう)。他方で、この戦争の敗戦の原因になっているのもロシア民族優越主義である。弱い(ということになっている)ウクライナ如きに敗北するから、国民の士気が下がる。士気が下がるからまた負ける。
NATOが軍事介入した場合、NATOが完全に結束し続ければいずれすべての戦場で優勢となるだろうが、ロシア人は、強いアメリカと戦っているから負けているのも無理はない、と考えることができるようになる。これは1941年12月8日の状況と似ている。弱い(ということになっている)中国に全然勝てず、不平不満が鬱屈していた日本人が、相応の知性あるはずの者も含めて対米開戦に快哉を叫んだ※のは、もちろん主力艦を奇襲攻撃で大破して望外の大勝を得たこともあろうが、他方で戦場での劣勢への言い訳が見つかったからではなかろうか。
※ 「一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」(坂口安吾35歳)。「みんな万歳を叫んだ」(井伏鱒二43歳)。逆に、理性を失わなかった例として、「僕達が努力しなかったのが悪かった」(ジャーナリスト・清沢洌51歳)。
https://book.asahi.com/article/11852364
戦争の哲学者クラウゼヴィッツによれば、攻撃にとって最も重要なのは敵の重心(Schwerpunkt)への打撃である。重心とは、敵軍のすべての要素がそこでバランスを保っている一点である。それは戦場の軍勢とは限らない。敵国首都とも限らない(ナポレオンはこれを誤った)。クラウゼヴィッツの洞察が正しければ、今回の場合、ロシア民族優越主義が破滅するような道筋をつけるべきなのだろう。つまり、「弱い(ということになっている)ウクライナ※がロシアを倒した」というナラティブ、これである。NATOの介入はかえって害悪になるかもしれない。帝国日本は対米開戦から3年半以上持ちこたえた。むろん、ロシアの軍事力は当時の帝国日本よりもアメリカに対して不利だとは思うが、それのみならず、「中国に負けた」ことを受け入れられない日本民族優越主義者がけっこう多いことにも注意したい。このような観点からすると、バイデン大統領――彼は連邦議会議員としては上院外交委員長を長年勤めた老練政治家である――がロシアと直接交戦はしないという態度を開戦前から決め込んでいるのは、きわめて適切な対応のように思われる。さすバイ
※客観的に考えればウクライナは別に弱い国ではない。中東欧では最大クラスの軍事大国と言って良いのではないか? ヨリ客観的にみれば、この紛争の根源は地域大国ウクライナと地域大国ロシアの、ロシア語地域圏におけるシマ争いという風に考える余地がないではない(なお、武力衝突に至った責任は大方ロシア政府にあるから、ウクライナ政府を非難するつもりはない)。
江戸時代に幕府領・天領だった「西国筋郡」に、田野村庄屋というのがあった
明治維新のあと、庄屋の15の娘には、薩摩系の森藩だった村から、若い村民が婿に来た
初代村民は、それで九重鉱山を購入し、約20年間経営し、それを船会社の広海二三郎(損保ジャパン始祖)に売った
その娘には、また森藩だった村から婿が来た、2代目の村民は発電所を経営することにした
2代目の村民は1941年、発電所を九州水力電気(九州電力の始祖)に売った
その娘には、また森藩だった村から婿が来た
3代目村民は、陸軍の理系教授だったが、戦後、2代目が死亡したのち、2年後に死亡
その息子は1人生き残っていたが、女学校報国団のあった熊本県甲佐町から、プロテスタントの町民が嫁に入った
つまり薩長政権は、天領の役人の財産などを使って鉱業や保険業や電力事業をしたかね
この無知を晒しまくってる御仁に、せめて歌の意味を教えてあげて欲しい…
あのさあ
ソレは大東亜共栄圏を唱えながら行われた侵略戦争で使われたやつなんだけどこのタイミングじゃ一番出したら駄目なんじゃねぇかな
https://twitter.com/niwaka_toshiro/status/1518435520581455872
「大東亜共栄圏を唱えながら行われた侵略戦争」なんかで使われてねえよ…
しかしこれが、事前に参謀総長以下に対し外交交渉の後退について散々叱責したあげく、1941年9月6日の御前会議で昭和天皇が最大級の厭戦を表現した歌だと知っていたとしたら、ウクライナ大使館の教養も凄まじいものがあるな…
日本ではやけにウクライナに肩を持つ人が多いと思っているが、ウクライナって所詮はソ連の中の一つでしょ。
1991年にソ連が崩壊したことによって、ソ連領内の各国が独立して誕生した国々。
そのウクライナがEU加盟を希望していて、EUは難色を示していて、ロシアは反対して実際に戦争を起こした。
ロシアもウクライナも、30年前までアメリカやEUや日本と敵対していた。
私からすれば、お互いに潰し合って消耗してくれれば大変結構、としか思えない。
ドイツ推しの立場から言わせてもらうと、ウクライナって所詮は「敵」でしかない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%95%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1941%E5%B9%B4)